03
星明かりの中、崩れかかった入り口の石組に片手をかけて立っていたのは
「リーダー!」
ボビー、思わず叫ぶ。
「なんだオマエは」よく見ようと目をこらして、男ははっと気づいた。
「さっきの酔っぱらいじゃないか、英語が?」
「ベイトー(座れ)」
リーダーがはっきりと言った。
その瞬間、男はびりっと電気が通じたかのように身震いし、持っていた棒を落とした。
「座れ、そこに、武器を捨てて」
ひと息おいて、男は崩れるようにその場に座り込んだ。
サンライズ・リーダーは急いで中に入ると、彼を縛り上げ、ボビーの戒めを解いた。
「ケガは? どこかやられたか?」
「だいじょうぶです」ボビーは男の持っていた懐中電灯を拾い上げる。
「もう一人は?」
「もう縛ったよ。こちらには他に誰かいるのか?」
「今に、ユースフという男がここに。今はミナとあっちのホテル内にいます」
リーダーは外をうかがい、誰も来ない事を確かめてから彼を待たせてある車まで引っ張ってきた。
「さあ、バンコクに帰ろう」
「アイツらはどうしますか?」
「ホテルも少しのぞいた、ヤツらの関係者らしいのが何人かたむろしてたな」
少し考えてから通信機を出して、カンナに指示を出した。
「アユタヤ警察に連絡。クルンシーヒルにユースフと名乗る男とミナという女。ミナは元々ミシュラー博士の秘書だ。博士の誘拐を企てているらしい。他にも仲間らしいのが確認しただけで五名。何でも名目をつけて拘束するように指示」
ようやく、ほっとしたように背もたれにもたれかかる。
かなり辛そうに額を押さえている。もしかしたらさっき見たものが、前に見たのと同じ、特殊訓練の成果なのか?
「これ以上は、もうオレも限界だ。あとは警察に任せよう」
「はい」
急に気が緩んだせいか、寒気が押し寄せた。全身ががくがくと震える。
ボビーは自分の両腕をぎゅっと胸の前で組み合わせた。歯が鳴っているのが判る。
震えが伝わったのか、彼が身を起こした。
「ボビー、だいじょうぶか」
自分も辛いだろうに、こちらを気にしてくれている。
「気分が悪いのか?」
「いえ、だいじょうぶ」しかし、激しい震えは止まらない。「どうしたんだろう?」
「遅くなって、すまなかった」
彼の手が肩に優しく触れた。
「怖い思いをさせたね、本当にすまない」
「いえ……」
実際、今までにない位の恐怖だった。後になってのど元にこみ上げてくる。
危険な仕事は今までにもいくつかこなしてきたが、実際にこうやって捕まって殺されそうな目に遭ったことは、初めてだった。
サンライズが手を伸ばし、ぎゅっと彼の肩を包んだ。
ボビーも腕をまわした。父親のような、きょうだいのような温かさに包まれる。
みるみるうちに胸の中のしこりがほぐれていく。震えは自然と、収まってきた。
しばらくそのままでいたが、リーダーも頭痛で辛いだろうと気づき、礼を言って腕を離す。
「とにかく、しゃべっちゃいけないと思って……黙っていられたけど」
涙がひとすじ、頬を伝う。
「あれ以上責められていたら、多分……」涙はもう止まらない。
「リーダーみたいに、強くなれないんです、ワタシは」
「そんな事はない」驚いたように彼が言って、「オレが強い?」更に驚いている。
少し窓の外を見ていたが、ぽつりと言った。
「オレも前に一度捕まってさ……」
誰かの部下として働き始めたばかり、新米特務員の頃、敵の罠にはまって一人だけ捕えられたことがあるんだ、と、淡々と話す。
「もう怖くてこわくてさ、震えながらションベンもらしたよ」
まあ、縛られてたしね、と簡単に言う。
「捕まった時の様子を見せたかったよ、いやごめん見せたくない」
思わずボビーも笑い声を洩らす。
「まあね、誰も見てないから何とでも言えるけどさ、とにかくごめんなさいごめんなさいのいい通しだった。這いつくばってね」
「そうなんですか?」
「とにかく、その場がしばらくしのげれば、いいんだよ。後で助かった時にその時のリーダーに言われた。気にするな、目的のためには薄っぺらいプライドなんか捨てていいんだ、結果オーライだって」
「結果、オーライですか」
「ああ……」
彼は前の運転手に何か言葉をかけた。運転手は脇にあったボックスティッシュを箱ごとこちらに渡してくれた。日本製だった。
「しゃべっちまった方が長生きできそうだとか、助かる人間が多いかも、と思えばいくらでも嘘が出るようになるさ」
慣れればね、しかしこればっかりは慣れたくはないよな、と短く笑う。それから
「あと三〇分は休めるから、少し寝ていくといいよ」
と、自分は窓際に寄って座席を少し広く開けてくれた。
ボビーはティッシュで目頭を押さえる。
少し落ちついた頃、聞いてみた。
「日本でおっしゃっていた事」ずっと、気になっていた。
「何を」
「蝶が……飛べない、って。あれは何のお話だったんでしょうか」
「蝶?」
記憶をたどっているような目になった。
「まるで、何かのようだ、とあの時、頭痛がひどかった時」
ふうん、と考え込んでいる姿は修行僧か何かのように真剣さを帯びている。
かなり時間が経ってから、彼が静かな声で答えた。
「蝶と言えば、その少し前に見た。他に覚えがないから多分その話だろう」
「それが何か」
「翅がぼろぼろになって、飛べずにいた。地面に落ちていたんだ」
そこまでして、何のために生きているのかが分からない、そう思って踏み潰そうとしたんだ。そう語る彼の声は抑揚がなかった。
「それがまるで、自分を見ているようだったから」
ボビーは、思わず身を起こしていた。「そんなことはありません」
「うん」
彼はこめかみをさすりながら、少しだけ微笑む。
「今では、オレも少しは感じているよ、いくらボロボロでもちゃんと飛べていなくてもとりあえず、風は起こしているかも知れない……と」
リーダーが通信機を出してカンナに再び連絡をとっている間、いつの間にかボビーはぐっすり眠っていた。




