八話 プライスレス
「それじゃあ行ってくるよ」
「うん、頑張ってね!」
影の召喚は順調に消化されていき、友人であるメガネ君の出番となった。
そしてメガネ君を笑顔で見送った直後――僕の脳裏にある懸念がよぎった。
影は有用な物であるケースが多いが、中には用途が考えつかないような〔外れ〕も存在する。実際クラスメイトの中には、自身の召喚した影に失望して落ち込んでいる者も少なくない。
ある男子生徒の影などは〔装着すると光るブラジャー〕という驚異的な代物だ。
使い道が謎なだけではない。
影は召喚者の性質にも影響を受けると言われているので、その生徒はクラスメイトから女装趣味疑惑を掛けられるという踏んだり蹴ったりな目に遭っているのだ。
もしメガネ君が外れを引いてしまったら、僕はどんな言葉を掛けるべきなのか?
ここは古い友人であるモブ君の意見を聞いてみるとしようかな……おや?
モブ君は、メガネ君が去りゆく姿を縋るように見詰めている。
僕に視線を向けないようにしている様子からすると、新しい友人と二人きりという状況に緊張を覚えているようだ。
うむ、まるで付き合い始めたばかりの初々しいカップルのようである。
かつて読んだ〔恋人が百人できる本〕には、関係が浅い内に『ねぇねぇ、休みの日は何してるの?』みたいなガツガツしたトークは引かれると書いてあったが、この状況には近しいものを感じる。
当面の間は、モブ君に話し掛けるのは共通の友人であるメガネ君も一緒にいる時を狙った方が無難だろう。
それにしても、友達作りのノウハウだけでなく恋人作りのサポートまでしてしまうなんて、著者のバンドル先生は天才ではなかろうか?
恋人を百人作るという不誠実な思想はいただけないが……いや、僕の知るバンドル先生は誠実な人だ。きっと九十九回振られることを想定しているだけだろう。
僕が先生の天才性に感服している内に、メガネ君は解放玉の前に立っていた。
緊張した面持ちのメガネ君。
僕もハラハラしながら見守っていると、メガネ君は震える手で解放玉に触れた。
――コロン。
メガネ君が解放玉に触れた直後、彼の足元にそれは現出した。
級友たちが生み出した影と比較すると、その影は見落としそうなほどに小さい。
親指の爪ほどの大きさしかない乳白色の石。
カッティングした宝石のような正八面体の石だ。
これまで出た影では最も小さな物だが、影の価値は大きさでは決まらない。
現に、その石の出現にどよめきが走っている。
『おい、あれ魔術石じゃね?』
『しかもあの色、治癒石だぜ』
影の種別は多種多様だが、中には共通の特徴を持つ特殊な影が存在する。
魔術石。道具型の影の中でも異質な存在だ。
石の種類はいくつかあるが、その形状だけは共通している。魔術石は全てが正八面体の形状――二つのピラミッド型を底面でくっつけた形をしているのだ。
数十人に一人の割合で出現すると言われている魔術石の特徴は単純だ。
その名の通り〔魔術〕の行使を可能とする。
石の色によって魔術の特性が分かるが、メガネ君の魔術石は温かみを感じさせる乳白色。乳白色と言えば魔術石でも希少な部類に入る、治癒石だ。
これは怪我を短時間で治せる〔治癒魔術〕の行使を可能とする石である。
「おめでとうメガネ君。もう将来は安泰だね!」
「あ、ありがとうアロン君」
帰ってきたメガネ君に声を掛けると、彼は戸惑いながらも嬉しそうな反応だ。
僕の言葉は決して大袈裟なものではなく、メガネ君の人生は成功が約束されたと言っても過言ではないだろう。
僕は続けてメガネ君に提案する。
「せっかくだから、その治癒石でモブ君の骨折を治療してみたらどうかな?」
「うん、そうするつもりだったよ。……どうかな、モブ君?」
「お、おう」
本来なら治癒石での治療は高額となるが、影は時間経過で消えるものだ。
影召喚で出たものなら、治癒石が消える前に有効活用した方が得と言える。
メガネ君は治癒石を骨折箇所に接触させる。
そしてメガネが魔力を込めると――治癒石は光を発して跡形もなく消え去った。
「これで、いいのかな? 実感が全くないんだけど……」
「あ、ああ。少し痛みが引いた気がするな」
メガネ君が不安そうに問い掛けると、モブ君も困惑している様子で応えた。
治癒魔術と言ってもすぐに完治する訳ではないので、治療した実感が少ないのだろう。骨折であれば、全治二ヶ月のところを三日で完治するといった具合らしい。
そしてそれは、毎日治癒石を消費して治療することが前提での話だ。
影の召喚は初回こそ解放玉に触れる必要性があるが、二回目以降は召喚主の意思で自由に現出させられるようになる。
しかし、影の召喚コストはゼロではない。
召喚する度に召喚者の魔力が消費されるのだ。
影の種別にもよるが、魔術石だと保有魔力の二割程度が消費コストだと聞く。
人間は無意識の内に保有魔力の三割を身体強化に消費しているらしいので、余裕をもって考えれば今日の召喚はあと二回程度に抑えておくべきだろう。
「自然治癒の方が健康に良いらしいから、後は自然回復を待った方が良いんじゃないかな?」
科学的根拠は定かでないものの、自然治癒の方が治療後に骨が丈夫になるとも言われている。……高額な治療石での治療を受けられない人々のやっかみである可能性は否定できないが。
実際、一日に複数回の治癒魔術を受けると患者に負担が掛かるのは事実らしい。
それに、いくら友人同士とはいえ無償治療を習慣付けるのも良くない。
もうメガネ君はお金を貰って治療する立場になったと言えるのだから、友人だからといって無償で治療していては不公平だ。
厳しいようだが、親しい友人同士であっても最低限の線引きは必要だろう。
その代わりと言ってはなんだが、僕が友人としてモブ君の両腕代わりになって手助けさせてもらうとしよう。うむうむ、友情はプライスレスなのだ。
「あ、ああ。こ、これで充分だ」
モブ君も友人に甘え過ぎるのは望ましくないと思っているのだろう、メガネ君に更なる治療の要求はしていない。
もはやメガネ君は貴重な治療士の一人だ。
治癒石での治療を望む富裕層や、怪我人の多い軍などからオファーが殺到するはずなので、学園を中退しても将来に不安がないほどだろう。……メガネ君が中退してしまうと寂しいのだが、彼が決断した時には笑顔で送り出したいものである。
――――。
「うぉぉっ! ハ、ハハハッ、オレの時代が来たぜッ!」
モブ君は希望通りの武器型ではなかったが、戦闘向きの影を手に入れたことで大興奮している。先程まではどこか萎縮している感があったのだが、すっかり初対面時の勢いを取り戻している様子だ。
モブ君の影は生物型。
彼の傍らには、主の命令を待つように〔カマキリ〕がちょこんと立っている。
動物タイプではなく、サイズの小さな昆虫タイプという事になるが、それでも外見に惑わされてはいけない。
身体は小さくとも影だ。過去の例から考えれば、数センチの木板程度なら軽く切断してしまうほどの力を秘めている事だろう。
モブ君はのっしのっしと僕らの元へ帰ってくる。
「アロン=エルブロード! テメェが調子に乗っていられるのもここまでだ!」
「おめでとうモブ君! いやぁ、生物型なんて羨ましいなぁ……」
「お、おう……な、なんか調子狂うやつだな、お前」
戻ってくるなり意味不明な発言をしていたモブ君だったが、僕が素直な気持ちで称賛を送ると、彼は困惑しつつも顔がニヤけている。
うむうむ、テンションが上がり過ぎて奇行に走ってしまったモブ君を責められるはずもない。友人の嬉しそうな顔を見ていると僕も嬉しくなるというものだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、九話〔異性体〕