四九話 思わぬ再会
守衛の消えた施設の入口を抜けると、嗅ぎ覚えのある臭いを感じた。
子供が育つ場として似つかわしくない類の臭い。
機械油や硝煙などの雑多な臭いに加えて…………血の臭いだ。
施設では子供が死傷する事は日常茶飯事となっていたが、この雰囲気からするとそれは今でも変わっていないようだ。
ここの子供たちは人間の母体から産まれている訳ではなく、施設内の『生産所』と呼ばれる場所で人工的に生み出されている。生産所で毎年誕生する子供の数は多いが、それでもこの施設には常時三十人程度の子供しかいない。
その理由は簡単だ。
優秀な遺伝子を組み合わせたとしても、『必ずしも優れた人間が生まれる訳ではない』からである。神国は高魔力保有者を求めているが、生産所で生まれる子供の大多数は神国が求める水準に至っていない。
そこで生産所で生まれた子供たちは、施設の中でふるいに掛けられる。
人間の魔力量は数字として計測できないが、保有魔力量が多い人間は身体能力も高い。そこで、この施設では物心も付いていないような幼子に厳しい訓練を課して、生き残った者を育成するという手段を取っているのだ。
将来的に、施設で強靭に育った者は解放玉に触れる機会を与えられ――有用な影を得た者は部隊へ、神国に使えないと判断された者は終末炉に送られる事になる。
厳しい生存競争を潜り抜けたとしても『神王の手駒』という進路なのだから、施設という場所には全く救いがないと言えるだろう。
「お兄ちゃん、まずはどこに行くの?」
「う〜ん、気配からすると……こっちかな」
表の騒ぎは中に届いてなかったのか施設の職員はまだ残っているようだが、これは無視だ。とりあえず、一番最初に会っておきたい人間がいる。
「今の世話役は『コヅチさん』なんだよね?」
「うんっ」
世話役とは、施設出身者の進路として唯一の例外的な存在だ。
部隊でもなく終末炉でもなく、施設の子供たちの教育を課せられた人間。
教育と言っても、洗脳のような思想教育は管轄が別だ。こちらは戦闘訓練がてら施設に常駐している部隊が行っている。
世話役の担当は、思想教育のようなものではなく実践的な座学が中心となる。
実践的な座学という事で、その内容は学園の授業とは程遠く――潜入任務に必要となる語学や、効果的に戦闘を進める為の戦術学など、全体的に物騒な内容だ。
世話役という進路は施設出身者の中では勝ち組のようにも思えるところだが、しかし一概にそう判断することはできない。施設の子供は一筋縄でいかないような者ばかりであるし、幼くして死んでいく子供も多い。
コヅチさんは僕の二つ年上のお兄さんで、施設では珍しいほどに穏やかで優しい人だった。……優しいコヅチさんにとっては、死んでいく子供たちを見詰め続けるのは相当な心労であるはずだろう。
「コヅチさんなら話も通じやすそうだからね、最初に会って事情を説明するには最適な人だと思うよ」
世話役がコヅチさんというのは願ってもない幸運だった。
僕と面識のない年少組の説得には骨が折れそうだと思っていたが、人望のあるコヅチさんなら上手く言い聞かせてくれる事だろう。
当初はカーラに説得を任せようかと思っていたが……この子に任せると物理的に子供たちの骨を折りそうなので、ここは是非ともコヅチさんに任せたいところだ。
カーラには『コヅチさんが説得に失敗したらお願いするよ』と伝えてはあるが、あの人なら発動してはならない最終兵器を出す前に終わらせてくれるはずだ。
「その名前はアロンから聞いた事があるが……。本当にまともな奴なのか?」
ガウスから失礼極まる質問だ。
聖人のようなコヅチさんの人品を疑うとはとんでもない男である。
しかし……カーラの影響で僕の知人株が大暴落している事を思えば仕方がないとも言えてしまう。僕の知るコヅチさんは虫も殺さないような人だったが、暴君に成長を遂げてしまったカーラの例もある。
再会するなり襲い掛かってくる可能性も視野に入れておくべきかも知れない。
――――。
その部屋の中からは、郷愁を感じさせる懐かしい声が聞こえていた。
『……ここで重要なのは防御戦闘ではなく攻撃戦闘なんだ』
この声は、間違いなくコヅチさんだ。
聞く者を安心させるような物柔らかい声。叱責する時でさえ感情を露わにすることなく、悲しげな声で優しく諭すような人だ。
コヅチさんの話している内容は穏便とは言い難いものだが、今は世話役として子供たちに戦術学を教えている最中なのだろう。
これまでは故郷に帰ってきたという思いに欠けていたが、コヅチさんの声を聞いてようやく『戻ってきた』という実感が湧いてきた気がする。
そして、コヅチさんの変わらない優しげな声を聞いて確信した。コヅチさんであれば、僕の話を疑うことなく受け止めてくれるはずだ。
僕は部屋の扉をノックする。
「――はい。少々お待ちください」
講義の声は止まり、コヅチさんの少し固い声が返ってきた。……おそらくは施設側の人間が訪ねてきたと思っているのだろう。
「あれ、カーラ? それにそちらは……」
部屋から顔を出したコヅチさんは、まず部隊の軍服が目立つカーラへ目を留めた。そしてカーラがこの場に居ることを不思議がりながらも、同行者である僕とガウスへ視線を移す。
彼が僕を見る目にはどこか戸惑いが感じられるが、それも無理はない。
コヅチさんと最後に会ったのは十年前――僕がまだ五歳の時だ。
しかも施設の子供たちには、『アロは死んだ』と伝えられていたらしいのだ。
コヅチさんは僕の姿に既視感を覚えているようだが、昔馴染みの知人だと確証を持てないのは当然だ。……いや、いつまでも再会を懐かしんでいる場合ではない。
ここは僕の方から自己紹介すべきだろう。
「ご無沙汰していますコヅチさん。僕は……」
「――アロ! やっぱり君はアロか!」
僕が自分の名前を口にする前に、コヅチさんの声が割って入った。
話を途中で遮るのは彼らしからぬ振る舞いだが、僕に不満があるはずもない。
僕の声を聞いただけで察してくれたのが嬉しいし……なにより、コヅチさんは僕の生存を心から喜んでくれている。
「アロ、生きていたのか……本当に、良かった」
実体を持っている事を確かめるかのように僕の両肩に手を置いて……コヅチさんは、瞳に涙を浮かべていた。
……正直に言えば、コヅチさんには迷惑ばかり掛けていたような気がしたので、これほど再会を喜んでもらえるとは思わなかった。
「……ありがとうございます。コヅチさんもお元気そうで良かったです」
僕の方も感激しつつ、なんとか言葉を返す。
実際、カーラから話を聞くまで彼が施設に残っているとは思っていなかった。
戦闘向けの性質ではない人なので部隊に入隊しているとは思えず、必然的に終末炉に送られたものと考えていたのだ。
世話役の交代など早々ある事ではないが、コヅチさんの出所時期と先代の引退時期のタイミングが上手く噛み合ったのだろう。
「私が施設に残っているのは褒められた事でもないが……」
コヅチさんはにかみながら自虐する。
彼が照れている要因は、おそらく施設の基本理念に起因しているものだ。
施設の子供は、部隊入隊を目指すことを前提に訓練を受けている。
だからこそ彼は、施設で世話役をしているという現状に照れているのだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、五十話〔炎上させないクレーマー〕




