05
翌朝、バンコクの空はすっきり晴れ渡っていた。
朝食をとろうとレストランまで下りていったサンライズは、ボーイと何か話をしているシヴァをみつけた。
「おはよう」シヴァの向かいに座って、おかゆの碗を取り上げる。
「カーオ トム」
かなり若そうなボーイは、持った碗を指してそう言ってからシヴァに目をやる。するとシヴァが
「カーオ トム」
と繰り返す。どうやら、タイ語のレクチャーを受けている最中らしい。
「それじゃあ、これは?」
今度はシヴァが緑色の小さなオレンジを持ち上げる。
「ソム」
ボーイの言葉を、同じようにシヴァが繰り返した。
白いお仕着せの青年は自国語が真剣に教えられるのがうれしいのか、次は何だ? と目でうながす。
しばらくタイ日常語講座を授けてから、ボーイはにこやかに手を振って厨房に去っていった。
シヴァは、今覚えたばかりのいくつかを早速指さし確認している。
「トォ、テーブル。カイ・ムアン、玉子焼き。サッパロッ、パイナップル。ソム……」
たまたま水を追加に来た他のボーイも、先ほどの講師に聞いたのか、急にパイナップルを指さしてシヴァに訊ねる。
シヴァは即答「サッパロッ」口ひげのはえた人のよさそうなボーイは、にっこりと親指を立ててから去っていった。
「ここの朝食どうだい?」
人がいなくなった時、サンライズが聞くと彼は口一杯にオムレツをほおばり
「いいよ」と一言。
昨日までボビーとシヴァが使っていたオリエンタルパレスにはもう戻れないので、セントラルにツインをもう一部屋とって、現地スタッフに頼んで引越しの最中だった。
ランクはあちらの方が格段に上だが、このホテルは従業員がフレンドリーで、食事一つとっても、家庭的な雰囲気が味わえるのが魅力だった。
東日本支部にミシュラー博士の件を報告したら、細かいことは現地の判断に任せる、とのことだった。
キタノの件も報告したが、予想通り鼻で笑われた。
これも現地で判断して、後から報告書を出すように、と。
正直、キタノがいなくなってくれてサンライズはほっとしていた。
報告書だったら何枚でも書いてやる、お安い御用だ、無事に帰れれば……カンナにもついそう愚痴ると、カンナは大まじめに「そうだね」と答えた。
そんなカンナ、サンライズたちを迎えに出た時にはすっかり熱がひいており、爽やかな顔をしていた。
「生水飲んだのが、悪かったかなぁ」
梅を黒く煮詰めた自家製のシロップが効いたみたいだ、とサンライズにみせる。
「よくこんなのが入国の時にゲートを通過できたなあ」
サンライズはおそるおそる瓶を持ち上げ、またそっと彼女に返した。
「そう言えばシヴァだけど」
カンナは思い出したように言った。
サンライズが出ている間にフォローについていたシヴァの仕事ぶりがすっかり気に入ったようだった。
「キタノ一〇人分は使えるわ」
ついそうつぶやいた時にシヴァが
「アイツ一〇人はキツイ」
と返したと。
その話をした時、カンナがうっすら笑ったようにも見えた。光の加減だったかもしれないが。
博士はと言うと、サンライズが原稿を渡すとえらく興奮して受け取り、すぐにページをパラパラとめくってすでにその場で何かチェックを始めていた。しばらく見守っていたものの、どこにも逃げる様子もなかったのでモニターのお守りに任せ、一人きりにしておいた。
しばらくはペンを片手にブツブツやっていたものの、さすがの彼も眠くなったのか明け方四時にはベッドにもぐって寝てしまった。現在八時少し前だが、まだ眠っている。
サンライズ自身も、ボビーとカンナとの交代でそれでも三時間は熟睡したおかげか、頭はかなりすっきりしていた。
今はボビーが夢の中だろう。悪い夢をみていなければいいが。
食事もあらかた済んだ頃、サンライズは、水の替わりにコーラを飲んでいたシヴァに目を向けた。
「シヴァは、どうしたらいいと思う?」
コーヒーカップを置いて、聞いてみた。
「ミシュラー博士を、今から説得してすぐに出国させるかどうか」
シヴァはそれには直接答えなかった。
「彼とボクはやっぱり似ている気がする」
紙ナプキンを細くほそく畳みながら、彼が言った。
「聞いたんだ、どう思ってるか……息子がいるかもしれないってこと」
「そしたら何て」
シヴァは軽く笑うように息を吐いた。
「DNA鑑定で調べてみたらどうだろうか? だって」
「調べるのかい?」
シヴァは首を横にふった。
黙っているところをみると、結果がどう出ても怖いのかもしれない。
紙ナプキンのこよりを今度はコーラの瓶に突っ込んで、ようやく言った。
「どう感じているのかと聞き直したら、何だかとまどっていた。答えてはくれなかったけど、その顔が返事だろうな」
「ふうん」
似ている二人ならば、答えはもう出ている。
論文発表までは、彼はてこでも動かないだろう。




