十一話 疎通する意思
無事に影を召喚したとなれば、次にすべきは影の能力の報告だ。
この国、武国の人間として影召喚を行ったのだから、軍に能力を報告することは当然の義務となる。……と言っても、僕からフェリの能力について説明出来ることは少ない。
なにしろ肝心の僕がよく理解していない。
気体でありながら物理干渉が可能という事しか分からないのだ。
これが一般的な影であれば、召喚者は能力を自然に把握出来るものらしいが、僕の影は異性体だ。魔力的に影と繋がっているという感覚はあっても、フェリの特性や能力については分からない事だらけだ。
考えてみれば――召喚した直後、黒い靄の正体が把握できなかった時点で異性体だと気が付いて然るべきだった。
召喚自体が初体験な上に、怪しげなモヤモヤが出てきたので動揺していたのだ。
異性体の能力が判然としないことについては、軍の人間も承知している。
現時点で分かっている事だけを伝えて、今回の軍への報告は終わりだ。
軍の人間は最初から最後まで丁寧な態度を崩さなかったが、今後は僕やガウスが国の監視対象下に置かれる可能性は高い。
異性体の持つ力の大きさからすれば無理からぬところであるし、僕はこの国に好意的な感情を持っているので不愉快な話ではない。
ただ……僕は将来的に、他国で違法行為をする予定があるのが問題だ。
武国に迷惑を掛けない為にも、何らかの対策を練っておく必要性はあるだろう。
「――やっぱりアロンも異性体だったか」
友人たちの元へ戻ると、開口一番に言われた。
異性体の希少性から考えれば予想出来るものではなかったはずだが、ガウスは僕が異性体を得ることを想定していたらしい。
当たり前のようにメガネ君とモブ君の輪に加わっているというコミュ力に感心しつつ、僕はガウスに言葉を返す。
「最高のパートナーを得られて光栄だよ。ガウスはもう猫に名前は付けたの?」
僕の背後でもわもわしている相棒を見やりながら喜びを告げると、フェリはふるっと微かに揺らめいた。……照れたのだろうか?
そして僕の相棒自慢に触発されたのか、ガウスの方も誇らしげに口を開く。
「ああ、こいつはシュカだ」
ガウスが手を伸ばすと、黒猫も応えるように手に鼻を押し付けている。
しかしこのシュカ……召喚直後からそうだったが、パートナーであるガウスに随分と懐いているようだ。僕は自分の影に攻撃されていたというのに、同じ異性体でも親愛度に大きな差があるらしい。
僕が内心で世の不条理を感じていると、モブ君が僕らの会話に入ってきた。
「へへっ、アロン=エルブロード。どうやらハズレを引いたみてぇだな!」
むむっ、これはいけない。
傍目にはただの気体とも見えるせいなのか、フェリが過小評価をされている。
しかもモブ君は知らない間に影を再召喚したらしく、カマ吉のカマをヒュンヒュン素振りさせて得意満面の様子だ。
察するところ、フェリよりカマ吉の方が優秀だとアピールしているようだ。
モブ君がカマ吉を気に入っているのは分かるが、僕としては自慢のフェリを安く見られて反論しない訳にはいかない。
しかし、僕が抗弁する前にフェリが動く。
モブ君の暴言に腹を立てたのか、カマ吉の素振りを挑発行動と受け止めたのか――漆黒の靄がカマキリを包み込む。
「カ、カマ吉……?」
モブ君が不安そうな声を上げて間もなく、暗黒の雲が緩やかにその場を動いた。
そして……そこにカマ吉の姿は無かった。
突然の消失。白昼の神隠しである。
影という存在は、許容限度以上のダメージを受けると消失する性質がある。
僕がフェリに攻撃された時には靄の密度を高めて圧縮している気配があったが、同じ要領でカマ吉も圧殺してしまったのだろう。
初代はシュカの尻尾アタックで消され、二代目もフェリによってお役御免だ。
モブ君のカマ吉も決して貧弱ではないと思うが、どちらも相手が悪かった。
しかし、これで全てが終わったと油断するにはまだ早過ぎた。
「ぅうわぁっっ!?」
悲鳴の主はモブ君。
そう、フェリはカマ吉を消失させただけでは溜飲を下げていなかった。
尻餅をついているモブ君に、全てを呑み込むような暗闇が襲い掛かる――
「――駄目だっ!」
僕の声にフェリが静止した。
モブ君を軽く痛めつけるつもりだったのか殺害するつもりだったのかは分からないが、これ以上は看過できない。
モブ君は影を手に入れたばかりで気が大きくなっていただけなのだから、この程度の事で危害を加えてはいけない。
そしてなにより、友達の身体を傷付けるような真似は許されないのだ。
「フェリ、僕の友達に危害を加えては駄目だよ」
「ア、アロン……」
モブ君からの感激の声に、僕の方も思わず目頭が熱くなってしまう。
空気の読めないガウスが「モブの両手折ったのはアロンだけどな」などと茶々を入れてくるが、もちろん耳から耳へ素通りだ。
しかしこの成り行き。
よくよく考えてみれば、僕の影が襲い掛かろうとしていたところを、召喚主である僕が制止したという結果である。
僕が制止して感謝されるのはマッチポンプというやつではないだろうか……?
素直に喜べない状況に頭を悩ませていると――ふと、違和感を覚えた。
さっきからフェリが全く動いていない。
正直に言えば僕の指示を素直に聞いてくれるかどうかも不安だったが、予想以上に制止の言葉が効いているらしい。
――いや、違う。
これは指示に従っているというよりは、消沈しているような印象を受ける。
そして、そう感じた瞬間――僕は途轍もない罪悪感に襲われた。
まだフェリは召喚されたばかりの身だ。
そう、多少非常識な行動を取ったとしても責められない事なのだ。
それなのに僕ときたら『ここは左側通行だよ!』とばかりに、何も知らないフェリにこちらの常識を押し付けてしまった。
「ごめんね……強く言い過ぎたよ」
僕は矢も盾もたまらずフェリに頭を下げた。
こちらに非があるのだから誠心誠意を込めて謝罪するのは当然の事だ。
謝罪を受けたフェリは、反応に困っているかのようにフヨフヨと揺れている。
こんな時に相手の言葉が分からないのはもどかしいが、僕の謝罪を受け入れてくれていることを願うばかりだ。
それでも、これだけは伝えておくべきだろう。
「でもねフェリ、頭を攻撃するのは止めた方がいい。何かの間違いで死んでしまったら大変だからね、手や足を狙う方がいいと思うよ」
経験者は語る。
僕が頭部を締め付けられている時には、頭蓋骨が砕けるのではないかと心配だった。結果的に僕は大丈夫だったが、それでも人の肉体強度には個人差がある。
人によっては『ぐちゃっ』となってしまう可能性は否定できない。
万が一の事態を考慮すれば、砕いても命に別状のない手足を狙う方が安全だ。
「…………」
僕の言葉を『ふむふむ』とばかりに揺れて聞いているフェリ。
そしてややあって、一陣の突風が吹いたように――モブ君に襲い掛かった!
「ウェーィト! だ、だめだよフェリ」
今後の注意をしたつもりが、早速モブ君の身体で実践しようとしている……。
これではまるで僕の意思でモブ君を襲わせたかのようである。
「あっ、あ……」
漆黒の靄はモブ君の眼前で停止している。
うむ、間一髪のところで『ウェイト!』が間に合って幸いだった。
しかし……気のせいか、モブ君が僕を見る目には恐怖の色がある気がする。
もしかして、僕がフェリをけしかけたと誤解しているのだろうか……?
ノリノリで『ウェーイ!』と襲っていたわけではないのに……!
「――おいアロン、そろそろ影を戻しておけよ」
友人が窮地を脱したことに安堵していると、ガウスからの声が掛かった。
言われてみれば、もうクラス全員の影召喚が終わりつつある。
ガウスは僕に注意を促した後、自分の影に触れたまま命令を下す。
「シュカ、戻れ」
「ニャ」
主であるガウスの言葉を受け、黒猫は一声鳴いてその場から消失した。
通常の影であれば召喚主の意思で帰還可能だが、異性体の場合は影の意思で戻る必要があると聞く。……自分の存在が消えることが不安ではないのだろうか?
シュカには抵抗感が全く無かったので、もしかすると身体は消えても意識だけは残っているという状態なのかも知れない。
さて、僕もガウスに倣っておくべきだ。
影は兵器でもあるので、決められた場所以外での召喚は認められていない。
この部屋には軍が駐留しているので問題無いが、フェリを召喚した状態で部屋を一歩でも出れば罰則を受けることになるのだ。
国に申請して許可が下りれば影召喚の許可証が交付されるが、影を得たばかりの僕が許可証を所持しているはずもない。
「フェリ。カモン、マイボディ!」
勢いよく帰還要請を出してしまう僕。
うむ、ガウスとシュカのやり取りが恰好良かったので対抗してしまった。
「…………」
しかしフェリはピクリとも動かない。
言葉の意味が伝わらなかったのだろうか?
「フェリさんフェリさん、ここはひとつ僕の身体に戻ってくれるかな?」
僕は少しだけ冷静になり、今度は打って変わって丁重にお願いしてみる。
ちょっと偉そうに命令したのが気に食わなかったのかも知れないと考えたのだ。
「…………」
だが下手に出てお願いしてみても、やはりフェリは微動だにしない。
僕の言葉が聞こえていないように無反応だ。
これは困ったな……。
フェリは気体なので〔本当に聞こえていない〕という可能性が捨て切れない。
そもそも今までどうやって音声を認識していたのか、という話でもあるのだ。
よし、ここは一つ試してみるか。
僕は小声でぼそりと呟く。
「…………モヤ次郎」
フェリの変化は劇的だった。
帰還のお願いには無反応だったのに――爆風の如く襲い掛かってきたのだ!
僕の上半身に取り憑いたフェリ。
しかし召喚したばかりの時のように、頭を締め付けられたりはしなかった。
先のモブ君の一件で『頭を攻撃するのは止めた方がいい』と注意したのが効いたのか、代わりとばかりに肩を攻撃している。
「あががっ……」
もちろんその攻撃力は高い。
肩を圧迫するように締め付けているが――『お客さん、肩凝ってますねぇ』というマッサージ的な優しさはなく、むしろ『絶対に砕いてやる!』といった害意を感じさせるものだ。
どうやらよほど『モヤ次郎』と呼ばれるのが我慢ならないようだ……。
明日も夜に投稿予定。
次回、十二話〔殺処分ゼロ〕




