突然の逃亡
「護身用にって、教え込まれたんだ」
騒動はジャクリンのカミナリでやっと落ち着き、皆で朝食を囲んだ。 ルーシアは少し自分の事を話し始めた。
「あたしの父さんは、科学者だったんだ。 と言っても、自宅を改造した小さな研究所で、数人の仲間たちと一緒にこぢんまりとやっているくらいのレベルだったけど。 で、あたしは、覚えの無いくらい小さな頃に母さんを亡くしてて、家族は父さんだけ。 そのせいか、すごく優しかったし、深く愛してくれた――」
ルーシアの紅い瞳が、少し前の事を思い出していた。
――――
「ルーシア、逃げなさいっ!」
「えっ? 父さん?」
いきなりルーシアの部屋の扉を開けて叫んだ父、モーリス。 驚いたルーシアが驚いて立ち上がると同時に、モーリスの体が横殴りにされた。 代わりに黒いスーツとサングラスの男たちがゾロゾロと押し入ってきた。
それぞれに銃を持ち、彼らはルーシアに照準を絞った。
「な……何なの、一体? 誰なの?」
男たちは、戸惑い立ち尽くすルーシアに銃口を向けたまま
「ランダ・ド・ルーシア。 我々と一緒に来てもらいましょう」
と冷たく言った。
「……何? どうして?」
わけも分からず言葉を無くすルーシアに、再びモーリスの声が飛んだ。
「ルーシア! 早く逃げるんだ、早く!」
男のひとりにしがみ付き、銃を落とそうとする父の姿に、ルーシアはぼんやりと事の重大さに気付いた。
「父さん! 父さんも!」
一緒に逃げなくては、と思いながら、机の裏に隠していたナイフを数本、手に取ると、素早く男たちに投げつけた。
「ぐあっ!」
「あぁっ!」
そのナイフは男たちの手や足を傷つけ、悲鳴を上げさせながら次々と銃を落としていった。 日頃から先生のもとで稽古をつけてもらっていた賜物だ。
モーリスはひるんだ男の足元をすり抜け、落ちている銃を一丁拾うと、ルーシア目がけて駆け寄った。 そしてその肩をしっかりと抱くと
「いくぞ、ルーシア!」
と抱きかかえるように駆け出し、窓ガラスへと飛び込んだ。 ガラスは大きな音を立てて粉々に砕け、二人の体は外へと飛び出した。
転がる体を無理やりに起こして、研究所から離れるように走り始めた二人のすぐ後ろで、突然大爆発が起こった。
「えっ! なんで爆発がっ?」
「ルーシア、いいから早く!」
振り返ろうとするルーシアの腕を無理やり引っ張り、モーリスは立ち止まらなかった。 背中に炎の熱が襲ってくる。
「で、でも父さん! 研究所が! 父さんの研究が!」
心配して見上げるルーシアを見ようともせず、モーリスは走りながら
「いいんだ、これで…… 私の研究は、あってはならないものだったのだ……」
と呟いた。
「待てーーっ!」
「さっきの奴らだけじゃなかったの?」
部屋の中にいた男たちは多分、爆発に飲み込まれたはずだ。 まだ他に仲間がいたのだろう。
「くっ! もう追いついてきた!」
モーリスは悔しそうに振り向いた。 息が上がり、足が震えていた。 五十八歳の体は、全速力で走り続ける限界を迎えていた。 深い森の中、木々の間から、追ってくる男たちの姿が垣間見え、怒号が葉を揺らした。
「父さん、大丈夫? どこかに隠れよう!」
ルーシアはモーリスの肩を抱いて、どこかに身を隠せる所が無いかを探した。
「くそっ! どこへ行った?」
「確かにこの辺りに姿が見えたんだが……」
やっきになって辺りを見回す男たちの足元で、ルーシアとモーリスは息を殺していた。 少しくぼんだ地面に身を潜め、草にまぎれながら、ひたすら男たちが去ることを祈っていた。
「もう少しあっちに行ってみるか?」
「そうだな! 必ず連れ戻すぞ!」
男たちは草むらを蹴るように足音を立てながら、森の中を去っていった。
しばらく様子を見ていたモーリスは、辺りが静かになったのを感じると、そっと体を起こした。 パラパラと体から落ちる土や葉を手で払いながら、注意深く辺りを見回すモーリスに、同じように体を起こしながらルーシアが尋ねた。
「父さん、一体何が起きたの? あの男の人たち、あたしに、一緒に来いって言ってたよね? あたし、あの人たち知らないよ? 誰なの?」
するとモーリスは、ルーシアをじっと見つめながら両肩をしっかりとつかんだ。
「ルーシア、よく聞きなさい。 お前はこれから、あの男たちから逃げなくてはならない。 その理由は、今は言えないが……いずれ話さなくてはならないだろう。 とにかく今は、あの男たちに捕まらずに生き延びることが先決なんだ」
「父さん? よく分からないよ。 何故逃げなくちゃならないの? あたしに護身術を学ばせたのはどうして? あたしならあんな奴ら、やっつけちゃえるよ!」
明るく言うルーシアに、モーリスは切ない瞳で目を伏せた。
「ルーシア。 お前には大変な運命を背負わせてしまった……私はお前に、謝っても謝りきれない。 だが、ひとつだけ信じてくれ!」
「?」
再び真っ直ぐに見つめるモーリスに、ルーシアは戸惑っていた。
「お前は、私の大切な娘だ」
「父さ……ん?」
その真剣なまなざしに圧倒されながらも、ルーシアは
「当たり前でしょ? あたしは、父さんの娘なんだから! そんなこと改めて言われたら、逆に照れるよ!」
と、気丈に微笑んで見せた。 モーリスはフッと息をついて微笑みを浮かべると
「ありがとう、ルーシア」
と強く抱きしめた。 すぐに体を離すと辺りを伺い、立ち上がった。
「さあ、どこか遠くへ行こう。 どこでもいい。 生きていける場所へ!」
ルーシアの手を握り、モーリスは森の中へ分け入った。