4.再びリリー
愛し合うようになると、逆に許せなくなった。
簡単に言ってしまえば、今までは自分の立場が下だったから相手が何をしてきても許していた。無意識にだが、許すしかないと思っていた。
『分かってくれればいい』という寛大な心でいるしかなかった。
けれど、ひと息たって真の侯爵夫人として収まり、『本来のリリー』になった後に無理になったのだ。
あのとき許そうと思った使用人たち。
そして、見て見ぬ振りをして、ある意味いじめを許可してきたクリス。
特にクリスは、愛し合う関係になったとき、彼の今までを思い出してしまって嫌悪感を抱くようになった。
心には相手ごとに花瓶があり、そこにためた感情という水で愛という花が咲く。けれど、これまでの生活で感情を受け入れる花瓶の縁は削られていき、気がつけば水がまったく入れられないガラクタになっていた。
愛情の上限がどんなにがんばっても10%しか貯まらないようになっていた。
まだ、道行く見知らぬ人のほうが上限が高いだろう。
そう気がついたのは些細なことだった。
使用人たちが親しくなったと思ったが、次第になれなれしいと感じるようになった。
(仕える主人にひどいことをしたのになんで笑っていられるのだろう)
メイド長や執事長が、侯爵夫人であるリリーへの補佐を煩わしいと思うようになった。
(侯爵家に仕えることに人生をかけているようだが、侯爵夫人をないがしろにしたことに彼等の中で折り合いはついているの?)
クリスがリリーを慈しみ、多くの時間を費やすようになったのに、気持ち悪さを感じていた。
(見てみぬふりをしたくせに)
(いじめが横行するような侯爵家の当主ではずかしくないのか)
(今までのことを水に流せると本当に思っているのか)
(自分が悪いことをしたと謝罪一つで収まると思っているのか)
その思いはどんどんと膨れ上がって、ある朝目覚めた時に負の感情があふれ出し、花瓶が割れたのを感じた。
リリーはいつも読んでいる法律の本を撫でた。
そうだ。私は侯爵夫人。この国の法に従うなら、あのような扱いは受けてはならない。
それ相応の罰を受けてもらわなければ。
その日、クリスがことの顛末を報告しに王城へ向かう日だった。
見送りの時に、二人きりになった際に一声かける。
「改めて、女主人として侯爵家に関わって行こうと思います。よろしいでしょうか?」
「えぇ、本来のリリーの権限ですから。もし分からないことがあったメイド長のマギーに聞いてください」
そう言ってクリスは出発していった。
女主人の権限には人事権も含まれる。
クリスの言質もとったことなので、さっそくリリーは取りかかることにした。
まずはリリーを苛烈にいじめてきていたメイドたちを呼び出す。
すっかりリリーと打ち解け、今後は敬意を以て尽くしていこうと心をいれかえたメイドたちは笑顔で集まってきた。
もう挨拶などする必要もない。開口一番用件を告げる。
「侯爵家から出て行きなさい。『侯爵夫人』にしてきたことは書面に残して治安維持所に提出します。しかるべき罰を受けてください」
メイドたちは一瞬何を言われたのかわからなかった。
今までどんな状況でもほほえんでいたリリーが無表情になっている。
「な、なぜですか・・・・・・」
一人がようやく絞り出した疑問に、リリーは淡々と答える。
「なぜって、この国の法律の通りに対応するだけよ。自分が仕えている女主人にご飯を抜いたり腐ったものを出してそのまま働き続けられると思っているの?」
言われて、あらためて自分がしたことを冷静に考えてメイドたちは震えだした。
侯爵家という閉ざされた中にいて、長く働いている者が多いため、連帯感で気が強くなっていた。
だが、外の目線が入ると自分が大罪人だと自覚したのだ。
「申し訳ございません!」
「お詫びいたします!!何でもします!」
「罪に問われたら両親や弟たちが!」
それぞれわめきだしたが、リリーはその者達の言葉の軽さを感じていた。
ため息をついた後、一つ提案する。
「あなたたちの罪を一つだけ減らしてあげる。牢に入る時間は短縮されるかもしれない。・・・・・・だから、他の使用人たちの罪を書き記して署名していきなさい」
リリーはそれを一人一人使用人にやっていった。
空いた席は、町で評判の使用人派遣所に声をかけ入れ替えていく。派遣所はトマスから教えてもらったところで、所長もとても良心的な人だった。
紹介をされ、リリー本人が面接をしてお眼鏡にかなった者を入れていく。
所長には紹介料だけを渡して、ファインズ家との直接契約となっていた。契約書はリリーの書面で行われたので、実質はリリーとの契約だ。
はじめの三人の内は何も言われなかった。下っ端使用人たちが季節ごとに家の事情などで数人やめたりするからだ。
彼女たちは口数少なく消えて、リリーが新しい人を補充したときにメイド長や執事長が知ったくらいだ。
監督する立場として自分が知らなかったことをメイド長は苦言を呈したが、リリーは「女主人としてまだ不慣れだから連絡を怠ってしまった」とほほえむだけだった。
だが、その数が10人を超えたら違和感が大きくなり、正式に抗議をした。
「奥様、メイドの辞職が続いています。新しい者達を勝手に採用されてはメイド長として監督が出来ないので・・・・・・」
そこまで言い掛けて、リリーはその言葉を遮った。
「監督が出来ていないのは、私が来てからずっとでしょう」
そう言って、机の上に複数の書面を並べる。その内の一枚をメイド長に渡した。
そこには、これまでのリリーへの行動が書き連ねてあった。書面の下にはやめていったメイドの名前が書いてある。
メイド自身がしたことの他に、メイド長がしたことも書かれていた。
『メイド長のマギーは私たちメイドのやる嫌がらせに目をつむっていた。彼女自身も、仕える主人への苦言を呈し、それは越権行為にも取られるものだった』
それを読んでマギーはぶるぶると震えだした。
自分のしてきたことを人の目から語られ、冷や水を浴びたように心臓が縮み上がった。
いままで自分はメイド長としてこの侯爵家に真摯に尽くしてきた。
早くに親を亡くしたクリスを母親代わりに育ててきた。だから、宿敵のハーマン家から来たリリーのことをよく思っていなかった。
彼女への嫌がらせは、禊ぎのようなものだと思った。
ファインズ家にふさわしいかどうかの検定。彼女の人間性を試すためのテスト。そして、今まで苦渋をなめたハーマン家の者として罰してやろうという気持ちも少なからずあった。
それらすべてをクリアして、『合格』した彼女が今自分を罰している。
考えてみれば、自分が合格など言える立場ではないのだ。自分はどんなにファインズ家に尽くそうとも平民で、彼女は貴族。
国の法律で考えれば罪を犯していることになる。
「私が受けた処遇と、他の使用人の自白。二種類の書類があります。ファインズ家の印と署名がされたものは確固たる証拠となる。あなたにも罪を償ってもらいます」
リリーは辞めさせる使用人全てに、自分の罪を書面で残させていた。
それにより、芋蔓式に侯爵家の罪が暴かれていったのだ。
リリーはさらに条件を付け加える。
「あと、新たしく来るメイド長への引継が残っているからまだ働いてもらいます。『きちんとしたメイド長』を採用するには時間がかかりますから。それまでこのことは他言無用でお願いしますね」
「・・・・・・それを守らなければ?」
「これから辞める使用人には必ずあなたの罪も書いてもらうことにする。あなた1人に抱えきれない罰の重さになったら、あなたの親族にも関わるかも知れないわね」
マギーは黙るしかなかった。
使用人たちはどんどんと入れ替えられていった。
新しく入ってきた者は、出自に問わず能力や人柄で採用されていったので、引継ぎ不足にも関わらず、前より仕事の質が上がったくらいだ。
一方、元からいた使用人は戦々恐々としていた。いつ自分がリリーから呼ばれるかわからない。中にはその状況が耐えられず、自分から辞めていく者もいた。
その者達にもリリーは手を緩めなかった。人探しの者を雇い、今までの罪のすべてをしかるべき場所に報告し、罰を受けさせた。
その頃には国の牢にファインズ家の使用人たちが詰め込まれているような状態だった。