市場
(一年目 四月七日)
グリンドワールドに来て初めの一週間、玲奈は一度も戦闘することなく週末を迎えた。
その間玲奈は、授業を取って、教授のクエストを受けて過ごした。
装備もまだ何も買い揃えていないので、お金は稼いだ分丸々残っていて、今はもう二万Gになる。
一度も、食堂で追加料金を払った料理を食べていない。
週末、教授に市場へ行く誘いを受けた。
正確には、荷物持ちのクエストを受けた。
こちらの世界でも、七日に一度休日がやって来る。
休みの日と言うよりは、一週間のうちにたまった特別な用事を片付ける日、というニュアンスらしい。買い出しとか、掃除とか、商談とか。
だからその日は、市場もにぎわう。
そう言えば玲奈は、一週間全く学園から出ていない。
学園から外に出る勇気がなかったのだ。
ゴロゴロと、空っぽの荷車を押しながら教授の後ろを付いていく。
教授は、調合の材料になる初級ポーションを、薬屋に大量に仕入れに行くのだ。
大量と言っても、物理職の冒険者ならばインベントリに入れて一人で持ち歩ける量なのだが、魔法職の二人は荷車で運ぶしかない。
非力な魔法職も、二人居れば、途中で荷車を引くのを代わることも出来るし、荷車からポーションが転がり落ちるのを防ぐことも出来る。
「君さあ、物理職の奴隷買ったら、僕のところに手伝いに来させてね。
魔法職の君じゃ、悪いけど、あんまり助けにならないよ」
(教授だって、本当は特殊魔法のアイテムボックスが使えるくせに)
玲奈は心の中で突っ込みを入れた。
教授のアイテムボックスの中には、決して出してはいけない大切なアイテムの保存で埋まっているから、短期的な持ち運びのためには使えないのだという。
本当は、単に教授が整理が下手なだけではないかと、彼女は疑っている。
玲奈は、初めて訪れた市場を、不自然にならない程度見渡す。
この世界は、奴隷が普通だ。
だがそれは、この世界がものすごく荒れているだとか、そういう話とは少し違う。
もちろん、ファンタジーな世界だから、現代日本よりは治安が悪いけれど。
玲奈がイメージしていたよりも、この世界では、というよりもこの地域では、魔法職の社会的地位が高い。
魔法が使えるというだけで、ちょっと偉い。
魔法学園の生徒は、それだけで、割と身分が高い。
そして魔法職と比べて、物理職の地位が低い。
魔法職と比べてなり手は大勢いるし、同じレベルの魔法職と比べて倒せるモンスターのレベルが低い。そんなこと言ったところで、魔法職だけで冒険なんてできないのだけれど。
それにこの国は、王族も貴族も魔法使いの一族だ。
結局、魔法職の方が数が少ないので、相対的に価値が上がったと、そういうことだろうか。
「やっぱり、奴隷を前衛として買うのが普通なんでしょうか」
ピカピカのローブを着た魔法職の後ろ付き従う、ボロボロの鎧姿の剣士を眺めながら、玲奈は尋ねる。
「ん? 家に代々仕えてる剣士とかが居るのかな?」
「へ? いえ、まさか、そんな」
「あ、そういえばハナガキ君、割とお金に困ってる方だもんね」
少しむっとする。
しかし、お金持ちの多いこの学園の生徒ならば、そういうこともあるのだろう。
だって、どうやら、学園の自室に、専属の料理人を持ち込んでいるらしき生徒も居たし。
「ずっとパーティー組む訳だし、よっぽど仲が良いのじゃないと、難しいよね。雇ったってお金でもめたりするし。
それに、君みたいな子じゃ、すぐ騙されるよ」
「はあ」
それは怖い。
奴隷を買うということに、心理的な抵抗感はある。上手く扱えるかも不安だ。
しかし。
しかし、その安全性は、今の玲奈には喉から手が出るほど欲しいものだ。
奴隷は主人に逆らうことができない。
玲奈は安心して、その奴隷に秘密を漏らすことができる。
奴隷にならば、少々おかしな態度を見せても問題ないだろう。
ゲームの中で手に入れたNPCを、こちらでも仲間にできるかは分からない。
いや、正直なところ、玲奈にはNPCよりも奴隷の方が心惹かれる部分がある。
(だって奴隷は、離れていかないわ)
対等な仲間は、立ち去られるときに玲奈には引き止めることは出来ない。
(別に仲良くなりたいわけじゃない。そりゃ、仲良くなれたら、それにこしたことはないけど。
でも、私が欲しいものは、もっと別のものだもん)
「何か、奴隷を買う上で、アドバイスとかありますか?」
奴隷の値段の相場は、大体レベルの二乗×万G。
良いスキル構成かどうかで、プラスアルファ。
ちなみに女ならば、その三倍から十倍、美人ならもっと。
ただし、低レベルの間はレベルが簡単に上がるので、レベル1でも、大体十万Gからだ。
教育が必要なかったり、ステータスがどうでもいいのならばもっと下がる。
どうせ、低レベルの物理職の冒険者になる奴隷など、非常に安い値段で売り払われているのだ。
「うーん。もし君が嫌でないのなら、亜人なんか良いよ」
「ステータスが良いんですか?」
「ああ、うんそれもあるけど。
亜人は、ステータスが良くても、魔法使いたちが嫌がるから、売れないんだよね。だから、ステータスの割に安いんだ。
んー、ただー。亜人の女は種族によっては、ヒューマンよりも高いけどね」
「もう、女性の奴隷と言うのは諦めています。
パーティー全員女性などにすると、すごい金額になりますし。女性パーティーに、途中から男を加入させることも、明らかに不味いです。
貧乏人の私には、ぜいたくな話でした」
「うん。女ばかりのパーティーっていうのは、ある種の夢だけどね。
男のマスター達でさえ、なかなか成し遂げられないんだから、かなり難しいんじゃないかな」
(どんな夢なのよ)
薬屋に到着して、荷車を前に置いて、二人は中に入った。
玲奈は、この薬屋で起こるイベントフラグを、思い出していた。
それは、一人のNPCの加入クエストのイベントだった。
そのNPCは、可愛い女の子だ。
ステータスは全然低いが、再序盤から仲間にできるNPCで、玲奈も仲間としていた。ただ弱いので、途中からはパーティーに加えることはしなかった。
彼女はすごく義理堅く、お人よしなNPCだと玲奈は思っていた。
彼女の加入クエストは、フィールドを走り回って、彼女の病気の弟を助けるための薬の材料を集める、というものだった。
戦闘は少ないし、謎もない、かなり簡単なクエストだった。
それをこなすと、そのNPCはプレイヤーを大恩人だと考え、仲間として健気に尽くしてくれることになる。
あの時玲奈は、この程度のことで、なんて大袈裟でお人好しなんだろうと思っていた。
弱くても、戦力のたりない序盤には、非常に助けになった仲間だったのだ。
しかし今、あの子の加入クエストを考えてみると、別の一面が浮かび上がってくる。
多分、あの少女NPCは、プレイヤーが助けなければ、あの後薬の代金のために奴隷として身を売るつもりだったのだ。
レベル1の少女の値段は、その程度のものだ。
彼女は大袈裟だったわけでも、献身的だったわけでもない。
ほとんど、プレイヤーを、奴隷である自分の主人だと考えていたのだろう。
心優しい主人が、少女の身の上に同情し、薬代ほどの価値もない少女を、家族を助けられる程度の金額で買い上げてくれた。
しかも主人が優しかったので、偶々首輪をつけられたり厳しく命令されたりしていない、と言う状態だったのだろう。
奴隷の値段は、買う側にとっては薬代よりは高いが、奴隷商人に利益を取られるので、買われる少女側にとってはもっとずっと安くなってしまう。
(じゃあ、リヒター隊長とか、マイン王子とかは、実際は今どんな状況なんだろう)
「ハナガキ君。ちょっとこれ、運ぶの手伝って」
「あ、はい!」
玲奈は教授に呼ばれて、慌ててポーションを荷車に運び始める。
(多分、どのNPCでも、すごくタイミングが良くないと、会えないんだろうな)
その日は、屋台で300Gくらいの料理を教授におごってもらい、食べた。
割と悪い味ではなく、やっぱり学園の食堂は高すぎると感じた。
玲奈は、無料の料理しか食べていないわけだけれど。
帰りに少し寄ってもらって、彼女は市場で卵とリンゴを買って、帰った。
家で食べたリンゴは、美味しかった。
久しぶりに玲奈は、美味しいと思えるものを食べた。
Lv1 見習い魔法使い
レイナ・ハナガキ ヒューマン
HP/MP 10/15
スキル 瞑想Lv4 魔術運用Lv0.5 付与魔法Lv0.3 神聖魔法Lv1 四元魔法Lv2 特殊魔法Lv6
魔法学園のエリアで序盤に仲間にできる物理職のNPCは、実はみんな奴隷かそれに近い地位の冒険者たちでした。魔法学園エリアでは、物理職冒険者は、よほど特別なNPCでないと、奴隷と同じ扱いです。
魔法学園エリアで、中盤以降に仲間にできる魔法職のNPCは、貴族やこの国の王族などがいましたが、怜奈は彼らを仲間にできるほどのレベルではありませんでした。
他のエリアでは、物理職の地位が高く、魔法職の奴隷が多く居たりします。