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ゆらゆら揺れてる。

作者: 伊勢あやめ

 かつて、ある偉人がいった。つらい、つらい、つらいと世界に対して思う事から逃げるのではなく、真実に目を向け、意味の世界へと還元するのが、唯一の覚醒になるのだと。俺がこうして、おこなっている事は果たして十分に覚醒するもの足り得ているだろうか。その答えは俺には当然わかるはずないが、万人が共感せずとも、これを読んだ人間のうちの一人が、理解してくれればいいのだと、そう思っている。


◆これが始まりα


――涼二は、どうして今の彼女と付き合ってるの?

 俺の目の前に座っている女は、既に四時間しゃべりっぱなしで、ドリンクの追加注文やら、デザートやらを三回以上頼んでいる。よく食べる女だ。そう思った。

「え、理由? 考えたことないなぁ。好きだからじゃないのかなぁ。そうでなかったら、相手が好いてくれているから、じゃないかなぁ……わからないですね」

「それって、妥協じゃなくて?」

 妥協っていうのとは、たぶん違うと思う――確かその時はそう答えた気がするが、よく覚えていない。

「なんでそんなこと聞くんですか」

「だって、涼二、受験だし、すごい勉強頑張っているのに、彼女、遊んでばっかりだし、自分の都合でなんでも決めようとして、すごい振りまわしているように見えるから」

「ああ、それは間違っていないかも……しれません」

 自分が心血注いでいることに対して、横やりを入れてくるものほど邪魔なものはないなと思ったこともあったが、それでも彼女と続いている。それはどうしてか、そんなことは考えたことはなかった。ちなみに目の前の女は彼女ではない。

「うん、私もね、涼二の気持がなんとなくわかるんだ。ちょうど一年前の夏から秋にかけて、大変だったから」

――聴いたよ。

 あっさりそういう風に流してしまえたら、どんなに良かっただろう。でも目の前にいる女の人は、当時、俺にとって大事な人で、そうやってあしらう事は出来なかった。

 大事な人。

 大事な人って何だろう。

 恋人? ではない。

 友達? これよりは一歩半、進んでるかも。

 愛人? 違う。

 親友? これはなんか、胡散臭い。

 先輩、と後輩。

 これだ。この関係がしっくりくる。今はもう、違う世界に生きているけれど、この関係が適切だと思った。

 目の前の女は高校の時の部活の先輩で、当時最も俺に近かった人。それはたぶん、彼女と比べても、ずっと近い距離にいたと思う。勘違いしないでほしいが、「近い」関係であったからといって、恋人でもなければ、付き合ってもいなかった。

 そんな先輩との世界を壊したのは、俺だ。

 俺の身の回りで唯一の楽園のような世界。それを俺は自らの手で壊してしまった。だからもう二度と、壊すまいと誓った。

 つかず、離れずの距離。維持するのに細心の注意を払わなければ、すぐに決壊してしまう距離。乱れてしまってからは、元に戻ることはないその距離感のことを、俺は何もわかっていなかった。

 それから、早くも四年以上の歳月が過ぎていた。


◆これが始まりβ


 最悪の夜だった。

 数回、一緒に食事しただけで、五年以上も仲良くしていた「友人」が、割り箸を割るのよりも簡単に私のことを裏切った。「友情」という脆い鎖を、男どもはすぐに壊す。そのたびに思う。死んでしまえばいい、と。何度目かわからない。が、理由は分かっている。

 それは、私が相手に興味を持ちすぎるから。

 たったそれだけのこと。相手のことをよく知ろうとするあまり、出会う男は皆、何を勘違いしたか、私に群がるのだ。

 もう慣れてしまったとはいえ、今度のはショックだったなと思う。 長年、友達を保ち続けてきただけに、その衝撃も大きいのだろうか。きっとそうだ、そういうことにしておこう。じゃあ彼がずっと友達だった、友達でいられたのは、どうしてだろう。

 彼には好きな人がいたから。

 でも、その好きな人が、彼ではない人と付き合ってしまった。

 そして彼は、嘆いた。

私の前で。

そうやって考えていくと、ああ、あの時がすべてのわかれ道だったのだな、と思う。思い出して、見尻に涙がにじんだ――

「別に好きな人がいて、もう付き合っているんだって」

「あ、そう」

 なるべくそっけなく答えた私。

「なんていうか……こんなに長い間、片思いしていたのが、馬鹿みたい。というか、アホらしくなってきたよ」

――その恋が、阿保らしくなってしまったの? そんなことはないと思うけど。

 そういいたかったが、実際に口から出た言葉は違った。「そうだね、辛かったね」という、相手が求めるような、嘆きに対しての答え。この時がきっと、分岐点になっていたのだと、そう思った。

 割と高級なレストラン――ビルの最上階と言わなくても、それに準ずるような――で、ワインを口にした私は外を眺めていた。

 明滅する赤の光が眼に痛く、目線を下げると、星屑をこぼしたような眼下に広がる夜景に見蕩れた。彼がここに連れてきたのは、なぜか。それを考えなかった私は愚かだった。次に発する言葉が、私と彼のすべてを壊した。

「玲子、今彼氏いないんだよね。それも、もうずっといないんでしょう」

「うん、そうだけど」

 目線があった。一瞬彼が目線をはずしてから言った。

「じゃあ、俺と付き合わない」

 この時、私の中の美しかったガラス細工は崩れ去ってしまった。

 結局、誰もかれも、私の近くに寄っては、傷つけていくのだ。


◆回想α


「ねぇ、男女の間の友情って、成立すると思う?」

 唐突だった。話の流れも覚えていない。むろん、どうしてそんなこと言ったのかも。

覚えているのは、とても遠いところを見ているような、さびしげな眼を、玲子がしていたことだった。なぜ覚えているかといえば、それは、その言葉が俺の中にも、深く突き刺さっていた古い記憶があったからだった。

「しないだろ」

 ぶっきらぼうに答えた俺は、自分で自分のことをひどい奴だなと思った。だって、もっと、綺麗に答えることもできただろうから。でもどうしてか、その時は、素の自分で答えてしまっていた。友情でしか結ばれていない、俺と、玲子の間柄であるのにもかかわらず。玲子は大学に入って、微妙に仲良くなった奴で、俺の友達の彼女「だった」。

 なんだか寒い日だった気がする。二人で、あったかいお茶を手に持っていて、お互い、核心に触れないように切り込み合うようなそんな感じだったのを思い出す。二人だけだった。その日は寒かったから皆、暖房のきいた部屋の中、少なくとも屋内にいた。なぜ外で話したか。それは誰も聞く人がいないからだった。

「そうだよね……」

何か言いたげだな、と思う。目の前の彼女は案の定ゆっくりと、言葉をつづけた。口を開くのに、数分とかからなかった。

「私ね、絶望したんだ、成立していた友情が、破綻して」

簡単に言ってくれるけど、それは俺と玲子のことじゃなくて、きっと、誰か玲子と近しかった男の話なんだろう、というのは当然で。いきなりそんなこと言われても、何だそれはと思ってしまう。そうか……としか答えられない俺。なんてみじめなんだろうと自分でも思って、もっと何か気の利いた言葉を言ってあげるというか、かけてあげることはできなかったのだろうかと思う。思ってはいたけれど、無理だった。俺にもそういう、破綻した経験があるからだった。そしてその破たんはかつて、俺自身が招いたものであった。だから答えられなくても仕方なかった……というのはいいわけだろうか。

 そういうとき、一歩踏み出してしまうのには勇気がいる。

なぜなら、踏み出してしまった以上、元の関係には絶対戻れないし、戻れたとしても、無意識のうちに距離をとってしまう。そういうものだと思う、人間なんて言う生き物は。もっと素直になればいいのにと、いつも思うけれどそういうわけにはいかないから、転んでは立ちあがる、の繰り返しなんだと、そう解釈して、自分では納得している。

これは回想。今から二年前の、確か冬。

 今もそうだけど、この時、俺と玲子は付き合っていたとか、いい感じだったとか、そういうんではなくて、ただ何となく玲子が彼氏と別れたからこういう話をしたっていう、それだけだった。玲子が別れた彼氏というのは、俺の友達で、いい奴だったけど、女にとって、いい男ではなかった。

 それはともかく、俺たちは恋人じゃない。

 玲子と俺は、少し仲がいいだけなんだ。恋愛とは違う、きっと本質的なベクトルが共鳴しているみたいな、それだけなんだ。だから一歩踏み出そうとはしないし、踏み出す必要すらない。だって、この距離感が適切だから。つかず離れずの距離。俺と玲子の距離感はこれが適切な距離感なんだ。

 そんなとき、唐突に玲子は言った。

「私は、涼二と付き合うことはないと思ってる」

 俺は当然のように答えた。空には厚い雲があった。青空は見えなかった。

「俺もそう思う」

 そう答えてから、この会話を最後に言葉が途切れた。あるのはきっと友情で、恋愛ではない。だから、これ以上の会話は要らなかった。

 ふいに頭の中でフランク・シナトラの歌う、軽やかなFly Me To The Moonが流れてきた。どうということはなくて、いつも俺の頭の中はこんなもんだ。In another words...I love you.……そんな言葉を歌ってたからだろうと、思う。歌詞なんて深く考えたことはなかったけれど。ふわふわと浮かんできたという……。


◆現実β


――お待たせ。

背中からハスキーな声が聞こえてきた。でもカラオケに行くとトンと高音域まで歌うような奴で、長年寄り添っていた彼女がいるような……彼はそんな男だった。涼二という。

「結構待ったでしょう、ごめん」

「ううん、全然」

待ったといっても三十分くらいで、お互い不自由な社会に生きているのだから、これくらい気にはしない。むしろこうして会ったのは半年……いや、七か月ぶりくらいで、久しぶりに会ったなと思った。彼に呼び出されたとはいえ、奇跡的に今日はスケジュールがぴったりとあった、ただそれだけ。

彼はこういう、割り切った付き合いを欲している。溺れることなく、余計なことは言わず、距離を置いて付き合うことのできる、そういう関係を欲しているのだ。なぜか知らないが私にはわかる。

そしてこれは、私も欲している関係だ。

 だから、ちょっと遅れてしまったというような瑣末なことでいちいち目くじら立てたりしない。それが、私のスタンス。これは未来永劫変わらないだろう。

「どうしたの、久しぶりに会えるか、って。全く、突然」

 何となくわかってはいるが、確かめるように訊ねる。これは儀式みたいなもの。そうやって、話しづらいことでもきっかけをあげ

て、あとは、相手にゆだねる。どうせ、彼女のことで悩んでいるのだろうと思った。

「いや……彼女のことなんだけどさ」

 予想通り。まさか別れたとか? 七年も付き合ったというのに? いつも相思相愛みたいなイメージでいたけど、実際は違ったのか? 私は勝手に妄想を膨らませ、一人で楽しくなる。こういった相談事を持ち込まれたことは、数えきれないけど、今回のケースは彼だからなのか、少し前向きに話を聞いてやろうと思う。

「浮気、されてて」

「あ、そう」

 少し顔をまじまじと見る。疲れた顔。ちゃんと寝れてないのだろうな。直感的にわかってしまう。彼女にその話をされてから今まで、つらかったのだろうな、という事も。

「うん、で、浮気だけど、もう浮気じゃないって……えっと、もう、そっちの人が本命で、こっちはどうでもいいって」

ジェスチャーつけながら、伏し目がちで、言葉を探しながら話すあたり、話自体が嘘ではないらしい。あと相当切羽詰まってるんだってことも、何となくわかった。

「それ、いつの話」

「先週の休日」

「あ、最近だね」

「そう……で、困ってます」

「あ、そう……」

 困ってます、困ってます、困ってます……話が途切れたけど頭の中では最後のセリフがぐるぐるして、止まらない。というか彼が私に今後の展開を丸投げしてきたところに驚いた。こんな人だったっけ? もっと芯があるようなイメージでいたけど。あれは勘違いか? それとも相当きわどい状況だってことなのか……いずれにせよ、私から口を開く。

「相手は、彼女の相手はどんな人?」

「同じ職場の人」

「そうなんだ」

「仕事上のこととか、色々相談に乗ってくれてるらしくて、すごいお世話になってるんだって。食事とかも、たまに二人でいってたらしい。」

 そっか、彼女さんは距離感を保てない人なんだなと思った。もちろん、そんなことは言わないが……目の前の彼も思っているし、長い間付き合っていれば、それもわかるだろう。まず間違いなく。

「それで、別れたいって言われたんでしょ」

「うん、そう……でも、とりあえず考え直してもらえるように、五時間くらいねばって、なんとか今度の休みも会えるように話はつけた」

「五時間? 結構粘るんだね、もっとあっさりしてるかと思った」

 これは本心。涼二はもっと、あっさりしているタイプだろうと思ってた。だから五時間という言葉を聞いたときにかなり驚いた。

「あぁ、それは俺も思った。前の彼女の時は、すごいあっさりしてたよ」

 おっ、新情報入手。彼がつきあったのは、今の彼女が二人目以上。そしてあっさりしてるだろうっていう私の認識も、間違っていないようだ。……ただ今回は、例外ってことかな。

「へぇ……相手は何だって言ってるの……どこが嫌い、とか」

「まず、理屈っぽいところ。物事に正論で返すところ。二人の思い出をどんどん忘れるところ。具体性を求めるところ、変わろうとしないところ。一緒にいるときに平気でほかのことするところ……そんな感じだったと思う」

 あっけにとられてものも言えない私。彼女さんは結局、この人の中身に不満だったってことでいいのか。と、思っていたら、まだ続いた。

「あと、会える時間が少ないところ、連絡もあんまりとらないところ……そんな感じだったっけ」

 なるほど。そういうところは、わからないでもない。社会人とはいえ、「二ヶ月間」くらい放っておかれたら、私もさすがに答えるだろう。さて、今回はどんな感じだったのだろう……。

「そっか。その、連絡とか会ってる時間とかなんだけど、どの程度だったの?」

「そうだなぁ……相手も忙しかったから、週に一回か、二週に一回は必ず会うようにしてた。あと、連絡は、メールくらいだけど、だいたい毎日一通は送るようにはしてた」

 なんだって? 社会人で時間が無いにしては、結構頑張ってるんじゃない? 初めから彼女寄りだった考えを微妙に改める。それに毎日メールって、なんか高校生の時を思い出すなぁ、と私は思った。。

「あと、ネット繋げてだらだら話したりもしてたんだけど、あるときもうやめようって言われて、それからはあんまり……電話くらいでしか、だけど話す機会は減ったかな」

「相手からやめようって言われたの」

「うん」

この人は、気付くのが遅すぎたんだな、と思った。いや、でもそれだけ相手を信頼していたということなのか、とも思う。いずれにせよ論点はそこじゃない。

「そっか、とりあえず率直な感想を言うと、社会人にしては物理的に……会う時間、連絡頻度とか、そういうのは頑張ったんだなと思うよ。性格のこととか、物理的じゃないことは……努力次第というか、どうにかなりそうなの」

「あぁ……性格的なことは、直せないと思ってる。努力をするにしても。むしろ物理的な方は相手にあわせることもできなくはないかな」

 ここでちょっと驚いたことがひとつ。きっと、そんな時間は、この人にはもうないということ。今日こうして会えたのも、奇跡だ。いつも二十三時以降にしか連絡が来ないのだから。

 でも、一応相手の要求というか、希望に対しての言葉も、決まっているんだと思って、これだからこの人は、と思った。自分の中ですでに答えは持っているけれど、こうやって時たま相談したい、話したいと思ってしまう、そういうところ。

「へぇ……じゃあ、一緒にいられれば、とりあえずいいかなって、そんな感じ?」

「うん。相手が浮気してても、結局、いずれ、戻ってきてくれればいいって思ってる。だから、浮気してても一緒にいられればいいかな」

 ああ、これって、なんて一方通行な愛情なんだろうと思う。虚しい、絶対に虚しい。幸せじゃない気がする。普通に考えて。

「それって……涼二は幸せなの?」

 これも、心の底から思った言葉。

「うん。全然幸せじゃないけど、幸せなんだと思う。なんていうか、自分の中の幸せの沸点が、どんどん低くなってるみたいな……今、そんな感じ。相対的に見たら、今、いってることを普通の人から見たら、なんて惨めな、求めるものの低い、幸せの構図なんだろうと思う」

 そんな事だろうとおもった。だって今あなたが言ってることって、誰も得しないことなんだよ? 自分のほうを見てくれないことがわかってる彼女と一緒にいて、きっとあなたはいずれ、捨てられる。なぜならあなたも彼女も、今のままでは削りあうことしかできないから。それをわかっていてもなお、一緒にいたいと思うのは、どうしてなの。私ならきっぱりと別れてるだろうな、そう思った。

涼二は言葉をつづけた。

「正直、今回のケースは、活路が見出せないんだよね」

そりゃそうだ、私だって話を聞いてて、そう思ってる。

さぁ、どうするか。私は頭を少しひねって、口を開く。

「今度の休みに会うとして、着地点の見えないまま会っちゃだめだよ。自分の中に、こうしたいっていう、明確なビジョンがないと、きっとそのままだめになると思う……もちろん、初めから危機的状況なわけだけど。それと……私だったら、大抵別れたいっていう話になったら、一度別れてみるかな」

「え、玲子、マジでいってんの?」

 驚かれた。普通か。

「うん、だって一度別れて、他の人と付き合って、結局涼二のもとへ戻ってくるかもしれないでしょ。私の推測なんだけどね、その彼女さん、浮気相手と付き合っても、きっとすぐに破たんすると思う。聴くに、相当、重い人だから」

 私と違って、というニュアンスがあるように聞こえてなければいいと思う。こういうとき、男は大抵勘違いする。でもこの人は違った。距離感を守る人だ。

「いや、そうしたとして、元に戻ることって、ある? 普通、別れたら相手のアドレスと電話番号を電話帳から消して、着信、受信拒否して、終了っていうのが普通でしょ。いや俺はアリだけどね、というかむしろそういう風にして元に戻った方が長続きすると思う」

「まぁ……普通そうだろうね、無理だよね」

「玲子は、学生の時に彼氏と別れたでしょ? その人に連絡とったりする?」

「……私からはしないかな」

 いや、まさかこんな展開になるとは思わなかった。人間としての距離感は取りながら、相手の心に手を伸ばすとは……。涼二はきっと、今の回答で、当時彼氏と別れた背景に、私には責任があったわけではないこと、私が相手を待っていることなんかを読み取ったと思う。相手に対して深読みしすぎることがあるから。でも、それさえも私の深読みで会ってくれたら嬉しいな、と思った。

「だよな……俺結構、お前が彼氏が別れた時、ショックだった」

「なんでょ」

「え……だって、すごい、絶対、って言っても将来の話だけど、結婚するだろうなと思ってたから。それくらいに釣り合ってたし、いい組み合わせだなと思ったから」

「……涼二、なんか、言ってること、オヤジっぽい」

「うん、知ってる」

 この人が私に持ってるのは、友情じゃなくて、ある種の愛情なのかもしれない。恋愛という次元を超えた、慈しみに富んだ、親が子供を大事に育てるような、そんな情。

 そう思った時、少し胸が、きゅっ、とした。


 ――あ、虫。

お店の中が騒がしくなる。私が先に入っていたお店だけに、苦笑いするしかない。

 雰囲気が壊れた。それは私にもわかった。

「別のところ行こうか」

 涼二に従って、外に出た。風が冷たい。冬みたいだ。

 私は彼女さんの気持ちになって考えてみる。うん、確かに理屈っぽいところはあるし、選ばれた末に出てくる言葉も、受け取る側にしてみれば残念な言葉だったりする時もある。それに、いつも具体的にどうしようか、どうすればいいかとかそういうレベルの話にしたがる癖も確かにある。

だからと言って、「性格が嫌」と、付き合ってから七年目にして、面と向かって言えるだろうか。その七年は、どうして続いたんだろうか。

 かつて、私はそんなに続かなかった。一年と二カ月。そして別れはランチ中だった事を思い出した。


◆回想β


とんかつ屋に入ったときが別れの場所だった。

「私たち、別れよう」

相手に選択を迫るのではなく、もう、決定事項だった。私の中では。だから相手の言い分を聞くわけでもなく、ただ事務的な報告のように伝えた。

茫然とした彼を前に、そう言い切ると、あとは相手が延長戦に持ち込もうとするのを単純に否定し続けるだけだった。いつも、デートでの彼はよく食べるのに、この時ばかりはご飯を残した。高級なとんかつも。初めてみた光景だった。

彼は、忙しさにかまけて、二ヶ月間連絡を取ろうとしてこなかった。それが原因。

 さすがの私も、二ヶ月間という長さは、少し耐えられなかった。そして、久しぶりに会った時、、ごめん、とも、久しぶりに会えて嬉しい、とも言う事はなく、淡々と歩きだしたから。

「玲子のなかでは、もう決まってる事なんだね」

 そのあと一時間の協議の末、当時の彼はあきらめた。結局、その程度だったのだと思う。それに比べ、涼二は五時間も絶望の中で延長し、一週間後にまた会う事を取りつけて帰ったと聴いた時、彼女さんは愛されているのだなぁと、単純にそう思った。それはすこし、羨ましかった。

 ただ、私が彼氏と別れた後の彼氏の行動を涼二から聴いて、私も少しは愛されていたのだろうなとおもって、ほっとした事がある。とんかつ屋での別れの後、私の彼氏だった人はぼんやりと夕日を三時間眺めて、沈んだのを見届けてから帰ったそうだ。それくらいの苦しみが、彼の中であったのだという事に、少し、安堵した自分がいた。

 この人となら結婚できるかも。

 付き合っていた時、少しはそう思った自分がいたことは確かだった。だからその別れを心に決めた時、私の胸も痛んだ。でもその二か月は、私にとっては長かったのだ。

 私の中でくすぶっているのは、少しでも、相手を信じてしまったから、という事。それが壊してしまったのかもしれない、という事。

 人との距離感を取る、間合いが近いため、私に男たちは群がる。だが、それは好きとかそういうのではないから、私にはそんな気はないのだけれど、相手はすぐに勘違いする。

 そんななかで、高校以来の友人も、ついに「勘違い」してしまった。男女の間の友情は、成立しないのだろうか。男女間では友情は、保つことは出来ないのだろうか。そう思う事がしばしばあって、絶望する。絶望させられる。

 涼二はどうだろうか。この人も、いずれ、今の彼女と別れてしまったとして、そのあと、私のもとへ、恋愛対象という形で近寄ってきてしまうのだろうか。おそらくこのままでいけば、今の彼女と別れることは間違いないだろう。そして、そのあと、この人はどうするのだろうか。

……あぁ、今起こってもいない絶望を考えるのはやめよう……そう思った。

 今はただ、距離を保ち続けている涼二に感謝して、今後も続くことを祈るだけだ。また私の胸が、チクッとする。

 考え事をしながら歩いて行くと、照明は暗めなのに、賑やかなお店についた。


◆仕切り直しα


「ビール」

さっきの店でも飲んでいたけれど、ここでもビールを頼んでしまうのは、選ぶのが面倒だから……だけではなくて、この店はビールの銘柄がアサヒだったからだ。銘柄というのは重要で、気持ちよく酔えるか、酔えないかが決まってしまう。飲んだ瞬間に味で銘柄がわかってしまうのも、病気のようなものだろうか。

「そういえば、玲子、今日何時まで大丈夫なの」

「えっと……十時かな」

 しっかりと時計を見て答えるあたり、きっと計算してくれたんだろう。ぎりぎりまで大丈夫な時間とか、自分の生活サイクルとか。じゃあ九時半ごろには席を立とうかな、と思った。

「俺たぶん、今の彼女と別れたら結婚できない気がする」

 俺のつぶやきが二人の間に停滞する。

「私も、出来ない気がする」

「そうかね」

 俺が結婚できないのは、人生で二度もあった女と付き合うという奇跡が、三度も起こるわけがないだろうというものだが、玲子のいう出来ない気がするというのは、前に付き合っていた彼氏……まぁ、俺の友達なわけだが……と元に戻りたいが、戻れないからだという事なんだろうな、そう思った。

 俺の目から見て、玲子は男に縁がないほうではない。むしろ、男たちとの距離感が他の女に比べて近いから、告白されて、振ったり、という事は、今まで山ほどあったろう。

「まぁ、今は彼氏いらないかな……あ、でも涼二が紹介してくれるんだったら」

「紹介する奴なんて、俺の周りにはいないよ。それより、結婚すること決まったら教えろよ」

「いやぁ、当分ないと思うけどな」

二人して苦笑いしてしまう。早くも、玲子のグラスが空いていた。

「あ、グラス空いてるけど」

 いつも通り、飲むのが速いな、と思った。

「あぁ、じゃあこれ、カシスオレンジ……っていうか、今の彼女と長いみたいだけど、一人目ではなかったんだね」

「え、ああ、そうだね。中学、高校の時の彼女が初めてだね」

そういえば、昔の彼女の事をこうやって話せるというのは、自分の中でもある程度のけりがついただろうか。昔はこんなに簡単に、話そうという気は起きなかったな、と俺は思った。

店員にカシスオレンジと、俺が食べたいと思った生ハムを頼んでから、少し遠いところをぼんやりと眺めてしまった。

ぼんやりと眺めた先は、隣のテーブルの無様に転がったフォークだったが、俺が見ていたのは自分の中にある、淡い記憶だった。


◆回想α


 他に好きな人ができたの――その台詞を聞いたのは、その時は初めてだったが、今では二回目になってしまった。人生で同じセリフを二度も聞くことになるとは思わなかった。

初めてその言葉を聞いた時、怒り狂って、危うく怒鳴りそうになったので、頬をぴくぴくさせながら黙ることしかしなかった。それが精いっぱいの、やせ我慢だった。

 夢に見ていた、バラ色の生活はどこにもなくて、結局のところあるのはドロドロの現実に、絶望の事実が重なっているだけ。そんな風に達観というか諦観しはじめた矢先の出来事だったから、なおさら腹が立ったのかもしれない。

「もうあなたの事は、これっぽっちも好きじゃない」「むしろ嫌い」「だから別れてほしい」「じゃあ」「……」

それは電話で、返す言葉もなかった。電話をかけなおしたら、着信拒否されていた。まぁ、当然だろう。

 あのとき、心のどこかに出来かけていた穴が、完全にあいてしまって、無性にいろいろ、誰かに話したくなったものだ。きっとあの時の彼女がいなかったら、今の彼女と七年間も続かなかっただろうな、と思う。そう思って、何でもかんでも、過去の出来事を美化してしまうのは、いけないことだろうか。

 たとえ、それがいけないことだったといわれようとも、俺は大事に自分の過去、生きてきた道を、信じてあげたいと思う。でなければあの時苦しんだ自分自身が、恵まれないじゃないかと、そんな風に思ってしまうのだ。

――涼二

 名前を呼ばれて我に返る。時間が五分くらい経過していただろうか。昔のことを思い出して、ぼんやりしてしまうとは、だいぶ疲れているのかもしれないと思った。

「あ、悪い。ちょっと考え事してた」

「お、戻ってきた? って、何をいまさら。考え事って、そんなの、今に始まった事じゃないでしょ」

「そうだな」

さっき頼んだカシスオレンジが届いていた。生ハムを口に運ぶと、凍っていて、歯ごたえがシャーベットのようで、味は塩辛く、不思議な口当たりだった。

続けて口に放り込んだ玲子が、不満を吐き出すようにつぶやいた。「凍ってる」


◆週末の夜β


遠いところを見ていた涼二を眺めていて、眉間にしわが寄っていたあたり、彼女の事でも考えていたのだろうな、と思う。当然のことだけれど。若いのに、深く刻まれた皺がその苛酷さを物語る……ようにみえた。

「あのまま戻ってこなかったら、帰ろうかと思っちゃった」

「戻ってこなかったらって……考え事して、そのままってこと?」

「そう」

「いやさすがにそれはないわ」

 そう言いつつ、ジョッキグラスでビールを煽る。その顔はどこか苦笑いで、その可能性も含んでいたような、そういう風にも見える。

 このひとは、話をごまかしたいとき、話の流れを掴みたいときに、わざと口に飲み物を運ぶ。そうやって、「間」をつなぐ。

私自身は、お酒に弱い方ではないけれど、今日は少し控え目に飲もうと決めていた。涼二の発する言葉の一字一句まで、聴き逃したくないと思ったから。

「そういえば、こんなことがあって」

「うん」


◆会話の続きα


「どこが好きって聞かれると、全部としか答えられないんだよね。部分だと、まるでそれがなくなったら好きじゃなくなるみたいで、そういう、好きになり方は俺には出来なくて」

「そっか……」

 俺はどんな答えを求めていたわけではないけれど、玲子はとびきりの答えを用意してくれた。優等生な回答というわけでもないが、俺にとってそれは、今までにない、未知の回答のし方だったように思う。

「涼二の全部が好きだよ、でも何でも許してしまうような、寛大なところが、とても好き」

 まるで、この部分だけ切り取ったら、愛の告白のようなセリフ。

「……とか、広く取って、ピンポイントに伝える……みたいな、こういうのだと、相手も受け入れてくれるんじゃないのかな、と私は思うけど。どうかな」

 なるほどと思う。

 さすがは玲子だ。男の俺にはない発想をする。次にもしそういう機会が会ったら使おうか……なんてことを考えていた。次の機会がくればの話だが。

「ああ、広く取って、的を絞る、二段階か……うん、ありがとう」

 そして一歩引いたところから改めて考える。玲子はこういう事を平気な顔して男にいうから、男たちが勘違いするんだろうなと、そう思った。


◆週末の夜β


ぶっちゃけ、寝てない。こんなの初めてだよ、まったく。

 そんな簡単に言うけど、顔を見た瞬間に分かった。先週から眠れていなくて、疲れているだろうことは。青白かったし、眼の下が青かった。だから、本当は十一時まで時間はあったけれど、終電は全然大丈夫だったけれど、涼二に少しでも休息を与えるために、わざと「十時までかな」といった。

 「わかった、じゃあ十時まで」とあらかじめ時間を決めて話したりするあたり、合理的というか、そういうところが彼女さんは気に食わないのだろうな、そう思った。

 改札に入って。

「本当はもっと長くいられるんだけどね」

 言わないつもりだったけれど、私は言ってしまった。

「そっか」

「でも、寝てないと思ったから。少しは寝た方がいいよ。今日は寝なよ」

「うん、ありがとう」

 少し間をおいて、涼二は続ける。

「これを機に、タバコでも吸おうかな」

「タバコはやめなよ。体に悪いんだから」

 返ってこない涼二からの言葉を待っている私がいた。

「……そっか、そうだな。じゃあまたね」

 意外とそっけない。まぁこれも、想定のうち。

「ああ、また会おうね」

 今日もさっぱりと、晴れやかに私たちは別れた。彼の背中に、距離をとる、いつもの涼二の姿を見て少し安心した。

 そしてこの、どこにも活路のないと彼が言った一件を頭で反芻し、背中を向けた男が、女に傾けた虚しい愛情を思い起こし、この後、一人きりの自室で、私は静かに涙を流した。理由は明確ではなかったが。

 


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