3.外から見た物語
侯爵家には様々な業者が出入りしていた。庭園を整える庭師、使用人が着る衣服を納品する衣料品店、そして食材を納品する食料品店。
食料品を届けているのはトマスという若者だった。
最近侯爵家の配達を任せられるようになった期待の新人だ。
彼自身は若く溌剌としていたが、反対に荷馬車は年期が入っていた。そこに限界まで食料を積んでいたので、幌に開いた穴から何個かリンゴが転がり落ちたのだ。
その日は侯爵家の行事があり、使用人全員があわただしく動き回っていたので、その事態に気がつく者はトマスを除いて一人だけだった。
食料を届けた際に、りんごが想定よりも少ないことに気がつき、歩いて戻ったら門からりんごが転々と落ちていた。
トマスはため息をつきながら空の籠を持ってりんごを一つ一つ拾いに行く。
地面に落ちたりんごは納品出来ない。平民ならまだしも、相手は貴族だ。そんなことをすれば不敬罪で訴えられる可能性がある。そうなったら商売は出来なくなるだろう。
トマスは物覚えが良く、店主に気に入られていた。中でも感心されていたのは、この国の法律を勉強していることだった。専門的な勉強などは出来ないが、町の本屋で売っている書籍には目を通していた。
将来、自分で店を持ちたいと思っていた。それをするには、法律を知っていた方がいいと思ったからだ。自分の身を守る武器は一つでもあったほうがいい。知識は誰にも奪われないし、矛にも盾にも出来ることも気に入っていた。
雇い主は気のいい人だが、その下の先輩風を吹かせる男が難点だった。
店主の関心を引くトマスに嫉妬しているようで、りんごの損失分はトマスが持てと難癖をつけてくるかも知れない。以前も同じようなことがあった。
法律で彼の言うことをはねのけられるものはないかと考えていると、向こうから自分と同じ動作をしている人がいることに気がつく。
女の人だった。着古したドレスを着ているが、身のこなしは美しく育ちの良さを感じさせた。二人が鉢あった頃には、彼女の腕いっぱいにりんごが集まっていた。
「どうぞ」
彼女はりんごを差し出す。
「助かりました!すみません!」
りんごを渡されて、トマスは籠に入れていく。そして、二つのりんごを彼女に戻した。
「よかったら受け取ってください。お礼です」
そう言うと、彼女がかすかに笑った。
「ありがとうございます。実はお腹がすいていたので」
その発言で、彼女は使用人なのだろうと思った。侯爵家の人なら、飢えることとは無縁だと思ったからだ。
「もしよければ、帰りがてら侯爵家のすぐそばの丘で昼を食べようとパンを持ってきたんだ。一緒に食べないか?」
誘ったのは気まぐれだった。ナンパとかでは決してない。ただ、彼女がひどく寂しそうだったからだ。
「そんな、悪いです」
「いいんだよ。・・・・・・じゃあ、代わりにこのりんごを一つもらう」
トマスは彼女が持ったりんごの一つを手に取った。
「元々はあなたの物じゃない」
「たしかに。所有権が移動しただけだね」
二人で思わず笑い、そのまま侯爵家の庭の人目につかないところに彼女に連れられて行った。
古いガゼボがあり、日当たりがよいがあまり手入れがされていないようだった。
「勝手に使っちゃまずいんじゃ?」
トマスは焦ったが、彼女は首を振った。
「大丈夫ですよ。・・・・・・私はここを使う権利は一応ありますから」
「それって・・・・・・?」
「申し遅れました。私はリリー・ファインズ。この家に先日嫁いできたものです」
トマスは血の気が引き、すぐに土下座した。
「た、大変申し訳ありません!ご無礼をお許しください」
「いいのです。名乗らなかった私の落ち度ですから。・・・・・・それに、私がリリーだと知れば、誰も私を正当に扱わないでしょう」
彼女の呟きをトマスはなんとうけとめていいかわからなかった。
そこから、彼女は自分が侯爵夫人だとは感じさせない会話を広げた。
トマスも、それに従って話を進める。
はじめは隙を見て会話を切り上げた方がよいのではと思ったが、会話も終わる頃には楽しい時間を過ごしていた。
トマスも自分のことを話した。法律を勉強していること、家の近所で猫が出産して、一匹貰い受けるかもしれないこと。
リリーはその二つにとても興味を持っていた。
「近所でそれぞれ飼うことになったんですが、あと一匹貰い手が決まらないんですよね」
「・・・・・・もしよければ、私が飼いましょうか?」
「え、いいんですか!?」
「えぇ、前から飼ってみたかったんです。それに、猫一匹くらいなら、私にも許されるでしょう」
侯爵夫人に許されないことなどないだろう・・・・・・とトマスは思ったが、それは口には出さなかった。
なんにせよ、寂しそうな彼女には子猫が必要なのは間違いない。残ったあの子はとびきりお転婆だ。きっと彼女を飽きさせないだろう。
次の週、トマスは子猫と法律の本を持ってきた。
子猫を見ておそるおそる触り、好奇心旺盛ではしゃぎまわる子をあわてて追いかけ、その日は初めて会った時よりも笑顔であふれていた。
子猫の扱いを一通りトマスから聞いて、ようやく籠の下にあった本に気がついた。
「この本は?」
「前に話していた法律の本です。興味があったようなので持ってきました」
彼女はしげしげと本を見つめ、そしてトマスに礼を言った。
「ありがとう。今日からは退屈と無縁になりそうです」
その言葉は本当になった。
子猫を勝手に拾ってきたリリーに、メイド長や執事長は苦言を呈した。
誰が面倒を見るのか。それに、古い歴史を持つ侯爵家には、重厚な家具がたくさんある。子猫が傷つけたらどうするのかと。
その時、初めてリリーが反論した。
「世話は自分でします。それに、この家で猫を飼うことは禁止ではないはずですよ。あのドレッサーの足下には何世代か前に飼われていた猫の爪痕がありますから」
指さした先には確かに傷跡があった。
侯爵家の当主達の意向を重んじる彼等は引き下がるしかなかった。
好奇心旺盛な子猫は時にリリーの部屋から飛び出すこともあった。
使用人の中には、猫好きの者もいて子猫と遊ぶ者もいた。
そこから、自分も触らせてほしいとリリーに声をかける者や、子猫の飼い方をアドバイスする者もいた。
これまで、リリーは自分のことは自分でして、侯爵家の仕事を手伝おうとしていた。その姿から、彼女は噂とは違った人なのではないかと思っていたところだったので、いいきっかけになったのかもしれない。
そこから、侯爵家の空気が少し緩んでいった。
使用人達もどんどんとリリーに心を開いていった。
そして、猫は更なる気づきももたらした。
子猫と遊んでいる時に、クリスが話しかけてきたのだ。
「あなたは本当にリリー・ハーマンなのですか?」と。
聞けば、クリスが猫と遊ぶリリーを見て、以前のことを思い出したのだという。
夜会で絡まれた時、彼女が突然くしゃみをし始めた。
「この中に猫を飼っている方います!?私猫アレルギーなの!すぐに出て行って!!!」
そう言って大声で喚いたんだと。
だが、猫を世話している彼女にはその症状はない。
そこでクリスは疑念が湧いた。本当に彼女はリリー・ハーマンなのか?
印象が前と大きく変わったのは、嫁いで侯爵夫人として心変わりをしたのだと思っていた。
結婚式で、今までと同じ傲慢は許さないと釘を刺したのが効いているとも思っていた。
けれど、そもそも別人なら?
その疑念が膨らんで、リリーに確認に来たのだという。
自分自身にアレルギー症状はなかったし、侯爵家からはそのようなことは言われていなかった。
これはもうごまかすことはできないだろう。
リリーは洗い晒い吐き出した。
自分が偽者だともう知られてしまったのだから、両親の安寧を守るために進むべき道は、ハーマン家の人形になる道ではない。ファインズ家とともに不正をただす道しかないのだ。
そこから先はクリスが動いてくれた。王族や、国の中で起こる犯罪を管理する治安維持所など関係各所と連携して、ハーマン家の不正の証拠をそろえていった。
その間、クリスはリリーと距離を近づけた。
お茶に誘ったり、食事をしたり、共に外出をしてリリーのドレスやアクセサリーを買ったりもした。
デートのようなもので、リリーにははじめてのことだった。
その日々で、二人の距離は近づいていった。
リリーからすれば、クリスの変わりように戸惑った。
もしかしたら、自分をだますための新たないじめを考えたのではと警戒したほどだ。
けれど、真摯に接してくれる彼の姿に心がほどけ、ハーマン家の処刑が決まった頃には心通わせるようになった。
悪は滅び、そしてすれ違っていた二人が正式に夫婦となった。
これでハッピーエンド・・・・・・にはならないのが人生だ。