5-5.消えない血の痕
黒子を覆う布が空調の風にひらひら揺れる。既に亡き者となった武士を横目に、俺達は長谷の記憶を共有すべく、手を合わせた。
「正直、俺もショックが大きいから乗り気じゃないんだけど。まぁ、SSKのことがわかってくれたら幸いだよ」
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『やっぱりな。三季江』
『久しぶりだね。学校祭準備の時ぶりかな?』
真っ暗な部屋の中、長谷と桜庭の声が響く。長谷が右手から炎を出し、ようやく灯りが灯された。しかし炎はかなり小さく、照らせる範囲も長谷の周囲1メートル程度だった。そのギリギリの位置で長谷と桜庭は向かい合っていた。
『悪趣味な部屋だな……三季江はこんな趣味してたっけ?』
『んもう、そんな訳無いじゃん。割り振られたのがこの部屋ってだけ』
そういうと桜庭は長谷の炎の出す光が届かない場所へ消えた。
『……ユウちゃんを葬る最適な部屋ってだけ』
『!!』
長谷が後ろに下がる。長谷の居た場所には巨大な木の根が地面から生えており、一寸間違えれば長谷はあの根に串刺しにされていただろう。そうか、忘れていた。桜庭の能力である碧の力は草木を操る能力か。それならこの暗室のような場所は空間を制圧する能力が優位になる、桜庭にはうってつけのフィールドってことか……
『やっぱり、勘がいいね。ユウちゃんには勝てないや』
『三季江……』
長谷が後ろに飛ぶ度に、元居た場所から木の根が突き上がる。どうやら桜庭の攻撃しようとしている場所を先読みして回避しているようだ。
「凄い、長谷君こんなに動けたのね。普段活発に動く所見ないから意外だわ」
「ちょっと心外だなあそれ……」
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいよ。普段あんまり動かないのは事実だからね。まぁ、あの時の特訓が活きてきたんだと思うよ」
部屋の壁が長谷の背中に当たる。左右には巨大な木、そして目の前には鞭のように撓った木の根。長谷は左右を見て、木の根の動きを見ていた。暗がりからゆっくりと桜庭の姿が現れる。
『でもねユウちゃん。私だって研究者なんだよ?SSKの一人なんだよ?馬鹿にしたら怒るからね?』
『だ、誰も馬鹿になんて』
『馬鹿にしてたんだッッ!!!!』
桜庭が急に大木を揺らし大声を上げ、叫ぶ。その気迫に押され動けない長谷を、細い木の根がゆっくりと絡めとる。
『ユウちゃんはいつも私を馬鹿にしてた。自分が勉強できるからって。私はいつも背中を追いかけてたのに。ユウちゃんを見てたのに。高校だってそう。本当はユウちゃんと一緒に宮高に行きたかった。だから一生懸命勉強したし、試験だって受かった。なのにどうして!?どうしてユウちゃんは急に北高校に進路を変更したの!?どうしてそれを私に教えてくれなかったの!?』
ギリギリと木の根が長谷を締め上げる。
『「三季江、宮高受かったんだってな」まるで他人事のように!ユウちゃんのいない宮高なんて意味が無い!いらない!だから滑り止めのガシ高を選んだ……せめて、ユウちゃんの近くの高校に行きたくて』
なにかが思い積もっていたのだろう、桜庭は髪を振り乱し叫ぶ。宮高……俺が2人、いや3人居ても到底届かない、中学の内申がかなり高く、成績が優秀な生徒が狙う高校だ。それをいらないと桜庭は一蹴するとは。ある意味嫌味だな。
『ユウちゃんの隣にいたかった!ずっと好きだった!大好きだった!なのにユウちゃんは実験実験……私のことなんて見向きもしない。だからあの時。組織に誘われたあの時に。ユウちゃんを巻き込んでやろうと思った』
『巻き込む?何を……』
『高分子核加圧式原子計測器。アレは本来SSKの技術。東雲権蔵がプロトタイプを開発し、それをあの大学に売り、ユウちゃんの叔父さんが完成させたの。知らなかったの?』
『そんな……』
『その後東雲権蔵は生物兵器を作るための培養液に落ち、ハロスとして生まれ変わった。その原因は、娘にあるの』
『娘?』
『東雲海友。まだ7歳だった彼女を救うために権蔵は身を挺して培養液に落ちたって言われてる。……どう?ユウちゃんの聞いてくると想定してた事を話したと思うけど』
落ち着きを取り戻したのか、桜庭は大きく息を吸うと髪を直し(ウエーブがかかっているためハネた毛を直した程度だが)、長谷に歩み寄った。
『まだ、聞きたいことはいくつかある』
『なに?ユウちゃんの質問ならなんでも答えるよ』
長谷はゆっくり身を捩りながら木の根から開放されようともがく。しかしそれは桜庭が見逃さず、すかさずもう1本の木の根を生やし腕を縛りつけた。
『動いたらだめだよ?蒼が取り出せなくなっちゃう。私の碧とひとつにならなきゃ』
『そう、俺が聞きたいのはそれだ。三季江、お前は「いつ」、その碧を手にしたんだ』
『いつ?愚問だね。ユウちゃんがそんなこともわからないなんて知らなかったよ』
長谷の言葉にキョトンとした顔で返す桜庭。長谷と顔を突き合せるかのような程近づけ、にこりと笑う。
『……ああそうか。ユウちゃん記憶が食べられてるんだ。食べられてるんじゃしょうがないな、教えるよ。私の碧はユウちゃんが「あの実験」をした夜。あの時に手に入れた。私もあの場に居たの』
『あの場……?』
『もう、そこまで忘れたの?長谷研究室だよ。ユウちゃんの叔父さんがいる』
長谷研究室?なんだか俺にも思い当たる節がある……
「そう、俺はこの時期の記憶が曖昧なんだ。だけどこの時期で何かのきっかけが元に、暗黒物質が生まれた」
記憶じゃない方の長谷が俺のモノローグを読んでいるかのように語る。確かに俺も記憶が曖昧だ。中学2年生の冬。長谷がN大学に忍び込み実験をすると聞いて長谷に着いて行った。そこまでは覚えている。だがそれから先を思い出せない。もともと物覚えはよくないがそれだけじゃない。明らかに記憶が抜け落ちている。
『あの時、ユウちゃんが作ったSTPを私が回収する任務があった。その時、私にも暗黒物質が舞い降りてきたの。東雲に言ったら喜んでたわ』
『待て、STPって……SSKが作ったものじゃないのか!?』
『何を言ってるの?ユウちゃんが作ったSTPの模造品が擬似STP。東雲が今も調整してるそれだよ』
桜庭の言葉に唖然とする。
「長谷が、STPを作った……?ということはつまり、長谷が奴らSSKが世界改変を目論む原因を作ったってことになるのか?」
「ああ。記憶が曖昧なんだが、どうもそうらしい。俺の記憶では叔父さんの大学に忍び込んで実験を行った、その事実だけは確かに覚えているんだ。だけど、『何の』、『何を目的とした』、『何を使った』実験をしたかとか具体的なことが記憶から欠如してるんだ」
『未だにユウちゃんが作り出したSTPに近づけないのが疑問なの。どうしてあの時のユウちゃんに出来て、今の私達が出来ないのか。だからあの時みたいな不完全な世界改変しか出来ていないの』
『忍者の子孫の時か』
『ん、その通り。どうかな?ユウちゃんの疑問には答えられたと思うけど……』
木の根に縛られ、窮屈そうに身を捩る長谷は、桜庭をまっすぐ見つめて言った。
『ああ。おかげでほとんどの謎が解けたよ』
小さく力をこめると、木々がはじけとび、長谷の身体に炎が宿った。先程のような小さな炎ではない、大きな炎だ。
『なんで!?私の絶対空間下で能力を抑制させていたのに……!?』
『見込みが甘いんだよ。俺の事を本当に知ってるのか?三季江、いや……碧!』
長谷の炎があちらこちらに飛び、暗闇が照らされる。桜庭の表情を見ると、確かに文化祭準備の時に碧の力を解放した時と同じ目の色をしている。暗く淀んだ緑色だ。
『侵食飽和関数が最大に近づいていると思ったら、やっぱりしっかり暗黒物質に犯されてんじゃねぇか!三季江は三季江だ!碧に影響されるな!』
長谷は大きく踏み込み、火球、氷柱、雷球数々の属性のエネルギー弾を桜庭に向けて打ちまくった。部屋は大きく揺れ、桜庭が生やしたのだろう木々は崩れ落ち、部屋の全貌がようやく明らかになりつつあった。
『ぷっ、くっくくくくく……』
『三季江?』
『犯されている?私が、碧に?ユウちゃん、おかしなこと言うね。私は、わたしだよ?』
桜庭が白衣の中から手を広げる。更地に近くなっていた桜庭の周りから、大木の根が長谷目掛けて飛び掛った。
『問壱。私がいる位置Pからユウちゃんがいる位置Q、距離にして2メートル。PからQに向かって鋭利な物体Aが時速120kmで向かう場合、Qにある物体Yの2秒後を答えよ』
『YはAに突き刺さる。回避は不可能だ。ただしこの時の物体Yが俺である場合、それは可能だ』
舌が絡まりそうな会話をしつつ、木の根を回避しながら、長谷は物理の参考書を開き適当なページで手を止める。
『フロスティスノー!』
手から飛び出る氷塊が桜庭の繰り出す木々を止める。じめんタイプにこおりタイプの攻撃はこうかはばつぐん、ってその通りなんだな。桜庭は白衣を翻し、花咲き乱れる桜に飛び乗った。
『流石ユウちゃん。でもね。私も初めてじゃない。この能力を知って、さらに生物兵器の開発が捗ったんだよ!』
ざざざざっという音と共に、暗闇が長谷の元へ駆け寄る。記憶の映像を見ている俺達の背後からも、その暗闇は長谷に向かって飛び出していた。
「秋葉、こ、これ……」
有希が震える手で俺の袖を掴み、震える声で指を刺した。
「む、虫っ!」
有希の声が記憶の暗室にこだまする。目を凝らすと、俺は背筋が凍った。長谷に迫りくる暗闇は巨大な虫だった。全長はおよそ2メートル。百足のような足に、蜘蛛のような目が胴体にびっしりとついており、頭であろう先端にはヤツメウナギのような口が涎を垂らしている。そんな虫がこの暗室に少なくとも2、30匹いるのだ。正直、超気持ち悪い。
『ナノマシンで制御されたこの生物兵器達の実験台になってもらうよ!』
『虫……か』
長谷は炎を作り出し、生物兵器に攻撃するが、生物兵器は少し押し戻された程度で効果が無いようだ。
『効かない……なら』
次に長谷は風を作り出し、空間を切り裂く。すると生物兵器は辺りに緑色の血を撒き散らして粉々に砕け散った。しかしそれだけでは全てを駆逐することは出来ず、残った1体が長谷の左腕に喰らいついた。
「これが、この時の傷だよ」
隣にいる現実の長谷が制服を捲くる。その腕には痛々しい歯型がくっきりと残っていた。見せんでいい。
『……はっ!』
長谷が噛まれたままの左手を大きく伸ばすと、生物兵器はまたも粉々に砕け散った。どうやら口内でなにか衝撃波のようなものを出したらしい。
『ハハ、ハハハハッ!やっぱり、ユウちゃん凄いや。でも、コレで本当におしまい』
いつの間にか地面に降りていた桜庭が大きく手を上げ、桜の花を大きく散らせた。これって……
『……これが私の最高で最強の攻撃』
長谷も蒼い魔方陣を描き、攻撃を受け止める姿勢につく。桜庭はあの時俺にしたように、手を長谷に向けて突き出して桜の花弁を飛ばす。長谷は足元に描いた魔方陣を正面に持っていき、受け止める。桜の花は長谷の魔方陣に突き刺さり、魔方陣はその都度大きく歪む。
『崩れろ崩れろ崩れろ崩れろ崩れろ崩れろッ!』
『……今の三季江は好きじゃないよ』
長谷が叫び、力を解放させる。見えない力が2重3重にも折り重なり、衝撃波となりこの暗室を駆け抜ける。桜の花弁は力に負け、桜庭も反対側の壁に打ち付けられた。
『く……はっ!』
地面に落ち、力なくぐったりと横たわる桜庭。身体から碧のような、黒いような気体が抜けていく。長谷が駆け寄り、桜庭を抱きかかえる。
『三季江!三季江!』
『……ユウ、ちゃん』
桜庭がゆっくりと開ける瞳は、澄んだ茶色だった。
『あはは、あっけなかったね……』
『いや、強敵だったよ』
『ううん、ユウちゃん手を抜いてるのわかってた。私の力を制御しながら戦ってるの、私知ってたもん』
『違うよ。俺は碧と戦ってたんだ。三季江がそうしてたように』
『ユウちゃんには聞こえてたんだ。私の声』
『ああ。蒼の力で制御していた時に気付いた。三季江がこの力に飲み込まれているって』
桜庭はゆっくり起き上がる。長谷はそれを手伝い、制服についた砂を払った。
『私が感じてた劣等感。ユウちゃんを追い抜きたい。その心が碧に、SSKにつけこまれた』
「……どういうことだってばよ」
「桜庭に宿った碧の力が、桜庭の自我で制御できなくなったのね。いつかの私みたいになったの」
「ああ。事実俺にも蒼に飲み込まれかけた事がある……らしい」
長谷が小さく肩をすくめる。そこの記憶も食われているのか。
『……でもね、わかったの。私にこんな力があっても、ユウちゃんには追いつけない。だけど、こんなことしちゃったんだもん、後には戻れなかった』
長谷の背後から先程の巨大な虫が襲い掛かる。長谷はそれを風の鎌のようなもので軽く砕き、桜庭に向き直った。
『間違っていたのは私なの。なのにユウちゃんのせいにして……』
『……三季江。お前、いつも俺に言ってたじゃないか』
『?』
『自分の命が大事なら、危険な実験は一人でしちゃダメ、ってな』
その言葉を聞いた桜庭は、少し驚いた顔をし、次に涙を零し笑った。
『はは、そうだね。なんか、そんなこと言ってた気がするよ』
『さ、行こう。秋葉達にも説明すればわかってくれるさ』
『……ううん、私はここまで。ユウちゃん一人で先へ進んで』
長谷の手を軽く払い、桜庭は手を後ろに回した。その表情は涙こそ輝いているが、笑っていた。
『大好きだったよ、ユウちゃん』
その言葉を最後に、桜庭は崩れ、倒れた。
『!?三季江!三季江!!!』
長谷が駆け寄り起こすが、桜庭はぐったりと動かず、口角からは一筋の血が流れていた。
『この臭い……アーモンド臭……馬鹿野郎……』
長谷はそれだけ呟き、枯れかけている桜の木を拳で強く叩いた。
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「……これで、俺の記憶は全部だよ」
「死んだ……の?」
「……ああ」
長谷がゆっくりと肯定する。長谷が眼鏡を上げるが、その表情は暗く、重かった。死んだ。有希の言葉が俺の胸にのしかかる。たぶん言葉を発した有希本人も、坂元も、長谷も。この意味は重く感じ取るだろう。正義とは何か。世界を救うとは何か。自分たちが死ぬのは悪で、自分たちを殺そうとする人を殺すのは善なのか。訳がわからなくなってきていた。
「俺達は一体何のために戦ってるんだ……」
「その答えを知るためには、たぶんこれしかないよ、秋葉」
長谷が指を刺す。俺達が合流し、黒子と悶着したこの部屋から出る扉が、部屋の反対側に1つ。
「この先の東雲と、未だに顔を出さないSSKのボスとやらに会わない限り、俺達は答えなんて見つけられないと思う」
記憶の共有と平行して行われた有希の治療も終え、立ち上がった友人達の表情には、迷いが見受けられた。俺も同じ顔をしているだろう。
「ええい!」
自分に強く喝をいれ、両頬を平手打ちする。暗黒物質を持つ者がこんなんでどうする。自分が巻き込んだ友人達を迷わせてどうする。ならばどうする。俺が彼らを、彼女を、導く必要があるじゃないか。
「……いくぞ!答えを探しに!」
「……おう!」
俺が歩き出すと、それに習って3人が後ろをついてきた。そうだ、俺が今出来ること、俺がみんなを牽引しなくちゃ進まないんだ。自分にそう言い聞かし、足を進めた。




