蝶は翅を拡げる
初対面の印象ですべてが決まる。
―― その時まで、ボビーはずっとそう思っていた。
「失礼します」
以前、日本語講座で教わった通り、コードネーム『ロバート』はドアを開けて軽く一礼し、中に足を踏み入れた。
逆光の窓枠内に、二つのシルエットが浮かんでいる。
すぐに目が馴れて、人の区別がついた。
左側の明るいグレーの背広を着たかっぷくのいい男はMIROC東日本支部の支部長らしい。
柔和な丸顔は、とても百戦錬磨の元特務員とは思えない。
もう一人……やや若い男の方にはまったく見覚えがなかった。
少しやせ気味で、背丈は自分より低いかも知れない。黒ぶちの眼鏡に黒っぽい背広、ネクタイはダークグリーン、着こなしはすっきりしているのだが、一見したところではまるっきり脳内にイメージが残らない、というくらい、目立たない風采だった。
すっと眼鏡のふちを押し上げ、彼はこちらを向いた。窓辺からの光がまともに彼の顔を照らす。
日本人のようだ。
悪い顔ではない。どちらかと言えばいい男とも言える。少なくとも目はきれいだ。
それにまだ、若そう――
日本人の年齢はいつもよく分からないが、これが例の、彼なんだろうか? こんなに若い人が、私の?
でも、ちょっと苦手なタイプかも。と、ロバートは少し眉を寄せてよく彼を観察する。
思ったより若くて、見た目も悪くないとは言え、どこか神経質そうでもある。本当に特務員なのだろうか?
几帳面で、経理とか金の計算に向いている感じ。それか事務方か。小言が多そう。
あの口元をみてよ、彼の中にいる本来の『ボビー』がかしましく口をはさむ。
ああいう唇の薄いヤツは冷淡なのよ、それに多分ジョークも通じない。
支部長に呼ばれて、「キミの新しいリーダーを紹介するよ」と言われた時には新しい出逢いになるかしら、とちょっと胸がときめいたのだが。これでは全然心が躍らない。
やはり普通の『男らしい』スーツで来てよかった。
「ボビー、紹介しよう」
支部長はそんな彼の胸のうちを知るや知らずや、明るい声でこう言って片手をさしのべた。
「こちら、コードネームはサンライズ。リーダーとして仕事するのは今回が初めてだ」
サンライズ、と呼ばれた男は少し前に出た。
「初めまして」
けっこう深い、良い声をしている。ボビーは密かに八十八点をつけた。
差し出した手も、指がきれい。
しかし、ボビーは手を差し出さず、彼の目を見ないようにしながら、支部長に顔を向けたままあえて堅い声で言った。
「支部長、約束が違いますが」
「え? 何がだね」
「今回は日本人とは組まない、と聞いております。それに、ベテランに付きたい、とお願いしたはずですが」
サンライズ、と呼ばれた男は明らかに当惑しているようだ。
この男のせいではない、それでもこういう小役人のような若造が困っているのをみるのは、ちょっと気分が良かった。
しかし支部長は、全然動じたふうでもなく、にこやかに答える。
「そうかね、ボビー。しかし今回は彼がリーダーだ」
ボビーは片眉を上げ、不信感を顕わにした青い目を新しいリーダーに向けた。