【継母との確執】
「おはよう、レイチェル」
「おはようございます。お母さま」
身支度を整えて食堂に入ると、継母のマルヴィナはすでに席についていた。いつも通り化粧も着こなしも完璧だ。自分磨きに余念がない。そこだけは少し感心する。
父は所用で家を空けているためいない。仕事の都合で外泊をするときがとにかく多いのだ。
「サリス家の令嬢ともあろう者が、寝坊をするとは何事です。夜更かしがすぎるのではなくて?」
「申し訳ありません。お母さま」
リビングに顔を出すのは遅くなったが、せいぜい十分くらいだ。カレッジに遅刻するほどでもないし。それでも、不満はおくびにも出さず、低頭な態度で応じた。そうしておいたほうが、波風が立たないことを私はすでに知っている。
ふん、と継母は鼻を鳴らした。
それに、身支度に時間がかかったのは寝坊をしたせいではない。ループをした直後は情報整理に時間がかかるし、今回は起点が一日ズレたのだからなおさらだ。死に直面したことのない人間に、何を言っても響かないだろうが。
だから、思うだけで私は何も言わない。
食事中はみな一様に無言だった。
父の目を盗む必要がないので、父の不在時は継母からの嫌がらせがエスカレートしがちだ。むしろこのくらいで済んだなら、御の字だろう。
朝食を終え、家を出る前に私は庭に向かった。花に水をやらねばと、思い出したのだ。サリス家の庭にはさまざまな種類の花が咲いている。今の季節なら紫陽花が見頃だ。
庭師の老人が、花壇の手入れをしている。「おはよう」と挨拶を交わし合い、ジョウロに水を入れて準備した。屋敷の裏手にある庭は、ちょっとした公園くらいの広さがある。庭師一人では回り切れないだろうと思い、私は時々庭の手入れの手伝いをしている。
じょうろで水をやる。しとしとと降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。紫陽花の花びらから滴る雫を、ぼんやりと眺めていた。
「ねえ、あなた」
背中から声がして振り向くと、継母が立っていた。意地悪く、唇の端を吊り上げている。
「その花は、あの人にいただいた大切な花なのよ。あまり粗末に扱ってはほしくないものだわ」
継母が指差しているのは、私が今まさに触れている紫陽花だった。紫陽花の花びらには細かな切れ込みがたくさんある。痛んでいるのだろうか。水をあげすぎても良くないと聞いたことがあった気がする。加減が難しいのだ。
「これは……」
反論しかけて言葉を飲み込んだ。別に大切に扱っていないわけではない。今だって、少し触れただけだし……。いや、それを指摘してきたということは、私が雑な扱いをしているように見えているということだ。ここは素直に謝っておくべきだろう。
「申し訳ありませんでした。お母さま」
「わかればいいのよ。それにしても……あなたは本当にあの女にそっくりね」
継母が言っているのは、私の実母のことだ。屋敷の壁にかかっている母の絵画の横顔が、成長した私によく似ているとルーチェにも言われたことがある。自覚は、ないのだが。
言い返さずにいると、マルヴィナはもっと面白いことを思い付いたとばかりに意地の悪い顔になる。
「あら、どうしたの? 今日はなんだか妙に大人しいじゃない。何か悪だくみでもしているのかしら?」
マルヴィナが私のあごを人差し指で持ち上げた。私はされるがままに顔を上げる。
「お母さま。お戯れはよしてください」
「ふん、つまらない娘ね」
鼻を鳴らして私から離れると、マルヴィナはきびすを返して颯爽と屋敷の中に戻っていった。
大きくため息を吐いた。じょうろを花壇の脇に置きながら考える。今日の夜になれば父が帰ってくる。それまで時間を潰してから今日は帰宅したほうがいいだろう。あのマルヴィナのことだ。どんなにささいなことでも、それをきっかけにして嫌がらせをしてくるのだから。
考えるべきことがたくさんあるのに。余計な心労を増やさないでほしいものだ。
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