二十話 混濁する記憶
目を覚ました直後、違和感を覚えた。
ここは、僕の部屋ではない。
清潔感のある室内、仄かに漂う消毒薬の匂い。おそらくここは病院だ。
なぜ僕が病院で寝ているのかは不明だが、重しが付いているように頭が重い。
馴染み深い睡眠障害によるぼんやりとした感覚ではなく、眠り過ぎによる頭痛のような感覚だ。……こんな感覚は相当に久しい。
そして、急に――大事な約束を忘れて寝過ごしたような焦燥感に囚われた。
僕は大事な事を忘れている。だが眠りに就く直前の記憶が判然としない。
僕は何かに急かされるように身を起こす。
「――兄さん!」
ベッドから身体を起こすや否や、リスティが胸に飛び込んできた。
その肩は、小さく震えている。
「…………もう、目を覚まさないのかと」
胸の中から聞こえた声はくぐもっていた。
普段は超然としているはずのリスティの涙声に、僕の胸は締め付けられた。
リスティが、泣いている。
この子が泣くのは、初めてだ。
過去に僕が瀕死の重傷を負った時にも泣きそうな顔をしていた。だがそれでも、気丈なリスティは涙を見せることはなかった。
僕は張り裂けそうな気持ちを胸の内に抑えて、リスティを安心させるように頭を優しく撫でた。普段なら頭に触れられるのを嫌がるが、リスティは動かなかった。
――そして僕は考える。
リスティの言葉や自身の体調から察するに、僕は病院で昏睡状態に陥っていたらしい。だが、なぜそんな事になったのかが分からない。
僕は過去の記憶を一つずつ辿っていく。
僕たちは遠方に出掛けていた。首都から北に位置する武国の演習場だ。
やるべき事を終えて広場に集まり――そして、空に絶望を見た。
「……っ、ガウスは!? クラスの皆はどうなった!?」
僕の記憶は唐突に繋がった。
そして熟慮する余裕もなく、勢い込んでリスティに安否を問い掛けた。
目に涙を浮かべたまま僕から離れるリスティ。
その姿に罪悪感を覚える間もなく、リスティは意識を切り替えたように表情を消して淡々と答えた。
「ガウスさんは無事です。……あの場で形が残っていたのは、兄さんとガウスさんだけです」
ガウスの生存に喜びを覚えた直後、その後に続いた言葉が僕の心を奪った。
リスティの言葉の意味は明らかだ。
形が残っていたのは僕とガウスの二人だけ――つまり、クラスの友人たちや巨漢のおじさんたちは形を残していない。……一人残らず、死んでしまったのだ。
「……あの場で、何があったの?」
「神国が〔終末の槍〕を投下しました」
リスティの静かな声には激情が込められていた。
忌まわしい記憶を想起させる事を言わせてしまったが、これを確認しない訳にはいかなかった。空から落ちてくる物体を見た時点で予測はついていても、本来ならあってはならない事だからだ。
終末の槍――世界大戦末期に使用された大量破壊兵器であり、現在は国際法で使用が禁止されている兵器だ。
世界大戦後は、大国が戦争の抑止力として保有しているだけの兵器だった。
終末の槍を使ってしまえば報復として使われるという情況から、大量破壊兵器でありながら世界の平和にも貢献しているという歪な存在となっていた。
だが、神国は終末の槍を使った。
二度と使われないはずの、使われてはいけないはずの兵器が、使われた。
しかしそうなると不可解な事がある。
僕は演習場の真上にそれが投下されたのを見ている――つまり、直撃だ。
ならば、なぜ僕は生きているのか?
僕は終末の槍がどれほど圧倒的な破壊力なのかを知っている。……そう、実際にこの眼で見た事があるのだ。
国際法で使用が禁じられている兵器ではあるが、その全てが管理対象下に置かれている訳ではない。神国の王は自国内で〔終末の槍〕を使用し、施設の子供たちは槍の破壊力を目の当たりにした。
納税が遅れた――ただそれだけの理由で、一つの村が消滅させられた。
施設の子供たちにその様子を見学させていた事からも、槍の使用は見せしめの意味合いが強かったのだろう。
神王の不興を買えば同じ末路を辿ることになる、というメッセージだ。
かつて僕が目にした終末の槍。
その攻撃範囲は粛清対象であった村だけではなく、周囲に存在していたあらゆる物を同時に消滅させていた。
あれはどう考えても人間が耐え切れるような代物ではない。
僕やガウスは魔力抵抗が常人より遥かに高いが、それでも焼け石に水だ。
それに僕はフェリの召喚で魔力抵抗も落ちて…………そうだ、フェリは?
起き抜けに色々あり過ぎて失念していたが、そういえばフェリの姿が見えない。
慌てて病室を見回すと、果たしてフェリは棚の上に鎮座していた。
病院という事で気を遣ってくれているのか、縁起の悪そうな黒い靄ではなく黒球状態だ。クッションを下に敷いているので病室内のオブジェのようになっている。……あまりにも自然過ぎて気付かなかった。
荒んだ心を和ませながらフェリを眺めていると――不意に、思い出した。
最後の瞬間の記憶。
それは、僕が気を失う直前の記憶だ。
「フェリ、こっちに来てくれるかな?」
「…………」
僕が呼び掛けると、フェリは声を掛けられるのを待っていたように浮遊した。
フェリが寝ているという可能性も危惧していたが、どうやら僕とリスティの再会を邪魔しないように空気を読んでくれていたようだ。
ふわふわとこちらに近付くフェリに、僕は心からの感謝を込めて告げる。
「ありがとうフェリ。君のおかげで命拾いしたよ……本当に、ありがとう」
そう、僕はフェリに救われていた。
記憶が混濁していたので最初は思い出せなかったが、フェリを見ている内に最後の瞬間を思い出した。
僕はフェリの固有能力に救われた。
フェリのおかげで、僕ばかりかガウスの命も失われずに済んだことになる。
フェリにはどれほど感謝しても足りない。
僕の感謝の声に、フェリは困惑しているようにフラフラと揺れ動き――コツン、と僕の頭に球体を当てた。
それはなんとなく、『心配掛けるな』と言われているような気がした。
「そうでしたか……フェリ、私からもお礼を言います」
フェリのおかげで助かったと聞いても、リスティは驚いていない。
むしろリスティはどこか納得した様子だ。
本来なら槍の直撃を受けて生きていられるはずがないので、リスティはあらかじめフェリが何かをしたものと予想していたのだろう。
あり得ないことが起きたのなら、不確定要素であるフェリを疑うのは自然だ。
そしてフェリはリスティの言葉を聞いているのか聞いていないのか、ふわふわと飛行して――なぜか僕の頭にドスリと乗った。
ふむ……フェリが物質化している時に触ろうとすると怒られるが、自分から触れる分には問題無いらしい。セクハラされるのは嫌だが、セクハラするのはアリみたいなものだろうか?
この行為にどんな意味を込めているのかは不明だが、フェリには大変お世話になったので好きにさせておくとしよう。
リスティがフェリの行動に苛立っている気配はあるが、フェリは功労者なので大目に見てもらいたいものである。
明日も夜に投稿予定。
次回、二一話〔変わらない親友〕




