03
「どういうことですか?」
眉を上げて、ボビーが聞いた。
リーダーが説明する。
デニスはまだ一介の技術助手だった十八年前に一度離婚したきり、いまだ独身だという。
パートナーだった女性は日系英国人の数学者だった。
しかし、夫婦間に諍いが絶えず、結局妻だった女性は夜逃げ同然で海外に出てしまい、それきり行方が分からなくなってしまった。
デニスは後を追わなかったし調べもしなかったらしいが、実は今現在に至るまで別れた妻の事が忘れられずにいるらしい、とごく近しい人物から情報が入った。
しかも、彼女は妊娠していたらしいと後で判明した。
「そこで、今回は彼の息子が実はアメリカにいた、ということで彼をデニスの元に潜入させようと思っている」
MIROCは各国の調査部門を総動員して彼らのパーソナルデータを入手した。デニスのバイタルデータや個人情報はシンガポール支部が取り寄せ、同時に別れた元妻、メイ・キリウの所在は北米の関連機関が確認に成功した。
メイは現在はカナダのバンクーバーに在住、名前もアレクサンドラ・ジョイと替えていた。
別れてすぐ、子どもは流産したという。
初めのうちは、彼女は非協力的だった。
デニスの事は全て忘れて新しい家族とまったく違う生活をしているから、そっとしておいてほしい、と訴えたらしい。
しかし、彼の置かれている立場を説明して根気よく説得した結果、自分は絶対に彼と会いたくないが、と前置きしたものの、替え玉を使うことにはしぶしぶ了承した。
息子役は、意外なところで見つかった。
子どもが生まれていたら今は一七歳、男の子だったということから、できるだけデニスや彼女のデータ値に近い人物、しかもMIROCの業務に協力してくれそうな人物を探しているところに、突如現れたのが彼だった。
「元々こちらにいるシヴァは、MITのエンジニアリングスクールに在籍中だった。近頃、MIROCアメリカ東支部に拘束されて事情聴取を受けていた。ハッキングの容疑で」
キタノががたん、と椅子を蹴って立ち上がった。
「こないだ騒いでたやつですね、データが読まれて、書き換えられた」
全日本支社の社内食堂メニューが、いつの間にか勝手に一食当り一四〇〇〇キロカロリーに書き替えられていた事件のことだった。
豚の丸焼きがメインで、品数が二〇、デザートはバスキン・ロビンスのアイス三〇段重ね、とあった。
「内部の仕業かと思われてたんですが……まさか海の向こうのコドモの仕業だったとは」
「セキュリティーが甘すぎる」
シヴァは平然と言い放った。きれいな英語だが、かなり強い訛りがある。
「社外秘だったんだろう? どうだった? あの献立は」
「直すのに、二日徹夜だったんだぞ。ホントにオマエがサーバーに侵入したのか」
「キタノ、英語えいご」カンナにつつかれ、あわてて言い直す。
「ええと、アナタが私たちのサーバーにアクセスを試みましたか?」
シヴァは挑戦的にあごをあげたまま言った。
「時間があったら、もう少し入り込めたんだけどな」
「もういい」
リーダーがぴしりと制した。
「今回は、シヴァはデニスとの接触が仕事だ。ハッキングではない。バックヤードでの情報収集はキタノ、キミが指揮してくれ」
「そいつが出しゃばらなければね」キタノは日本語に切り替え、小声で言い返した。
ボビー、軽く手を挙げて聞いた。
「私は何を?」
「ロバート、君はデニスの別れたワイフに化けて、彼らが国外に逃亡するのを手助けする」
久々に女に化けるのね、ボビーはちょっぴりわくわく。
しかし次の言葉にがっくり肩を落とす。
「シンポジウム会場には入るが、デニスと直接言葉を交わすことがないように取り計らう。遠目で『らしい』と分かれば十分だろう」
「ふん」
精一杯、反感を表に出さないようにはしているが、つい鼻息が荒くなる。
リーダーは全然お構いなく続けていた。
「細かい内容は、今から資料を渡す。明日の打合せは一三時から。それまでに分らない点や改善点がないかチェックしておいてくれ。書き込みはするな。明日回収するから。何か質問は?」
誰も何も言わなかった。
「では解散」誰も動かなかったので、リーダーは咳払いして言い直す。
「自分のデスクに帰っていいよ、お疲れさん」
ボビーは資料を丸めて筒にして持ち、何か立ち話を始めた後ろ姿のリーダーとキタノをまとめて袈裟がけに斬り倒した。
ふと振り向くと、シヴァがまじめな顔で彼を見ている。
「何かのおまじないなの、それは?」
「まあね、効くといいけど」
シヴァはそれを聞くと、肩をすくめて部屋を出て行った。