小人の勇者、ガヴェイン 1
「お待ちになって」
コンビニでの業務を終えた僕がようやく帰り道を歩いていると、不思議な光景に見渡した。
練馬二丁目。比較的年齢層の高い静かな町だ。夜遅くは誰も歩いておらず、ましてや段ボール箱に入った少女が落ちていることなんてありあえないはずだった。
「お待ちになって!」
二回目は、力強く。
僕はメガネをはずして、よく目を擦った。
「……ん?」
「ん? ではありませんわ。超絶美女であるわたしのことが見えるのでしょう?」
月明かりは昨日よりまぶしくて、日光を浴びる代わりに月光浴を楽しむにはちょうどいい。
撫ぜるような風が吹くと、銀色の長い髪が、横になびいていた。
この状況を説明するならば、「なす」と書かれた段ボール箱に、まるで飼い主を待っている犬のように、見えないしっぽをふりふりしながら、少女が僕を見つめていた。
とはいえ、首輪がついているなどの特殊なプレイはされておらず、なんだか薄汚れた洋服を着ていた。
「んん?」
おそらく飼い主はいない (はず)だから、久しぶりに女を家に連れ込んでちょっと破廉恥なことをやっても、知識の差で僕が押し勝ちそうな雰囲気だった。だが、それよりもこの女の正体が気になるので、「お嬢さん。パパかママはどこにいるのかな?」というテンプレな迷子相手の文句を飛ばした。
「お父様は、死にました」
「うん」
「お母様も、死にました」
「うん……」
「わたしも、死んでたはずなんです」
はてさて、どうしたものか。この超絶美女 (自称)のことが、純粋に心配になってきた。
「おなかが減ったので、なにかください」
「ファミレス行くか」
腹がいっぱいになったところで、いよいよ周囲の目線が痛くなってきた。
先ほどこの女は、「自分のことがみえているのでは」と訊いてきた。つまり周りの人間には本来見えていないはずだったのだが、どうしてか彼女のことが全員見えているようだ。
つまりこの超絶美女 (仮)がただの中二病のかわいそうな娘だと解ったところで、「お前、家はどこにある」と尋ねた。
彼女は青い瞳をきらきらと輝かせながら、
「グリム王国という――かつてわたしが姫として知り渡った国ですわ」なんてことをぬかしやがった。
OK。
僕はそうつぶやくと、ぐいっと彼女の顔に息が当たるまで近づいて、
「いい加減にしろ、お前。さすがに舐めてんのか」
「な……舐めるって、卑猥ですわ、いやらしいですわ、近づかないでくださいませ!」
僕は数日前に叩かれた右頬を気にしながら、彼女の平手打ちを素早く躱した。
「さ、さすがはわたしの王子様ですわ……。とりあえず、今の発言は許します」
「……お前、本当に痛い奴だな……」
心底、疲れてしまった。まさかこんな幻影を見るまで疲れるとは。
死ぬほど高い飯代を払って、僕は「おかしいなあ」とつぶやいた。この超絶美女 (設定)は幻影だろうから、一晩寝れば消えてなくなるだろう。
欲求不満なのか、それとも過労なのか。いずれにせよ可能性があるとするなら、明日は病院に行ってから仕事に行こうか。
結局この女は僕の家の中まで付いてきたはおろか、布団の中にまで入り込んで来やがった。
すぐに寝息を立てた彼女の頬を、やさしくつついてみた。大福のように柔らかくて、冷たい肌をしていた。毎日酒とタバコに溺れていたあの女とは、まさに正反対だった。
クロード・ドビュッシー、ピアノ独奏曲「月の光」。クラシックはよく聞くが、彼女と一緒に聞いていると……時間の流れがゆっくりになる気がした。静かに目を閉じると――僕はなんとなく、愛らしい艶のある彼女の唇に、自分の唇を重ねた。
鼓動、脈動、そして罪歌。
すべての音は何十層にも響き渡り、輪舞曲へと変わるだろう。
開かれたページの中で、彼は何を語るのであろか?