十二話 殺処分ゼロ
食卓では家族会議が開催されていた。
議題は言うまでもなく、新しい家族であるフェリの事についてだ。
「それはなんですか、兄さん?」
既にリスティにはフェリを紹介済みだ。
だからリスティが聞いているのはモヤモヤの正体についてではなく、『なぜ召喚したままでいるのか?』という事である。
そう、結局のところ――フェリは最後まで帰還に応じてくれなかったのだ。
一応は軍の人たちに相談して『異性体であればやむなし』と、特例の許可を貰ってはいる。貴重な異性体を消失させる訳にはいかないという判断なのだろうが……しかし、許可を得ているから構わないという問題ではない。
なにしろ学園からの帰路では、『僕はここにいまーす!』と言わんばかりの注目を集めてしまっているのだ。
背後に黒い靄が張り付いていれば、僕が悪目立ちしてしまうのも当然である。
リスティには〔目立たないように生活する〕と約束しているにも関わらず、この体たらくだ。これでは全く立つ瀬がない。
「リスティさん。これには事情があるんですよ」
バツの悪さから敬語になってしまう僕。
しかし尻込みしてばかりもいられない。
フェリが責められないように、巧みな弁舌で言い訳しなくてはならないのだ。
「小さな子供に留守番を任せて家を出ようとすると、不安になった子供が泣いてしまうことがある。そう、それと同じだよ。フェリは召喚したばかりの影だからね、まだまだ寂しがり屋なんだ」
幼い頃はリスティですら留守番を頼むと心細そうにしていたのだ。
さすがに気丈なリスティは泣くことは無かったが、少なからずフェリの心情に共感するものはあるはずだろう。
説得テクニックの一つとして共感や同情を得るというものがあるので、今回は巧みにそこを突いてみた形である。
そして更なる同情を引き出そうと弁舌を続ける。
「ほら、フェリが小さく揺れてるのが分かるかな? 耳をすませば聞こえてくるはずだよ。『寂しいモヤぁ……』と、泣いているフェリの声が……ぁぃだだっ!?」
不意に襲来する黒い闇。
僕が庇っているはずのフェリの攻撃によって、僕の言葉は途切れてしまった。
心情を暴露されたのが恥ずかしかったのか、僕の肩に強制マッサージを敢行してしまうフェリ。外部から僕を見れば、上半身が靄に包まれた状態で苦痛の声が聞こえてくるという有様だ。
不穏な絵面に動揺したのか、普段は冷静なリスティが珍しく焦った声を上げる。
「兄さん――!」
リスティの行動は迅速だ。
リスティはテーブルクロスをサッと抜き取ったかと思えば、自宅のボヤを消火するかの如くバタバタと布で叩いたのだ。
本来ならフェリには物理攻撃が効かないはずだが、リスティの消火活動を嫌うようにフェリは慌てて退避した。
――これには理由がある。
リスティはただの布で叩いたのではなく、自身の魔力を布に通していたのだ。
つまり、これは物理攻撃ではなく〔魔力攻撃〕だったという事だ。
恐るべきはリスティの判断能力だろう。
僅かな時間で特性を見抜いて効果的な攻撃を選ぶあたり、流石は自慢の妹だ。
この攻撃に欠点があるとすれば〔僕にもダメージがあった〕という事だが、可愛い妹の心遣いに文句など言えるはずもない。
無数の針が付いた布で叩かれたような痛みだったが、僕はこの程度で泣き言など言わない。純粋な痛みで比較すればフェリの攻撃より痛かった気もするが……いや、気のせいだ!
僕が「心配掛けてごめん」と告げると、リスティは一瞬だけ安堵の表情を見せるが、すぐに何事もなかったかのように表情を消した。
そしてリスティは不機嫌そうな声音で提言する。
「兄さ……いえ、召喚主に危害を加えるような影は処分すべきではないですか?」
僕が攻撃された事が腹に据えかねているらしい。
わざわざ『兄さん』ではなく『召喚主』と言い直すのが可愛いところだが、しかしその提案を呑むわけにはいかない。
「いやいや、これは完全に僕が悪かった事だよ。それにもうフェリは家族の一員だからね、何があっても離れる気は無いよ」
僕が軽率にフェリの心中を代弁したせいで怒らせてしまったのだ。
僕に責任があるのだから、フェリが責められるのは筋違いというものだろう。
当のフェリは、リスティを警戒するようにホワホワと天井近くで揺れている。
なんとなく柔らかい雰囲気になっている気がするので、無分別な僕を許してくれたような雰囲気だ。
これで全て丸く収まったかと思いきや、しかしリスティは収まっていなかった。
「影が反抗的な事も問題ですが……兄さん、弱体化してますよね」
リスティの指摘を受け、僕は言葉に詰まる。
これは痛いところを突かれてしまった……。
リスティの言った通り、僕が明らかに弱くなっているのは事実なのだ。
先程の消火活動的な魔力攻撃。
あの攻撃は、本来の僕なら軽くピリピリする程度にしか感じなかったはずだ。
だからこそリスティは遠慮することなくバタバタと攻撃していたのだ。
僕は痛みを顔に出してなかったつもりだが、鋭い妹には見抜かれたのだろう。
「うん……影召喚の魔力コストが意外と大きくてね。どうも身体強化に使ってる分も消費してるみたいだ」
人間は、無意識下で保有魔力の三割程度を身体強化に消費している。
残り七割の魔力は、そのほとんどが使えない死蔵魔力だと言われていた。
先のテーブルクロス攻撃のように、所持物に魔力を流す程度が限界だったのだ。
その定説を覆したのが、影だ。
従来では使い道の無かった七割の魔力。
影という存在は、死蔵魔力の消費を可能とした画期的な代物でもあるのだ。
影の召喚コストは、道具型で保有魔力の二割。
希少度が上がる生物型でも三割と言われている。
ガウスのような生物型の異性体ともなると召喚コストは段違いだが、それでも身体強化分の魔力まで消費するような事はない。
だがフェリは違う。
前例のない存在だけあって、その召喚コストも過去に類を見ないほど甚大だ。
正確な召喚コストは不明だが、身体能力が大幅に低下しているのが分かるのだ。
まず間違いなく、僕の保有する魔力の〔九割以上〕は消費しているはずだ。
僕の告白を聞いたフェリは、どこか戸惑っているように揺らめいている。
フェリ自身には、魔力を多く消費しているという自覚が無かったのだろう。
言うなれば、親が子供の前で『子供が大食いなので家計が厳しい』と言ったようなものなので酷い話ではある。
そこで、『気にしなくていいよ』という想いを込めて、僕はフェリの頭を優しく撫でた。もちろん気体のフェリには頭も身体もないので気持ちだけだ。
それでも僕の心情は伝わったのか、空気が柔らかくなったような感覚があった。
「……力が制限されるなら、尚の事処分すべきでしょう」
リスティはフェリの排除を諦めていない。
しかし、それも当然と言えば当然だ。
力を、影を得る為に、この武国で雌伏していたのに、逆に僕は弱体化しているという有様である。影を手放して力を取り戻すべき、というリスティの意見は分からなくもないのだ。
だが――僕を甘く見てもらっては困る。
僕は純粋な武術であれば誰にも負けた事がない。
身体能力の低下が大きなハンデとなることは確かだが、それでも並大抵の相手には引けを取らない自信がある。
ここは論より証拠だ。
僕の力をリスティに証明してみせよう。
僕はフェリを撫でながら機を窺う――
――――無拍子。
予備動作もなく、唐突に僕は動く。
そのさりげない動作は、無駄な動きを極限まで削ぎ落としていた。
さながらそれは空気の流れ。
空気と一体化したような僕の手は、油断していたリスティへと襲い掛かった。
「……頭に触るのは止めてください。髪が乱れます」
そう、僕の手はリスティの頭を撫でていた!
これでリスティは武術の達人なので不意を突くのは難しいのだが、僕の手に掛かればこの通りだ。リスティは口で言うほど嫌がってないので進んで受け入れた可能性は否定できないが、それでも僕の技術に衰えがないことは伝わったはずだ。
だが、僕の力を示しただけでは不十分だ。
「リスティ、フェリは既存の影では及びもつかない力を秘めてると思うよ。もう少し様子を見てくれないかな?」
僕の力が制限されたことは誤算だったが、フェリはそれを補って余りあるほどの能力を秘めていると僕は確信している。
もちろん有用な能力を持っていなくとも、フェリを見捨てるという選択肢は存在しない。一度友誼を結んだ相手を、こちらの勝手な都合で切り捨てるような真似はできない――『目指そう、殺処分ゼロ!』
いずれにせよ、ここは時間を稼いでおくのがベストだ。
しばらくフェリと一緒に過ごしていれば情が移るはずなので、『レッツ処分!』という過激思想も自然に霧散するはずだろう。
「…………」
僕の擁護に対して、フェリは『当然』と言いたげにボワボワしている。
その様子からは、本当に有益な能力を持っているのかどうか窺い知れない。
僕に折れる気がないのを悟ったのか、リスティは諦めたように息を吐く。
「……分かりました。今はここまでにします。ですが、今の兄さんであれば私でも殺せるという事を忘れないでください」
どうやらまだ処分を諦めてない様子だ。
だが僕の身を案じているが故の言葉だと思えば、僕もこれ以上の事は言えない。
ここから先は、僕たちのコンビが無敵だと実際に示していくしかないだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、十三話〔立ち込める暗雲〕




