三六話 開かれたバスルーム
バスルームの扉が開いた直後――中に充満していた蒸気が溢れ出した。
まるで試合の選手入場のような空気感。
実に十年振りの対面という事もあって、今更ながらに緊張してきた。
だが、ここまで来たら後には引けない。
心を決めて、勢いで押し切るのみだ。
「――――おや? そこの君は、もしかしてカーラじゃないか? いやぁ、こんなところで会うなんて奇遇だね。今はこの辺りに住んでいるのかな?」
街でばったり再会したかのように振る舞う僕。
ここがカーラの部屋の中という事は些細な問題に過ぎない。
そして、その子は固まっていた。
バスタオルを身体に巻いただけの姿。
濡れた髪から雫が落ちて床に染みを作っていても、気付いている様子はない。
大きな目が驚愕に見開かれているが、それでも彼女の容姿が芸術的なまでに整っていることは分かる。十年経っても見間違えるはずがない。
この子は、僕のもう一人の妹とも言える存在――カーラだ。
しかしカーラは僕の顔を見てから全く動かない。
「ほ、ほら覚えてないかな? 僕だよ、僕、僕。アロだよ」
忘れられている? と不安になったので執拗にアピールしてしまった。
なにやらオレオレ詐欺のようで怪しい感じになったのは否めない。
ちなみに――僕は施設の頃は『アロ』と呼ばれており、リスティは『リス』と呼ばれていたが、僕たちは武国に移住してから名前を変えたのだ。
「え、ええっと、ほら……カーラはリスと仲が良かったよね。そう、リスのお兄ちゃんのアロだよ」
段々自信が無くなってきたので、リスティを前面に押し出してのアピールだ。
しどろもどろになってきた事もあって、僕の不審者感は増すばかりである。
冷静になってみれば……僕は匂いで女の子の部屋を探り当てて、シャワー中にピッキングで忍び込んでいるという現状だ。
うむ、考えようによっては変質者のように思えなくもない……!
固まっていたカーラは、しばらくすると目にじわっと涙が溜まってきた。
――これはまずい。大声で『ポリスメーン!』と警察を呼ばれてしまう。
「お兄ちゃんっ!!」
僕が動揺で固まっていると――カーラが胸の中に飛び込んできた。
存在を覚えていてもらった事に安堵しつつ、懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。この子は昔から泣き虫な子だったが、十年経った今でも変わってないらしい。
「本当に、お兄ちゃんだ……。皆がお兄ちゃんは死んだって言って、リスちゃんもいなくなっちゃって、施設の皆も段々おかしくなっちゃって……」
言葉が止まらないように喋り続けるカーラ。
その涙声を聞いていると、胸が押し潰されそうなほどに苦しくなる。
突然親しい人間がいなくなるという恐怖。
当時四歳だった子供には、重過ぎるほどの不安だったはずだろう。
「ごめん……会いに来るのが遅くなって、本当にごめんね」
僕の声も、濡れていた。
年上として情けないが、カーラの心情を考えると苦しさが抑えきれなかった。
僕はぐすぐす泣いているカーラを優しく抱き締め、お互いの気持ちが落ち着くまで静かに体温を感じていた。
「ほら、カーラ。いつまでも泣いてたら駄目だよ?」
「……うん」
「それに年頃の女の子がそんな恰好をしてたらいけないよ。早く着替えないと」
「着替えようとしたらお兄ちゃんがいたんだもん……」
バスタオル姿のカーラに着替えを促すと、言い訳がましく不平を漏らした。
もちろん可愛い妹分であっても僕は甘やかしたりしない。
「おっと、言い訳はいけないな。ほらほら、早く着替えなさい」
カーラは「もーっ」と文句を言いながらも顔をふにゃふにゃ緩めている。
お兄ちゃんと再会出来たので怒られても気にならないようだ。
僕がやれやれと後ろを向くと、カーラは声を弾ませて喋りながら着替え始めた。
――そう、僕はデリカシーのある男なので着替えを凝視したりはしない。
「でもビックリしちゃった。お風呂から出たらお兄ちゃんがいるんだもん!」
「ふふ……部屋が汚れている気配がしたからね。綺麗好きの僕としては掃除に入らざるを得なかったんだよ」
「そっかぁ……お兄ちゃんと会えるんだったら、もっと前から部屋を汚しておけば良かったな……」
「っ……」
不意打ちの切ない言葉に、目頭が熱くなってしまった。
いかんいかん、頼りになる兄貴分として涙を気軽に見せるわけにはいかない。
「――お兄ちゃん、着替えたよ」
僕が心を落ち着かせていると、カーラの嬉しそうな声が背中から届いた。
どこか自慢げな声に疑問を感じながら振り向くと、その理由が分かった。
「おっ、それは部隊の軍服だね。うんうん、カッコ可愛いよ」
まだ支給されて間もないのか、その軍服には汚れどころか皺の一つもない。
神国で部隊の軍服は畏敬の対象となっているが、銀髪で顔立ちの整ったカーラが着ていると別世界の住人のような印象を受ける。
まだ軍服を着ていると言うよりは着せられているといった感が強いものの、幼かった妹分が立派に成長している姿には感涙を禁じ得ない。
「えへへ~っ、そうでしょ。この服がカッコ良いから部隊に入ったんだよ!」
う、うむ……なるほど。
制服が可愛いという理由で進学先の学園を決めたようなノリである。
部隊とはそんな理由で入隊出来るような場所では無かったはずだが、もしかしたらカーラはよほど有用な影を持っているのかも知れない。
神王への忠誠心は低そうなので、協力要請をする立場としては朗報と言える。
「カーラはね、明日が初任務なんだよ。なんか悪い魔獣をやっつけるんだって」
「おおっと、カーラ君。せっかくだけど、その仕事はもう終わってるよ。もう僕がやっつけちゃったからね!」
「ええ~っ、お兄ちゃんにカーラのすごいところを見せたかったのに……」
見せ場を奪われたカーラは悔しそうだ。
僕が魔獣を退治したという言葉を全く疑っていないのは地味に嬉しい。
しかしカーラの軍服は新品同様だと思っていたが、明日が初任務だったようだ。
そうなると……この街に部隊員が二人派遣されているというのも、古参部隊員がお目付け役としてカーラに付いている形なのかも知れない。
このカーラの調子からすると、部下である部隊衆が悪さをしている事も知らないのだろう。無知は罪という言葉もあるが、さすがに初任務で右も左も分からないようなカーラは責められない。
そして、これは僕にとって好都合だ。
どんな場所であれ長く居れば居るほどしがらみが増えてくるが、部隊の色に染まっていないカーラなら、仲間として引き抜くことも難しくない気がする。
「――――うんっ! カーラはお兄ちゃんと一緒に行くっ」
カーラの返事はまさに二つ返事だった。
最初から交渉が難航するとは思ってなかったが、軽く事情を話しただけで迷うことなく部隊を離脱することを宣言してくれた。
「そっか……ありがとうカーラ」
「えへへ~~っ」
頭をわしわし撫でてあげると、カーラは目を細めて溶けそうな顔をしている。
リスティに同じ事をやると『髪が乱れます』と冷たく言われてしまうので、この点は素直なカーラを見習ってほしいものだ。
「それじゃあ、まずは僕の友達と合流しようか。もう一人の部隊員について考えるのはその後だ」
感動の再会があったとしても、親友の存在を忘れてはいけない。
現在は宿舎が見える酒場で待機してもらっているが、僕の帰還が遅いせいで飲んだくれているかも知れないのだ。
神国では飲酒の年齢制限はないので法的には問題無いが、僕のせいで親友がアル中になってしまったら申し訳ない。
「お兄ちゃん、おじさんの事はカーラに任せてよ!」
カーラの言う『おじさん』とは、この階に宿泊している古参部隊員の事だ。
説得は不可能だと思っていたので戦闘を覚悟していたが、意外な事にカーラには説き伏せる自信があるようだ。
どうやらまだ見ぬガウスに対抗心を燃やしているようだが、ここは同じ部隊員であるカーラに任せてみるのも一つの手かも知れない。
明日も夜に投稿予定。
次回、三七話〔禁じられた説得術〕




