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蝶は嵐を起こす 弥勒の決死圏シリーズ#01  作者: 柿ノ木コジロー
第五章・駆けるサンライズ
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08

 ふり返ると、舞台から去ったはずの博士が、ゆっくりと後ずさりで舞台に戻るのが目に入った。

 彼の脇には、ぴったりとミナが、そして彼女の最後の部下なのか、男がもう一人、あたりに目を配りながら舞台に上がってきた。

 ミナは拳銃を博士に押し付け、部下はサブ・マシンガンを持っている。


「静かに」にわかに騒がしくなった会場に、ミナが一喝。急に、水を打ったような静けさが広がる。


「警備のみなさん、銃を捨てて」


 ミナに気づいて追ってきた連中が、袖の奥に固まっていた。

 ミナは博士をこっそり場外に連れ出そうとしたところを見つかってしまい、ここまで戻ってきたのだろう。

 彼女はいちかばちかの賭けに打って出ようとしていた。


「警察の責任者がいたら、手を上げて」

 後ろの席の背後に立っていた、やや太った制服の男がゆっくりと手を上げた。

「彼と国外に出るので、外にヘリを用意しなさい、すぐに」

「許可できない」ミナの隣にいた男に銃を突きつけられ、彼はあわてて答える。

「私の一存では、できない。すぐ連絡をとらせてくれ」

「おかしな動きがあったら、博士を撃つからね」

 彼は舞台の方を向いたまま、無線機でどこかと話を始めた。


 ミナは、今度はサンライズの方を見おろした。

「こっちに上がってきなさい、アナタ」

 舞台を去り際に、博士が手を上げて挨拶したのをちょうど見ていたらしい。

「政府関係者ね」ストラップの名札を一瞥した。

「日本人……」警戒したように目を細める。ついていた男に命じた。

「人質として使う、手錠しておいて」

 男は片手で手錠を出して、サンライズの両手にかけた。ざっとボディチェックをする。

 胸ポケットの通信機を床に投げ捨てられた。「他には何も持ってない」

「ヘリが用意できそうだ、少し時間をくれ」先ほどの警官が叫んだ。

「どのくらい」

「二〇分」

「二五分たったら、一人ずつ殺す」場内に悲鳴が上がった。「静かに」動きがないか、ミナの連れがあたりを見渡している。

「みなさん、動かないで」警官が大声で制した。「お願いします」


 床に落ちていたサンライズの通信機が、また赤く点滅し、床で震えている。


「みなさん、手をゆっくり上げて頭の上で組む」ミナの声は落ち着いていた。

「前の座席に頭をつけて、かがみこんだ姿勢で、そう。警備の方々は後ろに移動、手を上げたままね」


 有能な秘書は、会場全体を秩序正しく誘導していた。


「ここから、逃げられないと思う」サンライズは声を発した。が、すぐに男の制止を受けた。「黙っていろ」


 キーは掴めないままだ、彼はじっとその姿をみつめ、心の中で彼女をさぐる。

 見えてこない、焦る気持ちとは裏腹にスキャンの触手は目に見えない障壁に阻まれている。


 ミナは、ものうげな視線をわずかな間彼に向けた。

「研究発表が聞けたから、良かった」


 この女、逃げられると思っていないのか? 覚悟の強さが壁となっているのだろうか。


 しかし博士はどうなる?


 見ると、博士はまた爪を噛み始めていた。そんな彼を愛おしげに見やるミナ。

「私もかなり協力したしね……」


 サンライズは息をゆっくりと吐き、また意識を集中させる。

「ミナ……」何かがかすかに光る、意識の暗闇の中。もう少しだ……


 その時、会場後方のドアが勢いよく開いた。現れた姿をみて、場内は一瞬凍りついた。


「デニス!」


 その人が、叫んだ。ピンクの杖をついている。


「メイ……」噛んでいた指を離し、彼は目を見開いた。

「メイ、どうして?」

 急にはっと気づいて叫ぶ。「危ない、隠れろ」

 ミナが金切り声をあげる。「あれはメイじゃない、ニセモノよ!」わずかな隙ができた。


 すべては一瞬だった。


 ミナが客席の後ろに銃を向けた、が博士が立ちふさがる。「撃つな!」

 彼女は傷ついたように眼を見開き、博士に目をやった。とっさに、ミナの横にいた男が博士に銃を向ける。サンライズ、迷わず男に体当たりを食らわした。軽い発射音が連なり、演台に一列の穴が開く。軌跡の延長線上にいたミナ、そしてサンライズが倒れ、客席からけたたましい悲鳴があがった。

 男は狂ったようにあたりを見回した。周りにはすでに何も障壁がない。舞台袖から誰かが男を撃った。一発は頭に、そして一発が胸に。彼はくるりと半回転して、後ろのスクリーンにぶつかって崩れ落ちた。白いスクリーンにかすれたような赤い筋が残った。

「ミナ!」博士が倒れたミナを抱き起こす。

「リーダー!」同時に、杖を投げ捨てたボビーが壇上に駆け上がった。

「みなさん、落ち着いて」パニック寸前のところを、先ほどの警官が声を振り絞っている。

「一列に、押さないで、一番近い出口から速やかに外に出てください、押さないで」

「リーダー、だいじょうぶですか?」

 ボビーはスカートのすそを破って、彼の肩に当てる。

「貫通したようです。一つだけ」

 彼は歯を食いしばったまま、ボビーに聞く。「博士は」

「無事です」

 ボビーはサンライズを抱き起こした。「だいじょうぶ、血は止まってる」


 ゆらりと立ち上がった博士が、こちらに歩み寄ってきた。

「博士、大丈夫ですか」

 それには答えず、博士は遠い目をしたままつぶやいた。

「ミナは、死んでしまった」


 彼らは、黙って彼女を見下ろした。


 脚をこちらに投げ出し、体を半分ひねるように、彼女は倒れていた。


「息を引き取る間際に、彼女に言われた」ぼんやりと両手をあげた。

「何をですか」

 博士は、両手を拡げ、目の前に並べてみつめていた。彼女の血がべったりとこびりついている。


「言われたよ……もう爪を噛まないで、って」


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