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色彩の魔術師「素描」(試し読み)

作者: 国村桜叶

素描の第一話です。

第二話以降は連載の方にて挙げさせて頂きます。

閲覧頂けると幸いです。

――少女には「家族」が居なかった。


物心がついた頃には、孤児院での苦しい生活に慣れきって贅沢な暮らしなんか望まなくなっていた。

古びた建物は何時も嫌な音を立て、雨風を凌ぐことも危うかった。

「いたっ……」

突風で窓ガラスが割れその破片を浴びて頬を切り、血が流れる。道具も技術も何も無い状況で、直すこと無く放置され続け今も冷たい風が入り込んでいる。

「おなかすいたよぉ」

「ごめんね、今日も何も食べさせられなくて」

ここ数日ゴミ捨て場には何の食料も無かった。日々の食事は、ゴミ捨て場を漁りカビの生えた残飯だ。運が良ければ野菜や果物も手に入ったりもする。何も手に入らない日もざらにある。多く持ち帰れた日も院にいる十数人の孤児達の分全てを賄うのは厳しい。満足に腹を満たすことが出来ない孤児達の腕や足は骨が浮き出るほどに細く、軽くぶつかっただけでも折れてしまいそうなほど貧弱で、満足に動かすことも出来なかった。いつも腹の虫が鳴り止まない孤児達とは違い、院長はいつも酒をあおり自分だけ美味いものを食べて日に日に腹が膨らんでいる。孤児達が院長室に忍び込み食料を盗もうとしたことも数回では無い。その場ではバレなくても、気づかれた瞬間孤児全員が連帯責任を取らされる。この間は、一人の孤児がパンを盗み、怒り狂った院長は孤児全員を殴り蹴った。怒号と暴力は一晩中続き、終わった時には声すら出せずただ泣いていた。

「…かゆい」

「むずむずする」

「…じゃあみんなで水浴び、しにいこうか」

ここにいる孤児達は風呂という名前しか知らない。見たことすら無い。施設の外の人が話していたそれを想像して入ってみたいと願うことしか出来ない。院の近くにある湖では満足に身体を洗えず、日々汚れやあかに塗れ、鼻孔を刺すような悪臭を漂わせる孤児達は倦厭された。

「…彼奴らまた来たぞ」

「こっちに来るんじゃねぇよ!くせぇ匂いが移るだろ、しっしっ」

「いたい!」

近づいただけで嫌な顔をされ、罵詈雑言を吐かれ、石を投げられて追い返された。

「あ…またやっちゃったか」

床をぼろ雑巾で拭いていると布が破れる音がして膝元を見る。灰色の薄汚れた布に亀裂が入り、拳一つ分の穴が開いていた。孤児達の衣類はボロボロになった汚れきった灰色の布切れ一枚。大きな布に穴を開けそこから頭と手を出している。靴や下着は無く、裸足のまま外を出歩いていた。初めは真っ白だった布も三日後には黒ずむ。何度も何度も洗っても、洗剤も無く水だけでは限界がある。着替えもほとんど無く、綺麗な服を着ることは出来なかった。

「ああん?何見てやがるんだよぉ」

「ひっ」

「こっちに来い!」

「いやっはなしてぇ!」

院長は酒に溺れる度に、難癖をつけ孤児達に手をあげる。絵に描いたようなクズ男だ。孤児達は、理不尽に罵声を浴びせられ、暴力を振るわれる。与えられた傷は酷く痛み、身体だけでなく精神をも蝕んでいた。

「待って!」

「なんだよ?オレの邪魔をするのかぁ?」

「…わ、わたしが代わりになるから。その子を離して」

それを知っている少女は自ら矢面に立って自分よりも幼い孤児達を守った。

「はっ上等だよ。おら!来い!」

「っ……」

長い灰色の髪を強引に使われ、引き摺られるように「お仕置き部屋」へと連れて行かれる。「お仕置き部屋」からは子供たちの悲鳴が響き、孤児全員が恐れている場所だ。

「てめぇらはいつもいつもオレに迷惑かけやがって」

「…っぅ!」

人一倍殴られ、怒鳴られた。それでも孤児達に心配をかけないように声を抑え、涙を堪えた。謂われも無いことを謂われ続けて心が憔悴する。何故自分がこんな目に遭うのか。この院長はどうしてこんなことをするのか。考えるのも馬鹿らしくなって思考をとめる。後は、気が済むまでやらせればいい。そのうち厭きてやめる。それを待つだけで良い。そう考えれば楽だった。

「ちっ。これに懲りたらもう迷惑かけんなよな!」

数時間暴力を振い続け気が済んだのか舌打ちをして部屋を出て行く。

「……」

光の無い灰色の瞳で見送りながら痛む身体を起こす。

「おねぇちゃんだいじょーぶ?」

「いたそう」

孤児達が暮らす大部屋に戻ると傷だらけの少女の元に孤児が集まってくる。

「あ、ごめんね。大丈夫だよ」

絆創膏や湿布なんて贅沢品は孤児達には与えられず院長が独占している。何の医療品も無い孤児達は自然治癒を頼る他なかった。そんな劣悪な状況下でも少女の白い肌に傷跡が残らなかったのは幼さ故の回復力と巡りめぐった奇跡の賜だ。

院長の暴虐はそれだけではない。

「おい。ゴミ共。煙草盗って来い。今すぐな」

無遠慮に大部屋に入り、少女に集まる孤児を一瞥した後、怒鳴りながら顎で外を示す。

孤児達を人として見ず、道具同様に扱っていた。家事をさせるのは当然の事。何も知らない無垢な孤児達に犯罪の片棒を担がせた。道行く人から金品を盗ませ、自分の欲しいものを店から盗ませた。孤児の中には盗みに出たまま消息を絶った子も居た。

「おら!早くしろ!」

酒瓶を傾け此方の事情など気にもとめず怒鳴ってせかす。じわじわと恐怖が伝染し孤児達の顔が恐怖に歪んでいく。

「わ、分かった。今から行くから」

暴力を振われ痛む身体を無理矢理起こし孤児達の前に立って目の前の男を睨む。自分に向かってくる少女に舌打ちした後、酒瓶を振り回しながら部屋へと戻っていく。

 「少し出かけてくるね。みんなは良い子でここで待ってて」

 身体の節々が痛むも決して笑顔は崩さない。誰も何も言えずに居る中、一人の男の子が口を開いた。

「おねえちゃん、きおつけてね」

「うん。ありがとう!」

 その一言で自然と身体に力が入る。

 「…この子達のためなら私は」

孤児達の顔が頭に浮かぶ。みんな辛い状況でも生きる事を諦めなかった。お腹が空いて倒れそうになっても、寒さに震えても、暴力を振われ身体が痛んでも、誰一人逃げだそうとしなかった。そこに言葉では表せない絆が確かにあった。……あると信じていた。


この孤児院は院長の独裁国家だ。

それでも少女は泣かなかった。弱い姿を見せなかった。

絶望の中で、孤児達の唯一の心の支えである少女が挫けた時、彼女よりも幼い孤児達はどうなるか。そんなこと考えなくても分かる。

それを知っているから、少女は今日も笑う。他の孤児のために。絶対に笑顔を絶やさない。暴力を振られ罵詈雑言を浴びせられても決して泣かない。…泣けない。

そんな健気な少女は遂に神からも見放された。


初めに異変を感じたのは何の変哲も無い日常の中だった。

その日もいつも通り十三人の孤児達と共にお散歩に出かけていた。薄ら雲がかかった空の下、木枯らしが少女の灰色の髪を揺らしていた。

「きれいなおはな!」

「まっかっかー!」

「お花があったの?どれどれ…」

公園に入ると孤児の一人が駆け出していき、それに続いて走り出す。歌壇に咲く花を見て楽しそうに会話しているようだった。微笑みながら歩み寄る。

……その時違和感に気づいた。

「……あれ?」

花の色が見えない。輪郭はしっかり分かるのに、赤が見えない。


これが少女の世界から「色」が消える、始まりだった。


「っ!」

慌てて周りを見ると先程まで見えていた雲の灰色が「見えない」。自分の髪を見ても灰色が「見えない」。地面のレンガの橙色が「見えない」。道ばたに生えている雑草の緑が「見えない」……「見えない」。

少女の世界から全ての「色」が消えた。黒い線と白い背景だけで構成された単調な世界は戸惑っている少女をあざ笑うようにじわじわと心を追い詰めていった。

「う、うわあああああああああああああああ!」

気が動転し頭を抱え、蹲って悲鳴を上げる。

「おねえちゃん?」

「どうしたの?」

異変に気づいた孤児達が少女の元に駆け寄ってくる。白と黒の線と化した孤児達が少女を見下ろす。

前まで見えていた淡いピンクの髪も、鋭く輝いていた金色の瞳もフワフワしていたクリーム色の髪も、綺麗な空のような青色の瞳も……何も「見えない」。

「あ、あぁぁ……」

恐ろしいものを見るような視線を向けられて孤児達が顔を見合わせる。

その時、遠くから見守って老紳士が杖をつきながら歩いてきた。

「大丈夫かい?」

「お、おねえちゃんにさわるな!」

「うーっ!」

「あっちいけ!」

反射的に孤児達が少女を囲み庇うように老紳士の前に立つ。老紳士はそれでも引かず、心配そうに語りかけ続けた。

「私は医者だ。苦しんでいる子供を見て見ぬ振りは出来ない」

「あ…」

見知らぬ大人に距離を詰められ、恐怖に足が竦んで動けなくなる。

「うえぇぇん!」

「さくら!ここでないたらなぐられるぞ!」

「し、しずかにしろよ!どなられるぞ!」

さくらと呼ばれた孤児の少女がストレスに耐えきれずに泣き出すと、老紳士の皺だらけの手が小さな頭に伸びる。殴られる、とその場に居た全員が直感的に感じた。目を閉じ、蹲って頭を抱え、それぞれがいつものように自衛した。

「…大丈夫だよ。私は君たちに酷いことはしない。だから、その子のことを診させてくれないかな?」

「……あぅ?」

髪を梳くように撫でられ、不思議そうに見上げる。視線が絡み、老紳士が頬を緩める。その様子を見守っていた孤児達が言葉を失う。大人に優しくされたことは一度も無かった。この男が何をしているのかわからない。未知なものに直面し、誰も動け無かった。

「驚かせてしまったなら謝るよ。ごめんね」

「…あい!」

泣いていたさくらもいつの間にか泣き止んで笑顔を見せる。

「あ、あぁぁ!」

「っ……」

「ひまわり!」

ひまわりと呼ばれた孤児の少年が恐怖に耐えきれず老紳士に殴りかかる。小さな拳は老紳士の脚に直撃し痛みに顔が歪む。杖を投げだし、その場に膝をつく。苦しそうな顔で脚を押さえ脂汗を流していた。

「お、おとなはてき…こわい」

拳を小刻みに震わせ、焦点の合わない瞳で譫言を呟く。誰も何も声をかけなかった。突然のことに何も出来なかったのだ。次にこの男が起きた瞬間、やり返されることは明白だ。そう思い込み、諦めていた。逃げ出すことすら出来ない。

老紳士が杖を拾ってよろめきながら立ち上がり、拳を振ったひまわりの頭へと手を伸ばす。ひまわりの瞳の中で、老紳士の姿と院長の姿が重なりみるみる青ざめていく。鮮烈な痛みが蘇り動悸が速くなる。目の前の人物が恐ろしい化け物へと変わる。悲鳴すら上げることができず、ぎゅっと目を閉じて次に来る痛みに恐怖する。

「…怖がらせてしまったかな?ごめんね」

恐れていた痛みは幾ら待っても来なかった。

皺だらけの手はひまわりを殴らず、さくらの時と同じように優しく撫でていた。初めは震えていたひまわりも段々と落ち着きを取り戻し、老紳士のことをじぃっと見つめる。

老紳士の二人への対応を見届けた孤児達は反応できずに彼を見る。戸惑い、疑い、困惑し、様々な感情が波を打っていた。

……ただ、その瞳には今までなかった一筋の希望が灯され瞬いた。

老紳士は杖をつきながら脚を引き摺るように少女の隣に立ち、蹲っている背を撫でて介抱した。少し前まで少女を守るように立ち回っていた孤児達だが、今はもう誰も老紳士の行動を止めようとはしなかった。

「大丈夫かい?」

「うぇ……ひっ」

 少女が顔を上げると、見知らぬ顔に覗きこまれ声が出せず悲鳴が漏れる。

「私は医者だ。急に倒れたようだったけど、何かあったのかい?」

 「…ぁ……いや、いやぁ!」

反射的に皺だらけの手を振り払い、鋭い眼光を向ける。

 「誰!触らないで!」

 「おねえちゃん!」

怒鳴りながら老紳士につかみかかろうとする少女の間にひまわりが割り込み、彼を庇うように立つ。

 「めっ!」

 「…!なんで?大人は怖い、そうでしょ?」

予想外の行動に戸惑いを露わにし、優しく語りかけるもいやいやと首を横に振られる。必死に小さな背中で老紳士を庇ってどこうとしなかった。

 「うーっ!」

 「この子の言う通り私は君達に害を加えるつもりは無いよ。ただ、君のことが心配なんだ」

 「なんで…何も知らないくせに」

 敵愾心が拭えず噛みつくように老紳士を睨むも、周りで様子を見ていた孤児達がひまわりに続いて老紳士の前に並び立つ。

 「おねえちゃん。このひとはこわいひとじゃないよ」

 「さっきひまわりをなぐらなかった」

 「さくらのことも!」

 「いたいことしなかった!」

 「みんな……」

目を見開いて孤児達を見る。それぞれが瞳に光を宿し必死に訴えかけていた。今まで大人達に酷いことをされ続け、大人のことを信用しなくなったはずの孤児達が会ったばかりの老紳士を必死に守っている。

…その勇気ある行動が少女の固く閉ざされた心の扉をわずかに開けた。

 「……。分かった。貴方の言葉に従う、けど。この子達に酷いことしたら容赦しないから」

 「分かっているさ。…ここから歩いてすぐの場所に私の診療所がある。着いてきてくれるかな?」

 垣間見える少女の優しさに老紳士がわずかに頬を緩ませる。杖をついて向き直ろうとするも、脚が絡まって前に倒れる。

 「危ないよ」

 「あぁ、ありがとう。そうだ、自己紹介がまだだったね。私は島崎(しまざき)(のぼる)。君の名前は?」

 「……私に名前は無いの。好きに呼んで」

 「えっ……名前がないのか?」

 「……」

 「他の子は名前で呼び合っていたけど」

 「……」

 「どうして君だけ……」

 昇に肩を貸しながら視線を逸らす。初めは少女を心配し、何度も声をかけていた。が、唐突に口を閉ざした。

 一瞬、向けられた少女の顔があまりにも苦しそうに見えたから。




閲覧頂きありがとうございます!

本作は主人公「少女」(今はまだ名前がないので)を中心に巻き起こる騒動を描いていきます。今回は前編「素描」の第一部を掲載しました。前編だけでもまだまだ書きたいことが多く、もう少しお付き合い頂けたら感謝感激です。


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