おいしい人参
希少だからか高いからか、ずいぶん昔からおかれているようだ。
腐るわけではないけれど、香りが飛んでしまっている。それに、肉との相性もそれほど良くないみたいだ。
カシェットさんのところにあったような肉にも合う胡椒は……。
「これ、これがいいです」
出された中で一番よさそうなものを指さす。
「ふっ。わかっていませんね。これは円外の店でも買えるような最低ランクの胡椒ですよ?お客様、悪いことは言いません。こちらのピンクペッパーをお試しください」
私を一瞥して、店主はすぐにニーラさんにピンクペッパーの素晴らしさを語りだす。
「ニーラさん、行きましょう!」
ニーラさんの上着のすそを掴んで引っ張る。
「ああ」
ニーラさんがお金の入った巾着をしまい店主に背を向けた。
「お客様、お待ちください!分かりました、その娘の言う胡椒をお付けいたしましょう」
「いらない。だって、円外の店でも買えるんでしょ?だったらそっちで買うから」
円外で買えるってことは、庶民にも手が届く品ってことだよね。うっふぅ。イチールに帰るときにお土産に買おう。
「そういうことだから、失礼する」
ニーラさんが店主の体を腕で押しのけて扉を開いた。
「娘……せっかくの乗客を……」
うなるような声に、思わず振り返る。
店主が激しい怒りのこもった目で私をにらんでいた。
怖い。
あああ、苦しい。
むせかえるような色の悪い香辛料の香りに、息が止まりそうだ……。
店の外に出て、はぁはぁと乱れた呼吸を整える。
「大丈夫か?どうしたリーア?」
「なんでもない」
巫女の血。おいしいものに目がない巫女の血。時々、おいしくないものに苦しめられることがある。口にしちゃだめな食べ物。口にしちゃダメな人の憎悪。
「ねぇ、ニーラ、どうして偉い人達はあんなにおいしくないものばかり食べてるの?」
「え?」
塩も肉も胡椒も……それから店頭に並んでる数少ない品も、どれを見ても……8割はおいしくない。
「ううん、なんでもないよ。円外の店に行きましょう?」
円外の店で胡椒はすぐに見つかった。値段は塩よりは高いけれど砂糖ほど高くはない。お土産に買うことができそうな値段だ。
「ニーラ、ほら見て。4の円の店よりずっとおいしそうなの並んでるよ!」
「そうなのか?4の円の店は……王室御用達の店の方がおいしいものがたくさんあるわけではないのか?」
ニーラさんがショックを受けた。
まぁねぇ。値段が高い方がおいしいような気がするもんね。それで父さんなんて騙されてお酒を買って、飲んだら酢になってたってことあったし。
酒だけは子供だった私がおいしそうって思うことなかったのよね。まだ飲んじゃダメな年だったからかな。
「んー、珍しいものはたくさんあるけど、おいしいものは円外の店の方がいっぱいあるよ。んと、その中でもおすすめの店は……」
きょろきょろと店を見比べる。こそっと片目をふさいで見る。
キラキラしてる店ばかりだ。その中でも一段と強い輝きを増してる店に向かう。
「ここよ、ニーラ。この店の野菜はどれもおいしいと思うわ!」
「おや嬢ちゃんうれしいことを言ってくれるね!」
ニーラさんが素直に感想を述べた。
「少ないな」
そう。扱う野菜の品数は他の店よりも少なかった。
「あはは、厳選しすぎちまってなぁ。どうにも、オイラ自身が納得できる品じゃないと売る気になれなくてよ」
売り物への愛情いっぱい。
「すごいです。どれも本当においしそうです。ニンジンはすごく甘みがありそうですね」
「分かるかい?嬢ちゃん。そうだ。形は悪いがバターで炒めると甘くてうまいぞ」
ほうっ!バターで炒める?ニンジンは茹でるかスープの具にするかしか発想がなかった!
想像したら、ああ、よだれが。
「ちょいと味見するか?」
ふえ?
店主が火鉢の上にフライパンを乗せ、バターを落とす。そして、形の悪いニンジンを少しカットしてささっと炒めてくれた。
「ほれ」
「ありがとうございますっ!」
はぐっ。
あああ、おいしい。本当に甘い。
「ほれ、後ろのいいとこの兄ちゃんも。こんなもん食べたことないだろうが騙されたと思って食ってみ」
差し出されたニンジンを素直に受け取ってニーラさんが食べた。
「……懐かしい味だ」
え?
「そう、ずいぶん昔……食べたことがある。そうだ。ニンジンはこういう味だった……」
ニーラさんが何かを思い出すような顔をした。その顔は幸福感に満ちている。
「ははは。そう、ニンジンはこういう味だ。もっと食べてくか?」
八百屋さんは返事を聞く前にニンジンをフライパンに入れた。
「ありがとう、金は支払う」
「金なんていいってことよ。おいしい野菜の味を知ってもらうための試食だ。帰りに何か買っていってもらえりゃそれでいい」
うううっ。
なんていい人なのぉ。
「いや、しかし……これだけの品だ。ずいぶん値の張るものだろう?」
「ぷっ。面白いことをいうな。いくらおいしくたって、ニンジンはニンジンだ。そこらの店とかわんねぇよ。ほら食った食った」
八百屋さんが木皿を出してニンジンをのっけて差し出した。
「お礼がしたい」
ニーラさんがぼそりとつぶやく。
うん、わかる。おいしいもの食べさせてもらえたら、何かお礼がしたくなるもんね!
そうだ!
「これよ、これ!お礼に食べてもらおう?」
ニーラさんがそれは名案だという顔で頷いたので、肉の包みを八百屋さんに差し出す。
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すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、書籍化が決まりました。
3月15日ビーズログ文庫様より発売予定です。応援ありがとうございます。




