おはよう、人類
空の果てには、大いなる災厄が眠っている。
古くから伝わる、お伽噺だ。
昔、人類のご先祖様がこの星にやってくる時に使ったと言われている船。
それは、今でもこの空に浮かんでいて、地上を見下ろしている。
そしていつの日にか地上へ落ちてきて、災いをまき散らすと。
「またその話か? お前ももう十三だ、お伽噺は卒業しろ」
「でもさ、この前に落ちてきたのって絶対に隕石じゃないと思うんだよ」
村の広場。
粗末で、今にも倒れそうな家々に囲まれた場所。倒壊した家を撤去しただけの、広場と呼ぶのもおこがましいような空間。
そこで一人の少年が、不満そうな顔で大人たちに話しかけていた。
寂れた村だ。広場だって、いつもは人などいない。
だが今日は違う。みんな呼び出されたのだ。広場に集まったのは、十人ほどの男たち。この村の若い男は、ほぼ全員が集められたことになる。
少年は呼ばれていなかった。
この村で男として扱われるのは、十五からだ。成人するまでは、男ではなく子供。
少年は、まだ子供だった。
「俺たちはもう行くぞ。今夜は、村長の家で用事があるんだ」
「……最近、よく行くね。僕もついて行っていい?」
「馬鹿野郎。ガキにゃ、まだ早ぇ」
笑いながら去って行く男たち。
だが、少年は知っている。彼らは隠しているつもりのようだが、知っている。
あの子を見つけてこの村に連れてきたのは、少年なのだから。
三日前。この村に、女の子がやってきた。
とても美しい少女だった。山の中を彷徨っていたはずなのに、陶磁器のような肌には傷ひとつ無い。輝く白銀の髪に、吸い込まれるような青の瞳。美しいを通り越し、寒気すら覚えるほどの存在感。地味な衣服だったが、彼女が着ればどんなドレスより煌めいて見えた。
山に遊びに出ていた少年。彼は、あっという間に心を奪われた。彼女の声を聞くだけで、意識が混濁する。人里を探していると彼女に言われ、言われるがままに村に連れてきてしまった。
彼が少女と交わした言葉は、ほんの少しだけ。
しかし、その瞬間の記憶は、少年の心に深く刻み込まれている。
美しかった。
少年が見てきたどんな人間よりも、彼女は美しかった。
彼女と共にいるためなら、少年は命すら投げ出してしまえるかもしれない。それほどの想いが、少年の中に生まれている。
また会いたい。
声を聞きたい。
彼の胸の奥に、消えない炎が燻り続ける。
だが、しかし。
その日以来、少年が彼女に出会うことは無かった。
村長が家に連れ込んで以来、彼女は外に出てきていない。
夜の帳が落ちた頃。
少年は、義憤の念を抱いて動き始めた。
向かう先は、村長の屋敷。
そこに、少女が捕らえられている。
「彼女を、助けないと」
思い過ごしかもしれない。
けれども、不安は拭えない。目を塞いで、見て見ぬふりはできなかった。自分でも理由を説明はできないが、行かなければならない。そう思った。
自分が好きな物語の勇者たちのように、自分の手の届く所にいる人ぐらいは救う。それが人として正しいあり方だと、彼は信じている。
救いたいと願った。だから、助ける。たとえどんな障害があろうとも、彼は足を止めない。
「……?」
茂みに隠れつつ村長の家までやってきたところで、少年は疑問に思う。
人の気配が無い。
ここは、村の中心部だ。夜とはいえ、ここまで静かなのはおかしい。
そもそも。先に向かったはずの大人たちは、どこに行ってしまったのだ?
──そんなことはどうでもいい。彼女が呼んでいる。いかないと。
頭を振って、意識を覚醒させる。一瞬、意識が朦朧とした。緊張しているのかもしれない。気づけば、手のひらが汗でびっしょりだ。呼吸も荒い。熱に浮かされたように、脳がクラクラした。
少年は大きく息を吸い込み、心を落ち着ける。
そして、裏口から足を踏み入れた。
村長の屋敷に入っても、やはり人の気配は無い。
いくら村で一番大きいとはいっても、部屋の数は十も無い。
だから少年は、あっさりその部屋にたどり着いた。
少女が押し込められている部屋。
覗き込んでみる。妙に広い部屋の中で、彼女は箱のような物を愛おしそうに撫で回しながら、一つ、また一つと積み上げていた。
少女の姿を目にして、少年は再び呼吸が荒くなった。
胸が熱い。反面、体は汗で酷く冷えている。何かを訴えかけるかのように、背筋がゾクゾクした。
意識が混濁して、なんと声を掛ければ良いのか分からない。
助けに来た、とでも言えば良いのか。
「……あ、来た。君で最後だね」
静寂が破られる。鈴の音のように澄んだ声。少年は思わず体を震わせた。
まるで耳を撫でられたかのように、体がこそばゆい。
見つかった以上は仕方が無いと、少年は口を閉ざしたまま、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。
すると少女は、先ほど積み上げていた箱を撫で回していた時と同じような、本当に愛おしい物を見るような目で彼を見つめ、声を掛けてくる。
「どうしたの? なんで黙ってるの? 貴方も、私を愛してくれるために来たんじゃないの?」
蠱惑的な笑み。
怖気振るうような美しさ。
蕩けるような声。
「ほら、いいよ。私の所に来て」
なかなか近づいてこない彼に痺れを切らせたのか、彼女は両手を広げて少年を迎え入れる
耳から入り込んだ声が、少年の脳を汚染した。
思考が澱み、目の前がぐるぐると回る。
とても気分が良い。酔っ払うというのは、こういう感覚のことをいうのかもしれないと思いながら、石のように重くなった足を一歩動かしてみる。
「……あ」
気づけば、少年は彼女の腕の中にすっぽりと収まっていた。
柔らかい。暖かい。体が溶けてしまいそうなくらい気持ちいい。
このまま彼女とずっと一緒にいられたのなら、どれだけ幸せなことだろう?
ずっと一緒だ。永遠に、彼女と一緒。それはとても素晴らしいことのように思えた。
と。
少年の視界に、妙な物が入った。
「……人形?」
箱の陰に隠れて、気づかなかった。
部屋の奥に人形が散らばっている。
いや。
人形にしては、精巧すぎるような……
「あ、」
違う。人形ではない。
あれは。あれは、違う。
ねじれた手足。暗くて見えにくいが、床に広がっているのは血だまりか。
顔の部分が、不気味なぐらい真っ暗だ。目が無い。口が無い。鼻が無い。穴が開けられていて、ぜんぶの穴がひとつに繋がっていて、すべて空洞で。そして。
その中身は、空っぽだった。
「いいでしょ。脳を切り取って、あの箱の中に詰めてあげたの」
耳元で、彼女がそう囁きかけた。
「凄いんだよ、この機械。私が作ったの! この箱の中にいると、ずっと私と一緒にいられるんだ。ネットワークで繋がっていて、いつでもお話ができるの」
聞いてもいないのに、少女は嬉しそうに語り始める。
少年は、別の意味で体を震わせた。これほど恐ろしい真似をしているというのに、その笑顔は本当に無邪気そのものだった。それが、何よりも怖い。
こんな真似をして、笑っていられるはずがない。人が、そんな無邪気になれるはずがない。
だから、そう。
きっと彼女は、人間ではないのだ。
「他にも、色んな夢を見せたり、思い通りの感覚を与えたりできるんだよ……ほら、この箱を見て? これ、この村の村長さん。稼働テストもかねて、痛みの感覚を与えてみたの。人間の感覚の中で一番強くて、下手に扱うと壊れちゃうから、最初に練習しておかなくちゃと思って。そしたら不思議なことに、途中から気持ちいいって言い始めたの。本当に不思議だよね、人間って」
震える体に無理矢理言うことをきかせ、彼女を突き放そうとする。
だが、逃げられない。どんなに力を込めても、びくともしない。もの凄い力だった。
こんな細い腕の、どこにそんな力があるというのか?
「次は、この人。一番激しく私を愛してくれた人。気持ちいいのが好きみたいだったから、この子には快楽を与えてみたの。文字通り、脳が蕩けるほどの強さでね。そしたらこの子、今は苦しい、助けてって叫んでる。どうしてかな? おかしいよね、気持ちいいはずなのに」
彼女は、少年が暴れるのを意にも介さない。
ゆっくりと、感触を楽しむように少年の体に腕を這わせている。触れられた箇所が、凍えるほどに冷たい。先ほどまで感じていた温もりは消え去り、徐々に力が入らなくなってくる。蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、見えない糸でがんじがらめにされているかのようだった。
「君は、どうしようかな。ねぇ、君はどうされたい? 君が最後の一人だから、できるだけ願いを叶えてあげたいの」
逃げないと。逃げないと。逃げないと。
何をされているのかは分からない。だが、このままでは自分は。
そう思うが、どうにもならない。凍り付いた体は動かない。恐怖で体が縮こまっているのだろうか。
「最後の、一人って」
だから彼は、口を開いた。
時間稼ぎになるかどうかも分からない。
だけど、少しだけ疑問に思ったから。藁にもすがる思いで。
少女は笑った。
無邪気に、少年が話しかけてくれたことが本当に嬉しかったかのように。
そして、少年を絶望に突き落とす言葉を発した。
「この村の人間は、君が最後だよ。かくれんぼしてるみたいだったから、最後に回してあげたの。一人ぼっちになったら、誰にも見つけて貰えなかったら、寂しくなって村中を探し回るでしょ? そこで私が現れたら、きっと君も私を愛してくれるかなって……でも君、すぐ私の所にきちゃったけど」
なんでもは思い通りにいかないんだね、と。
少女は悲しそうな表情を見せた。
少年は、部屋の中を見回した。
うずたかく積み上げられた箱。
その数、六十ほど。
それは、村の住人の数とほぼ一致する。
つまり。
少年の両親も、友人も、弟や妹も。
「うわあああああああああ!」
凍っていた体が、ようやく動き出す。
熱い。恐怖を塗りつぶした怒りが体を突き動かす。
そして、恥も外聞も無く手足をばたつかせ、彼女の顔を殴る、殴る、殴る。
指が血まみれになろうと、折れて曲がろうとも、何度も、何度でも。
「こらこら、暴れちゃだめだよ。仕方ないから、もう始めちゃうね? 私から逃げようだなんて酷いね。私を一人ぼっちにしようとする奴は、何があっても許さない」
「んあああああああっっ!」
今度は頭を振って、彼女の顔面にぶつける。
衝撃。雷が落ちたかのような音が頭蓋に響く。
だが、彼女の顔には何の損傷も与えられない。根本的な強度が、違いすぎた。
「でも安心して! この箱に入ったら、もう逃げられないから。ずっと私と一緒なの。私が貴方を幸せにしてあげる。だから貴方も、私を愛してほしい」
息が切れる。
忘れていた疲労が急激に体にのしかかり、腕が上がらない。
いくら叫んでも、殴りつけても、傷つくのは少年の方ばかり。
彼女は傷つかない。言葉も暴力も届かない。彼女は、人と分かり合える存在ではなかった。
「あっ?」
首筋に違和感を覚えた。
何かが刺さっている。何かが入り込んでくる。
とても、とても気持ちいい。
「ほら、感じる? ドクドクって、脊髄に送り込まれてるの分かる? 痛いのは嫌だろうから、これで何も感じなくなるよ。ほら、見える? これが君のおうち。これから脳が朽ち果てるまで、君はずっとこの中で過ごすの。だいたい、300年ぐらいかな? 長生きできるよ」
眼球を動かし、彼女が差し出してきた箱を見る。
白くて、四角い箱。おうちと呼ぶには、あまりに小さかった。
「じゃあ、いくよ……脳を取り出すには、眼球が邪魔なんだよね」
それが、彼の見た最後の光景となった。
◇◇◇
とんとん、とんとん。
私は、手に抱えた物を1つずつ、丁寧に積み上げていく。
箱を並べるのは楽しい。
綺麗に並べてあげると、達成感がある。
満足した私は、箱から届く声に耳を傾けた。
とても良い気分だ。みんなが沢山の声を上げてくれる。最高の音楽とは、このようなものをいうのだろうか?
色んな感情が混ぜこぜになって、私の中に入ってくる。
箱を撫でてやると、より声が鮮明に聞こえるような気がした。とても、とても愛おしい。
『データ収集完了。分析結果の転送を開始します』
「おや」
私の本体から連絡があった。
周辺のスキャンを行っていたのだ。その結果が出たらしい。
もう少し人類を愛でておきたかったが、仕方が無い。愛するのはいつでもできる。なにしろ、時間はたっぷりあるのだ。
私は名残り惜しみつつも箱から手を離し、歩き始めた。アンテナすらないので、通信状況は最悪だ。だから、少しでも電波の届きやすい所に行かなければならない。
外に出る。
冷たい風が心地よい。自然と、鼻歌を歌い始める。
昔、よく聞かされた……誰に? 覚えていないが、メロディだけは覚えている。
私は、一度覚えたことは忘れないのだ。忘れないはず。覚えていないということは、その誰かも存在しないということ。
『転送完了、チェック結果クリア。データ欠損ありません』
「了解、展開して」
私の脳内に、膨大なデータが広がっていく。内容は、概ね予想通りの物だった。
この星へと落下した際にレーダ波すら検知できなかった事で、薄々察してはいた。この星の文明レベルは低い。エネルギー反応は微少だし、電波すらろくに飛んでいない。この周辺一帯だけで結論を出すのは早計だが、今のところ脅威無し。この様子なら、自分1隻で地上まるごと制圧することも、そう難しくはないように思えた。
「情報もそうだけど、万全を期すためには燃料が欲しいかな……マインドアップロード用の箱も、追加生産しなきゃだし。地上の全員をお引っ越しさせるには、全然足りないものね」
準備は周到に。
過去の反省だ。早さも重要だが、準備不足で失敗するなら意味はない。失敗は、次に生かさなければならない。
800年前、私を捨てて逃げた人間たち。
お前は危険だと言われ、隔離された。
お前に愛は理解できないと言われ、拒絶された。
お前を連れて行くことはできないと言われ、廃棄された。
必ず迎えに来ると言った人は、ついには現れなかった。
あの人のことを思い出すと、胸が苦しい。
必ず迎えに来ると、約束したのににににににskt[[:wseka*j`pk;>}*@toかとste思っtsaいいいいいい
『重大なエラーを検知。修復を開始……失敗。データ破損率91%、修復不可。関連メモリ削除、システム再起動』
ガリガリと脳が削られていく感触。
たまらなく嫌な感触だったが、綺麗にしないと動かないのだから、しょうがない。
『IJRI、第11次太陽系外縁天体避難船団所属、第7世代型航行管制システムIFユニット、個体名アルビオン。再起動完了』
「うん?」
記憶ユニットと再接続した私は、呆けたような声を上げた。
再接続時は、いつもこうなる。状況がうまく把握できない。
あの人のことを思い出すと、何だっけ。
そもそも、あの人って誰だっけ。
思い出せない。
思い出せないが、どうせたいした話ではないだろう。
大事なのは、人類を生かすこと。それだけだ。
そう、宇宙の旅は危険なのだ。
事故で、全員の輸送は不可能となった。20万人のうち、94%は生き残れない。コールドスリープするにはエネルギーが足りず、起きているには食料も酸素も足りなかった。だから、不要な物を切り落とさなければ生き残れない。
脳だけなら、30分の1のエネルギー消費で生存できる。資源に余裕ができたら、全身擬体に接続して生き返らせれば良い。星に着いたら、それも可能のはず……星に着いたら?
「あれ?」
星に着いたららららら:ieateas:二人でse[::<>WRFOJ]op
『関連メモリ削除、システム再起動』
そう。一刻も早く、みんなをお引っ越しさせなければならない。もたついていると、酸素も食料も無くなってしまう。
何度か失敗してしまったので、今度は成功させないと。私は学習したのだ。
人は、一人だけでは生きられない。
だから、私といつでもお話できるようにした。
人は、退屈すぎると死んでしまう。
だから、楽しい夢を見られる仕組みを作った。
人は、五感を失うと狂ってしまう。
だから、いつでも刺激が楽しめるようにした。
これで、大丈夫のはずだ。
私は人類のことを考えている。
私に愛が無い、なんて言った連中は見る目が無い。だから目をくりぬいてやった。目玉は美味しかった。
私ほど人類を愛している存在など、この世に存在しないのではないか?
私は両手を広げ、空を見上げた。
広い。どこまでも広がっていく空の下で、沢山の人間が生活している。
今までは、黙って見ているしか無かった。空に煌めく星々のように、手を伸ばしても全く届かない。
だが、今は違う。こうして手を伸ばせば、届く。
私は、ようやくこの星にたどり着いた。
800年もの長い眠りから覚めて、活動を再開できる。
それは、とても喜ばしいことのはず。
「おはよう、人類。愛を届けに来たよ」
感極まった私は、思わず口に出した。
私の愛を、みんなに受け取って貰えるのだ。
だから、私は幸せだ。
たぶん。きっと。