古老の森
どうも、誠義です。
今回は前回とは違い、ちょっと長くなっておりますので、お暇な時に読んでもらえたらなと思います。
では、お楽しみください。
「この先が古老の森です。」
マリアが指差す先には木々が鬱蒼と茂る森が見えるのだが…。
「なんか、普通の森じゃないか?
ここまでだってモンスターの一匹も出てこなかったし、一時間のハイキングコースだったぞ?」
イメージとしては森に入るとモンスターに襲われ、俺が必死に戦い、苦戦しつつも先に進んで行くのを考えていたんだが、現実はただ怪我をしないように気を付けつつ、たまに小動物に癒される楽しいものだった。
「望さんは分かってないんです!」
なんかこの子、キャラ変わってない?
宿でのことといい、今の強い言い方といい、もっと優しい子だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「古老の森は周りに結界が張られていて一見するとただの森にしか見えませんが、中に入ると駆け出し冒険者では手に負えないモンスターがうじゃうじゃいるんですよ。
油断すればすぐあの世行きです。」
その言葉に望は生唾を飲み込み、来たのは間違いかもしれないと後悔で頭がいっぱいになってきた。
思わず、腰の剣に手が伸びる。手汗が凄いのが分かる。
自分は今、命を簡単に奪える道具を使おうとしているのだ。それなのに何の覚悟もしていない。
そう考えると、柄を握る手がスッと離れてしまう。
いくら魔物や魔族だからって殺していいものか、俺には分からない。
「望さん?」マリアの心配そうな声で現実に戻される。
「どうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ。行こうか。」
「ダメです。」
「えっ?」今、なんて言った?
「私はこの森には入れません。」
えぇぇぇぇ!!!!嘘だろ…⁉︎俺に、この森に一人で入れって言ってるのか?
「ど、どういう意味なんだ?」
「戦えない私が行っても、足を引っ張るだけですし、もしかしたら、私のせいで望さんが…。そう考えるだけで、恐くて、足が竦んでしまうんです。」
「マリア…。」
そうだよな。この子も俺と同じで戦えないのに、勇気を振り絞ってここまで来たんだ。
それなのに俺は、迷ってばかりで…ここは俺の世界じゃない。だけど、現実なんだ。
迷ってる場合じゃない。相手は、魔物なんだ。戦わなければ、何も守れないんだ。
望の手がマリアの頭にポンと乗せられる。
「望さん…?」
「マリアは足を引っ張ってなんかないよ。寧ろ助けられてばっかだ。
だからさ、一歩、踏み出してみないか?
ここまで来たからには、一緒にみんなを助けようぜ!」
「はいっ…!」
マリアは目に涙を浮かべながらも、決意を宿した瞳で、望に頷いた。
森に足を踏み入れた瞬間、何かが体を突き抜けるような感覚があった。多分、今のが結界なのだろう。
この結界のおかげで魔物は森からは出られないらしいが、一歩、森に足を踏み入れると…。
ここまでの道中でマリアが教えてくれた。
外から見た時はおかしい様子は無かったのに、森の中は異常に暗く、冷たい空気が肌を刺す。
「本当に全く違うんだな。まるで別世界だ。」
「そうですね。この森が持つ闇の魔力で太陽の光も届かないし、生命の光も奪われるらしいですよ。」
「生命の光?」またファンタジーな言葉が出てきたな。まぁ異世界ものにはよくあるから仕方ないか。
「え〜と、体温だとか嬉しい、楽しいといった人が持つ明るい感情のことらしいです。」
「へぇ〜。また一つ勉強になったよ。」
しかし、魔物の気配というか姿が全く見えないのはどういうことなんだ。
入ってすぐに襲われると思っていた二人はなんだか拍子抜けな感じで歩みを進める。
「もっと敵がいると思ってたんだけど、どういうことなんだ?」
「私にも分かりません。でも、これはラッキーですよ。
このまま何事もなく、無傷で進めるなら、願ってもないことですね。」
「確かにそうだな。」フラグにしか聞こえないけど…。
周りに気を配りつつ、暗い森を進んでいると、木に傷があったり、草が踏み倒されていたり、明らかに何か通った跡を見つけた。
「まだ新しいですね。人の足跡もあります。」
「よくそんなの分かるな。」
「父に連れられて、鹿やウサギを狩りに出かけるもので、自然と身に付いちゃいました。」
可愛い声と笑顔で、すごいこと言うなぁ。これがこっちの世界では普通のことなんだろう。
「足跡は…多分こっちに進んでます。」
そう言うとマリアは足跡と同じ進行方向に歩き出し、俺も後に続くが何かの視線を感じ、後ろを振り向く。しかし、辺りには人影はおろか生き物すらいなかった。
「何も…いない?」気のせいだったのか?
気を取り直して、先に進もうとするが、マリアの姿が見当たらない。
「マリア?どこに行ったんだ?」
そんなに進んでないはずのマリアは完全に消えていた。
「嘘だろ…これ、マズくないか?」
マリアは武器の一つも持っていないのだ。
「マリアーー!!」
危険だと分かりつつも、彼女の名前を大声で叫ぶ望。反応はない。
「クソッ!」
マリアが進んでいた方向へ走り出す望は必死に名前を呼ぶ。しかし、周りには人影はなく、あるのは気味の悪い形の木だけだ。
クソッ!俺はマリアを守らなきゃいけないのに、何やってんだ!
暗く、霧が立ち込める森を突き進む望は、突然の悲鳴で足を止める。
「今のは…マリアか?」
考えていても仕方ない。そこへ向かうだけだ!
「確か、こっちの方から…あれはっ!」
叫び声のした方向へ進んだ望が見たものは魔獣に襲われる少女の姿だった。
「やめろーー!!!」
腰の長剣を抜くが、鉄の塊は予想以上に重く、走りながらだとバランスを崩しそうになる。それでも、息の続く限り、走り、剣を振り上げる。
魔獣との距離は1メートル程に縮まり、その姿を捉えられるまでに近づいていた。
鋭い爪と肉を切り裂く牙、緑色の瞳は気味の悪い輝きを放っている。体長は2メートル近くあり、黄色の体毛が生え、姿はトラに似ている獣だった。
魔獣は大きな口を開け、望を嚙み殺そうとしている。口から垂れる生臭い涎が鏡のように望を映し出し、空中を漂っている。
「こんのぉぉぉ!!」
振り上げた剣を力の限り、振り下ろす。それは魔獣の顎を砕き、肉を引き裂いた。それと同時に、奴の血液が望に吹きかかる。
呻き声を上げ、悶える魔獣は地面に血液を撒き散らせている。
暴れる魔獣から少女を守るために、彼女の元へ駆け寄る望。
「大丈夫か?」
その少女は、赤い髪に赤い瞳、どこかで見たことがあるような子だった。
「コイツはなんとかするから、君は離れてるんだ!」
少女を守るように前に立ち、剣を構える望。
魔獣も諦めていないようで、こちらを睨みつけている。その鋭い眼光だけで殺されそうだ。
でも、俺は殺される気はないんだ。
「来いよ!死ぬのはお前だ!」
言葉が分かっているのかは分からないが、黄色の体毛を逆立て、木の幹のような太い前足に力を込めているようで、地面が深く抉れていく。
あんな足が当たったら、ただじゃ済まないだろうな…。
さっき切り裂いた顎が皮一枚で繋がっているらしく、ぷらぷらと揺れていて、思わず吐き気を催してしまう。
その一瞬だった。地面が少し揺れたかと思うと、奴が空中を駆けているところだった。
まずいと思った瞬間、俺の体は何者かの体当たりにより、バランスを崩し、その場に倒れ込んでいた。
突然のことで何が起こったのか分からなかったが、倒れた瞬間、丁度、剣先が真上を向くような形になり、そこへ魔獣が飛び込んでくる。
魔獣の腹に剣が食い込み、肉を斬り裂き、血が降り注ぐ。血のシャワーを浴びた俺の気分は最悪だ。
空中で腹を斬り裂かれた魔獣は地面に落下し、転がって、動かなくなる。
望はそれでも気を緩めず、すぐに起き上がり、動かない魔物に剣先を向ける。
「…死んだのか?」
そう言いながら、顔に付いた血を手で拭き取る。鉄臭さが鼻を刺激する。
動かないのを確認し、剣を下げる望。そして、自分に体当たりした犯人に手を差し出す。
「君のお蔭で助かったよ。ありがとう。」
少女も血を浴びていて、赤い髪と白い肌が赤く染まっている。
素っ気無い態度の少女は望の手を掴み、立ち上がる。その時、少女が目を見開き、「危ないよ?」と抑揚のない声で言う。
「えっ?」
後ろで唸り声が聞こえ、巨大な何かが動く音がする。望は後ろを振り向くと倒れてたはずの魔獣が起き上がり、こちらに近づいて来ているのだ。そして、鋭い爪で切り裂こうと腕を振り下ろしてくる。
「まずいっ!」
望は少女を庇うように立ち、魔獣の一撃を剣を盾にして受け止めようとする。
その一撃は重く、受け止めた剣は大きくしなり、金属の悲鳴を上げ、砕けてしまった。そして、今まで戦闘経験など無い人間がいきなり強くなれるはずも無く、呆気なく吹き飛ばされてしまう。
地面に叩きつけられ、衝撃が体を貫き、痛みで何も考えられなくなる。
頭が真っ白になって、視界がぼやけて来る。
奴がゆっくりとこちらに近づいて来る。どうやら、腹の傷はそこまで深く無く、致命傷にはならなかったのだろう。
もう終わりなのか…俺はここで死ぬのか…。
クソッ…諦めて、たまるかよ…!
不思議なことに恐怖や痛みは消え、死にたくない、その感情しか俺にはなかった。
砕けた剣を支えにゆっくりと起き上がり、魔獣を睨みつける。
魔獣はそんな俺に向かって、威嚇なのか「グオォォォォォォォ!!!」と唸り声を上げている。
その時、小石が投げられ、魔獣に当たり、奴はゆっくりとそちらに振り向く。
「何やってんだ⁉︎逃げろ!」
望の声が届いてるにも関わらず、少女は動こうとしない。
恐くて動けないのか?間に合ってくれよ!
望は走り出すが、戦いの緊張とダメージのせいか思ったように足が動いてくれない。
魔獣は少女に近付き、鋭く巨大な爪を振り上げる。少女はその姿をただ睨みつけているだけだった。
「やめろーーー!!!!」望は手を前に突き出し、止めようと必死に叫ぶが、奴が動きを止めるわけがない。
俺は、夢と同じで助けられないのか?
この世界は現実で、実際にここにいるのに何もできないのか?
そんなの、絶対に…嫌だ!
その時、ズボンのポケットが黒い光を放ち、望を包み込む。
「何だこれ…力が溢れてくる…!」
「あれは、魔石⁉︎」少女は驚いた声を上げ、望を見ている。
魔獣も魔力を感じたのか望を睨みつける。
体が軽い、力が溢れて…これなら、殺せる!
望が一歩踏み込むと姿が一瞬で消え、次の瞬間、魔獣の片腕が斬り飛ばされ、傷口からは血液が噴き出す。
魔獣は呻き声を上げながらも、もう一方の腕で望を叩き潰そうと、鋭い爪が望の頭上に振り下ろされる。
肉が裂かれる音と同時に空中は赤く染められ、重い音と共に、腕が転がる。
「これで、止めだーーーー!!」
望の手には短剣と砕けて刃が半分になった長剣が握られている。
彼は折れた剣を魔獣の腹部の傷口に突き刺し、心臓に向かって斬り裂くと、短剣で同じ所を更に斬り裂いた。
そして、折れた剣を手放すと短剣を両手で構え、叫びながら魔獣の心臓に突き立てる。
「グアァァァァァァァァ!!!!!!!」
魔獣は断末魔を上げ、巨体が地面に倒れる。それと同時に、全身が赤黒く染まった望もゆっくりと仰向けに倒れていく。
地面に倒れた瞬間、望の意識は遠退いていった…。
倒れた彼を赤髪の少女は不思議そうに見つめていた。
「魔石の力を取り込んで、まだ息があるのね。気を失ってるだけみたいだけど。もしかして、この人、人間じゃないの?」
「いんにゃ〜。そいつは人間だよ。ただ、普通の人間とは違って、かなり特殊な人間みたいだにゃ〜。」
空中が歪んで霧がかかったかと思うと、それは気味の悪い色の猫に姿を変え、少女の周りをぷかぷかと浮きながら、喋り始めた。
「はぁ…。それ、どういう意味なの?変な猫の次は変わった人間か…。私って変なものに憑かれる体質なのかな…。」
「おい、変な猫ってのは俺のことかぃ?」
顔のすぐ側まで来て、猫はそう言う。全く…鬱陶しい猫。
遠くで獣の声が聞こえ、森が騒がしくなっていく。
「今の声は…。望さんとははぐれるし、ここがどこなのかわからないし…。
もしかしたら私、ここで死ぬのかな…。」
望とはぐれてしまったマリアは、森を当ても無く彷徨い、迷子になっていた。
どれだけ歩いただろうか、同じ所をグルグル回っているように感じる。
「歩き疲れて、もう動けないよ。」
その場に座り込むマリアは両親のことを思い出していた。
「お母さん、お父さん。私だけじゃ、助けに行けないよ…。」
その時、目の前の草むらがガサガサと揺れ始め、何かがこちらに近付いてるのがわかった。
「な、何?もしかして、魔物?」体がガタガタと震え始め、涙が零れ落ちてくる。
も、もうダメ…。そう考えた瞬間、草むらから腕がニョキッと現れた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!」
マリアが思わず叫ぶと、腕の主も驚いたのかビクッと震えて、慌てて草むらから出てくる。
「な、何だ何だ⁉︎何の騒ぎだよ!」
「に、人間…?」
そこには男の子がいるだけだった。
白いシャツの上に暗緑色のベスト、焦茶色のマントを羽織って、黒いズボンと皮製の靴を履いた少年だった。その少年は腰に剣を隠すように持っていて、背中には盾も背負っていた。
「そうだよ!魔物に見えるのか?ったく、驚かせんなよ!」
「ご、ごめんなさい…。」
「何泣いてんだよ?」少年はそう言いながらマリアに手を差し出し、手を掴めと促している。
ちょっと偉そうだなと思いながらも親切心に甘えて、手を掴むマリア。
少年はマリアを立ち上がらせるとニッと笑いながら、自己紹介を始めた。
「俺はユート。ユート・オラシルって言うんだ。お前の名前は?」
「マリアです。よろしくお願いします。」
「マリアか。よろしくな。」
そう言って笑う彼を見ていると、不思議と気持ちが安らいでいく。
「ところで、マリアは何でこんなとこにいるんだよ?この森は危険なんだ。
戦えないぐらい弱いなら、早く逃げたほうがいいぞ?」
やっぱり、前言撤回です。安らぐどころか、偉そうでイライラします。
「あ、あなたこそ何故ここにいるんですか?しかも一人でなんて危ないですよ。」イライラが出てしまっているのか口調が刺々しくなるマリア。
「え?マリアだって一人だろ?それに俺は冒険者だ!一人でも全然平気だ!」
彼が冒険者?見たところ私と同い年、14、5歳にしか見えないけど…。
本当に冒険者なのかしら?
「私は連れがいるんですけど、途中ではぐれてしまって…。
ユートさんは見ていませんか?長剣と短剣を持った男の人なんですけど?」
「いや、俺は見てないよ。それより、ここを離れたほうがいい。
さっきの声聞こえたろ?きっと何かでかい化け物だ。俺が様子を見てくるからお前は早く森を出ろ。」
「なんですかそれ!私もこの森には用があるんです!あなたの指図は受けません!」
「美味ソウナ、餌ガキタ…。」「喰ウ」「喰ウ」「喰ウ」
地面を震わす声を聞き、騒がしく喧嘩していた二人は動きを止める。
「今の…何?周りには何もいないよ?」
「森の奥から聞こえたような気が…。」
その時、周りの木々がざわざわと騒ぎ出し、動いてるように見えた。
「な、何だこれ⁉︎まるで、森自体が生きて動いてるみたいだ!」
また声が響いてくる。
「鮮血」「魔力」「生命」「食ウ」「オ前タチノ魂、喰ワセロ。」
その声は、大地を空気を木々を震わし、あちこちから聞こえ、何人もの人が一斉に声を出しているような感覚に近かった。
だが、そこにいるはずの姿は全く見えず、敵が何人いるのかも分からない。何故なら、聞こえてくる声は同じ声だからだ。
そして、二人は敵の姿を見た。その巨大な影を…恐ろしい力を…醜く、禍々しい姿を…。
それを見た瞬間、逃げるしかないと思い、二人はその場から走り去った。
あれには、勝てない…ユートはそう思い、逃げることしか出来なかった。
誰かが助けを呼ぶ声が聞こえる。この声…どこかで聞いたような気がする。
何で俺に助けを求めるんだ?他の誰かにしてくれよ。
俺はもう人と関わりたくないんだ。お願いだからやめてくれ…。
「やめろ!」俺はその言葉と共に目が覚めた。
それと同時に全身に酷い痛みが走り、もう一度、意識が飛びそうになる。
「起きたみたいね。うなされてたけど、酷い夢でも見たの?」
俺は体の痛みに耐えながら、薄っすらと目を開けるとぼやけた視界の向こうにさっきの赤髪の少女が見える。
「君はさっきの…。」起き上がろうとして、再び痛みが走る。
「まだ動かない方がいいよ。魔石を取り込むなんて、随分と無理するね。」
「魔石…。」先程の戦闘が思い出される。
「あれは、無我夢中で…。君は怪我は無かった?」
少女はキョトンとした顔をこちらに向けている。
「自分がそんな状態なのに他人の心配?私は大丈夫だよ。」
「それならよかった。そうだ!俺が寝てる間、声が聞こえなかったか?助けを呼ぶような。」
「聞いてないわ。あんたは?」
「俺かぃ?聞いてても教えねぇよ。めんどくせぇ。」様々な色の絵具をぶちまけたような気味の悪い猫が宙をふわふわと浮かびながら答えている。
「聞くのは無駄だったみたいね。ごめんなさい、分からないわ。」
「そうか…って猫が喋ってるんですけど⁉︎色気持ち悪っ!!」
「喧嘩売ってんのか人間!動けねぇ体にすんぞ!」
「やめなさい、ブサイク。」
「…直接的だにゃ、おい。」
なんなんだコイツら。もしかして魔物か?片方は絶対そうだろ。
目の前で繰り広げられる不思議な光景に、ここはファンタジー世界なんだと改めて思い知らされる。
その時、遠くの方から叫び声が聞こえてきて、目の前の言い合いはピタリと止む。
「聞こえたか?」望の問いに赤髪の少女はコクリと頷く。
「めんどくさいしぃ、関わらない方がいいんじゃにゃいか?」
「あんたねぇ。」
さっきと同じ調子で猫と言い合いを始めようとする少女は、青年が痛みに堪えながら、立ち上がろうとするのを見て、驚きのあまり、彼を止めようと腕を掴む。
「ちょっと何してるの?そんな体で動けるわけないでしょ!」
「でも…行かなきゃ、ダメなんだ。きっと、あれが…夢で、俺を呼んでた声…なんだ。
だから、助け…ないと。」
無理をして動こうとしたせいで、意識を失い、望は倒れてしまった。
「はぁ…何よそれ。」
そう言うと少女は、彼の側に座り、白い太股に彼の頭を乗せた。
「ねぇ、この人はここまで傷付いてるのに、どうして誰かを助けようとするのかしら?」
「それを俺に聞くかねぇ。まぁ、人間ってのが好きにゃ俺が言えることは、こいつぁ誰かの為に戦えるいい人間ってことだけだにゃ。もしかして、そいつに興味が出てきたのか〜?」
猫は少女の目の前まで来て、望と少女を交互に見ながら言う。
「かもしれないわね。」
そう言うと、少女は彼の短剣でその喉元に傷を付けた。そして、溢れてくる血液を丁寧に、丁寧に舐め取っていく。
唾液が糸を引き、少女の息遣いが首筋を伝う。
紅く染まる頬が少女ながら、妙にいやらしさを引き立てている。
やがて、血が止まると、彼の首から口を離し、唇をペロリと舐める。
「ごめんね、お兄ちゃん。これであなたは私のモノ。」
夢の中、白い光…温かくて優しさに満ちた光が俺に語りかけて来る。
「この世界を救う為に呼ばれた異世界の者よ。勝手だが、アイを頼む。
世界を、あの子を守ってやってくれ。」
ふわりとする感覚と柔らかい感覚に俺はゆっくりと目を開けた。
目の前には透き通るような白い肌と赤らんだ頬、潤んだ瞳ときらきらしている唇がやけに色っぽく、赤く美しい髪の少女がそこにいて、俺はその子に膝枕されている。
「膝枕?…って、この状況なんですか?」
一気に顔が赤くなり、嬉しい状況ににやけてしまう自分がいる。いや、決してロリコンではないのだが…。
その問いに満面の笑顔で少女は答えた。
「おはよ。お兄ちゃん。」
「えっ?お兄ちゃん⁉︎」
「他の呼び方が良かった?あなた?ご主人様?」
「いや、そういう意味じゃねぇよ!」
思わず大声でツッコンでしまったが、体の痛みが消えている?
「あれ?俺、治ってる?」
立ち上がり、全身を隈なく確かめるが、異常はどこにも見当たらない。
「不思議そうね。体は私が治しておいたわ。」
「アイ、お前って魔法使いだったのか?いや、そんなことよりさっきからどれぐらい経った?」
「えっ?……そんなに経ってないと思うけど。」
「助けに行かないと!アイは早く逃げるんだぞ?」
少女は走り去る彼の後ろ姿をただ唖然と見ていた。
「あの人、なんで私の名前を?」
少女はゆっくりと立ち上がり、彼と同じ方向に歩いて行く。
「助けに行くのかぁい?」ふわりふわりと付いて来る猫。
「まぁ、気になることもあるし…それに、あの人はもう、私のモノなんだから、勝手に死なれると困るからね。」
「ヘヘッ、そうかい。」
「早く走れ!」「分かってます!」
木々の間を縫って走るユートとマリア。後ろには、巨大な敵が木々を飲み込みながら這いずって来ていた。
その姿は樹齢何百年、何千年にもなりそうな巨木で一本の巨大な幹にいくつもの木が絡みつき、蔦や木の根をあちこちに伸ばし、それがまるでクモやタコの足のように畝り、動いているのだ。
そして、まるで生きたままそこに埋め込まれた様に人の顔の様なものが木のあちこちにあり、口々に別の言葉を話している。
「死ネ。」「殺シてヤルぅ。」「お前らモ同ジ苦しミを…。」「ここカラ出してクレェ…。」
この魔物に飲み込まれた人達なのだろうか。死の瞬間の言葉や今の苦しみ、そこから逃れたいという願望、様々な思いが逃げる二人に語りかけてくる。
蔦や木の根が二人を捕まえようと手のように伸びて来る。助けを求めているかの様に。
「喰イタィィィィィィィ!!!」
巨大な幹、その中央に他の顔とは違う一際大きい顔があり、それが喋っている。
「多分、あれが魔物の本体なんだろうけど、どうやって倒せばいいんだ…?」
後ろを確認しながら、疑問を口に出すユート。しかし、誰も答えを教えてはくれない。
「きっと、あいつが町の人たちを…。」
怒りが込み上げてきて、手を握り締め、歯を食い縛るマリア。
「変な気は起こすなよ。あんなの俺達じゃ倒せない。」
「分かってますよ!!でも、それでも!」
「俺だって、あいつを倒したい!魔物は、全部殺さなきゃならないんだ…。」
表情は見えないが、ユートも同じように魔物を憎んでいる。マリアはユートのさっきの一言からそう感じていた。
その時、地面が盛り上がったかと思うと、木の根が生えてきて、マリアの足に絡みつく。
「きゃっ!」
転んだマリアに気付き、駆け寄るユート。剣で切ろうとするが、その根は異様に硬く、足に巻き付いて離そうとはしない。
「なんなんだよこの根は!」
精一杯の力で何度も切るが、表面に傷が残るだけで、切ることができない。
「クソッ!クソッ!」
「もう…行って下さい。」座り込んでいるマリアが下を向いて、そう告げる。
「な、何言ってんだよ。助けてやるから、諦めんな!」
そう言いながら、もう一度、剣を振り下ろすユート。魔物はそこまで迫っている。
「あなただけでも逃げるべきです。あれの正体をみんなに伝えて、準備を整えて、奴を倒して下さい。
私のことはいいですから。」
顔を上げたマリアは笑顔でそう言う。恐怖で震えるのを必死に抑え、目には涙が溢れているのに、彼を助けようとしているのだ。
俺はまた、助けられないのか…。
ユートは救えなかった故郷のことを思い出す。魔物によって、人々は殺され、村は焼き払われた。
たまたま、村を離れていたユートは助かったが、あの時、燃えていく村をただ見ていることしかできなかった。今でも、その光景は鮮明に覚えている。
また、俺だけ逃げて、助かるのか?
「ダメだ!もう、あんな思いは二度と御免だ!絶対に助ける!だから、そんな顔すんなーー!」
叫びと共に振り下ろした剣の一撃は、今まで傷しか付けられなかった木の根を断ち切った。
「切れた…。」
驚きとさっきまでの恐怖で動けないマリアの手を掴み逃げようとするユート。
「行くぞ!」
しかし、一足遅く、木の根と蔦に囲まれ、それらが二人を殺そうと迫ってくる。
「くっ!」マリアを守ろうと、盾を構えるユート。
死が彼らを襲い、絶望に染め上げようとしていた。
その時だった。黒い輝きを纏った折れた剣が矢のように飛んできて、巨木に突き刺さったかと思うと、そのまま突き抜けて、風穴を開けたのだ。
魔物は全ての口から悲鳴を上げる。マンドラゴラを思わせる悲鳴だ。
二人はその声に耐えられず、耳を手で塞ぐ。
「一体…どうしたの?」
いきなりの魔物の悲鳴に状況が分からず、二人は困惑している。
続いて、二人を取り囲んでいた木の根と蔦が斬り刻まれ、痛みで魔物が狂ったように暴れ出す。
木の根を地面に叩き付け、蔦は荒れ狂い、木の葉を撒き散らしながら、奇声を上げ、怒りを露わにしている。
「間に合った…!」
聞き覚えのある声にマリアはそちらを振り向く。
そこにいたのはボロボロで血まみれになってはいるが、間違いなく、自分が助けを求めた冒険者だった。
「の、望さん…。」
「助けに来たぜ、マリア。」
望は手を差し出すが、マリアは俯いたままでその手を取ろうとはせず、座り込んだままだ。
「何で来たんですか?あなたは…何で逃げないんですか!!」
「何でって…家族助けるんだろ?だったら、自分を犠牲にしようなんて考えるなよ。」
そう言って、望はマリアの腕を掴み、立ち上がらせ、彼女の両肩を手で掴んだ。
「もし、マリアが犠牲になって、家族が助かったとしても、それで喜んでくれると思ってんのかよ!
もうそんなこと考えないでくれ。
あいつ倒して、みんな助けて、絶対にみんなで帰るんだ!
俺を信じろ!絶対大丈夫だから!」
マリアを真っ直ぐ見つめて、自信たっぷりな眼差しで言ってくる望にさっきまでの自分の行動がバカらしく思えてきた。
「フフッ、バカじゃないですか…。
すみません、私が間違ってました。みんなで、帰りましょう!」
望さんはどんな時でも諦めない、助けを求める人を見捨てない、どんな状況でも希望を捨てない、勇者様みたいな人だなぁ。ううん、もしかしたら、本当に…。
「で、具体的にこの状況をどうするんだよ?」
今まで黙っていたユートが望に尋ねるが、その表情は真っ青で、すごい量の汗をかき、体は小刻みに震えていた。
「お前は…?まぁ自己紹介は後だな。取り敢えず、作戦はない!」
マリアとユートの驚く表情はマンガやアニメで見る表情そのものだった。
言葉が出てこないのか口を開いて、固まっている。
「はぁ⁉︎カッコよく登場しといてそれかよ!頼りねぇな!」ユートが怒るのも無理はない。
「話を聞けって。俺のこの力もずっと使えるわけじゃない。だからだ、力が続いてる間にどんどん攻撃して倒せばいいってことだろ?」
「だから、どうやって倒すんだって聞いてんだよ!」
「斬って斬って斬りまくる!それしかないだろ?話は以上だ!行くぞ少年!」
「あ、おいっ!!」
無茶な作戦を伝えて、一人突っ込んで行く望にユートは大声で叫ぶ。
「俺の名前はユートだ!少年なんて言うなよ!」
聞こえてるかは分からないが、少年なんて子供扱いされるのは御免だ。
「よろしくなユート!俺は白金 望だ!」
巨大な根が地面を砕き、蔦が大地を叩き割る。鼓膜が破れるかと思う轟音と視界を覆う土煙、息苦しさと恐怖、圧倒的な力が戦意を奪っていく。
黒い光を纏い、木の魔物に戦いを挑んでいく望は体が持つ限り、短剣で鋭い攻撃を仕掛けるが、木の表面が小さな木片に変わるだけで内部には届かず、奴には一切のダメージが通っていないように感じられた。
「クソッ!硬すぎて攻撃が通らない!」
もっと鋭くて、でかい武器がいる。でも、さっきはこいつの体を貫いたんだよな。何でだ?
「避けろ!」
その声で、周りを注意すると、砂煙の中に何か蠢くものが見え、砂煙を払い、望に鋭い鞭の一撃を加える。
その一撃は腹部を横一文字に斬り裂き、服を、皮膚を、筋肉をも削ぎ落とすものだった。
激痛と共に衝撃で体が後方へと吹き飛ばされ、体が宙に浮くのが感じられた。
しかし、それは一瞬のもので、すぐに地面に叩き付けられ、重い痛みが襲ってくる。
「アッガァッ…。」
全身が熱くなり、胸から喉へと声にならないものが込み上げてきて、口から吐き出される。
手でそれを拭うとベッタリと赤い液体が付いている。
あぁ…血だ。痛みでそんなことしか思えない。
どうやら腹部の傷はあまり出血していないらしい。肉を削り取られた際、傷口が火傷のようになった為だろう。
石のように重い体を起こし、立ち上がる。まるで産まれたての仔山羊のような姿だ。
フラフラで立っているのがやっとで、暫くは動けそうになかった。
ぼやける視界の中で蔦が次の攻撃を加えようと、蠢いている。
俺、死ぬのかな。そんな考えが頭の中に浮かんだ瞬間、蔦が空高く振り上げられ、望の真上に振り下ろされる。
真っ白になった頭では何も考えられず、今の状況を静かに受け入れ、目を閉じる。
その時、声が聞こえた。
「諦めるのかよ!!」
盾を構え、蔦の一撃を受け止めるユートが叫んでいる。
衝撃に腕が震え、歯を食い縛り、汗が噴き出し、その重みに片膝が地面につきそうになるのを必死に耐え、満身創痍の望を小さな体で守っている。
「さっき言ってただろ!みんな助けるんだって、アイツに死ぬなって言ったじゃねぇか!
お前が、こんなとこで…簡単に死んでいいわけねぇだろ!!」
小さい筈の背中が、その時は大きく感じられ、今の言葉が望の背中を押す。
生きて、戦って、マリアの家族を助け出す!
「そうだな…。」
後ろから来た手がユートの盾を支える。
「正気に戻ったか?」苦しそうだが生意気な笑みを望に向ける。
「あぁ、ありがとなユート。」
望がユートの背中をポンと叩き、大きく叫ぶ。
「いくぞ!せーの!!」
二人の力を合わせ、一気に蔦を押し返す。
力の方向を変えられ、蔦の動きが乱れている。
剣を構え、木の魔物を睨みつける二人。
巨木の中心、生命の宿っていない黒く、大きな二つの穴がその姿を見下ろしている。そして、空気を震わせ、不気味な咆哮を森全体に轟かせる。
「ウオォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」
太く、低いサイレンのような響きが空間を支配し、恐怖を伝える。
鼓膜が破れそうな叫びに、思わず耳を塞ぐ二人。
目を閉じ、歯を食い縛る。目の前が暗くなり、動けない。
「俺は…負けないっ!!」戦意を奮い立たせようと叫び、剣を構えるユート。
目を見開き、前を真っ直ぐ見つめ、一歩また一歩と進み、走り出す。
アイツ、気合いだけで戦ってんのか?はぁ…力を使える俺がここで立ち止まるわけにはいかないな。
さっきの傷が痛むが、体は動く。おかしなことに痛みにも慣れてきてる。
俺は…戦える!!
黒い光がユートの隣を凄いスピードで通り過ぎて行く。蔦と根の攻撃を躱し、相手を撹乱するように進んでいる。
それにより、ユートへの攻撃が軽減されているようだった。
これなら進める。
ユートはこの機会を逃すまいと、走れるだけ走って行く。
一方、望は巨大な幹に辿り着き、再び攻撃を仕掛けていた。
短剣を逆手に持ち、持てる力と速さで攻撃していく。しかし、結果は先程とあまり変わらず、木の表面に傷が付く程度だった。
「やっぱ、ダメか。斧みたいに破壊力のある武器がいるな。」
ユートの様子を横目で確認すると、同じようにダメージを与えられず、苦しんでいるようだった。
コイツを倒すにはどうすればいい…?どうすれば…。
「お困りのようね!!」
甲高い自信たっぷりな声が耳に届いた。聞いたことのある声、この世界に来た時に初めて聞いた声だ。
「助けてくれるのか?」
後方、全ての攻撃から自身を守りながら、歩いて来る白い衣装に身を包んだ少女。偉そうに腕組みしている魔女で女神な彼女に尋ねる。
彼女はいつも通りニッと笑い、「お任せあれ!!」と元気に答え、巨木に向かって歩いて行き、目の前まで来ると立ち止まる。
そして、仁王立ちのユキが白い輝きを放つと、森を埋め尽くすほどの雪玉や雪の結晶、氷の塊のようなものが、ふわふわと浮かび始めた。
「さぁ、みんな!お仕事の時間ですよ!」その言葉と同時に右手を巨木に向けて突き出す。
「大地よ、森よ、水よ、この森の全ての精霊よ。我、白銀の女神の命に従い、ここに集え!
覆い尽くせ、スノーバースト!!」
浮いていた雪玉達が巨木を覆い尽くし、白く染め上げ、樹氷のように固まっていく。
全体を雪で覆われ、動きを止めた巨木の魔物。
静寂と冷気が森を覆い尽くし、さっきまでの戦いが夢のようだ。
「さっ、早く逃げましょう。」
振り向きながらそう言って、望の方へ走って来るユキ。
「え?逃げるって、こいつ死んだんじゃないのか?」
「今の私の魔力量じゃ、動きを止めるので精一杯なの。だから、その間に奴から距離を置いて作戦を立て直すわよ。」
「あ、あぁ。ユート、マリア!お前らも行くぞ!」二人に伝わるように声を張り上げる望。
その時、「私も着いて行っていいよね、お兄ちゃん?」さっきの赤髪の少女が袖をクイっと引っ張り、こちらを見つめていた。
「お前、どうしてここに⁉︎」
「だって、お兄ちゃんは私のモノだもん。」そう言いながら、望の腕にぎゅっと抱きつく少女。
そんなこと聞いてねぇよ!と思った望だったが、隣から殺気のようなものを感じ、そちらをチラッと見ると、眉をピクピクと痙攣させたユキがこちらを睨みつけていた。
「ユ、ユキさん?」
何も言わずに望のもう片方の手を握り締めるユキ。
「いたたたたたたっ!ユ、ユキさん!て、手を力一杯掴むのやめてくれませんかっ⁉︎」
「後で説明して貰うからね、望…。」
怒っているのが分かる笑顔って初めて見たな…。神様、仏様、何でもいいから誰か!早く元の世界に帰して下さーーーい!!
どうでしたでしょうか?楽しんでもらえたでしょうか?
今回から古老の森編ということで、少し長い話になってます。ゲームでいうと最初のボスって感じです。
新たな登場人物や戦闘シーンなど書くのが難しい所が多く、苦労しました。
日を変えて書いたりすると、前後で若干食い違うことがあるのを直したり、一人称が変わってたり…(笑)
自分の未熟さを思い知らされました。
次なんですが、結構遅れるかもしれません。
読んで、次が楽しみと思って頂いてる方には申し訳ありませんが、休日に書いてるので、書く時間が取れないのが辛い所です。
杞憂ですか?まぁ、そうだと思います(笑。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。ではでは〜。