【ディケ・ルーイス】
「あの……先生?」
「ん? なんだい?」
机に向かいかけていた顔を先生がもう一度上げる。
「ディケ・ルーイス、というのは、先生のお知り合いの名前ですか?」
「どうして、その名前を知っているんだ?」
「いえ……。先生が持っていた地図に、その名前が書かれていたものですから」
「ああ、そうか……。彼女はね、僕にとって恩師みたいなものなんだ」
「恩師ですか」
「そう。今から十年くらい前まで、僕の家は行商人をしていてね」
「リアンダー先生の家が行商人!?」
今の彼の様子からは、想像もできないことだった。
「信じられないだろう? でも、本当のことなんだ。それなのに、今はこうして魔法使いになって、教師をしているのだからわからないものだよね。人生って、面白い」
「そうですね。それで、その方が持っていた地図を先生が持っているのは、またどうしてなのですか……?」
「彼女は亡くなったんだよ。今から五年ほど前にね」
「亡くなった? その、事故か何かでですか?」
先生は首を横に振って否定する。
「流行り病だよ。それは突然のことだった」
「そうだったんですね……」
ディケ・ルーイスさんという人が先生にとってどういう人なのかはわからなかったけれど、きっと、大切な友人の一人だったんだろうな、というのは伝わってきた。心の底から悲しんでいるのが表情からもわかる。
十年ほど前まで、リアンダー先生の家族は行商人として各地を旅していた。
各地で市の開かれる日を知っている行商人たちは、市に集まり、また、その付近を歩いて盛んに商売をする。移動が多く、多数の商材を運ばなければならない関係から、彼らの多くは馬車を利用する。馬車は荷物をたくさん積めて便利な反面、小回りが利かない。馬が動けなくなるとたちまちのうちに立ち往生してしまう。それゆえ、盗賊や山賊に狙われやすいのだ。
その日は運の良くない日だった。街道で山賊による襲撃を受けた先生一家の馬車は、馬を殺されて移動ができなくなった。
馬車を取り囲んでいる山賊たちの姿を見て、荷物を放棄して命乞いをしようと先生たちは思った。そのとき、助けてくれたのがディケ・ルーイスだった。
山賊たちをたちまちのうちに撃退した彼女の強さに、魔法の威力に、リアンダー先生は驚嘆した。魅了されたといってもいい。
魔法で馬の治療までをしてもらった先生の一家は、ディケ・ルーイスを馬車に乗せて街まで送った。
その道中で、彼女から魔法の初歩を教わったリアンダー先生は、非凡な才能を見せる。すぐに魔法を発動させて見せたのだ。
彼の飲み込みの早さに驚いたディケ・ルーイスは、先生を弟子に取ることを望み、また先生も魔法使いになることを望んだ。
カレッジで魔法を教えていたディケ・ルーイスは、リアンダー先生をカレッジに入学させる。こうしてリアンダー先生は、魔法使いとしての一歩を踏み出すことになった。
ところが、それから五年が経過して、リアンダー先生が教員免許を取得できる目処が立った頃に、彼女は急死してしまう。
流行り病に罹患して。
「あっという間のことだったよ。魔法は万能ではないと、悟る出来事だった。病の前では、魔法も無力なのだと」
「ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって……」
「いやいや、こちらこそすまないな。暗い話をしてしまって」
「いえ……こちらこそすみませんでした」
本音を言えば、彼女に家族はいるのか。いるとしたらどこに住んでいるのか。シェルドとの関係はあるのか。いろいろ訊きたかった。
だが、このタイミングで掘り下げて訊くのは不自然だ。それ以上に不謹慎だ。
だから私は、ここで事務室をあとにした。「指輪のことを調べてくれて、ありがとうございました」と頭を下げて。
* * *




