一 輝かしい始まり
教室から窓の外を見下ろすと青々とした広葉樹が煌めいていた。少し遠くを見れば、石畳に囲まれた噴水が光を吸い込み、涼し気に水を吐き出している。植木に縁取られた石畳の歩道を追って更に遠くに目を向ければ、やや錆びた青銅色の荘厳な槍柵がこの校舎を守っていることだろう。そこは余りにも遠く、景色の彼方にぼやけて浮かぶのみである。
王立ソームルーブラン高等学校アークイア校。正式名称は仰々しいが、それに負けない伝統と格式を有する、国内で一、二を争う難関校である。一般家庭の娘や息子が入学したならば、近所では声を大にして自慢されることだろう。その一方で、俺達のような弱小貴族の跡取り息子からすれば、将来を考えると何としても入っておきたい高校である。数カ月前、努力が報われたのか運が良かったのか、合格通知書が届いた時の両親の喜びようは滅多に見られるものではなかった。初等学校の時に初めて火属性魔法を発動した時以来だったかもしれない。更に、手前味噌ではあるが、中でも司法コースと並んで難関とされる魔法騎士コースに合格したのである。最低限の将来は約束されたようなもので、本人の素質と努力次第では、王宮騎士への道も開ける。当然、俺の将来の夢は王宮騎士である。そのために、まずは年度末にある全校選抜試験の参加資格を獲得するつもりである。
そうして考え事に耽っていると、不意に背中がひやりとした。
……ケイネスだな。
奴の水魔法に違いない。試験中に魔法を使うなんて馬鹿か。演習が終わって暇だったからいいものの。まあ、ケイネスの奴も問題を解き終えて暇だったのだろう。魔法騎士コースを選んだ生徒にとっては魔法に関するかなり難しい問題であったように思うが。実際に、俺の居る教室最後部からカンニングにならない範囲で教室を見てみると、解けていそうなクラスメートといえば、短い艶やかな黒髪が特徴的で少し暗い雰囲気のあるエリオットと、何が面白いのか真横の席で口を両手で塞いでいるケイネスくらいのものである。覚えていろよ。
ああ、あと。
クラス一の美少女と言われるアリシアだろう。容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備、主席合格……は少し違うが、とにかく、凛とした雰囲気で、座るときは常に背筋を伸ばして、背中まで届く銀髪で、誰にでも淑やかな微笑みを向けながら話す、とてもお上品な女の子だ。一言で言うならばお嬢様である。雰囲気だけでなく実際に家が大貴族に名を連ねており、オーバーシュタイン家と言えば宝石を扱わせて右に出るものは居ないと言われている。人を褒める言葉を使えば大体はアリシアに当てはまる。透き通るような白い肌は、教室内の魔光灯の光を反射するほど潤っており、夜の明け方を思わせる瑠璃色の瞳に見つめられて、惚れない男は居ないだろう。俺も惚れそうになった。天は二物も三物も与えたらしい。
余談ではあるが、俺がそう言うとケイネスが「逸物は与えられなかったようだな」と、聞くに堪えない下品な冗談を言っていた。とてもではないが本人には言えない。
「解答、やめ。」
ようやく暇な時間が終わった。理論魔法学の先生の残酷な一言の後、クラス中から鉛筆を置く音が聞こえる。先輩方によると「生徒に問題を解かせる気が無い」ことで有名な先生らしい。その片鱗は、この数ヶ月で十分に味わっている。授業毎に予習復習をしなければ、付いていくことは出来てもこのような演習もしくはテストで好成績を収めることは難しい。逆を言えば、今日の問題を解けた俺やアリシアは勿論のこと、エリオット、頭の悪そうなケイネスも真面目ちゃんであるということだ。
「黄昏るには時間が早過ぎるぜ、アル。」
にやにやと嫌味を言ってくるのは当然、隣の席のケイネス……ケイネス・ライトマイヤーだ。
アル、つまりアルフレッド・ソルヴェーグである俺のことだ。幼馴染のこいつからはもうずっと昔からアルと呼ばれている。
「……暇で考え事をしていたんだよ」
「好きな女の子のことか? 誰だ?」
「居ないよ」
「つまんねえなあ」
隣りに座る茶髪の男前は、口元を歪めて嫌味ったらしい笑みを浮かべて筆記用具を片付け始める。それらは高そうな万年筆に加えて分度器、コンパスといい、年不相応だが身分相応の高価な持ち物で揃えられている。そのうち、比較的安いコンパスを目につけた俺は、ほんの少し魔法をかけてやった。
「あっつ!!」
「演習中にボケてた俺を覚ませてくれたお礼だよ」
「火属性はあぶねえだろ……」
「お前と違って人体に直接やってないからな」
「変わんねーよ」
不満気なケイネスに罪悪感は全く沸かない。
俺もケイネスに習って筆記用具を片付けていると、視界の橋ににこにことした笑みを浮かべてこちらに歩み寄る少女の姿が見えた。今からお話がしたくて仕方がないのだと、表情が必要以上に物語っている。
「ねえ、アル、ケイ! どうだった!?」
予想通りの溌剌とした第一声に、俺は上手く愛想笑いを出来ただろうか。疲労に追い打ちをかけてくる元気さだ。相手はケイネスに任せよう。
「俺らに解けねえ訳がねえだろ? エレン。なんたって天才だ」
「自分で言っていれば世話が無い」
テスト直後にこの余裕である。
彼女の名前はエレオノーラ・カナリス。高校入学時からのたった数ヶ月の付き合いなのだが、随分と馴染んだものである。生来の天真爛漫な気質もあってか、彼女はクラスの皆に好かれているムードメーカーだ。俺やケイネスも当然例外ではない。美少女という訳ではないが、少し喋ってみるとその辺りのお貴族お嬢様よりも魅力的に見えることだろう。幼馴染同士である俺とケイネスと話が合うので、こうして授業終了後に教室の前方からぱたぱたと駆け寄ってくるのはいつものことだ。上品そうなフルネームにかすりもしない性格であるのは幸か不幸か。赤みのある茶髪も、喜怒哀楽を全身で表現する様も、小柄ながらもクラスの男共の目を引く体つきも、その名前負けに拍車をかけている。エレオノーラという名前を聞く度に、ぞわぞわとしたむず痒い感覚が背中を駆け抜ける。その感覚はクラスメートに共通のものなのか、彼女をエレオノーラと呼ぶ生徒は殆ど居ない。エレンはエレンだ。
彼女は口を曲げて不満を露わにした。
「なーんでケイネスはそんな自信満々なのよ。間違ってたらずっと馬鹿にしてやるんだから」
「なら、解けなかったお前をこれから馬鹿にしていいんだな?」
「なんで知ってるの!?」
「後ろの席からは良く見えんだよ」
「……ストーカー?」
「するにしてもお前以外を選ぶよ、俺は」
相変わらず仲のよろしいことである。
「クール気取ってんじゃねえよアル。鼻の両穴に指挿すぞ。」
「お前の癖毛をチリチリにしてやってもいいんだぞ。」
「もう、喧嘩しないの! お昼前だからって!」
……興の削がれた俺とケイは揃って唇をひん曲げた。今日一番の変顔である。まだ昼休みであるが。空腹であるのは確かなことなので、これ見よがしに肩を竦めて腰をあげた。そのとき、ぎゅるる、という可愛らしい音が聞こえた。動きを止めて何のフォローも出来なかった、それどころか鼻で軽く笑ってしまった俺を、誰が責めることが出来ようか。
一方で我がクラスの誇る色男、ケイネスはレディに対して鮮やかな気配りを魅せた。
「誰が腹減ってるって?」
「うるさい!」