六七話 生まれてしまう地獄
さて、どのようにこの場を収めたものか。
ここは門番に賄賂でも渡して誤魔化すのも一つの手だろうか?
あっさり成功する気もするが……正義を為す者の行動としては疑問が残る。
僕が反社会的行為に抵抗を感じて迷っていると、事態は更に悪化していく。
「どうしたどうしたぁ?」
「おほっ、上玉連れてんじゃねぇか!」
騒ぎを聞きつけたのか、門番の詰所から更に二人もやって来てしまった。
いずれも国家に属しているとは思えないほど柄の悪そうな部隊衆たち。
カーラとお姉さんの仲良し二人組に目を留めて、本来なら規律を守らせるべき立場の門番たちはギラギラした下品な視線を送っている。
女性陣は二人とも容姿が整っているが、全体的に子供っぽさが残るカーラはともかく、お姉さんには通りすがりに振り返ってしまうような艶やかな色香がある。
彼女が男の目を引くのは分からなくもないが、仮にも門番ともあろうものが礼節の欠片もない目を向けるのは問題だろう。
「べらんめえ! てめぇら、オレの連れにコナ掛けようってのか!」
もちろんお兄さんは黙っていない。
相変わらずの謎の訛りを発揮しつつ、部隊衆たちを厳しく一喝だ。
「なんだテメェは、オレたちは部隊衆だぞ? こいつはお姉ちゃんに直接詫びてもらう必要があるなぁ、うひひひっ」
「おほっ、おほほっ。オ、オレは、小さい女の方が良いな」
一喝を受けたにも関わらず、部隊衆たちは反省するどころか図に乗っていた。
部隊衆の一人などはカーラに好色な目を向けている。興奮しすぎて『おーっほっほっほっ』と笑うお嬢様のようになっている有様である。
まったく、なんて連中なんだろうか……。
白昼堂々とカーラの情操教育に悪い真似をするとは許し難い。ただでさえカーラには問題が多いのだから、周囲の人間は模範になる行動を取るべきなのだ。
……しかし、ここで派手に殺人事件を起こすのは避けるべきだろう。
なにしろ僕たちは正義の執行者。
事が終わった後にも胸を張れるように行動しなければならないので、この場で血の雨を降らせるような凄惨な対応は論外だ。
現状は最悪ではない。
意外にも僕たちはそれほど人々の耳目を集めていないのだ。関わり合いになるのを避けたいのか、見て見ぬフリで通過していく人たちばかりだ。
なにやら世知辛さを感じるものはあるが……しかし、この場合は悪くない。
この状況ならば、部隊衆に危害を加えてもやり方次第では騒ぎにならない。
差し当たっては静かに気絶させて『おや、どうしたんですか? 詰所まで肩を貸しますよ』などと言いながら詰所に押し込んでおくのが妥当なところだろうか。
僕がガウスに視線を送ると、ガウスは悪そうな笑みを浮かべて頷く。
以心伝心の親友だけあって、僕の意図を明確に察してくれたようだ。
しかし、僕たちの行動は遅きに失していた。
僕は仲間の動きには警戒を怠っていなかった。
最優先警戒対象であるカーラは、部隊衆から下卑た視線を向けられて機嫌が悪化しつつあったが、まだ臨界点には到達していない様子だった。
お兄さんも不躾な部隊衆に苛立ってはいたが、まだなんとか我慢していた。
だがしかし、この牛車には思わぬダークホースが存在していた。
好き勝手に振る舞う部隊衆に対して、ニッコリと笑みを浮かべていたお姉さん。
まさか部隊衆に好みの男性がいるのだろうか? と、考えていた僕は甘かった。
お姉さんは蠱惑的な笑みを浮かべたまま――両腕に大きな魔術石を現出させた。
そう、魔術石だ。
その石は燃えるような赤。これは火魔術の行使を可能とする〔火石〕だ。
そしてその火石を見た瞬間、僕の脳裏に様々な疑問が過ぎった。
お姉さんが火魔術の使い手である事は事前に聞いていた。戦術を考える上で仲間の能力を把握しておくのは当然の事だ。
だが、魔術石が予想よりも遥かに大きい。
なにしろお姉さんは部隊に入隊していない。つまり、その能力が部隊の求める水準に達していなかったという事になるのだ。
だからこそ必然的に小ぶりな魔術石を想定していたのだが、彼女の火石のサイズは先代総長の土石に匹敵しているほどの大きさだ。
これはおかしいと言わざるを得ない。
お兄さんが部隊に入隊していない事は納得がいく。彼は強力な生物型の影持ちではあるが、いかんせん反体制的な気質を持っているからだ。
反乱を恐れる神国にとっては危険な人材とも言えるので、おそらくお兄さんは性格的な面で入隊を弾かれたのだろうと思う。
だがお姉さんは違う。
性格に難ありどころか、どちらかと言えば穏やかで大人しい性質なのだ。
そんな彼女が有用な影を持っているなら、部隊に入隊していないのは不自然だ。
……いや、今はそんな事は問題ではない。
目下の問題は、なぜお姉さんはこの状況で火石を出したのか? という事だ。
その理由はすぐに判明した。
突然現れた魔術石にはかつての名ピッチャーのカーラを想起させられたが、しかしお姉さんはそんな事はしなかった。
彼女の笑顔が向いている先には、急に巨大な魔術石が現れた事で呆けている男。
お姉さんは他人を警戒させない穏やかな雰囲気のまま――高速の火弾を放つ。
その火弾は人の拳よりも小さく、男を牽制する目的なのかと思わせるものがあった。しかし火弾は男の身体に触れた瞬間――身体を包み込むように燃え上がった!
「あ、あぁぁぁ!」
どうやらこの火弾は、触れる事で一気に燃え上がる特性を持っていたようだ。
火弾の火力はそれほどでもないのか、一瞬で人間の身体が炭化する訳でもなく、男は絶叫を上げながら地面をのたうち回っている。
しかし燃え盛る炎は消えない。
ただの火ではなく、魔力の塊の火だ。地面に転がった程度では消えないのだ。
火力が抑えられている分、より残酷な結果を生んでいるとも言えるだろう。
「アハハッ、燃えてるッ! 燃えてるよぉぉぉ……! アハハハッ……」
お姉さんは人が変わったように哄笑していた。
全身を焼かれている男を見ながら、恐ろしい絶叫を聞きながら、大笑いである。
他人事のように『燃えてるよぉぉぉ……!』などと言っているお姉さんだが――燃やしたのは貴方ですよ!
しかし、一体なにが起きているのだろう……?
今までの優しいお姉さんはどこに行ってしまったのだろうか?
僕が困惑と恐怖を覚えていると、お兄さんがカラっとした笑みで説明する。
「ハハッ、驚いたか? こいつは火を見ると少し人が変わんだよ」
これが、少し……?
もはや完全に別人と化している気がするが、お兄さんは昔馴染みだけあって全く動揺していない。僕としては戦慄を禁じ得ないのだが。
凶悪な放火犯となったお姉さんを見れば、部隊に入隊していないのも納得だ。
この放火お姉さんなら、神王の住む神殿に放火して『燃えてるよぉぉぉ……!』と大喜びしても不思議ではないのだ。
そしてお姉さんは止まらない。
――ボッ、ボッ。
お姉さんは狂ったような笑い声を上げながら――残りの部隊衆にも火を点けた!
「ぢゃあぁぁっ……」
「あぢぢぁっ……」
焼死体になりつつある仲間を見捨てて逃げ出そうとしていた二人。
その遠ざかる背中に火弾が直撃した事で、彼らも焼死体へのクラスチェンジが約束されてしまった。昇華ならぬ焼却である。
恐ろしい……思わず僕まで『燃やさないでぇぇぇ……!』と叫ぶところだった。
――――。
地獄絵図。
神都の玄関は目を背けたくなるような有様だ。
耳を塞ぎたくなるような絶叫を上げる部隊衆。愉快で愉快で堪らないとばかりに笑い続けているお姉さん。凄惨な光景が堪らないとばかりに嘔吐する旅人。
豹変したお姉さんの凶行によって、この場は戦場のように豹変してしまった。
恐怖と絶望に支配された場。
しかし、お姉さん以外にもこの事態を大喜びしている者が存在していた。
「燃えてるよぉ〜〜っ!!」
何が楽しいのかは全く理解できないが、カーラはお姉さんと一緒に大はしゃぎだ。もしかしたらクレイジー仲間として何か通ずるものがあるのかも知れない。
そう、そうなのだ。
今になって考えてみれば、このお姉さんに不審な点はあった。
有用な火魔術の使い手でありながら部隊に選ばれなかったお姉さん。それだけでも『あれ?』と思ってはいたのだ。
そしてなによりも大きな不審点。それは――カーラと気が合っていた事だ!
そう、カーラと気が合う人間にまともな人間がいるはずもなかった……!
「おい、アロン……」
二人の狂人に圧倒されていると、ガウスの声が僕を現実に引き戻した。
ガウスもお姉さんの変貌ぶりに絶句していたが、この混乱した状況下で冷静さを取り戻したようだ。そして僕にはガウスの言いたい事がすぐに分かった。
「分かってるよガウス。悠長にしている時間は無くなったようだね」
ガウスの懸念を察して答えると、親友からは同意の頷きが返ってきた。
もはや目立たずに神都入りする事は絶望的――ならば、神殿の守りを固められる前に電撃作戦で決着をつけるべきだ。
軍が神殿に集結したところで神王打倒の問題にはならないが、障害が増えれば無用な犠牲者を積み重ねる結果になる。
そう、正義の執行者としてこれ以上の焼死体を出してはならないのだ……!
「お兄さん、牛車を出してもらえますか?」
「おうよ、任せときなっ!」
威勢の良い声と共に、お兄さんの操る牛車は勢いよく走り出した。
もう僕たちの行く手を阻む者は存在しない。
部隊衆トリオは身動き一つしなくなったのだ――『焼』『死』『体』!
……うむ、前向きに考えれば『心・技・体』のようで悪くないかも知れない!
明日も夜に投稿予定。
次回、六八話〔止まらない暴走〕




