第三十話 その呼び名は許して欲しいです。旦那様?
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黒いローブ姿の姫、それでもフードの下に見えるルビーみたいな瞳はきらきらと優しく輝く。薔薇色の頬も、優しそうな微笑みも。
だれも、その少女に黒いローブが似合うとは考えなかった。
そして、その隣には金の瞳と黒髪の騎士が微笑んでいる。
だれも、リーフェン公爵がこんな風に笑えるなんて知らなかった。
周りの人間が知っていたのは、戦場で戦う恐ろしい姿、そして王宮内での感情の読めない冷たい微笑み。それだけだったから。
「旦那様……注目されています」
「笑って手でも振ってやったらいい」
当たり前のようにそう答えたリーフェン公爵。
仕方がないので、言われた通りに私は手を振ってみた。
ルビーのような瞳を細めて、周囲に手を振る可愛らしい姫。誰も、その瞳を魔眼だなんて思うことはもうできなかった。
「聖なる瞳の姫」
誰かが呟いたとたん、歓声が上がる。
誰が始めに言ったのか。その噂を流した犯人は、私のすぐ隣にいる気がした。
「あの……その呼び名。私嫌だって言いましたよね」
「誰かが勝手に言い出したんだろうから、しかたない」
口元に微笑を湛えたままのリーフェン公爵の目が、少しだけ揺れて左上を向いた。
幼馴染が嘘をつくときのくせは、公爵になっても治っていないらしい。
「うそつき……」
それでも、私を思って行動してくれた結果だとわかるから、私は羞恥心と感謝を秤にかけて、結果許すことに決めた。
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ずっと過ごした王宮。でも、私は自分の部屋と中庭にしか出たことがなかった。魔力がなくても優秀な家庭教師、親切な侍女や侍従。それなりに、必要なものを与えられてきた。
魔眼の姫と呼ばれながらも、何不自由なく生きてきた。
父である国王陛下は、魔力が高い。
だから、十五歳になって魔眼の力が完全に覚醒してしまってからは、魔道具を通してしか話をしたことがない。
「……それを着てきたのか」
開口一番、陛下はそう言った。
それとは、もちろんこの黒いローブのことだろう。
「まあ、戦場ですでに使ってしまったので、これはスペアその一ですよ」
陛下に対して不敬にもほどがある態度で、リーフェン公爵が話す。
国王陛下と、対等に話す存在が許されているリーフェン公爵。
噂には聞いていたけれど、事実だったとは本当に驚きを隠せない。
「その一……? ということは他にも」
「今のところあと二枚完成しています。あと三枚くらい作れるだけの材料も用意してあります」
「はは、俺でも一枚用意してやるのがやっとだったというのに。――――ルティア、こちらに来なさい」
「はい、陛下」
「今は、家族しかいない。父と呼びなさい」
少しだけ喉が詰まるような感覚とかすれ声で「お父様……」と久しぶりに私は呼んだ。
「ああ、すまなかった。幸せそうで安心した」
父に抱きしめられたのは、いつの記憶だろう。長く閉じこもっていたから、忘れてしまったけれど、かつてそれは確かにあった。
「それで、今回のことで市井が騒がしくなっていますが」
「ああ、あの魔女を題材にした劇か? 実在したという魔女が悲劇の乙女のように描かれているらしいな」
「――――事実でしょう。魔女ではないのだから」
「……まるで、見てきたように言うのだな。それに、先の戦場でのお前たちを題材にしていると誰もが思っている」
私は、リーフェン公爵を戦場まで助けに行った後、ずいぶん長く眠っていたようだ。その間に、魔女の伝承を悲劇の聖女と純粋な恋人たちの悲恋として描いた劇が王都で人気を博しているらしい。
私は、それを広めた犯人も知っている。たぶん、その人は私の隣にいる。
少しだけ、隣にいるカッコいい人をにらみつけると、なぜか満面の笑みが返ってきた。
「まあ、その波に乗ってみるのも悪くない。そのためには、そのローブをもっと作るか……リーフェン公爵が、魔眼を自分の物にするかのどちらかしか選択肢はなさそうだが」
『魔眼に魅入られた存在』それは、唯一魔眼の影響を受けない人のことだ。
それは、王国では禁忌とされ、魔女の手先という目で見られる。
「ふん。聖なる瞳の乙女の加護を受けし者とでも言い換えておけばいいでしょう」
――――なに、そのネーミングセンス! 勘弁してほしい、心から!
私は、その名前が広まってしまう未来を想像して、謁見室の天井に描かれた、ベールをかぶった聖女の絵画をぼんやりと見つめた。
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