そんでもって、もうちょいイケメンだったら
卒業式を終えて、クラスの学級委員数名の提案により、『お別れ会』なる打ち上げが開かれることになった。
「参加人数確認したいんで、この紙の《参加》か《不参加》の蘭に名前書いて、順番に回してってくださーい。日付は三月十二日、午後二時からの予定です。受験終わりの最初の日曜だから、来れる子はぜひ来てねー」
教壇に立った私の親友かつ学級委員長の南雲凜々花はそう言うと、窓側の最前席に座る松居くんに一枚の用紙を手渡した。松居くんは用紙にササッと名前を書き込んで、真後ろの三上さんに回した。
凜々花が座席に戻ると、窓枠に腰を預けていた荒井先生が教卓に戻った。
「じゃあ、その紙回しながらで良いから、同時並行で卒業証書授与式もするか。名前呼んでくから、呼ばれた奴から前来い。はい、飯田博士」
先生がそう言うと、廊下側の最前席に座っていた飯田くんが前に出て、卒業証書と卒業アルバムを受け取った。
「最後の日なのにあっさりしてますねー」
と飯田くんが茶化すと、
「だっておまえら、どうせ『早く帰りたい』としか思ってないだろう? 公立入試は三日後だしな」
と先生がおどけて言って、ニヤリと口角を上げた。
飯田くんと荒井先生のやり取りに、教室中がどっと笑いに包まれた。でも、みんな、どこか寂しそうに笑っていた。
教室の窓側から『お別れ会』の用紙が次々と回され、廊下側から卒業証書授与式が次々と執り行われていく。どちらも、同じぐらい淡々とした、機械的な流れ作業だった。
「澤田そら」
「はい」
『お別れ会』の用紙が回ってくる前に、先生から私の名前が呼ばれた。
「はい、おめでとー」
「ありがとうございまーす」
飯田くんが言ったように、荒井先生はあっさりとしたおじさん先生だ。良い意味でも悪い意味でも、私たち生徒に対してあまり干渉してこない。進路相談も面談も、生徒が希望すれば積極的に応対する、といった感じだった。
この先生のことは、高校に入る頃にはもう忘れてるだろうな。
卒業証書と卒業アルバムを受け取りながら、私はぼんやりとそんなことを考えた。
卒業アルバムを脇に挟んで、卒業証書を筒状に丸めながら座席に戻ると、机の上に『三年六組クラス会!』と可愛らしいポップな絵文字で書かれた用紙が置かれていた。
用紙には、【一次会 (カラオケ)】、【二次会 (焼肉)】と手書きで書かれた枠があり、それぞれに《参加》と《不参加》の空欄が設けられていた。どちらにも参加することもできるし、どちらか一方だけ参加するということもできるらしい。用紙の端や空欄の四隅には、カラオケマイクや五線譜や音楽記号、漫画で見るようなドデカい骨付き肉などのイラストが散りばめられていた。
これを作ったのは凜々花じゃないな、とすぐに思った。あいつがこんなに可愛らしいデザインを思いつくわけがないから。きっと、この卒業アルバムの表紙のイラストを描いた、飯田くんにでもお願いしたのだろう。クラスのムードメーカーである飯田くんはバスケ部で、美術部ではないのだが、実はものすごく絵が上手いのだ。
「ん?」
よくよく『お別れ会』の用紙を見てみると、一次会の枠にも二次会の枠にも、《参加》の欄に私の名前が既にあった。しかも、上から二番目、『南雲凜々花』の下に、『澤田そら』と、凜々花の達筆な字で。どうやら、学級委員が把握している範囲で、絶対に来る子の名前は最初に書き連ねたらしい。まあ、最初からどちらにも参加するつもりではいたから別にいいのだが、あんたは当然来るでしょ? みたいなノリはあまり好きではない。用紙を前の席の佐々木くんに渡して席に着き、はあ、と溜息を吐いて凜々花を一瞥すると、凜々花は左隣に座る三上さんと楽しそうに話していた。
三月十二日、日曜日。公立高校の入試が終わり、あっという間にクラス会の日がやって来た。
合格発表は、五日後。大丈夫。たぶん、受かってる。大して難しいとは思わなかったし、全教科通して振り返っても、解けなかった問題は数学のほんの一、二問だ。でも、やっぱり合格発表があるまでは不安しかない。公立入試があった子は、多分みんな同じ心境だろう。明らかに、私立入試や公立推薦入試で既に進路が確定している子との顔色に温度差がある。こんな調子で、心からクラス会を楽しめるのだろうか。
「よし、これで全員っぽい」
人数を数えていた佐々木くんが、例のクラス会の用紙を見ながらそう言った。
集合場所になっていたカラオケの駐輪場には、クラスの半分ぐらいのメンバーが集っていた。
「案外集まったねー」
私の横で寒そうに肩を震わせていた凜々花が、白い息を吐いて笑った。
「まあ、全部終わって暇だからね」
私はメンバーをざっと見渡しながら答えた。中には、一次会だけで帰る子や、反対に二次会から参加する子もいるらしい。
「合格発表まで、心は忙しないけどな」
飯田くんがニヤニヤしながら言うと、メンバーの輪は一歩遅れてじわじわと笑いに包まれた。
宴会用のだだっ広いカラオケルームは、凜々花の名前で予約されていた。
「トンギューアミちゃんも、あたしの名前で予約してあるからね」
と凜々花が佐々木くんに言うと、
「おっけー」
と佐々木くんが答えた。
トンギューアミちゃん、とは地元に根付いている有名な焼き肉食べ放題のチェーン店である。学生コースだと、百分の食べ放題で一五〇〇円という破格の値段設定なので、地元の学生は事あるごとにトンギューアミちゃんで打ち上げを開くのだ。私たちの年代だと、打ち上げと言えばトンギューアミちゃん、と言っても過言ではない。実際に私も、クラス会や部活の打ち上げで過去に数え切れないほど行っているお店だ。
どうやら、カラオケも焼肉も事前の根回しは全て凜々花が執り行ったようだが、その当日である今日の進行は佐々木くんに丸投げしているらしい。滞らないように手はずだけは整えるが、実際の進行は全て他人任せ、というのがいかにも凜々花らしい。
案の定と言うべきだろうか、カラオケは飯田くんによる国歌独唱によって始まった。あまりにも見事なテノールで『君が代』を唄うものだから、本人含め全員が初っ端から目に涙が浮かぶほど笑い転げた。たしか、飯田くんは卒業式の時に唄った『旅立ちの日に』の、テノールのパートリーダーに抜擢されていたはずだ。卒業式に向けて、体育館に集って学年全体でパート別練習をしていた時に、飯田くんがテノールの集団の前で指導していたのを、ぽつんと一人で舞台上から眺めていたのを憶えている。
その後も、カラオケの定番曲から始まり、話題のポップスの流れを経て、洋楽やアニソンまで様々な曲を唄った。佐々木くんと凜々花の美男美女歌うまペアによる洋楽のデュエットに痺れて、男子勢による女性シンガーのハイトーン楽曲の大合唱に笑い転げて、女性陣は超有名アイドルの話題曲をマイクを回しながら交代交代で歌った。飯田くんが合いの手やヲタ芸というダンスをして、盛り上げ役に徹してくれたおかげで、みんなが緊張することなく唄うことができた。
盛り上がりは絶えることなく、もう腹がちぎれるというぐらい笑い疲れた頃、ピコンピコン、ピコンピコン、という電子音が突然鳴り響いた。何事か、と思ってカラオケのリモコンを見やると、画面には「残り十分です」と表示されていた。早いな、と思って腕時計を見ると、歌い始めてからかれこれ三時間近くも経過していたのだった。
「はかせー、ここいらでマジのやつ頼むわー」
同じくリモコンの画面を見ていた佐々木くんが、飯田くんの方を向いて言った。「はかせ」とは、飯田くんのあだ名である。飯田くんの名前の「ひろし」は、漢字で「博士」と書くから、そのまま「はかせ」と呼ばれているのだ。
「えー、マジのやつって?」
と飯田くんはヘラヘラしながら訊き返した。
「バンプ唄ってよ。十八番じゃん」
と佐々木くんが続けてリクエストすると、飯田くんは、
「えー、今日は別によくねー?」
と困り顔で眉を顰めた。するとそこへ、
「えー、はかせのバンプ、聴きたい聴きたーい!」
と凜々花が追い打ちをかけるように飯田くんにマイクを差し出して言った。
飯田くんは何やら本当に困り切った様子で、まじかあ、今日はいいだろー、とぶつぶつ言いながら、それでも溜息交じりにリモコンを操作して、バンプの楽曲をリモコンで予約した。
十年も前に流行った、聞き馴染みのある超有名なイントロが流れ出す。飯田くんは場の空気に押され、嫌々ながらもマイクを手に取った。
飯田くんの歌声は、それまでの歌声とは違い、地声には聞こえなかった。今までのふざけていた飯田くんが全て嘘だったみたいに、カラオケルームの雰囲気は完全に、飯田博士というアーティストのソロライブ会場へと一変した。物凄く、物凄く上手い。ただ歌詞と音程バーを辿っているだけじゃなく、感情を歌声に乗せて、歌詞に想いや願いを込めて、私たちの心をグッと鷲掴みにするような。バンプのボーカルの声に寄せているのだろうか。鼻にかかったような飯田くんの低音は、彼の声質にとても似通っていた。驚きのあまり、盛り上がるべきサビでも、全員が飯田くんの歌唱を黙って聴いていた。
みんなが息を呑み、飯田くんの歌声に心酔し切っていた。
最後のアウトロの余韻が消えるまで、みんな一言も発することなく唖然としていた。あんなに馬鹿みたいにふざけていた飯田くんが、急にかっこよく見えた。
「ほらな、俺って、こういうの、あんまキャラじゃないだろ?」
と飯田くんがぽつりと言うと、一拍置いて、壮大な喝采が湧き上がった。
まじですごい、うますぎ、さすが、かっこいい……。ありとあらゆる歓声が、飯田くんを褒めに褒め称えた。
「俺たちだけでカラオケ行くときは、いつもマジだもんな」
佐々木くんが付け足すように、にんまりと笑って言った。
「はかせって、まじで多才だよね」
凜々花が感心したように笑みを漏らした。
飯田くんは本当に多才だ。絵を描けて、バスケ部のエースで、勉強もそれなりにできて、なおかつこの歌の上手さである。ここまで多才だと、逆に何ができないというのだろう。
「ほんとほんと。プロの歌手目指せるんじゃない?」
私が軽い気持ちでそう言うと、飯田くんは肩をぴくりと震わせながらヘラヘラと笑った。
「そんな簡単じゃないだろー。それに、俺はそんなキャラじゃないって」
「いやいや、本気で目指せば案外いけるかもしんないぞ。まじでまじで」
佐々木くんが念を押して言う。しかし、飯田くんは依然としてヘラヘラしたまま困り顔を浮かべていた。
飯田くんが本気で歌ったことにより、場に盛り上げ役がいなくなり、カラオケルームは仄かにしんとしてしまった。
「それにしても、ほんとに意外。まさか、はかせが隠れ天才だったとは」
凜々花が、白ぶどうジュースのグラスに口をつけながらそう呟くと、飯田くんは、
「言い過ぎ言い過ぎ」
とおどけて笑った。すると凜々花が、
「あたしがプロデュースしてあげるよ」
と続けざまに冗談めかして言った。
「絵も描けて、運動神経抜群で、頭も良くて、歌も上手い。そう。彼こそが天才です、ってね」
と凜々花が言うと、
「そんでもって、もうちょいイケメンだったらなあ」
と佐々木くんが茶化すように言った。すると、
「誰がブスやねん!」
と飯田くんがツッコミを入れて、場は再び爆笑の渦に包まれた。
飯田くんはそのやり取りで調子を取り戻し、いつも通りのお調子者の感じでボケ倒し、一次会は閉幕を迎えた。
「トンギューアミちゃんに移動しましょー」
と佐々木くんが言って、みんながぞろぞろとカラオケルームから退出した時、
「じゃ、小生はこれにて失礼しやす」
と飯田くんがニヤニヤと言い放った。
「えっ⁉ はかせ、焼き肉来ないの?」
凜々花が驚いたように叫んで、みんなが飯田くんを注目した。
「すまんな。小生、夜からちょいと野暮用があるのだ」
「そうなんだ。それは残念。ちなみに野暮用って?」
私が訊くと、飯田くんは一瞬だけ頬を引き攣らせ、またヘラヘラと笑った。
「野暮用は、野暮用だよ……」
あっけらかんと物を話す飯田くんが、珍しく言いにくそうだったので、これ以上詮索しないようにしよう、と私は思った。
「はかせのマジ歌、もっと聴きたかったなー」
凜々花が話題を変えるように、のんびりと伸びをしながら言った。
「ははっ、キャラじゃないからなあ」
「そんなのいいよ。ガチで上手かった」
「うんうん。ほんと、なんで今まで隠してたのさ?」
「別に、言いふらすようなもんでもないだろ。あんなんで良ければ、誘ってくれたらいつでも唄いますよ」
「……うん」
その時の飯田くんは、相変わらずヘラヘラしていたのだが、どこか物悲しそうだった。
飯田くんを含め五人ほど二次会には参加しない子がいて、カラオケの駐輪場で別れることになった。二次会の焼肉から参加する子は、トンギューアミちゃんの前に現地集合の予定となっているらしい。
「じゃあ、行きましょっか」
遠ざかる飯田くんの背中を眺めながら、佐々木くんがぽつりと呟いた。飯田くんがいなくなると、集団は格段と静かになった。
やっぱり、飯田くんは盛り上げ役としていてほしかったな。
トンギューアミちゃんまでの道中、私を含め、恐らく全員がそんなことを考えていた。
その日の夜に、飯田くんが漫画家としてデビューすることになり、後に一世を風靡する大人気作家になるのだが、私たちがそれを知るのは、まだ当分先の話である。