【シェルド・ルーイス】
肩を貸してもらいながら、医務室までの廊下を歩く。歩いているだけでも辛くなってきて、途中から彼におんぶしてもらうことに。重いから、と首を振ったのだが、「今はそんなことを気にしている場合じゃないだろ」と否定された。
重いことは否定しないのか……。
医務室に着くと、彼は私をベッドに下ろした。「ちょっと待っていて」と言って彼はすぐ医務室を出ていった。あ、お礼を言ってなかった、と思っているうちに医務室の先生がやってきて診察をしてくれた。軽い捻挫で、全治一週間ほどらしい。
「湿布を出しておくから、しばらく貼っておいてね」
そう言って、先生が私の足首に湿布を貼ってくれる。ひんやりとして気持ちよかった。しばらくして少年が戻ってくる。
「これ……」
おずおずと少年が何かを差し出してくる。ベッドに腰掛けたままで受け取って広げると、それはサポーターだった。どうやら、私のために私物を持ってきてくれたらしい。
「ありがとう」
おう、とだけ呟き、彼が近くにある椅子を手繰って座った。そっぽを向いた彼の横顔を見る。
切れ長の目のせいか、クールな印象を受ける。鼻筋が通っていて顔が小さくて整っているし、こうして見るとまるでモデルみたいだ。
「あの……」
沈黙に耐え切れずに声をかける。彼は「ん?」という風にこちらを見た。
「さっきはありがとう。助かったよ。ここまで運んできてくれたこともそうなんだけど、その……はっきり言ってくれたこと」
「ああ」
そんなことか、と言わんばかりに彼が鼻の下をこすった。
「たとえ、怪我をしたのが君のミスからくるものだったとしても、他人の失敗や不幸を笑うのはかっこ悪いことだろう? 僕は、当たり前のことを言っただけさ。それに、僕も昔バカにされて悔しい思いをしたことはあったからね……。他人事とは思えないんだ」
「バカにされたことがある? 君が?」
「……そうだよ? いったい僕をどんな人間だと思っているんだい? 買いかぶりでは?」
「いや、だって……。この間火災が起きている中に助けにきてくれたし。あそこ三階だったから飛行の魔法を使ったんでしょ? 飛行の魔法はそれなりにランクの高い魔法だし、それが使えるってことは君が優秀だってことになるでしょう?」
「ああ、そういうこと。……まあ確かに、僕の母親は優秀な魔法使いだったしね」
「……そうなの?」
興味深い話だと思って身を乗り出すと、それに併せるかたちで彼が身を引いた。
「うん。……まあ、どうでもいいんだよ。僕のことは」
話したくない内容なのか。彼は語尾を濁した。
でもね、どうでもよくないんだよ。君がイレギュラーな動きをしていることを、私だけは知っているのだから。
「じゃあ、少し質問を変えてもいいかな? シェルド・ルーイス君」
ここで彼の眉がぴくりと動いた。やはりこの名で正解だったか。
「知っていたのか。僕の名前を」
「うん。エドとも友だちなんだってね」
シェルド・ルーイス。同じ「蒼」クラスの二年生。ただし、「蒼」クラスも四つに分かれているから、私やプレアとは違うクラスだ。今日やった体育や錬金術といった実技系の授業は、数クラス合同で行われることがよくある。隣の隣のクラスに、彼は所属していた。
「それで、仮免許試験のときも、私たちと同じ班になってくれたんでしょう?」
「そうだよ。一人メンバーが足りないんだって、エドに泣きつかれたんだからしょうがない」
顔色の変化はない。嘘はないのか。それとも、嘘をつきなれているのか。
それでもこれだけははっきりしている。
彼が私たちの班に入るのは今回が初めてだ。
エドと仲が良いとの話も、今回初めて聞く。
これがなぜなのかは、わからない。
「エドとはいつ知り合ったの?」
「このカレッジに入ってからだよ。彼は話しやすい相手だからね。ごく自然と打ち解けたよ」
「気が付けば仲良くなっていた、ということはあるからね」
「そうそう。そんな感じ」
嘘はない――と思う。エドから聞いた話とも合致しているし。
疑問点はひとつだけだ。なぜ、彼の存在が今回から目立ち始めたのか。それだけだ。
「そういうレイチェルはさ、もっと友だちを作らないの?」
「へ?」
思わぬ質問が返ってきて面食らう。
「いや。別に、私そこまで友だち少なくない」
「少ないでしょ? プレアとエドの他に誰かいるの? 言ってみて?」
「……」
痛い腹を探られて、沈黙してしまった。
「いや、いないけどさ。別にそれで不自由はしていないから」
「人付き合いを最低限にしておくと、気楽なのは確かだからね」
気楽。実際、その通りだ。交友関係を増やしていったところで、私が死んでループしてしまえば元の木阿弥だ。どうせリセットされる人間関係なら、最初から築かないほうがいい。
「けど、人間関係が希薄だと、困ったときに頼る相手がいなくなるよ? もっといろいろな相手に声をかけてみてもいいんじゃない?」
最初は、ここまで諦めていなかった気はする。この、忌々しいループが始まってから、私はあからさまに人を避けるようになった。諦念が、心の奥底にまで染みつき始めているんだ。
それを、見透かされているみたいだった。
「そうかもしれない。でも」
どうしたらいいのか。自分でもよくわかっていないんだ。私は、エドとプレアと、それ以外の誰に頼っていいのか、それがわかっていないんだ。
家族ですら、頼りにならないのに。
「でも、今回は頑張ったじゃない? 僕に話しかけることができたんだから」
「うん。そう……なのかな」
「そうだよ。じゃあさ、僕と友だちになってくれる?」
なんかぎょっとした。じゃあって何? 話の流れ的に、それは私の台詞ではないのか。むしろ良いのだろうか。面白いことなど何も言えない、ふてくされてばかりの私などで。
「うん。もちろんだよ。……よろしく、お願いします」
「硬すぎ」と言って彼が笑う。右手を差し出されたので握手をした。その手を解いてから、彼が私の前にひざまずく。
ベッドに腰かけている私の正面に、彼の顔があった。
瞳は伏せられていて、表情はよく見えない。
まつ毛が、長い。
彼が私の右手を取って、手の甲に口づけた。
……!?
柔らかい感触だった。男の子の唇って、こんなに柔らかいんだ。
未体験の刺激が、私の頭の中を埋めていく。唇、柔らかい。唇、柔らかい。……ふたつの単語が、頭の中をぐるぐると回る。
手の甲から離れた唇が、視界の中心にある。
膝立ちの姿勢のまま、彼が顔を寄せてくる。
顔を寄せてくる!?
驚愕しているうちに、唇を塞がれた。
さっきよりも柔らかい。あっ、目を閉じなくちゃ。
じゃなくて。なぜ私はキスをされているの!?
目を見開いたのは、私と彼と同時だった。
唇が離れて、彼の顔が熟れたリンゴみたいに真っ赤になって。傍目でもわかるくらいに彼はうろたえていて。それはきっと、私も同じことで。
思考も体も硬直して何も言えない。
弾かれたように彼が立ち上がる。「ご、ごめん」とだけ言葉を残して、彼は保健室を出ていった。
がらぴしゃんと音がして、扉が閉じた。
一瞬の静寂ののち、「青春だねえ」と医務の先生の声がした。
ベッドと、先生がいる空間を仕切っていたカーテンは、ほんのわずか開いていた。
一部始終を見られていた?
私は声にならない悲鳴を上げた。