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ダブルクロス

作者: 早田将也

”夫と女”

鼻から息を吸い込むと女の髪からシャンプーの匂いが香った。

ホテルの一室のベッドに夫と女がいた。

「そろそろ帰る」

夫は立ち上がりまだ火照った体で横になっている女に向かって言った。

色白できめ細やかな肌は名残惜しいほど美しい。

「まだ、いいじゃない。久しぶりに会ったんだし、もう少し一緒にいようよ」

女は色白な華奢な細い腕を伸ばし、夫の手をギュツと握った。

少し汗ばんでいる。

夫は愛おしさと焦りを感じながらも、手をつないだまま再びベッドに腰を下ろした。

「そんなに急いで帰らなくても、一人暮らしなんだし、いいでしょ?」

女は悪戯っぽく微笑みながら言った。

確かに今現在、妻は家にいない。

ただ今日は仕事でいないだけだ。

しかし、女には既婚であることは伝えていない。

女は20代後半で近所のカフェで働いている。

色白で鼻筋が通り黒目がちな可愛らしい顔立ちで、艶やかな黒のショートヘアがよく似合っている。

バストも大きく腰はくびれており、グラビアアイドル並みのルックスなのだが、唯一少し頭が弱く、そのことが夫にとって気に障る原因でもあり、好都合でもあった。

カシャ。突然、携帯のカメラの乾いた無機質な音が室内に響く。

「おいおい、撮るときくらい声かけろよ」

「えへっ。記念撮影~。私、1人でいるときはいつもあなたのことばかり考えているの。だからね、こうして久しぶりに会うの、とっても楽しみにしているんだ~。写真くらいいいでしょ?」

屈託のない笑顔で女は言う。

「久しぶりって1週間前に会っただろ?」

飽ききれながらも夫は言った。

「私の1週間は1ヶ月なの!」

1週間は1週間である。

不倫という関係で頻繁に会うことは夫にとって負担であり、危険も伴ったが、女に既婚者であること隠していることを負い目に感じていた。

「そうか。いつも我慢ばかりさせて悪い」

と言いながら女の隣に横たわり、女を抱き包みながら頭を撫でる。

女はえくぼのできた笑顔で微笑んだ。

「そうだよ。私いつも我慢しているんだから今日はいうこと聞いてくれなきゃ、嫌!」

甘えた声で言いながらも、すり寄ってきた。

夫の日頃から鍛えられた胸板に女のたわわな柔らかいぬくもりが密着する。

すべすべとした肌が心地よい。

感触を楽しみながらも、ふと時計に目をやる。22時30分。

夫は少し焦りだしてきた。妻が仕事で家にいないときは、19時と21時、23時に家の固定電話で妻の携帯に電話をかけるきまりになっていたからだ。

女とは19時10分に待ち合わせしご飯を食べ、一度、近所カフェに入り食事、所用があると言ってカフェに女性を残し、急いで自宅に帰り21時の電話。また女を迎えにカフェに戻りホテルへ向かった。

現在22時35分。

どうする……女が服を着るのを待っていたら連絡が遅れてしまう。

女はここにおいていくか。考えろ……考えろ……。

全身の血流が頭に上がって来るのを感じながら、天井を見上げ、全裸のままじっと考えた。

「どうしたの?考え込んじゃって?」

夫が急に黙り込んでしまったので、様子の異変を感じ取って女が聞いてきた。

夫はその時、ふと思いついたでまかせを口に出した。

「いや、親父が入院している病院から家の電話に留守電が入ってないか、何だか気になってね。親父、あんまり体調良くないんだ」

「そっか~。それは気になるね。じゃ、一緒に家に行くよ!一度家に行ってみたかったんだ。」

夫は今度こそ焦った。女を家に上げてしまったら、確実に既婚であることがばれてしまう。

下手したら、女が家で暴れ、収拾がつかない結果になりかねない。

全身から変な汗が出てきたのを感じたが、悟られまいと出来るだけ平静を保ちながら答えた。

「家にあげたいけど、今、人に見せられない書類が置いてあるからまた今度ね」

「そうなの?まさか、いやらしいもの?」

「そんなんじゃないよ。仕事の機密書類さ」

「ふーん。じゃ、つぎ期待しとこ」

我ながら苦しい言い訳だが、少しふてくされながらも女は納得した。

「いったん帰るけど、帰ってきたら今日は朝まで一緒にいてあげる」

夫はできるだけ優しい声で女の耳元で囁いた。


”夫と妻”

女をいったんホテルに置いて、ホテルの部屋から逃げ出すように走った。

すれ違った人が驚いたように夫を見たが、そんな視線などお構いなしに先を急いだ。

ホテル前でタクシーに乗り込み行先を告げた。

22時40分。ギリギリ間に合いそうだ。

「5分でも遅れたら、何されるか分からないからな」

夫はそう小さく独り言ちした。

「お客さん。今からお帰りですか?」

人の良さそうな運転手が尋ねてきた。

「怖い妻が今か今かと首を長くして待っているんでね。帰りが遅いと殺されかねない」

タクシーに乗って気のゆるんだのか軽口でそう返した。

「強い愛情で結ばれているんですね~」

どうやらタクシー運転手は夫が照れ隠しでそういっているのだと思ったようだ。

以前一度、電話をすることを忘れていたとき、後ろから灰皿でぶんなぐられた。

家庭内DV。

二人を結んでいるのは強い嫉妬と絶対的な服従関係なのだ。

23時1分

タクシーから降りた夫は、急いで家の中にある固定電話から妻の携帯にダイアルした。

ワンコール目で妻が電話に出た。

「1分遅刻。浮気していたでしょ?」

たかが1分電話を掛けることが遅れたら浮気疑惑。

中世の魔女裁判なみに理不尽であるが、今回はなかなか鋭い指摘である。

「違うよ。お腹痛くなってトイレに入っていたらちょっと遅れたんだ」

あらかじめタクシーの中で考えておいた理由を言った。

「なんでトイレの中に子機もっていかないのよ」

もうめちゃくちゃである。

「トイレに入っているときに電話なんかできないよ」

「まあ、いいわ。今日あなたが1分遅れた代わりに明日1時間マッサージしてもらうから」

夫の周りは時間の感覚がおかしい人間ばかりだ。

「分かったよ。仕事、頑張ってな」

「じゃ、まだ私仕事残ってるから。おやすみ~」

「おやすみ」

電話を切った途端どっと疲れた。なんであんな女と結婚したのだろう?

もし昔に戻れるなら、妻と結婚したことをやり直したい。

これからまた女がいるホテルにもどらなくてはならない。

夫は女の白くすべすべした肌と柔らかな温もりを思い出し、気持ちを奮い立たせた。

「そろそろだな……」

誰もいない家の中でまた独り言を言った。


”妻と間男”

「今の旦那さん?」

肌は小麦色に焼け、がっちりとした体型をしたスーツ姿の間男が聞いた。

間男は30代独身。

年下のくせにしっかりしている。

鼻筋の通った端整な顔は見ていてうっとりする。

「そうなの。私が仕事の時は2時間おきに電話かけてくるから鬱陶しいのよ」

自分で強要しておきながら、妻は迷惑だといわんばかりだ。

携帯をブランドのカバンに収め、男の傍に近づき抱きしめる。

今夜、仕事というのは嘘だ。

「今夜俺と会うのは仕事なんだ?」

間男はからかうように言った。

「私の深夜残業時間代は高いわよ?」

冗談で返した。

「代金は旦那さんに請求しないと」

間男は笑って答える。

妻は病院で働く女医でメタルフレームのメガネがよく似合う気の強そうな顔立ちをしていた。

4か月前、2人は同じスポーツジムで知り合い、いつの間に意気投合した。

深い仲になるまで時間はかからなかった。

間男は妻の背後に回り後ろからそっと抱きしめ首筋にかるく口づけた。

香水と体臭とが混ざり合った香りがする。

首から耳まで丁寧に愛撫する。

耳元に間男の吐息がかかり、クチャクチャといやらしい音を立てながら耳をなめる。

妻の体がだんだん熱を帯びてきた。

「あなたと過ごせる時間があるだけ私は頑張れるの」

妻は普段は見せない少し甘えた口調で囁いた。

妻は間男に向き直り正面から強く抱きしめた。

間男の石鹸とわずかに香る汗のにおい、たくましい胸板や肩甲骨の筋肉、包み込むような大きな体は妻の好みだった。

「今夜は君を独り占めしていいんだね」

「ええ、好きにしていいわ」

妻の上着を強引に脱がし、ベッドに押し倒す。

白のシャツはめくれ、タイトめなスカートが太ももまで上がっている。

間男の手がスカートをめくりあげ股間に侵入してくる。

「あ、だめ……」

「好きにしていいって言っただろ?」

間男は悪戯っぽく言った。

間男の股間が盛り上がってくるのを感じた。

それと同時に自分もかなり濡れてきているのを感じ我慢出来ずに間男に足を絡めつけ、むさぼるように口づけた。

お互いの舌が複雑に絡めつく。

一瞬、夫の顔がふと浮かび、沈んだ。

そろそろ……だわ。心の中で呟いた。


”妻と女”

1ヶ月前

妻は勤務先である病院の近所にあるカフェで待ち合わせしていた。日曜の午後なのに客が数えるほど少ない。

待ち合わせの時間は13時。12時57分。

待ち合わせの人物がやってきたようだ。

「初めまして。あと3分遅れたら帰るところだったわ」

妻はのっけから言い放った。

「初めまして……。用って何ですか」

そこに現れたのは夫の不倫相手の女だった。

女の携帯に“夫のことで話があるから”と急に呼び出された女は不審そうに尋ねた。

妻は女の体を品定めするかのように下から上までじっくりと観察した。

なるほど……。

中高年受けがいい可愛らしい顔つきであり、色白で、黒のセーターの上からでも大きな胸が強調しているのがわかる。

そのルックスは夫の欲望を誘うには十分過ぎるくらいだろう。

少なからず、若さと美しさに対する嫉妬を覚えた。

「率直に言うわ。あなたが今付き合っている男、私の夫なの」

女の顔が凍り付いた。ことばを探そうと目をせわしなく動かしている。

「えっ、それは、どういう……」

女はぽってりとした厚めの唇をパクパクしながら困惑している。

予想はしていたが、まだ夫は彼女に自分のことを話していないようだった。

あいつ、やっぱり隠してやがった。

妻は相手の女の反応をよそに話を続けた。

「私はあの人の妻。結婚してもう3年になるわ。子供はいないけどね。あなたあの人と付き合っているんでしょう?夫の携帯であなたと達のやり取り全部見させてもらったわ」

「え、え、え?どういうこと?あなたは誰?」

女はまだ事態を受け止められない。

その様子を見て女の頭の悪さに怒りを感じ始めた。

あいつ、どうしてこんなに頭が悪い人間を好きになったのかしら?

「もう一度言うわ、あの人は私と結婚しているの。そしてあなたは不倫相手ってこと」

「……私を訴えるつもりですか?」

女はこわごわと聞いてきた。

「あんた、夫が妻帯者だって知らなったんでしょう?それだったら私があんたのこと訴えても勝てる見込みは少ないわ」

女はその言葉を聞いて少し安心したようだった。

一喜一憂する姿はなんだか哀れにみえた。

「けど勘違いしないで、私はあんたのこと許すつもりはないわ」

「じゃあ……どうすれば……」

この女を少しいじめてやろう。

そんな感情を抱きながらも自分の考えたプランを口にした。

「もし、あんたがうまくやってくれたら、私は夫と別れてあげる。けどしくじるようだったら、あんたの職場にあんたのこと不倫女として広めてあげる。あんたが夫に送ったアホ丸出しのヌード写真も一緒にね」 

女はしばらくの間、思案しているようだったが……やがて

「私……何でもやります」

アメとムチをうまく使えば、こんな女を協力させることは簡単だった。

「あんたにはこれまで通り、夫が妻帯者だということを知らないふりをしてもらうわ。それから、これが大事なんだけど、ホテルで毎回、夫と2人で記念写真を撮ってその写真を私に送ってもらいたいの。いい?ホテルで服を脱いでいる状態の写真よ」

噛んで含めるように言い聞かせた。

「それだけでいいんですか?」

女は少し拍子抜けしたようにも見えた。

「それだけよ」

妻は答える。

この要求は法的に認められる確証、つまり浮気の証拠をつかむためだった。

夫の不倫を知った時は、本気で殺してしまおうと考えたが、その時、ちょうど間男との距離が急接近してきたので、お金が有り余っているほど持っている夫から多額の慰謝料をぶんどり、間男と再スタートをきろうと決意したのだった。

女と別れ、妻は自宅方面に向かって歩いた。

自宅から勤務先の病院の通勤コースには海岸沿いの道を歩いくことにしている。

一部崩れているとこもあり、危ない道ともいえる。

崩れた部分の目下には、勾配のきつい崖となっている。

落ちたらタダでは済まないだろう。

しかし、それでも妻がこの道を通るのは、間男が通勤時間によく通るコースと言っていたからだ。

すれ違うことを楽しみにしてこの道を通っているのだ。

海から吹く風が心地良い。

「裏切ったのだから慰謝料貰って当然よね」

自分のことは棚に上げ、呟いた。



”夫と妻”

その日、夫の携帯に妻からメールが入っていた。

{今日はご飯作って待っているから、早く帰ってきてね}

珍しいなとも思った。

ほとんど妻はご飯を作らない。

たまに気分がいいときに生姜焼きを作るくらいだ。

仕事でいいとこがあったのだろうと思い家路を急いだ。

遅れたらどうなるかと思うとたまらない。

夫が帰宅したら、妻が珍しく料理を作って待っていた。

「お帰りなさい。今日はあなたの好きなカニクリームコロッケよ。」

笑顔で妻は言ったが、目は笑っていない。

それに私はカニクリームコロッケが好物ではない。

夫は直観的に何かあると確信し、警戒した。

「ありがとう。うれしいよ。けど今日は動き回ってクタクタなんだ。先におふろ入ってきてもいいかな?」

「ごめんなさい。お風呂は沸かしてないわ。先に食べちゃいましょう」

わざとだ。

夫は警戒を強めた。

さて妻はなにを言い出すのか……2人が席に着いた時点で妻が口を開いた。

「今日仕事が早く終わったから、久しぶりに国道沿いのカフェに行ってきたの。初めて行ったけど、あそこなかなかおしゃれで雰囲気がいいわ。お気に入りの場所になりそう」

妻は冷やしたビールを開け、夫のコップに注ぎながら言った。

「へえ。そんなところがあったんだ」

ドクンと心臓の音が跳ね上がった。

夫はもう20回以上行っている。

グラスを持つ手が震える。

「スタッフの女の子もかわいいい人が多いのね。お客さんも男性がいっぱいいたの。あれきっと、スタッフの女の子目当てだわ」

口の中が異常に乾いてきた。

ビールで焦りと不安を一緒に飲み込む。

「そんなにいいお店なら行ってみようかな」

声が少し震えた。

やばい。

抑えなければ。

「駄目よ。スタッフの女の子かわいいんだから、きっとあなた浮気するわ」

夫は動揺した。

抑えろ。と強く自分に言い聞かせたが、コロッケを掴んだ箸が上下に動いている。

夫は徐々にそして計画的においつめられている感覚がした。

「ぼくは君以外の女性は考えられないよ」

「どうかしら。あ、そうそう。そこの女の子の中にあなたが拾ったって言っていたネックレスと同じようなネックレスをした子がいたわ。ペアネックレスっていうのかしら。もしかしたらあなたが拾ったのは、その女の子の彼氏の物かもしれないわね。ちなみにあなた、それはどこで拾ったのかしら?」

「あ、あれは……何処だったかな。そのカフェの近くあるいているときだったかもしれないな」

「そう。まあ拾ったものならもういらないわよね?後で処分するわ」

「ま、まってくれ」

「どうして?あなたにとっていらない物でしょ?それとも捨てられない理由でもあるの?」

「彼女に返してやったほうが親切だろ。私から返しておこう。」

「彼女の顔知っているんだ。まあ、そうよね。こんな写真撮る仲だもん」

そういって、妻は写真を見せた。

夫と女が裸でベッドの上で写っている。

「なんで……」

夫は言葉を失った。

もう限界だ。

夫が立っている足元が崩れ落ちた。

夫は悟った。

妻は全部気づいている。

この口調だと浮気相手の名前も特定しているに違いなっかった。

全て調べた上で切り出してきたのだ。

風呂を沸かしていなかったのも、話の途中で夫が逃げれなくするためだった。

「ああ、もう白状するよ。俺は浮気していたんだ。けど!本当に出来心だったんだ。」

「もう終わりね……ゆるさない、絶対にね」

「たのむよ。君じゃなきゃダメなんだ。」

「いいえ。離婚よ。もうあなたとはこれっきりにするわ。一週間以内には荷物まとめて出ていくから。」

「少し話しさせてくれよ」

「話すことなんかないわ。じゃあね、さようなら」

妻は久しぶりに作った料理を食卓に残したまま、部屋にこもった。

荷造りを始めるつもりだろう。

夫はしばらくの間呆然とした後、家から出て電話をかけた。


”妻と間男”

妻は部屋にこもって間男に電話した。

間男との連絡は間男が用意してくれた携帯で行っている。男が妻の携帯をみてもばれないようにするためだ。

「やったわ。夫を白状させたわよ。これで私たち一緒になれるわ」

「そうか、無事に終わって何よりだよ。僕は君の身に何かあったって思ったら気が気じゃなかったよ」

「大丈夫よ。あんな気の小さくてよぼよぼのじじぃには何にもできないわ」

「熟年離婚か。旦那さんも退職後に奥さんに逃げられるなんて、ついてないね」

「ふん、自業自得よ。自由になったからって、カフェの若い女の子に手出すからこうなるの」

「で、罰として退職金をたんまり頂くってことか」

間男はにんまり笑って言った。

「そ、私ももう若くないし、医者の仕事もそろそろやめようかと思って。定年過ぎても国家資格だから医者の仕事はできるけど、体力的にきつくなってきてね。慰謝料もらったら老後はゆっくりできそうだしね」

妻はしみじみとこたえる。

「仕事やめる前に色々片付けないといけないから、もう少し経ったら離婚届出すわね。

これからいそがしくなるわ」

「そうか。じゃあまた連絡する」

間男はそういい電話を切った。

第2の人生がこれからはじまると考えるだけで妻はウキウキした。

妻は58歳。

見た目は15歳くらい若く見えるが、体力的に医者としてきつかった。

好きな人と自由気ままな生活ができるのだ。上機嫌で妻は荷造りを始めた。


"間男と夫"

間男は妻と電話を切ったあと、すぐに違う人物にダイヤルした。

手澪直に用件を伝え、行きつけのバーで待ち合わせることにした。

約束の場所に来たのは、夫だった。

「若干手違いがあった。悪いが早いうちに計画を実行してくれ」

夫は言った。

「浮気がばれていることは薄々気づいていたが、妻が完璧な証拠を突きつけてきた。離婚が成立する前に計画を実行したい。金は五割増しで払おう。できるか?」

「はい、下準備はすでに終えておりますので、あとはタイミングを図り、実行するだけです。実行する前に連絡しますのでアリバイ作りを行ってください。もちろん連絡の際は私が渡した携帯のほうにしますので」

間男は依頼を完璧にこなすことをモットーにしていた。

彼の場合完璧にこなさなければ、牢にぶち込まれるだけなのだが。

「よろしい。ではこの1週間以内によろしく頼む」

夫は安心した表情でそう告げ、足早に立ち去ろうとした。

できるだけ接触をさけるためだった。

間男が去ろうとしている夫に向かって声をかけた。

「あの女性とは結婚するつもりですか?」

「もちろんだ」

「また私が必要でしたら連絡ください」

間男は真剣な面持ちでそういった。

「悪い冗談だ」

そういって夫は立ち去った。

間男は1人バーに残った。


間男の仕事は俗にいう結婚詐欺師。

女に結婚を持ち掛けお金をだましとるあれだ。

しかし、間男の場合は既婚者の女性をターゲットとしていた点と依頼主がいる点が普通の結婚詐欺師と同時に他の側面も持っている。

いわゆる壊し屋と呼ばれる職業だ。

ターゲットはこちらから探さなくとも、依頼主から差し出すうえ、依頼主から相手の趣味嗜好を聞けば容易に落とせた。

今回の依頼主は大企業の元社長。

現在61歳。

まだ会社に勤めているときにかかりつけ医だった医者である今の妻と結婚したが、家事もせず、金使いが荒いうえに、暴力的な妻にはほとほと困り果てていた。

夫が会社を辞めたときそれは悪化し、気晴らしにブラブラしていた時、ふと目についたカフェの女性に恋をした。

いい年して、一目ぼれだったそうだ。

女の子とは見たことはないが、きっと大したことはないだろう。

そしてカフェに通い詰め、金にものをいわせ、彼女を手に入れた。

彼女を手に入れた途端、妻が邪魔に思え、そして間男に依頼が舞い込んだというわけだ。

当初の計画では、間男が妻と接触し、妻の浮気を理由に離婚を請求することだったが、逆に依頼主である夫が間抜けにも、浮気がばれてしまったのだ。

さらに証拠までおさえられている。

こうなると、夫が賠償金を払う羽目になる。

そこで間男は夫が結婚当時から妻に多額の生命保険が掛けてあることに目を付けた。

妻を事故に見せかけ殺害する。

これはオプションで間男が行っているものだ。

もちろんその分料金は高くなるが、生命保険がかかっているなら、問題はない。

妻は“深夜帰宅途中、通勤時にとおる海岸沿いの道の崩れたところで、連日の仕事の疲労により誤って落下すること“というシナリオにした。間男とのやり取り用の携帯を回収すれば、警察が自分を疑うことはないはずだ。

これで、夫はまたしても大金を得ることができる。

「やれやれ、世の中、なんでこうもみんな結婚したがるのかね。結婚したところでお互いに鎖につながれて飼い殺されるだけではないか。セックスしたいなら風俗やナンパすればよいし、家事が面倒なら家政婦に頼めばよい。結婚して後悔して多大な犠牲を払い離婚するなら、端から結婚などしなければよいのだ。ダブルクロス……裏切りか」

今まで恋というものを知らない間男は、1人でいるバーで独り言を言った。


”間男と女”

「ごめんなさい」

間男がバーから出るとき1人の女性とぶつかった。

今まで見たどんな女性より可愛らしく美しい。

全身からオーラを放っていた。

色白で鼻筋が通り黒目がちな可愛らしい顔立ちでショートヘアの艶やかな黒髪。

見事な体の曲線なのに清楚な感じのする女性だ。

一目ぼれだった。

この女は、先ほどの依頼主の男と愛人関係の女だと知らずに。

間男は生まれて初めて恋の予感がした……

この女性は、どんなことをしても手に入れたい。

たとえ、彼女の夫や恋人を殺しても……


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