たった一個
「ここかぁっ!」
ロウキーの怒号と共に、扉が蹴り飛ばされ、研究室の中にいたオヴェラは、その衝撃に驚いて振り向いた。
「ルーシアはどこだあっ!」
息を荒げ叫ぶロウキーの体のあちこちには無数の傷と流血があり、足元はわずかにふらつきながらもしっかりと地面を踏みしめていた。 その姿を見て、オヴェラは目を丸くして立ち上がった。
「あんたは……! ユニダ! ユニダッ!」
オヴェラが叫べど、ユニダの姿は一向に現れない。 ロウキーが代わりに答えた。
「あいつなら上で寝てるぜ!」
「なんですって?」
驚くオヴェラに構わず、ロウキーは剣の切っ先を彼女に向け、ルーシアを返せと迫った。 オヴェラは動揺を隠せない様子だったが、すぐに
「そう……」
と状況を飲み込んだように息を吐いた。 剣で追い立てられながらも、オヴェラはロウキーに見えないように少し口の端を上げながらゆっくりと歩き、奥のカーテンに手を掛けると勢いよく開けた。
「ルーシア!」
その向こうには、ベッドに座っているルーシアがいた。 ロウキーが駆け寄ろうとすると、オヴェラはいち早くルーシアの後ろから腕を回し、その喉元にナイフを突き付けた。
「お前っ! 何をするっ?」
「おっと、動かないで! 一歩でも動いたら、この子の首から赤い血が流れだすことになるわよ!」
オヴェラは勝ち誇ったように含み笑いをしてロウキーを見つめた。 ルーシアは焦点の合わない様子でぼうっとしていたが、やがてその紅い瞳に光が灯った。
「ロウキー!」
大粒の涙が溢れ、ルーシアは弱弱しくロウキーに手を差し伸べた。 だが、オヴェラのナイフに阻まれてその体は動けない。
「ルーシア! 今助けるからな! オヴェラっ! ルーシアを離せ!」
ロウキーは歯軋りをしながら剣を構えた。 オヴェラはナイフの切っ先をなおもルーシアに突き付けた。
「そうね、まずは、その危なっかしい刃物を下ろしてもらおうかしら」
「それはお前もだろうが!」
苦し紛れに言ったロウキーだったが、ルーシアを人質にとられている以上、ロウキーの方が圧倒的に不利だった。
「くそっ……」
動けずに、何か策があるに違いないと考えていると、ルーシアが泣き叫ぶように言った。
「ロウキー! お願い、助けて! あたしたち、仲間でしょう? そんな剣なんて捨てて、あたしを助けて!」
「……ルーシア、お前……?」
ロウキーは必死な顔をして懇願するルーシアを見つめた。 彼女の紅い瞳からとめどなく涙が流れ落ち、震えている。
ロウキーはふと、壁にある鏡を見た。
研究室にしては不釣り合いに大きな鏡は、ロウキーやオヴェラ、ルーシアを映している。 ロウキーは剣を下ろすと、ゆっくりと鏡に向き合った。
「何をしているの? 早く剣を捨てなさい! この子がどうなってもいいの?」
背中を向けるロウキーに戸惑うように言うオヴェラに、ロウキーは振り向かずに言った。
「今ルーシアを失ったら、研究が続けられなくなるんじゃないのか?」
思いがけず静かな口調のロウキーに動揺を浮かべながらも、オヴェラは小さく含み笑いをした。
「そんな心配は要らないわ。 ちゃあんとすでに基本的な資料は手に入れてあるもの。 でも、あなたがここで消えてくれれば、これ以上ラッキーなことはないんだけど。 どうせあなたは、行き場のないルーシアに手を焼いていたんじゃないの? この紅い瞳は、クローンの印。 知る人にばれたら、どこにも居場所はなくなるのよ?」
「そんなこと、関係ねえよ」
「まだ強がっているの? あなたも強情ねえ」
ロウキーはゆっくりとオヴェラに振り向いた。
「いいか。 俺たちは仲間だ。 家族も同然。 助け合うのが当然だ。 ルーシアは必ず返してもらう!」
オヴェラはいい加減にしろという風にため息をついた。
「あなたはまだ分からないようね! これはクローンなのよ? いくらでも代わりがある人形なの。 人形一体に、そんなにやっきになるなんて、馬鹿げてることよ! それともなにかしら? あなたはこの人形を見せ物にしてお金を稼ごうとでも思ってるわけ?」
オヴェラから零れる言葉を、ロウキーはじっと聞いていた。
「もしそうなら、私はあなたに協力出来るわよ! ルーシアを使って、面白い世の中にしましょうよ! 世界は手のなかにあるのも同じ!」
勝ち誇ったように笑うオヴェラに、ロウキーは小さくため息をついた。
「戯言は終わったか?」
「なんですって?」
逆上するオヴェラがナイフを握る手に力を込めた。 ルーシアは涙を流しながら震え、ロウキーを見つめている。
「お前が求める世界に、俺はなんの興味も沸かねえ。 むしろ、気分が悪い!」
「何を!」
オヴェラはロウキーを睨んだ。
「いいか、命ってのは、たった一個だから一生懸命生きられるんだ。 俺は、同じ姿形をして、同じ言葉を言い、同じ時間を過ごすような命はいくつも要らない! たった一個の命で、たった一度の人生で、出会いっていう奇跡を繰り返しながら生きてくのが、一番面白い人生だと思うぜ!」
ロウキーは鏡に振り返ると、思い切り剣を振りおろした。
キーーーーン!
燐とした音が一閃し、鏡は綺麗に割れ落ちた。
「だから俺は、本物のルーシアを迎えに来た!」
割れ落ちた鏡の向こう側には小さな部屋があり、そこには、もう一人のルーシアが椅子に縛り付けられていた。 ロウキーは部屋に飛び入ると、ルーシアを縛っていたロープを簡単に切り落とし、くわえさせられていた布を外した。
「さ、一緒に帰ろう、ルーシア!」
「ロウキー!」
ルーシアは立ち上がると、ロウキーに抱きついた。
「なぜ分かったのかしら? これが偽物のルーシアだと?」
オヴェラは冷たい目で睨んだ。 その胸元で、偽ルーシアはまだほろほろと泣いていた。 ロウキーはルーシアの頭に手を置いた。
「ルーシアはそんなに簡単に泣くような奴じゃねー。 でも人に対する愛情は半端ねえ。 ルーシア、俺は覚えてるぜ。 お前が俺に誓ったこと」
「え、何?」
ルーシアが不思議そうに見上げると、ロウキーは
「なんだよ、お前、忘れたのかよ!」
と頬を膨らませた。
「なんだ……どっちにしろ、偽物とばれてしまっては、コレは失敗ね」
オヴェラの声に二人が見ると、偽ルーシアは紅い瞳を見開いたままゆっくりと姿勢を崩していた。 その首筋からは、その瞳と髪と同じ色の鮮血が吹き出している。 偽ルーシアは、スローモーションのようにベッドから崩れ落ちて床に倒れこんだ。
「な! なんてことするんだ!」
ロウキーは驚いて鏡の部屋から飛び出した。 偽ルーシアはロウキーを見上げると、声にならない言葉を発しながら息絶えた。
「オヴェラお前……」
ロウキーは血に染まった偽ルーシアの顔を見つめながら体を震わせた。
「お前ぇ! 命をなんだと思ってやがるんだぁっ!」
弾けるようにロウキーの体がオヴェラに駆け寄ると、その頬に容赦なく拳を打ち込んだ。




