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ある夜の出来事

「ただいま」


「霞おかえり、試験はどうだった?」


 玄関を開けると、お父さんが引っ越しの段ボールを運んでいた。


「うん、まずまずかな」


 言葉少なく廊下で父さんの横をすり抜ける。

 今日で2日間の高校受験が終わった。


「そうか受かるといいな」


 うつむきながら呟くお父さん。

 その背中は寂しそう。


「部屋に居ます、私も整理しないと」


「分かった」


 何か話したい、でも何を話せば良いんだろう?

 私だって辛くて仕方ないのに...


「...ふう」


 部屋の扉を閉め、肩に提げていた鞄を机に投げつける。

 中学の制服を脱ぎ捨て、ベッドに倒れこんだ。


「高校なんか、どうだっていい」


 口から出るのは自暴自棄な言葉。

 だってそうだよ、いきなり見知らぬ土地で高校受験なんて!

 知り合いや友達なんか1人も居ない!

 本当なら中学の友達と一緒に行きたい高校があったのに!


 あいつが不倫なんかしなければ、PTAで不倫なんかしなければ...

 友人達にもバレ、近所の笑い者になってしまった。


「なんでよ!

 どうして私や父さんが苦しまなくっちゃいけないの!」


 枕を投げつけると積まれたままの段ボールにぶつかり、床に落ちた。

 お父さんの実家から送られてきた私の荷物達。


「酷いよ」


 離婚後、最初はお父さんの実家近くにあるマンションへ引っ越した。

 お爺ちゃんの実家には同居する伯母さん家族が居た。

 仲の良い歳も近い従姉弟も居たし、受験先も決まって、上手く溶け込めると思ったのに...


 あいつが実家に来たのだ。


 『許して下さい!!』


 玄関から追い出した伯母夫婦。

 あいつは叫んだ。

 近所の目も憚らずに喚き散らしたそうだ。


 『すまない』


 また同じ事になった。

 申し訳なさそうに伯母夫婦は私とお父さんに頭を下げた。

 お節介な近所の人が、お父さんや伯母夫婦にあいつを許してやるように諭しに来るようになったのだ。


 結局私とお父さんは、また引っ越しを余儀無くされた。

 そうして今回、お父さんの知り合いが紹介してくれた新たな土地でやり直す事になった。


「起きたか」


「うん」


 いつの間にか泣きつかれて眠っていた様だ。

 ダイニングでお父さんは新しい食器を棚に並べていた。


「少し遅くなったが夕飯に行こう」


「でも...」


 言葉少ないお父さんは一生懸命話し掛ける。

 でも食欲なんか湧いて来ない。


「いいから、ここの所殆ど食べてないだろ?」


「父さんもね」


「...そうだな、だいぶん痩せちゃったよ」


 寂しそうにお腹のベルトを掴んで笑った。


「何を食べようかな?」


「何でも良い」


 お父さんと私は着替えて外に出た。

 見ず知らずの町、引っ越してまだ1週間しか経ってない私達は何が何処にあるか分かる筈もない。


「ちょっと待ってな」


 お父さんは携帯を取り出した。

 近所のお店を探すのだろう。


「9時までの営業、ラストオーダーは...駄目か」


 私も携帯を見る。

 時刻は8時40分を過ぎていた。


「ファミレスでもいいよ」


 味なんかどうせ分からない。

 あの時、あいつの不倫が分かってから食欲なんか無いし。


「ん?」


 お父さんが立ち止まる。

 視線の先に小さな明かりが見えた。


「ペンブローク?」


 看板に書かれた文字、ペンブロークとは何だろう?


「良い匂いだ」


 ダクトから出る匂いにお父さんが呟いた。

 美味しい物、食べるの好きだったもんね。


「ここにするか」


「うん」


 少し嬉しそうなお父さんの目、もちろん良いよ。

 店に近づくと1人の男性が出てきて、店先に置かれていたメニューを中に片付け始めた。


「もう終わりですか?」


 思わず男性に声を掛けていた。

 だって折角見つけたお店だもん。

 久し振りに見たお父さんの笑顔を消したく無かった。


「あ、良いですよ」


 男性は私に気づくと笑った。

 近くで見ると若いな。

 引き締まった体、そして引き込まれてしまいそうな笑顔だった。


「あれ隆史、看板は?」


 店に入ると1人の調理服に身を包んだ女性がテーブルを拭いていた。

 なんて綺麗な人だろう。


「母さん、お客様だよ」


「え?」


 男性の言葉に唖然とする。

 お母さんって、どうみてもこの人のお母さんに見えないよ。


「閉店でしたか?」


 お父さんが残念そうに呟いた。


「い、いえ...どうぞ」


 テーブルを拭く女性は私達を見て、中に案内してくれた。


「どうぞメニューです」


 男性がメニューを手渡してくれた。

 メニューには沢山の料理が。

 和食に洋食、中華まで、外観はお洒落な洋食屋さんに見えたが、意外と大衆なお店だったのか。


「何にする?」


「...何でも良い」


 こんなに有ると逆に決まらない。

 それに食べたい物が無いし。


「カキフライはいかがですか?

 ちょうど良いのが入ったんです」


 店奥から先程の女性の声がした。


「母さん、それ今日の夕飯に」


 注文待ちをしていた男性がお母さんに言った。


「こら、お客様の前で!」


「いけね!」


 お母さんの言葉に男性は頭を掻いた。

 子供っぽい仕草、意外と若いのかな?


「カキフライでお願いします。

 お父さんもいいよね?」


「あ、ああ」


「はい、カキフライ定食2丁」


 私の注文を元気な声で厨房に伝える。

 やっぱり歳は私と近そうだ。


「あんたも手伝いなさい」


「分かってるよ」


 お母さんの言葉に男性が厨房に消えて行く。

 手伝うって料理の?


「はいどうぞ」


 暫くすると料理は運ばれてきた。

 熱々のカキフライ、丸々として...


「美味しい」


「ああ、これは良い牡蠣だ」


 タルタルソースを浸けて口一杯に頬張る。

 忘れていた食欲、美味しいという感覚...そして消してしまいたい記憶が呼び戻された。


「...馬鹿だよね、こんなに美味しいのに」


「...全くだ」


「馬鹿...本当に馬鹿だ」


 涙が止まらない。

 お父さんも必死で涙を堪えカキフライを食べる。

 本当に美味しいよ、

 私達みんな好きだったんだ。

 特にアイツが大好物だったカキフライ...


「いかがでした?」


「美味しかったです」


「本当にありがとうございます、見苦しい所をお見せしちゃって」


 食べ終わり、食器を片付けに来た女性に頭を下げる。

 不思議と気まずさは感じない、自然と話せた。


「大切な思い出の料理だったんですね」


 不意な言葉に心が凍る。

 あんな奴の記憶が大切?


「違います!」


「は?」


「こら霞!」


「あんな奴が大切な...大切なもんか」


 再び涙が溢れる。

 女性は全く悪くないのに、あいつが、あいつが一番悪いのに...

 堰を切ったように涙が溢れ、止まらない。


「ごめんなさい」


 女性は優しく背中を擦ってくれる。

 優しさが沁みて益々涙が止まらなくなった。


「すみません私達、妻と別れたばかりなんです」


「そうだったんですか...」


 背中越しにお父さんの言葉が聞こえる。


「...10年前の私と一緒ですね」


「は?」


「いいえ、色々事情がおありでしょう、いつでも来て下さい」


 背中越しの会話が続いた。


「ありがとうございます」


 ようやく泣き止む事が出来た。

 恥ずかしいけど、何故かスッキリしたよ。


「旨い物食えば元気になるぜ」


 男性がにっこり微笑んで私に言った。


「こら!お客様になんて口をきくの」


「あ、すみません!」


 女性が叱りつける、でも懲りてないね。


「元気いいな、アルバイトかい?」


「はい、簡単な手伝いですけど」


「そうか、頑張れよ」


「ありがとうございます!」


 お父さんの言葉に元気な声で返す。

 どうしてだろう、しっくり来るよ。


「本当、調子良いんだから、アルバイト代目当ての癖に」


「母さん、今日も受験終わって直ぐ手伝ったのに」


「受験?今、中3かい?」


「ええ、4月から仁政高校です」


「受かったらでしょ?」


「大丈夫だよ、多分」


 2人の会話にお父さんと私は声が出ない。


「どうしたの?」


「私も仁政高校受けたの」


「そうだったんだ?

 俺の中学から受けたの俺だけだったんだ」


「一緒に行く彼女も居たこと無いしね」


「うるさい!」


 彼は恥ずかしそうに、俯いた。


「でも、同じ校舎で試験受けて、今また会えたなんて運命だな」


 運命、男性...彼の軽口に何故かそう思ってしまう。


「こら!あんたは受かるか分かんないでしょ、この娘は大丈夫そうだけど」


「そりゃないよ、母さん」


 笑顔でやり取りする2人を見る、私とお父さん。

 知らぬ間に私も笑っていた。


「今度は入学式で会おうな」


 店を出た私に彼が言った。


「違うよ」


「え?」


「次会うのは合格発表だよ、一緒に行こう」


「あ、え?」


 彼は真っ赤顔で私を見た。


「約束だよ」


「あらあら」


 彼のお母さんは大らかな笑みを私に向け、頷いた。


「それじゃね」


 固まる彼に手を振り、先に店を出ていたお父さんに駆け寄る。


「良かったな、早速友達が出来て」


「うん」


 お父さんも嬉しそうに笑った。


 5日後、約束通り一緒に来た彼と合格を喜び、止まっていた心が再び動く予感を感じるのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] あの物語の別サイドかな。
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