七一話 神国最強の影
神殿内を風のように疾走する僕たち一行。
神殿で働く人間と遭遇しても話し掛ける隙すら与えはしない。
そんな訳で――僕たちがそこに辿り着くまで長い時間を必要としなかった。
そこは神殿の最奥部と言える場所、神王が居ると思しき部屋だ。
最奥部近辺まで来ると人の気配が極端に少なく、この部屋以外からは人の気配が感じられない。この部屋に神王が在室している可能性は高いはずだ。
ちなみにこの建物は『神殿』と呼ばれる類の建造物だが、この部屋から宗教的な雰囲気は感じられない。部屋の中から政府高官らしき者たちの話し合いの声が聞こえる事もあって、なんとなく会議室のような雰囲気がある。
そして部屋から漏れ聞こえている会議の内容は、終末発電所からの送電が途絶えた事についてだった。それも対応策を講じているのではなく、責任をなすり付け合っているような様相だ。……神国の官僚という意味ではイメージ通りと言える。
僕は部屋の前で動きを止めていた。
その理由は他でもない――
「――なんとなく、会議中の部屋って入りにくいものがあるよね……」
この独特の感覚は、授業中の教室に遅刻して入っていくような緊張感に近い。
扉を開けた瞬間に多くの視線に晒される訳である。言うなれば晒し者だ。
「うんっ、そうだねお兄ちゃん!」
カーラは明らかな嘘を吐いていた。
そう、この子にそんな人並みの感情が存在しているはずがないのだ……!
このカーラらしからぬ発言の理由は……殺人未遂の件で怒られたので、ここぞとばかりに僕の意見に追従してご機嫌を取ろうという魂胆なのだろう。
いつの間にこんな小賢しい真似を覚えたのか? と思いつつも、少し嬉しかったので頭を撫でてあげると「えへへ……」とカーラは目を細めている。
この子の思惑通りになってしまった感はあるが、誰も不幸になってないので問題は無いだろう。強いて言えば小隊長が少し不幸になったくらいのものだ。
「なにが会議中の部屋に入りにくいだ……。アロンがそんなタマかよ」
デリカシーに欠ける親友には、繊細な僕の気持ちは分からなかったようだ。
ガウスは遠慮会釈もなく「遊んでねぇでさっさと入れよ」と僕を追い立てる。
倫理観という概念のないお兄さんたちも僕の言葉にピンと来てない様子なので、この面子に共感を求めた僕が間違っていたのだろう。
「やれやれ……遅刻常習犯のガウスには理解が及ばなかったようだね」
僕は広い心でガウスの暴言を許容しつつ、部屋の扉に手を掛ける。
実際のところ、神殿の最奥部まで来て物怖じしている場合ではない。
こんな時は勢いに身を任せて突き進むのみだ。
「――――それまでっ!」
僕は勢いよく扉を開けると同時、大音声で会議の流れを断ち切った。
場の空気に気が引けるのなら、強引にこちらの流れにするだけなのだ。
僕のイメージするところは試合の審判――『一本っ、それまでっ!』
背後からガウスが「どこが部屋に入りにくいんだよ」とぶつくさ言っているが、僕は行動すると決めたら中途半端な真似はしないだけだ。
会議の列席者たちは唖然としていた。
神国の心臓部とも言える神殿、その会議室に闖入者だ。彼らが呆気に取られて言葉を失うのも無理はないだろう。
そして、会議室の中から目的の人物を見つけ出すことは難しくなかった。
――――神王。
重鎮たちが居並ぶテーブルから離れ、全体を見下ろすように一段高い場所へ座る男。傍らに護衛らしき男を立たせて傲然と座っている姿から考えても、あの男が『神王』である事は疑う余地がない。
『な、なんだ貴様は! どうやってここまで入り込んだっ!』
『不敬者っ! 神王様の御前であるぞ!』
僕が神王の姿を確認していると、列席者たちが我に返ったように騒ぎ始めた。
少々無作法な登場だったせいか、彼らは一丸となって僕へ不快感を示している。
しかし僕は動じない。
「――静粛にっ! 発言のある者は挙手をするように。常識を弁えなさい!」
僕はテーブルをドンッと叩いて一喝する。
これは恫喝などではなく、公明正大な裁判長をイメージしたものだ。
僕に続いて入室したガウスが「アロンの立ち位置はどうなってんだよ」とケチを付けているが、結果的に室内は静まり返っているので問題無い。
もう少し反発があるものと予想していたが、これも僕の誠意が伝わったおかげなのだろう。……勢い余ってテーブルを破壊してしまった事とは関係ないはずだ。
砕けたテーブルを見ながら黙り込む列席者。
彼らを巻き込むのは本意ではないので部屋から追い出そうかな、と考えていると――冷ややかな声が部屋の中に響く。
「――下賤な匹夫。余の前で薄汚い口を開くな」
神国の最高責任者であり、神国で最も強い力を持つと言われている男――神王。
その男はあからさまにこちらを見下した態度で、大上段から吐き捨てた。
最上位者が動いた影響か、列席者も活気を取り戻したように声を上げ始めた。
それでも誰一人として僕たちに危害を加えようとしないのは、おそらく彼らが腕に覚えのない文官だからなのだろう。
集団で威勢よく騒ぎ立ててはいるが、彼らの立ち居振る舞いに戦闘の心得らしきものは感じ取れないのだ。……集団から離れたら途端に押し黙りそうではある。
「――神王、ちょいと聞きたい事がある」
穏便な形で文官を追い出す方法を考えていると、お兄さんが僕の前に進み出た。
彼はいつになく真剣な声音で言葉を続ける。
「なぜ武国に終末の槍を落とした? なぜオレの仲間を犠牲にした?」
お兄さんが口にした言葉。
それは終末炉に送られた恨み言ではなく、失われた仲間に関する事だった。
終末発電所の制圧後、僕たちは職員の口から様々な情報を聞き出している。
聞き出した情報の中には終末の槍で犠牲になった仲間の名もあったが……それは、お兄さんたちの友人の名でもあったのだ。
終末炉の燃料として消費されるだけでも納得できる話ではないのに、特に必要性の感じられない他国への攻撃手段に友人の命が使われた訳だ。
お兄さんとしては尚更に納得できない話だったのだろう。
その友人が終末の槍に使われていなければ、お兄さんと一緒に終末炉から救出されていた可能性もゼロではなかったのだ。……槍の投下が僕の襲撃計画を早めたという結果を考えれば、友人の死がお兄さんを救ったとも言えるだろうか。
そして槍の投下の理由は僕も知りたい。
異性体持ちが狙われたにしても、終末の槍の投下はあまりに行き過ぎた蛮行だ。
「――口を開くな、と言った」
神王から返ってきた言葉は冷酷なものだった。
煌びやかな衣装を身に纏い、権高な視線でこちらを見下す神王。
僕たちの事を対話に値しない下等な存在だと言っているかのように、お兄さんの質問に対して考える素振りすら見せていない。
「てやんでい! 人が下手に出てりゃ図に乗りやがって、そっちがその気なら無理矢理にでも口を割らせてやらぁ!」
お兄さんは威勢良く神王に啖呵を切った。
いつお兄さんが下手に出ていたのかは分からないが、いつも通りの元気な姿に戻った事には安心感を覚えるものがある。
神王の相手は僕がする予定だったが、とても口を挟めるような空気ではない。
なにしろ戦意を昂ぶらせているのはお兄さんだけではなく、お姉さんも激情を胸に秘めているかのように無言のまま一歩前に出たのだ。
お姉さんは怒ると無言になるタイプなのか、迂闊に近寄れないほど剣呑な雰囲気がある。怒気を敏感に察した文官たちが慌てて部屋の隅に避難しているほどだ。
それでも文官たちの態度に余裕が見えるのは、神王が本気を出せば闖入者など相手にならないと考えているからなのだろう。
神王が神国最強の存在というのは神国民の共通認識となっているのだ。
「――モウ次郎っ!」
お兄さんの呼び声で巨大な黒牛が召喚された。
僕が半壊させてしまったテーブルに止めを刺すように、黒牛がドスンッと上空から豪快な着地だ。もはやテーブルは全壊して見る影も無くなってしまった。
そして突然目の前に現れた巨体に、文官たちの目が驚愕に見開かれている。
僕たちは素性を名乗っていないという事もあって、これほど強力な影持ちだとは想定していなかったのだろう。
「――――」
先手を打ったのはお兄さん。
モウ次郎は神王に向けて声なき咆哮を放つ。
神王も高魔力保有者なので決定打になる攻撃ではないが、お兄さんの狙いは音波攻撃で勝負を決める事ではない。
――ボッ、ボッ、ボッ。
モウ次郎の音波攻撃の直後、お姉さんは一瞬の内に三発もの火弾を放った。
事前に示し合わせていないのに見事な連携だ。
モウ次郎の音波攻撃で牽制し、お姉さんの火弾で勝負を決めるという必殺の一手。お兄さんは『口を割らせてやらぁ』と言っていたが、完全に殺す気である。
しかし二人の動きには無駄が全くない。
お姉さんなどは火石を召喚した瞬間には火弾を放っている。初見でこの連携攻撃となると、部隊員であっても対応は難しいはずだ。
神王の命運は尽きたか、と思考した刹那――神王の前に男が現れた。
ほとんど消えたようにしか見えない速度。
その男は、傍らに立っていた護衛の男だ。
火弾が迫っているにも関わらず、男の表情からは感情の色が感じられない。
男の動きだけでも異常な存在である事は分かるが……しかし、お姉さんの火弾を防ぐのは実力者であっても容易ではない。
火弾の特性を考えれば回避が基本となるが、今回の火弾は正三角形を形作るように三発放たれている。神王が椅子から動いていない以上、男には身体を張って盾になるくらいの事しか出来ないはずだろう。
だが……その結果は予想を上回っていた。
男は手のひらを火弾に向け、円を描くかのように手を動かす。ただそれだけの動作で、高速で迫る火弾を撫でるような動作で――火弾が全て消滅していた。
「なっ……!」
お兄さんが驚愕の声を漏らしたが、僕もその気持ちはよく分かるところだ。
お姉さんの火弾は触れた対象を爆発的に炎上させるものであり、仮に対象が不燃性の物であったとしても、魔力の塊が高速で衝突して無事に済むものではない。
だがあの男は、無傷で火弾を凌いでいる。
どれほど優れた力量を持っていようとも、通常ではあり得ない現象だ。
しかし……本来なら不可能でも、物理法則を捻じ曲げる力には心当たりがある。
まず間違いない。
火弾を消失させたのは――影の固有能力だ。
「なるほど。もしやと思ってはいましたが……そちらが神王の影ですか」
僕は護衛の男を見据えて呟いた。
神王の影は噂に聞いていたので想定はしていたが、これで確認が取れた形だ。
ここで僕が影と断定しているのは、男が装備している装備品などではない。
僕が指しているのは、護衛の男そのものだ。
――――。
影の種別は数多いが、一般的には生物型が最も優れていると言われている。
その要因の一つとして異性体の存在があるが、生物型で有名なのは異性体だけではない。同性体でありながら異性体に匹敵する力を持つと言われている影。
それが、人間タイプの影だ。
人間タイプの影は極めて珍しく、現在では世界でも三人しか存在していない。
異性体よりも希少な存在という事で三人は世界中で名を知られており、その内の一人が目の前に居る『神王』という訳だ。
『おおぉ……なんと素晴らしいお力だ』
『神王様に歯向かうとは身の程知らずな』
モウ次郎が現れた時には怯んでいた文官たちだったが、神王の力を目の当たりにした事で余裕を取り戻したようだ。
火弾の特性は知らなくとも、高速の火弾をものともしない影の力は一目瞭然だ。
世界でも希少な人間タイプの影。
普段はその力を見る機会はなかったはずだが、絶体絶命としか思えない窮地をあっさり撥ね除けた事で、改めて神王の力を実感したのだろう。
あと二話で第三部は終了となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、七二話〔見通した底〕




