五六話 埋められてしまった過去
施設を発ってから半日が経過し、足を休めての食事の時間となった。
一帯に漂うのは、食欲をそそるカレーの香り。
食材も香辛料も施設から大量に持ってきたので惜しみなく消費している。
三十人を超える大所帯という事もあって、周囲は学園の遠足のような雰囲気だ。
出発直後には不安そうな顔をしていた子供たちだったが、今となってはこの状況に慣れてきているのか賑やかに騒ぎながら食事を楽しんでいる。
『この野菜は私が切ったんだよ』
『オレはアロに腕を切り落とされたんだぜ』
おっと、聞き捨てならない内容が混じっている……!
もしやと思えば、声の主は予想に違わずの扇動少年だ。
おそらくは……いざという時の為に不安の種を植え付けているのだろう。
見上げたプロ根性ではあるが、僕の目の黒いうちは看過する訳にはいかない。
「懐かしい話をしているねぇ。それは戦闘訓練中の事故の話だね?」
「うっ……」
自然な流れで会話に混じりつつ、さりげなく不幸な事故だった事をアピールだ。
実際のところ、軽い牽制のつもりで放った一撃でスッパリしてしまったのだ。
幸いにも、施設職員に治癒魔術で繋いでもらったので大事には至っていない。
基本的に施設職員は子供が瀕死になっても治療してくれないが、僕が事故の関係者としてお願いすると素直に治療してくれたのである。
当時の僕は図抜けていたので僕との戦闘訓練なら仕方がないという判断なのだろう。……僕は施設職員に恐れられていたが、脅して治療させた訳ではないのだ。
そう考えると、僕の口添えで治療を受けられたと言っても過言ではない。
むしろ『オレはアロのおかげで腕が繋がったんだぜ』と言ってくれても良かったのではないだろうか? ……いや、それは少し厚顔かな。
しかし物は言いようと言うが、常に僕を悪者にしようとするのは良くない。
特に恨みを買った覚えはないにも関わらず、扇動少年やスペシャル少年などは一方的に僕を敵視しているような傾向があるのだ。
当の扇動少年は、噂の張本人が現れて気まずいのか身体を小さくして縮こまっている。僕が誹謗中傷の被害者なのに、なにやらこちらが加害者のような感がある。
だが僕は攻めの手を緩めない。
扇動の種は芽吹く前に摘まねばならないのだ。
僕の次なる標的は、どさくさに紛れて加担していたスペシャル少年だ。
「君がさっき言ってた『俺なんか生きたまま土に埋められたぜ!』というのも不運な事故だったね。うんうん、あれは運が悪かった」
「っっ……」
僕の聴覚はあらゆる悪口を聞き逃さない。
スペシャル少年が不幸自慢をするように語っていた言葉も聞こえていた。
彼は必要以上に大袈裟に喋っていたので、周囲から小さな悲鳴が上がっていたのだ――ヘイト発言、許しません!
しかし論破してやり込めてばかりでは駄目だ。
ある程度のガス抜きは許容してあげないと、心の奥底でヘイトが溜まり続けることになる。彼が街でヘイトスピーチをやり始める前にフォローをしておくべきだ。
「土で生き埋めになると言えば、最近の武国では砂に埋まって温まる〔砂風呂〕が流行ってるんだよ? 君は流行を先取りしちゃったねぇ、はははっ……」
「くっ……」
砂風呂、砂蒸し風呂などと呼ばれる、武国での最新のトレンドだ。
温泉熱を利用して温めた砂を利用するという、新しい温泉の楽しみ方である。
しかしこのスペシャル君、偶然とは言え『くっ……』なんて言葉で返すとは、中々に侮れないセンスを持っている。
「ふふ、流石はスペシャル君だね。砂風呂で有名な宿のキャッチコピーが『くっ……埋めろっ!』なんだよ。まさか君の口からその言葉が出てくるとはね」
「く、くっ……」
僕が素直に手放しで称賛すると、スペシャル君は顔を真っ赤にして『くっ……また俺を埋めろっ!』と口走りそうになった。
流石に状況的にそんな暇はないと気が付いたのか、叫ぶ寸前に苦い薬を飲むような顔で自制してくれた。うむ、年長組としての自覚を持っているようで喜ばしい。
「――おいアロン、わざわざ挑発してんじゃねぇよ。何がスペシャル君だ」
和やかな歓談中に口を挟んできたのはガウスだ。
僕が旧友たちと楽しくやっていたので嫉妬したのだろう、ガウスは文句を言いたくて仕方がないような顔をしている。
しかし、いくら文句が言いたくとも『スペシャル君』という呼称に文句をつけるのは的外れだ。特別を好む彼ならスペシャル呼びを喜ばないはずがないのだ。
だが、僕は親友を粗略に扱ったりはしない。
「安心してよガウス。武国に戻ったらガウスの事も埋めてあげるからね」
「ワケ分かんねぇ事言ってんじゃねぇ」
武国に帰国したら一緒に砂風呂に行こうと誘ってみると、ガウスからは要領を得ない答えが返ってきた。砂風呂より普通の温泉の方が好みなのだろうか?
「お前ら、アロンの言葉をまともに受け止めない方がいいぞ。これでも馬鹿にしてるつもりは無いらしいからな」
扇動少年たちに奇妙なアドバイスを送るガウス。
僕は他人を馬鹿にした事など一度も無い。
ガウスはよく『俺を馬鹿にしてんのか!』と怒鳴りつけてくるが、この親友はクレーマー気質なので被害者意識が強いだけなのだ。
「しかしお前ら、腕を落とされたとか生き埋めにされたとか……。アロンと一緒だったのが十年前って事は、ニ歳とか三歳の頃だろ? お前らも苦労してんだな」
おっと、名探偵ガウスが余計な事に気が付いてしまった。
幼子が被害者だった事をアピールされようものなら、僕が『人でなし』のように思われてしまう。……僕とて幼い子供だったという事実を忘れてはいけないのに。
「ガ、ガウス……さん」
おや? これはどうした事か。
扇動少年がガウスに敬語を使っている。
プライドが高いので僕に怯えつつもタメ口を崩さないほどの子なのだが、どうやらガウスには一目置いているらしい。
扇動少年だけでなく、一度はガウスと争っていたはずのスペシャル少年まで敬意の視線を向けている気配だ。なにやら早くも年長組の信頼を得ているようだ。
僕にとって彼らは同胞なので敬語など使われたくはないが、今日会ったばかりのガウスの方が心を開かれている雰囲気なのは悔しさを感じる。
これはやはり、あの影響が大きいのだろう。
僕の視線の先には、湯気を上げるカレー皿の前でピタッと座っている黒猫。
そう――あのシュカを異性体として紹介してからというもの、皆がガウスを見る目が大きく変わった気がする。
なにしろ神国では存在しない異性体持ちだ。
それでなくともガウスは相当の実力者だと認識されていたが、異性体持ちと分かってからは、子供たちから憧れのヒーロー扱いを受けているような雰囲気がある。
一応は僕も異性体持ちなのだが……僕の相棒は不定形なモヤモヤという事もあって警戒心の方が先に立っている感じだ。
「…………」
そのフェリは黙々とカレーを取り込んでいるが、配膳しているコヅチさんにもまだ怯えが感じられる。僕の影は中々の大食漢なので、皆の分の食事を全て吸収されるのではないかと心配しているようでもある。
『猫ちゃん可愛いね』
『カレーが冷めるの待ってるのかな?』
その点、ビジュアル系のニャンコは子供たちに大人気だ。
シュカは猫舌が影響しているのかカレー皿の前で静止しつつ、幼子が伸ばしてくる手を大人しく受け入れている。
最近は人間に慣れてきたのか、他人に触られても過剰に反応していないのだ。
――いや、待てよ。
この和やかな空気、僕もニャンコを撫でる絶好のチャンスではないだろうか?
以前に触ろうとした時は酷い目に遭ってしまったが、今なら『顎の下を撫でてほしいニャン』とばかりに受け入れてもらえる気がする。
ここで重要なのは、越えてはいけない一線の見極めだ。
下心丸出しでべたべた触るような真似をすれば懲戒解雇に繋がりかねないが、『今日も頑張っとるね』と肩に手を置く程度なら戒告で済む。
いずれにしても処分を受けるという悲しい想定ではあるが、僕はシュカに警戒されているので常に最悪を想定しなくてはならない。
もちろん理想的にはサワサワして『今の感触は……風にゃ?』と思わせるのが最善だ。被害者が被害に遭ったという認識を持たなければ事件にはならないのだ。
よし、さりげなくさりげなくだ。
「やぁやぁシュカ。君の体毛はカレーが付いても目立たないからカレーとの相性は抜群だね。おっと、こんなところにシラミが……」
「――ニャァッ!」
一閃。シュカの尻尾が鋭く唸った。
穏やかな空気の中に突風が吹く。
そう、僕の手はバシッと叩かれてしまった!
ひ、ひどい……なぜ僕だけが拒絶されるのか。僕が何をしたというのか。
僕はじんじんと痛む手に触れながら敗因を考える。
シュカの真っ黒な体毛を褒めつつ、シラミを取ることを口実にサワサワしてしまうという完璧な作戦。自然体を意識した完璧なコンタクトだったはずなのに、この作戦のどこに問題があったのか……。
強いて挙げるならば……存在しないシラミをでっち上げたことくらいだろうか?
――いや、待てよ。
ここはネガティブに考えてはいけない。
以前は爪でザックリ切り裂かれたにも関わらず、今回は尻尾で叩かれただけに留まっている。ガウスに怒られて反省したという可能性はあるが、これは目覚ましい進展ではあるまいか。
この調子で攻撃が進展していけば、最終的に待っているのは――甘噛み!
攻撃を受けて喜ぶのは問題かも知れないが、甘噛みなら嬉しいものだ。
攻撃の威力によって敵意ではなく親愛を感じるのは奇妙だが……いや、そうか。僕は唐突にシュカを理解してしまった。
これまでは嫌われて攻撃されているとばかり思っていたが、そうではなかった。
一連のシュカの反応は攻撃ではなかった――そう、じゃれつきだったのだ……!
視点を変えれば、今回の尻尾アタックもハイタッチ的なものだったと思えなくもない。いやはや、こんな単純な事に今頃気付くとは恥ずかしい限りだ。
僕が全てを理解した目でシュカを見ると「フーッ!」と警戒心剥き出しの反応が返ってきたが、これもただの照れ隠しだろう。
だがしかし、照れ屋な黒猫をこれ以上刺激するのも良くない。
『人参きらーいっ! ジャガイモいっぱい入れて!』
シュカの事はこれくらいにしておいて、我儘三昧の妹分を窘めに行かなくては。
コヅチさんはカーラの更生を諦めてジャガイモだらけのカレーを提供しているが、兄貴分としてはカーラを正しい道に導く義務がある。
カーラと一緒にカレーを食べながら、さりげなくスリ師顔負けのテクニックで人参とすり替えてしまうとしよう。……ふふ、僕の前で好き嫌いなどさせはしない。
明日も夜に投稿予定。
次回、五七話〔終末発電所〕




