1.クリスから見た物語
政略結婚で悪女と噂される女が嫁いできた。実は彼女は悪女ではないが、噂を信じた使用人にいじめられ、結婚相手にその状況を静観されながらも、人柄で評価され誤解が溶けていき…という話のその後がメインの話です。
心優しく器が広いヒロインではなく、「いや、許せるわけないでしょ」という展開になります。
「いままでお世話になりました」
そう言って二人が頭を下げるのをクリス・ファインズは呆然と見つめた。
執事長のジェームズと、メイド長のマギーだ。
彼らはクリスが幼い頃から侯爵家に仕えてきた。早くに両親を亡くして、若くして侯爵となったクリスをずっと支えてくれた二人だ。
「どうして・・・・・・」
訳が分からず、呆然と理由を問うことしかできない。
それに二人は頭を下げるだけだった。
「せめて理由を教えてくれないか?君たちは私の親代わりだったと言ってもいい。何か待遇に問題があっただろうか?」
それに、ジェームズが頭を下げながら答える。
「クリス様やファインズ家に何の不満はございません。ただ、私たちがこの家にふさわしくないのでございます」
マギーが続ける。
「侯爵家のメイド長として、使用人達を監督することができていませんでした。この立場にいることは分不相応でございます」
頭を下げた彼女の涙が床のカーペットにしみこんでいくのが見える。
使用人を監督、と言われて侯爵家の中の使用人達の顔が刷新されていることに頭がいった。
王族と主要貴族の会合に呼ばれ、領土の状況報告や交流などで長期集まる時期がある。それから戻ってみれば、使用人の顔ぶれが総代わりしていた。
荷物を置いて、身綺麗にしてから状況を確認しようと私室に行った直後、二人がやってきたのだった。
「・・・・・・リリーと何かあったのか?」
クリスの問いかけに、二人はびくりと肩を震わせた。
だが、それ以上口は開かない。さらに頭を下げるだけだった。
「もういい。直接聞きに行こう」
そう言って部屋を出た。すれ違う使用人達が見たことのない者ばかりで、見知らぬ場所に来てしまった感覚さえ覚える。
侯爵家の城の中でもっとも日当たりがよく美しい庭が見られる部屋に、リリーは住んでいる。
彼女への愛と償いの形として与えた部屋だ。
リリー・ハーマンと結婚したのは一年前だ。
ハーマン家は、クリスの生家のファインズ家とは犬猿の仲だった。領土が近く穀倉としての役割を持つファインズ家の領土と、流通業を担うハーマン家は協力しあえば共に発展し合える仲だったが、ハーマン家はそれを拒絶した。
穀物が作られてもそれが流通出来なければ収益は得られない。ハーマン家はファインズ家を下に見て運送料を高く設定していた。
国王が長らく続く状況を憂いて、両家の縁を結婚で結ぶことにしたのだ。
そして、ファインズ家にやってきたのがリリーだった。
リリーは『悪女』として名を馳せていた。
金を湯水のごとく使い、ドレスや宝石を纏って蝶のように次々と男に声をかける。
その金はファインズ家からも巻き上げられたものだろうということで、家にやってきた当時はどの使用人も彼女にいい思いを持っていなかった。
そしてそれはクリスも。
会ったのは結婚式の時が初めてで、それ以来ちゃんと顔を合わせなかったし、初夜すら部屋を訪れなかった。
それが花嫁に対して不誠実なことだと知りながらも、最低限の礼を尽くすことも拒否をした。
その空気は使用人にも伝わった。
家の当主であるクリスがそのような扱いをしたのだ。
犬笛のように、使用人たちもリリーのことをないがしろにし始めた。
食事を用意しなかったり、服を洗わない、部屋を掃除しない、挨拶はしない、時には聞こえるように陰口を言う。
ファインズ家全体でリリーのことをいじめ抜いていた。
けれど、リリーはそれに屈することは無かった。
まるでその状況が当たり前のように、受け入れてなじんでいた。
食事や服は結婚式で身につけた宝石を売った金で、自分で手に入れた。掃除も貴族令嬢とは思えないが自分で行い、陰口は聞こえていないように振る舞っていた。
まるで響いていない姿が腹立たしいのか、使用人達の態度はますますひどくなる。
クリスはそれを見ているだけだった。
リリーを助ける意味を見いだせなかったし、最悪な状況になる前に執事長やメイド長がさすがに止めるだろうとは思っていた。
実際は執事長やメイド長もまた自分たちの立場からリリーを冷遇していた。
侯爵夫人としてふさわしくないと、貴族の夫人として家をもり立てる役目を奪っていた。
けれど、それでもリリーは何も不満を言わなかった。
できることからと家の小さな管理から始めた。自分をないがしろにする使用人たちに根気強く話しかけ、だんだんと自分ができることを増やしていった。
そうして一人、また一人とリリーを認める使用人を増やしていった。
その様子をクリスは遠くから見つめていた。辛いこともあるだろうに、それを表に出さずいつもほほえんでいた。
やがて、彼女が噂で聞いていた存在ではないのではないかと疑いはじめる。
派手な暮らしをしていたようには思えず、不遇な状況に慣れすぎていた。
結婚から三ヶ月後、初めて彼女と面と向かって話すことにした。
そこから語られたのは、自分がハーマン家の養子ということだった。
国王との命令に背けないが、大事な娘を今まで搾取してきて悪意のたまった家に嫁がせるわけにはいかない。
ならば、ということで傍系の両親を亡くしたばかりの娘をもらってきたのだ。二人の娘は背格好も顔かたちも似ていた。双子といっても通じたくらいだった。
本当のリリー・ハーマンは伝手で外国へ逃がし、すげ替えられたのが彼女だった。
「なぜそれを今頃・・・・・・」
呆然とするクリスに、リリーはほほえんだ。
「結婚当時にお伝えして、信じてくれましたか?」
それにクリスはきまずそうに目を背ける。
きっと彼女のことを信じることは出来なかっただろう。
「ハーマン家にいた頃、家の帳簿をはじめとした資料を盗み見みました。それによれば、家業の流通網を駆使して麻薬の密売をしている形跡があります」
「麻薬、なんということだ」
「えぇ。ですから、ハーマン家の悪事を共に暴きましょう」
「・・・・・・いいのですか?」
「私も嫁いでファインズ家の末席にいるものですから」
「あなたは末席などではない。私と共にファインズ家の頂点に立つ者だ。・・・・・・今までの使用人たちの非礼を詫びる。すまなかった」
クリスはそう言って頭を下げる。それにリリーは涙ぐんでうなずいた。
それからは秘密裏にハーマン家を調査し、その結果を国王に上申。王族の側でも併せて調査し、悪事が暴かれることになった。
ハーマン家は国の平穏を脅かしたとして処刑。本物のリリーも連れ戻されて、首を落とされた。
領土はファインズ家に吸収されたという顛末だ。
そのことがあってから、リリーはファインズ家と領民達に受け入れられ、クリスとともに幸せになっていく・・・・・・はずだった。
これまでをふりかえっている内に、気がつけばリリーの部屋の前に来ていた。
「今いいだろうか」
ドアの奥から彼女の声がした。
「どうぞ」
ドアを開けると彼女が待ちかまえたように立っていた。
窓からの日の光で逆光になり、彼女の表情は見えない。
けれど、雰囲気が今までと違う。こちらを拒絶するような空気だ。
クリスは怖じ気づいてそこから一歩も先へ入れなかった。
けれど、聞くべきことはある。息を整えてリリーに尋ねた。
「私が王城に行っている間に使用人たちが数多く入れ替わっているようですね。それに先ほどは執事長とメイド長までもが・・・・・・」
「全員です」
「え?」
「ですから、数多くではなく使用人全員です」
クリスは言われたことがすぐに咀嚼できず、絶句してしまう。だが、それでも何か話さなければとむりやり口を開く。
「ぜ、全員とはなぜ」
「この家の管理は女主人の裁量。使用人の人事権も私が持っています。ですから何の不都合もないはずです」
「そういう話ではない!」
大声をあげるが、リリーはびくともしなかった。
「なぜ、いったいなぜそんなことを!?それに長く尽くしてくれたジェームズやマギーにも何をしたんだ!」
混乱して、息が乱れるクリスにリリーが一歩一歩近づいてくる。
「貴族に刃向かった平民はどうなりますか?」
「・・・・・・不敬罪で牢に入れられるか、処刑」
「使用人たちの大半は平民ですね。そして、平民でない者は家格に応じてその罰が決められる。侯爵家より位が高い者が働いていましたか?」
「・・・・・・いいえ」
「では、きちんと罰を受けなければ」
すぐ近くにリリーの声が聞こえ、思わず顔をあげて息を飲んだ。
彼女の顔は怒りで染まっていた。
クリスは震えながらも答える。
「けれど、君は許したはずだ!」
リリーは顔をさらに近づけてささやいた。
「自分をいじめてきた人達と一緒に住みたい人間なんていないでしょう。・・・・・・謝罪ひとつで自分の罪が許されるなんて、ほんとに思ってました?」