九話 異性体
メガネ君、モブ君……と、希少度が高めの影が続いたことで室内の熱気が高まりつつある中、いよいよ真打の出番だ。
『ガウス君ーっ!』
『頑張ってーっ!』
ガウスが歩み始めると、たちまち女生徒から黄色い声が上がった。
老若男女を問わず人気者な親友ではあるが、端正な顔立ちをしているだけあって、特に女性から絶大な人気があるのだ。
その自信満々な顔は、強力な影を召喚する事を確信しているかのようだ。
ガウスは声援に応えることはなく、ただ僕の方を見て『見とけよ』と言わんばかりにニヤリと笑った。……普段からガウスにはライバル視されている面があるので、自分の強力な影を見せつけようという魂胆なのだろう。
ガウスが優れた影を召喚する可能性は高い。
魔力量が多い人間ほど強力な影を得る傾向があるが、僕の親友もまた高い魔力量を有している人間なのだ。
人間は保有魔力の三割を身体強化に常時利用している――逆説的に言えば、身体能力が際立って高い人間は、魔力量も多い人間である可能性が高い。
そしてガウスの身体能力は常人のそれを遥かに凌駕している。ガウスが並外れた魔力量を持っている事は明白だ。
僕やリスティは〔そう在るべき存在〕として生み出されているので魔力量が膨大なのは自然なのだが、レイリアさんやガウスは自然な環境で生まれたはずなのに魔力量が多いという理不尽さである。
クラスメイトたちが固唾を呑んで注視する中――ガウスは解放玉に触れた。
そして、それは現れた。
ひと目見ただけで異質さが分かる。
そこにいたのは〔猫〕――自身が影である事を主張しているような黒猫だ。
生物型の影。それもモブ君の昆虫タイプより希少性が高い動物タイプという事になるが、この黒猫の真価は他にあった。
「にゃぁ〜〜」
ガウスに召喚された黒猫は、枷から解き放たれたような鳴き声を上げた。
そればかりではない。黒猫は甘えるようにガウスの足に身体を擦り付けている。
『お、おい』
『嘘だろ……』
周囲の動揺は、メガネ君やモブ君の影が現出した時の比ではない。級友や教師だけではなく、解放玉の警護をしている軍人たちも目を剥いて驚愕している。
影とは召喚者の魔力で構成される物質であり、それは生物型であっても同じだ。
生物の形をしてはいるが、本来なら召喚者の意のままに動く道具でしかない。
だが道具であるはずの影が、意思を持たないはずの影が、本物の猫のように鳴き声を上げて甘えている。そうなると、考えられる事は一つしかない。
モブ君が呆然としながら答えを呟く。
「異性体……」
生物型の影は、そのどれもが基本的には意思を持たない物質だ。
しかし〔基本的には〕であって、僅かではあるが例外は存在する。
それが異性体だ。
通常は、生物型の影は召喚者と同性となる。
モブ君の影であるカマキリ。こちらも当然のように性別はオスだ。
だが、ごく稀に生物型の影に異性が現れることがある。そして異性体と呼ばれる影は、なぜか独自の〔意思〕を持っていることで知られているのだ。
なぜ異性体の影だけが意思を持っているのかは、現在でも不明のままだ。
過去の歴史を紐解いても異性体が現出した例は少ない。しかし過去に現れた絶対数が少なくとも、異性体に関する逸話について知らない者はいない。
なにしろ異性体の影は、総じて〔規格外の力〕を持っている事で有名だ。
かつて世界を揺るがした世界大戦。
その戦争において戦局を決定付ける要因となったのが、異性体だ。
世界大戦の勝者と敗者を分けたのが〔異性体保持者の数〕と言われている。
ガウスが異性体を召喚したことで、場は色めき立っていた。
この国で異性体の影持ちが現れるのは十数年ぶりとなるはずなので、人々が沸き立つのも当然の事だろう。
しかしガウスは周囲の騒ぎに頓着していない。
じゃれる黒猫を鷹揚にあやしている姿からすると、異性体の現出を自然な事のように受け止めている雰囲気だ。……動物好きの僕としては影の希少性を抜きにしても羨ましい光景である。
場の興奮冷めやらぬ中、ガウスは場の支配者のように悠然と僕の方へ歩き出す。
もちろん傍らには黒猫を付き従えている。
そしてガウスは僕の前に立ち、不敵な笑みを浮かべながら口を開く。
「こいつを超える影は早々いないぜ?」
ライバルに差をつけた事をアピールするとは、ガウスにしては珍しい行動だ。
外見上は平静さを保っているように見えるが、内心では高揚しているらしい。
僕は微笑ましく思いつつ親友の挑発に応える。
「おやおやガウス君、勝利宣言には早いんじゃないのかな? 僕の影を見てから言っておくれよ」
ガウスの影が尋常な存在でないことは分かるが、僕とてそれなりの影を召喚する自信がある。まさかガウスが異性体を召喚するとは思わなかったものの、こちらが召喚する前から敗北を認めるわけにはいかない。
「おう、じゃあ今週末に俺と闘ろうぜ。久々に道場へ行く予定だからよ」
どうやらガウスは影の力を試したくて仕方がないらしい。かくいう僕も噂に聞く異性体の力を見てみたいと思っていたので、これは願ってもない提案だ。
そして、道場。これは僕とガウスが通っている武術道場のことだが、実はこの道場のスポンサーはランズバルト家だ。
この国に移住して間もない頃、将来を見据えて自宅でリスティと組手をしていると――『近くに訓練用の場所を作りましょう』というレイリアさんの一声で、家の近所に武術道場が造られたのである。
しかも道場だけではない。
引退した高名な武術家まで師範として誘致しているという手回しの良さだ。
だが……当時の僕には感謝の気持ちよりも、申し訳ない気持ちの方が強かった。
レイリアさんも一緒に鍛錬を希望したとは言え、僕たち兄妹だけの為に道場と師範を揃えてもらうというのは心苦しかったのだ。
そこで、レイリアさんに提言して一般にも門戸を開いたところ――後に親友となるガウスが入門してきたという訳である。
「それはいいね。最近ガウスが来ないから、道場が寂しかったんだよ」
ガウスは頻繁に学園をサボって旅行に出掛けているので、必然的に道場もサボりがちとなっているのだ。高名な武術家が師範という事で一時期は賑わっていた道場だが、今となってはなぜか門下生の多くが辞めてしまった。
人気者のレイリアさんやガウスに惹かれて入門する者もいるのだが、不純な動機で長続きするはずもなく、道場内は常に閑散としている有様である。
「道場に人がいないのはアロンたちのせいだろうが……」
ガウスが自分のサボリを棚に上げて僕たちに責任を押し付けていると――唐突に、怒りの声が割って入った。
「おい金髪ッ! 異性体の影だからってデケェ面してんじゃねぇぞッ!」
声の主はモブ君だ。
察するに……自分が生物型の影を手に入れて喜んでいたところに、上位互換のような存在が現れたことが面白くないらしい。
突然の怒声に部屋中の注目が集まる中、モブ君はカマキリの方へ手を向ける。
「オレのカマ吉の強さを証明してやらぁ!」
ヒートアップしているモブ君は止まらない。
動き出すカマキリことカマ吉。
その安直なネーミングセンスは気になるが、今はそれどころではない。
ガウスの足元で寛いでいる黒猫を心配しているのではなく、それに近付くカマ吉の身が心配だ。この黒猫と敵対するのは危険に過ぎる。
しかし、僕が仲裁に入る間もなく――モブ君はカマ吉をけしかけてしまった。
――バシュッ。
一瞬の風が吹き、静寂だけがその場に残った。
両腕を上げて威嚇していたカマキリ。
その存在は風が吹いた瞬間に消え去っていた。
何が起きたのかを正確に察知しているのは、この場には僕とガウスだけだろう。
モブ君の蛮行に部屋の各所から悲鳴が上がっていたが、急にカマキリが消えたことで呆気に取られたような雰囲気に変化している。
召喚者は自分の意思で影を消失させることが可能なので、部屋にいる人々はモブ君が自分でカマキリを消したと思っているのだろう。
だが、それは違う。
なにより、召喚主であるモブ君本人が混乱した様子で呆然としているのだ。
僕の目は一部始終を捉えていた。
後脚で頭をかいている黒猫。
この規格外の影によって、モブ君のカマキリは一瞬の内に消し去られた。
長い尻尾を振ってカマキリに当てた。
ただそれだけの事で、戦闘向けの影であるカマキリを瞬殺したのだ。
まるで羽虫を追い払うかのような動作だったが、実際のところ黒猫にとっては戦闘とも呼べないものだったのだろう。
何事もなかったように寛いでいる姿には、緊張が欠片も感じられない。
僕は思わず感嘆の声を漏らす。
「これは、凄いね……。ほとんど見えなかったよ」
「俺の影だからな。これくらいは当然だ」
ガウスに大口を叩かれてしまっているものの、これは言うだけの事はある。
僕は戦闘には自信があるので、影持ちと対峙しても易々と引けは取らない。
しかし……これは、今の僕では勝てない。
過去に戦闘向けの影と対峙したことは幾度となくある。だが、勝てないと感じさせられたのはこれで二度目だ。
レイリアさんの影。あの影にも到底勝てるビジョンが浮かばなかったが、ガウスの影はレイリアさんの影に近しいものを感じる。
瞠目しながらも『猫に触りたいなぁ』と考えていると、モブ君が我に返った。
「金髪っ、オレのカマ吉に何しやがったッ!?」
やはりと言うべきか、モブ君には事態を把握できていなかったようだ。
召喚主という事で自分の影が消えた感覚はあったはずだが、目にも留まらぬ早業だったので突然消えたように感じられたのだろう。
モブ君が一方的に攻撃を仕掛けたことは後で注意する必要があるが、今は冷静になってもらうことが先決だ。なにしろこのモブ君、残存魔力で〔カマ吉二世〕を生み出そうとしている気配がある。
「ストップ、モブ君!」
僕が両肩に手を置いて制止すると、モブ君はビクリと震えて魔力の集中を途切れさせた。急に大声を出したことで驚かせてしまったようだが、これはやむを得ない措置だ。
僕はモブ君を正面から見詰めて言葉を続ける。
「ほら、ガウスの影は異性体だからさ、モブ君のカマ吉と違って復活できないんだよ。ガウスの影がいなくなったら可哀想だろ?」
異性体は生命を宿しているように独立した意思を持っているが、一度消滅してしまうと、本当に命を失ったかのように――再召喚が不可能となる。
一般的な生物型の影であれば、仮に消滅しても魔力があれば再召喚が可能だ。
しかしガウスの黒猫は違う。
万が一にも消滅してしまったら、そこで終わりだ。もう次の召喚はない。
正直に言ってしまえば、カマ吉では何度やっても黒猫には傷一つ付けられないとは思うが……ここで友人同士が争う意味はない。
モブ君のプライドをくすぐりつつ矛を収めてもらうのが望ましいだろう。
「そ、そうだな。オレのカマ吉とは違うからな……しゃあねぇな、今回だけは見逃してやんよ!」
僕の目論見通り、モブ君は再復活可能という点に精神的アドバンテージを見出したようだ。そもそもガウスは見逃されるような事は何もしていないのだが、友人同士の争いが回避出来たのならそれに越したことはない。
ガウスの方はそもそも不快感を示していなかったので、問題は全て解決だ。
明日も夜に投稿予定。
次回、十話〔漆黒のパートナー〕