傷心……ルーシアとの想い出
夜明けになっても、馬車の前には重苦しい空気が流れていた。 ルーシアを失った悲しみは大きく、ロウキーたちをその衝撃から逃すことはなかった。 誰も口を利けないまま、茫然と馬車の周りに集まっていた。
セィボクは唇を噛みながら、嗚咽を漏らし、キツンはショウシュンの鼻先をゆっくりと撫でながら、必死で気持ちを落ち着かせようとしている。 ショウシュンもまた、キツンの気持ちを知るかのように、長いまつげを震わせている。 アァカンは馬車の幌にもたれ、腕を組んでうつむき、ずっと眉間にしわを寄せて目をつむっている。 その腕にしがみつくように、ジャクリンがすすり泣き、ロウキーは膝を抱えたまま静かにうつむいている。 ユゥリもその横でとめどない涙を流し、肩を震わせていた。
「なんでルーシアはあの屋敷に行ったんだ? 明日になったら行く予定だったじゃないか……どうして一人で……」
ふとキツンが呟いた。
するとユゥリが、涙を拭きながら小さく言った。
「私が、頼んだんです……」
「どういうこと?」
セィボクが顔を上げて尋ねた。 泣きすぎて鼻の先が真っ赤になっている。 ユゥリは怯えるように皆の顔色を伺いながら、自分の母の形見をルーシアに取ってきてもらうように頼んだことを告白した。 話し終わり、自分を責めながらしゃくりあげるユゥリの肩を、ジャクリンが優しく抱きしめた。
「どうしてそんな頼みを?」
「ごめんなさい! 私は、あの家に戻ったらもう二度と外へ出してもらえません! 私、皆と一緒にいたかったんです! ただ心残りだったのは、母の形見をあの家に残してしまったこと……だから、ルーシアさんに頼んで、持ってきて欲しいと……」
顔を手で覆い、小さな肩を余計に縮めてうつむいていたユゥリは、膝をつくとうなだれた。
「ごめんなさい! 私のせいなんです!」
「ユゥちゃん、顔を上げて……」
ジャクリンは、痛む胸をこらえながら、ユゥリの体を優しく抱き起こした。
ロウキーは黙ってうつむいたままだった。
誰もユゥリを責めることはなかった。
ただ、沈黙がいつまでもその場を重苦しく包み込んでいた。
ルーシアの亡骸は見つからなかった。
あまりの火の勢いと爆発の衝撃で、屋敷自体の原型も全く残っていなかった。 きっと建物の中にちりばめてあったであろう高価な置物も、家具もなにもかも、真っ黒なススになってただの瓦礫となっていた。
人の骨さえも燃えつくしてしまうほどの惨事だと、町の人々は口にした。
「せめてルーシアのナイフ一本だけでも見つかればと思っていたけど……もう何も……」
再び町に下りて様子を見てきたセィボクとアァカンの報告は、ロウキーの耳に届いているかは皆無だった。 彼はもう丸一日何もしていない。 水の一口も口にすることすらしていなかった。
それほど彼の落ち込む様はひどいものだった。
少しずつ動けるようになったセィボクたち四人は、すっかり元気をなくしたロウキーを心配しても、見守ることしかできなかった。
馬車から少し離れた木陰に座り込んでいるロウキーに、ユゥリがそっと近づいた。 その手には、小さなパンを持っていた。 彼の横に静かに座り、持ってきたパンを彼の膝に置いた。 ロウキーは反応もせずに、焦点の合わない瞳でぼんやりと宙を見つめていた。
「ロウキー、何か食べないと」
優しく声をかけるユゥリ。 心配した顔でロウキーの顔を覗き込んでも、返事は無かった。
「ロウキー、しっかりして。 そうして元気が無いままじゃ、ルーシアさんも浮かばれな――」
「まだ死んだって決まったわけじゃねえ!」
急に大きな声を出したロウキーに、ユゥリの肩が震えた。 馬車のあたりにいたジャクリンたちもロウキーの方へ視線を送った。
「ごめんなさい。 でも……」
「でも、なんだよ?」
ロウキーは、ユゥリを睨むように見つめた。 腫れた瞼が痛々しい。 それを見ていられずに視線を外しながら、ユゥリは戸惑いながらも言った。
「あなたの元気がないままだったら、いつまでも前に進めないわ。 皆だって、一生懸命立ち直ろうとしてる。 リーダーのロウキーが立ち上がらなきゃ、一体誰に頼ったらいいの?」
ロウキーは再びうつむいた。
「私だって、明るくて元気なロウキーが好きよ。 お願い、ね、皆の為にも」
ユゥリは願いを託すように、ロウキーの肩口に額を軽く当てた。 彼はなお膝を抱えた。 転げ落ちたパンは、乾いた音を立てて草の上に転がった。
「……あいつは、俺たちの仲間なんだ……」
ロウキーの脳裏には、ルーシアと過ごした日々が繰り返し蘇っては流れていた。
ルーシアがクローンだということ。
父を目の前で亡くしたこと。
家族も家も全て失ったルーシアは、自らも両親のもとへと旅立とうとしたこと――。
それを止めたのは、他ならぬロウキーだった。
自分の素性を知り、自分の存在さえ自ら消そうとした彼女の痛みは計り知れない。 だが、身寄りもなく一人ぼっちなのはロウキーたちも同じだ。 孤児として育ち、身を寄せ合って日々を重ねながら、自立の道を進み始めていたロウキーたちは、ルーシアを助けたいと思っても当たり前だった。
泣きながら死を選ぼうとするルーシアの言葉を止めたのは、ロウキーの唇だった。
何故そうしたのかは分からない。 瞬間的に、ルーシアのことをいとおしいと思ったのだ。 自分と同じ境遇の彼女を守らなきゃいけないと、心の奥で叫んでいた。
ロウキーは手のひらを見つめた。 あの時ルーシアを切り裂こうとしたナイフを素手でつかんだ時の傷が、まだうっすらと残っている。
ルーシアの笑顔は、いつの間にか消えていた。 ユゥリが現れてから、少し離れたところに居ることが多かった。
『あいつは、幸せだったのか? 俺たちといて、楽しいと思っていたのか?』
その答えはもう聞くことは出来ない。 ルーシアは、何も残さずに消えた。
肩に軽く乗せるユゥリの重ささえも感じ取れなかった。
再び両手をだらりと下げ、全身から抜け落ちた力は、立ち上がる気力さえも消し去ってしまった。




