第八話 私は悪女になることにした。
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幸せな夢の中にいた気がした。
でも、目を覚ますとそこは戦場の野営地だった。
魔眼であることで、私の周りは魔力の無い兵士や騎士ばかりだ。
村を出る時に私の恋人の振りをしてくれた騎士のディル様は、思ったよりも偉い人だった。
子爵家の貴族様で、さらにこの部隊の隊長を任せられている。
「俺たちにとって、対魔法使いが一番の問題だったけれど、それもアンナの魔眼で解決してしまった。それに、回収した魔力を使って回復魔法まで……。まるで、俺たちにとっては救世主みたいなものだなアンナは」
「――――大げさですよ」
私は、小さな村で育っていたから、王都や貴族社会で魔力がない者が冷遇されているなんて知らなかった。それを知ってから、いつもキースのことばかり考えていた私は、せめて少しでも役に立てるよう毎日忙しく働き続けることにした。
魔力のない人たちのための、治療院を始めたのもその一つだった。
「やっぱり、幼馴染にはちゃんと話した方が良いんじゃないか?」
「――――ディル様」
「そんな顔して……。よくそんな表情になっているけど気が付いていないのかな?」
たしかに、キースのいない毎日がこんなに寂しくて、こんなに色も、香りも、味も何もかもが薄れてしまうなんて考えもしなかった。
いつも当たり前のように、そばにいたから。こんなに好きだなんて知らなかった。
「キース殿は、騎士団の試験に首位で合格したそうだ」
「そう……ですか」
もちろん、キースなら受かると思っていた。
――――でも、首位なんて……。本当に、素晴らしい能力。それに努力をしたのね。
「軍に所属している限り、避け続けることは難しいと思うよ」
「でも、私は魔力がある人とは交流できませんから」
「……気持ちは変わらないか」
変わるはずがない。あの時、少し目が合っただけでもキースはすぐに顔色を悪くした。あの瞬間、とてもたくさんの魔力が私に流れ込んできたことが、今なら理解できる。
このまま、会わずに過ごせればいい。私はそう思っていた。
まさか、幼馴染が私の元を訪れるなんて思いもせずに。
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ディル様の部隊は、私が加わってから華々しい戦果を挙げ続けていたけれど、それと同時にいつも最前線に配置されていた。
「――――アンナ。大丈夫か?」
ディル様は、いつも私のことを気遣ってくれている。その存在を呪うばかりだった魔眼も、少しは役に立てていることが嬉しかった。でも、それと同時に、私が来る前はここまでこの部隊が配置される場所が最前線ばかりではなかったということを知ってから、心のもやが晴れなかった。
「アンナがいれば、きっと負けない。この戦争を終わらせよう」
そのことを言ったら、ディル様は笑っていたけれど……。
そして、しばらくぶりに王都に帰った時に、彼は私を訪れた。
「アンナ!」
王都でも毎年数人しか配属されない、エリートの魔法騎士団の隊服を身に着けたキースは、故郷にいた時の何倍を素敵になっていた。
私は、その瞳から目を逸らして「帰ってください!」と言うしかなかった。
「アンナ……どうして話してくれなかったんだ。その瞳のこと」
「知ったからと言って、何かできるの? それに、私にはディル様がいます。来られても迷惑なんです。帰ってもらえますか?」
一目見られて、本当にうれしいなんて気持ちが浮かぶなんて想像もしていなかった。
もし、キースと会ってしまった時のために、なんて言うのか決めておいて良かった。
そうじゃなければ、私はきっといつもみたいに幼馴染に頼ってしまっただろうから。
「――――約束通り騎士になった。結婚してくれるって言ったのに」
「そんなの、子どもの約束だわ」
どうしても、キースは帰ってくれる様子がない。その間にも、どんどん魔力を吸い取ってしまい、キースの顔色が悪くなっていくのがわかった。
私は覚悟を決める。
――――ごめんね、キース。
「どうしても帰らないのですか? じゃあ、私の魔眼であなたの魔力を奪って強制的にお帰り頂くしかないわ」
久しぶりに、真正面からキースの美しい金色に輝く瞳を見た。
魔力の残量が少なくなれば、普段無意識に魔力を使って体を動かしている、魔力を持つ人間は立っていることもままならなくなるはずだ。
キースの魔力が、勢いよく私に流れ込んでくる。
暖かくて、強く輝いていて、まるでキースそのものみたいな魔力だった。
しゃがみこんでしまったキースを、出来る限り冷たく見えるように見下ろして私は踵を返した。
「ディル様……。申し訳ないけれど、そこの騎士様を送り届けて差し上げて」
「ああ……。だが」
「――――お願いします」
それから、キースが訪ねてくることはなくなった。
そして私の中には、その時からキースの魔力の一部が残ってしまって、繰り返し私の事を苛むのだった。
「ごめんね」
届かないとわかっていながら、私はそうつぶやいた。
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「なぜ泣くの」
「――――ごめんね」
「本当はどうしたかったの」
「本当は、そばにいたかった。会えて嬉しかったの」
夢うつつに、誰かに問いかけられた気がした。その声は、キースの声じゃないのに、なぜかキースみたいなしゃべり方だった。
「そう……」
その人は、長い息を吐いて私のことを抱きしめた気がした。
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朝日が差し込む室内で、涙を拭われて、目を覚ます。金色の瞳が心配そうに私を見つめていた。
「キース……」
私はうれしくなって、思わずふにゃりと笑う。目の前のキースが、なぜか息を呑んだ。
――――あれ? この人、キースじゃない。
急速に夢から覚めていく。
「あ、旦那様……」
「おはよう。ルティア」
「おはようございます」
急速に羞恥心が私の心にあふれかえっていく。
抱きしめられたままの体をよじって離れていこうとするのに、リーフェン公爵はなぜか私のことを離してくれる様子がない。
――――私のこと、裏切り者の悪女と思っているんじゃないんですか?
ひどく混乱した私を、ますます抱きしめたリーフェン様が、その時信じられないことを言った。
「結婚式の日にルティアが言った、『妻として愛する』っていうのを守ったら、一緒にいられるんだよね」
「え……?」
「妻として愛していれば、そばにいられるんだよね」
確かに言った。……そうだったらいいとも思った。
でもそれには一つだけ条件がある。
急に縋るみたいに態度を変えてきたリーフェン公爵の真意がわからない私は混乱した。
その理由のひとつに、私の寝言があるなんて、この時の私は想像する由もなかった。
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