【ふたつの指輪】
「屋敷の裏手にある果樹園を、散歩しているときのことだった。狼の群れに襲撃されて、それで命を落としたんだよ」
「そんなことって、ある?」
疑問の声を上げたのはプレアだ。
「何か、おかしかった?」
「だって……、レイチェルのお母さんは冒険者だったんでしょ? 油断していたとか、何か事情はあるのかもしれないけれど、狼相手に遅れを取るなんてことありうる?」
「うーん……」
プレアの疑問はもっともだ。それについては、私もずっと引っかかっていた。
「でも、間違いないんだよ。その日、現場である果樹園には私もいたから。十年以上前のことで、あまりよく覚えてはいないんだけど、それでもお母さんの亡骸をこの目で見たのは確かなんだ」
母の亡骸と、側にいた私を見つけてくれたのは父とルーチェだった。二人が私を見つけ、狼の群れを追い払ってくれなければ、おそらく私も食い殺されていた。
あの日のことは、あまり思い出したくない。
「じゃあ、レイチェルはずっと父親の手ひとつで育てられたの?」
「いや、そうじゃないよ。それから数年して、お父さんは再婚したからね」
継母であるマルヴィナは、親戚筋だった侯爵家の生まれだ。前妻の娘である私のことを毛嫌いしていて、たびたび嫌味を言われる。しかしながら継母もまあしたたかなもので、父の姿がないときを狙って嫌がらせをしてくるので、私が陰湿ないじめに遭っていることを父は知らない。私にしても、いらぬ火種は増やしたくないので、父にこの話はしない。
父と継母の間に子ができたなら、この風当りが強い状況も改善されるだろうとは思うのだが……今のところ、残念ながらそういった兆候はない。
それ以前に、このループを脱しなければどうにもならないが。
継母との関係を改善したところで、死んでしまったのでは元の木阿弥だ。
「私、継母には嫌われているの。顔を合わせるたびに嫌味ばかり言われている」
「大変なんだよな、レイチェルは」とエドがため息を吐いた私を見て苦笑する。
「実際、大変だよ。でも、辛くなったときは、これを見て母さんのことを思い出しているの。そうすれば、辛いことも少しは耐えられる」
この、繰り返されるループ現象にも。
右手に嵌っている指輪を見せると、シェルドが興味深そうに前のめりになった。
「これは?」
「母さんが残してくれた形見なの。母さんが守ってくれるから、肌身離さず付けていなさいって、父さんからそう言われている物なんだ」
「それと同じ物、僕も持っていますよ」
「へ?」
驚きから変な声が出た。
ほら、と掲げた右手には、確かに私のものとよく似たデザインの指輪が嵌っていた。ただし、石の色が私のものとは違う。私のが濃い緑色なのに対して、シェルドの指輪の石は透き通るようなエメラルドグリーンだった。それにやや古びていて、石の表面に傷が一本あった。綺麗なのにもったいない。
「これは?」
今度はこちらから聞き返す番だった。
「僕の母親の形見なんだよ。そこは、レイチェルの家の事情とよく似ているね」
「形見って、じゃあ……シェルドのお母さんも、亡くなっているの?」
「そうだよ。僕の母親が亡くなったのは、去年のことだった。僕の母親は、優秀な魔法使いだったんだ」
シェルドの母親は、奈落の君を退けたという、伝説の勇者なんじゃないかと一瞬思った。だが、四人の勇者の名前はなぜか後世に伝わっていないので、特定のしようがないが。
「……一年前? シェルドのお母さんはどうして亡くなってしまったの?」
「簡単に言えば、魔法を使い過ぎたのかもね。……ごめん。あまりあのときのことは思い出したくないんだ」
「ご、ごめん……!」
境遇が自分とよく似ていたので、根掘り葉掘り聞きだしてしまった。少々デリカシーがなさすぎた。
魔法を使い過ぎたとはどういう意味なのか。疑問に感じたがこれ以上突っ込んで聞く気にはなれなかった。
優秀な魔法使いだった母親の跡を継いで、シェルドも魔法使いになりたいのだという。そこも、私とよく似ていた。
「ふたつとも大事な人の形見で、どちらもデザインがよく似ている。偶然にしては出来すぎじゃないか? ……もしかしたら、ふたつの指輪には何か関連があったりしてな」
「古代王国期に作られた魔法の品の中には、複数作られたものもあるんだって。同じデザインということは、そういった物のひとつなのかも?」
エドの感想に、補足説明をしたのはプレアだ。
「数が多く作られたということは、それだけ便利な物だった、ということかもしれないよ。一度、誰かに調べてもらったほうがいいんじゃない? 思わぬ力が隠されていたりして」
「思わぬ力かあ……」
指輪に嵌っている石を、日の光にかざしてみた。父に言われていたからというのもあるが、この指輪は私にとってお守りみたいなものだった。これを通して、私は時々母の姿を思い出している。
この指輪が私のことを守ってくれている……というのはさすがに考えすぎだろうか。
意識ごと吸い込まれてしまいそうな、透明感のある空が眼前に広がっている。
空の中心に、黒い点が染みのように生まれた。
点は見る間に大きくなり、人の形になっていく。
「……見つけた」
上空に現れたのは、ガーゴイルだった。聞き違いだろうか。人の言葉を話した気がする。迷宮の中で見たものとは、どこか違う気がした。私の位置からでもわかるほど、殺気立っているのが伝わってくる。
「レイチェル!」
シェルドが慌てて私を呼んだ。
「迷宮にいた奴の残りか?」
武器を構えたエドの問いに、「それはありえないよ」とプレアが冷静に返した。
「カレッジの迷宮の中にいるガーゴイルは、いわばただのレプリカだもの。……こいつは違う。レプリカなんかじゃない。本物の、」
――ガーゴイルだよ!