二次元の存在
「いる」とはどうゆうことだろうか?
いきなり何なんだ、と言われてしまうかも知れない。
しかし、これは僕にとって大きな問題として立ちはだかっている。
そもそもなぜこの命題が現れたのかというと、友人の一人から、
「なぜ、いもしない二次元のアイドルに肩入れするのか?」
という質問を受けたからである。
その時、自分は「好きだから」としか答えられなかった。
その時は、「これだからオタクはww」という笑い話で終わった。
しかし、その答えはちゃんとした回答ではない。
なぜなら僕は、あえて名前を出すが、多田李衣菜は確かに
いるように感じるからである。
また「これだからオタクはww」と言われてしまうかもしれない。
確かに架空のキャラクターは現実には存在しない。
これは覆しようのない事実であり、それにどうこう言うつもりはない。
ただ、それによって応援する理由が失われる事へのささやかな反論をしたいと思う。
では、最初に架空のキャラ同様に現在、存在証明がないのに多くの「思い」を受けている物を考えてみたいと思う。それは何か。
「神」である。
世界中の多くの人は神の存在を認めている。
アンケートを参照しても間違いないように思われ、それによると、日本人も例外ではないようだ。
では、何が神の存在を認めさせているのか。
それは言うまでもなく信仰だろう。
信仰という、存在への絶対的肯定。
圧倒的熱量の「思い」、それこそが神の存在を認める大きな鍵であろうと思われる。
例えば、かつて絶滅した部族には信仰する神様がいたとする。
その神様の現実の存在の有無は置いといて、その部族が全滅した時にその神様を信仰する者はいなくなる。
そうしたら、その神様は現在の僕らから存在を認められることは、ないだろう。
この話をまとめると、「いると思うなら、いるんだ」という暴論になりかねないのだが、僕が指摘したいのは、その熱量だ。
前でも述べたが、信仰とは「圧倒的熱量の思い」である。
そして、その「思い」は、架空のキャラクターにも適応可能なように思う。
僕ら(ここではあえてそう表現させていただきたい)は奇跡を見た。
知らない方も多いかもしれないが、デレマス3rdライブ2日目、佐藤亜美菜さんのパフォーマンスを見た多くの仲間が、「そこに、ありす(佐藤さんの演じるキャラクター)がいた。確かに見たんだ。」と語ってくれる。
まるで古代の信託の様ではないか。
佐藤さんの、そして同僚の純粋な「思い」が佐藤さんのパフォーマンスを通じてキャラクターの存在を降ろしたのだ。そこには、存在への絶対的肯定が確かに息づいていたと僕は強く確信する。
僕はそういう体験を、ライブを通じて経験してきた。
だからこそ、僕は声を大にして言いたい
「架空のキャラクターはいるんだ、存在しないとしても、いるんだ」
ここで話は変わるが、僕はたまに聖地巡礼をする。
これも中々に上手い表現だな、と思うのだが、本来の聖地巡礼は宗教的に重要な場所に赴くことを言う。
そこはどのような場所が多いか?
息吹を感じられる場所(生誕、悟り、初説教)である。
では、僕らは聖地巡礼でどこに行くか?
息吹を感じられる場所である。
これを見ても言えるように、僕には宗教とサブカルはかなり通じる部分があるように思える
ならば、神と同様に僕らが架空のキャラクターを「思う」事にも価値を見出す事ができる。
そうは思わないか?
ここらで僕の友人へのささやかな反論は終わる。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
自分のふと思った事をここまで恥ずかしげもなく書いてきたわけですが、自分の思っている事を文章にするのは改めて難しいな、と感じました。
反論、感想がある方は是非お願いします。
一応、連載小説とエッセイを書いているので、興味のある方は是非お読みください。
長々とありがとうございました。
貴貫




