七二話 見通した底
それにしても……なぜ神王はこちらに仕掛けて来ないのだろうか?
神王の影が火弾を消失させた直後、僕たちには少なからず隙が生まれていた。
神王が攻勢に転じるなら絶好の機会だったはずだが、結果的に神王はこちらに落ち着いて考察するだけの時間を与えているのだ。……いや、もしかすると。
「ひょっとして、部隊が到着するのを待ってるんですか? 彼らはもう片付けてきたのでここには来ませんよ」
僕の言葉に、神王は眉をピクリと動かした。
この反応から察するに、どうやら僕の推察は的を射ていたようだ。
そもそも――神王が直接闘うという事態が想定されているはずがないのだ。
本来であれば、神都での異変には発電所から部隊の一団が駆けつけてくる。
今回のように少数での襲撃となると察知が遅れるだろうが、それでなくとも神殿には部隊が三人も詰めている形だ。並大抵の襲撃者では部隊の撃破は難しい。
だからこそ神王は部隊が敗れたなどと夢にも思わず、こうして守りに徹して部隊の到着を待っていたのだろう。
「おっと、どうやら図星だったようですね。しかしご安心を、僕は仁愛の心を持つ男です。貴方の事は苦しめずに殺してあげましょう」
他の人間ならいざ知らず、僕は神王だけは生かしておくつもりはない。
この男はあまりにも多くのものを奪った。
僕が神王に与えられる慈悲は、なるべく苦しめないように命を絶つことだけだ。
僕の安楽死宣言に、ガウスが恒例の如く「アロンは仁愛の意味知らねぇだろ」と茶々をいれてくるが、もちろんいつものように無視である。
「……下郎が、自惚れるなよ」
僕の自信に満ちた言葉に真実を感じ取ったのか、プライドを傷付けられて我慢ならなくなったのか、神王は怒りを宿した声を出した。
しかし僕は神王に恐れを感じていない。
ようやく全てを終わらせられるという事もあって高揚感を覚えているほどだ。
場に戦意が高まりつつある中、最初に動いたのは――――お兄さんだった!
「――よぉし、やっちまえモウ次郎!」
お兄さんは話の流れをガン無視している!
ここは話の流れ的に、僕が闘うという場面ではないのか……!
確かにお兄さんは敗北を宣言した訳でもないのだが……ないのだが、神王に堂々と大見得を切っていたので恥ずかしい!
場をぶち壊す事には定評がある放火お姉さんですら一歩下がっていたのに、お兄さんの自由人ぶりは相当なものだと言わざるを得ない。
僕が内心で衝撃を受けている間にも、モウ次郎は神王へ一直線に突き進む。
どうやらモウ次郎の巨体を直接ぶつけるつもりらしいが、これは単純ながら対応が難しい攻撃だと言えるだろう。
客観的に考えても、この猛牛の勢いを止められる人間はそれほど多くはない。
「モ、モウ次郎っ!?」
しかし神王はその少数に属していた。
モウ次郎は神王の影に接触する前に動きを止めた――接触する直前に消失した。
お姉さんの火弾を消失させた時は明確には分からなかったが、今回は何が起きたのかハッキリと見えた。神王の影はモウ次郎に手のひらを向けて待ち構え、互いが接触する直前にその現象は起きた。
突然、モウ次郎の頭部に球形の穴が空いた。
透明な球体にえぐり取られたように穴が空き、その直後に黒牛は巨体を消失させてしまったのだ。……頭部を失った事で召喚の維持が出来なくなったのだろう。
一連の結果を鑑みると、もはや神王の影の固有能力は明らかだ。
消失――神王の影の固有能力は、物質や魔力を問わず消失させるものだ。
火弾消失の件で影の固有能力に見当はつけていたが……モウ次郎の頭部が消失した範囲からすると、射程距離は直径十五センチといったところのようだ。
結果的に、モウ次郎の犠牲のおかげで貴重な情報が手に入ったと言えるだろう。
「モウ次郎の仇は僕に討たせてください!」
とりあえず、お兄さんが再召喚してしまう前に先んじて申し出ておく。
実際、神王の影とモウ次郎では相性が悪い。
音波攻撃が効かないのもそうだが、この固有能力が相手では近接戦も厳しいと言わざるを得ない。ここは当初の予定通り、僕の出番だろう。
「モウ次郎の為に言ってくれるじゃねぇか。……よぉし、任せてやらぁ!」
どうやら『モウ次郎の仇』という単語が心の琴線に触れたらしく、お兄さんは感激した様子で相手を譲ってくれた。
しかし、気っ風のいい言葉の直後――急に冷静になったように表情を曇らせる。
「だがよ……あの影は相当なもんだぜ。おめぇさんは勝算があんのか?」
お兄さんは僕の身を案じてくれている。
今更ながらに気付いたが、お兄さんが積極的に前へ出ていたのは〔僕の身を守る〕という目的があったのかも知れない。
豪快であっても気の優しいお兄さんなので可能性は高い気がする。……それを指摘しても『べらんめえ!』と素直に認めない気もするが。
ならば、ここで僕が返す言葉は決まっている。
「もちろんですよ。モウ次郎のおかげで能力の底も見えましたからね」
僕は揺るぎない自信を持って応えた。
唯一の懸念だった固有能力が判明した以上、もはや僕に敗北の目は存在しない。
「ガウスもそう思うよね?」
僕の言葉だけでは信憑性に欠けるはずなので親友にも同意を求めておく。
もちろんガウスの答えも決まっている。
「ああ、これは完全に期待外れだ。神王はアロンがやっちまっていいぞ」
ガウスの言葉は僕よりも辛辣なものだ。
人間タイプの影と聞いて好敵手になり得ると思っていたようだが、実際には想定以下の相手だったので失望しているのだろう。
「……鈍才の身で下らぬ虚勢を張るか」
僕たちの会話に苛立ちを覚えたのか、神王が怒気を露わにして口を開いた。
しかし……先程からこちらを見下した発言が目立っているが、そろそろ神王の思い違いを訂正しておくべきだろう。聞いているこちらの方が恥ずかしくなるのだ。
「貴方は特別な存在だと自惚れているようですが、それは井の中の蛙というものですよ。世界は貴方が思っているより遥かに広いですから」
神王という男は、神国という狭い世界だけで生きている男に過ぎない。
自分が世界で最も優れていると思い上がっているようだが、甚だしい勘違いだ。
「人間タイプの影持ちという事で警戒してましたが、貴方の影は武国のそれと比べれば明らかに格が落ちます。比較するのも烏滸がましいというものです」
人間タイプの影持ちは世界に三人いる。
その一人は、武国に存在しているのだ。
武国の影持ちと聞いて、神王は怨敵の名を口にするようにその名を呟く。
「レイリア=ランズバルト。貴様っ……あの化生の、武国の手の者か!」
彼女の名は神王にまで轟いていたようだ。
世界に三人しか存在しない同種なので当然と言えば当然かも知れないが、レイリアさんの弟分として誇らしい気持ちがある。
そしてそう――あの優しいお姉さん、レイリアさんは人間タイプの影持ちだ。
レイリアさんの持つ規格外の影を想定していたからこそ、僕もガウスも必要以上に神王を警戒していたのである。
しかし実際には……ガウスが失望しているように、神王の影は同じ人間タイプであってもレイリアさんとは比較にならないものだ。
身内感情を抜きにしても、神王より彼女の方がよほど特別な存在だと言える。
神王はレイリアさんの存在がチラついただけで血相を変えているが、ひょっとしたら自分がレイリアさんより劣っている事を内心で自覚していたのかも知れない。
だがしかし、この襲撃が武国の意思によるものと思われるのは良くない。
この段階に至れば武国への報復を心配する必要はないが、そろそろ僕の自己紹介をしておくべきだろう。この男も自分が殺される理由くらいは知っておくべきだ。
「挨拶が遅れたようですね。僕の名はアロン=エルブロード。僕が神国の施設出身だと言えば、貴方を殺しに来た理由も分かりますか?」
部屋の隅の文官たちは『施設』と聞いてざわめいた。それも当然の事ではある。
神国の高官が施設の存在を知らないはずがない。そして同時に施設出身者の末路も把握しているはずなので、恨みを買っているという自覚もある事だろう。
「そうそう、まだお兄さんの質問の答えが返ってきてなかったですね。なぜ武国に終末の槍を落としたんですか?」
お兄さんたちの友人であり、僕にとっても同胞である存在は、終末の槍に使われて命を落とした。神王を処断する前に、槍を投下した理由だけは聞いておきたい。
レイリアさんの影と比較されて激昂していた神王は――僕の質問に余裕を取り戻したかのような笑みを浮かべた。
「貴様ら、あれの縁者か? ならば光栄に思え。期限切れで処分する予定だった者を有効利用してやったのだからな。あれで武国は異性体持ちを二人失ったのだ」
……分かってはいた。
分かってはいたが……事実だと確認出来てしまうと、胸が苦しくなる。
やはり終末の槍は、異性体持ちを、僕とガウスを狙って投下されたものだった。
ガウスの表情は動いていないが、内心で感情が吹き荒れているのが分かる。
この親友も僕と同様に予想はしていたはずだが、その固く握り締められた拳を見るまでもなく、罪悪感と共に神王への怒りを感じているのが伝わってくる。
「てめぇっ……!」
友人をモノのように扱われたお兄さんが激怒して飛び掛かろうとするが、僕は無言で手を上げて制した。お兄さんには申し訳ないが、これは譲れない。
神国と武国、二つの国に跨る長い因縁。……この男は、僕の手で決着をつける。
明日の投稿で第三部は終了となります。
次回、最終話〔国を喰らう厄災〕




