酒の里ヤポン
(一年目 八月二日)
ハチミツを樽に詰めてから8日、玲奈は完成したハチミツを持って、魔法学園の食堂にいくことにした。
ハチミツを小瓶に分けて、料理長にレシピをもらったお礼をするとともに、ハチミツの出来映えをチェックしてもらおうと思ったのだ。
ハチミツは大きく分けて3種類できた。
大きな樽に作った、大量のハチの巣とハチを生きたままの魔力で溺れさせたもの。これは一番レシピ通りに作ったものだ。
他に、小さな樽に作った、残りのハチの巣の欠片やハチの死骸から作ったハチミツ。
最後に、付与炎を帯びた武器で攻撃した、焦げたハチの死骸だけで作ったものだ。
最後のものは、他のものと比べて色も茶色く、味も香ばしくてこくがある。が、これは普通のハチミツとは明らかに味が違っているので、多分売り物にはならない。玲奈たちが自分たちで消費する用のハチミツにしようかと思っている。
玲奈は3つの小瓶を持って、食堂の厨房に向かった。
「ん、これは……」
料理長は、小瓶の蓋を開けると一目見て唸った。大きな樽に作った、一番自信作のハチミツだった。
「これは、すごい魔力に満ちたハチミツね。一体、どれだけの魔力を込めて作ったのかしら。流石に、魔法学園の生徒が料理スキルを覚えると、違うわね」
(なんか、褒めてくれてると思うんだけど、なんか、変な褒め方。
え、悪いことじゃないんだよね)
しかし料理長の様子は、感心するとともに呆れているようにも見える。
「味見してもいいかしら?」
「あ、これ、お世話になったお礼です。良ければ厨房で使ってください」
「まあ、良いのかしら。こんなの、これくらいのサイズでも結構高いわよ」
玲奈は迷わずに頷く。色んなことを教えてくれる人脈は、金銭には変えがたい。それをお金で入手させようとしているのが、この魔法学園だが、それを使いこなせている生徒は意外に少ない。
料理長はハチミツを掌に一滴落として、舐めた。
「うん、すごい魔力ね。
ただ味は……、中の下?」
(ん、それは、どういうレベルで)
初挑戦のハチミツが、高いレベルで完成するとは、玲奈も期待してはいなかった。
だが、あれだけ褒めておいてその反応は、どういう意味なのだろう。
「ええっと、それは」
「味はね。
初めてにしてはよく出来てるんじゃないかしら。ただまあ、作り方が荒くて味が大雑把ね。適当な集落で集めたハチで作っているのだから、それ相応の味だわ。高山に住むハチや、ハチミツ用に育てられているハチとは、そもそものレベルが違うのね。
上等のハチミツの味ではないわ。ここの食堂くらいならともかく、高級な料理店やお菓子屋では、取り扱ってくれないでしょうね。安いお菓子屋にくらいならば、売りさばけるでしょうけど。
ただしこのハチミツは、魔力の含有量について言うのなら最高級よ。そんな売り方じゃ勿体ないわ。
魔力に満ちたハチミツは、滋養強壮に効果があるの。少量ずつになるだろうけど、クエストを通して、薬剤店や酒屋に卸した方が、きっと高く売れるでしょう」
「あ、ありがとうございます。そうしてみます」
「ええ、いいわね。売り方を間違わなければ、この小瓶1つで、1000Gでだって売れると思うわ」
「店に卸す値段で、ですか?」
玲奈は目を見張った。大きな樽に入ったハチミツだけでも、このくらいの大きさの瓶ならば100本だって取れる。
値段を割り引いて1本800Gと考えたとしても、樽ひとつで8万G。たった一日ハチの巣を集めただけで、20万G近くの儲けになるかもしれない。
「お客に売る値段だとしたら、普通のハチミツだって1瓶1000Gくらいするでしょう。
その代わり各店で一度に大量には買ってくれないでしょうから、色んな店に配って歩くことになるでしょうね。
皇都にはもう行ったのよね? クエストを通して、皇都やこの町の酒屋に売って歩くのがいいんじゃないかしら」
「酒屋も、ハチミツとかを使うんですね」
(それに、薬屋か。
薬とポーションって、何か違うのかな。ハチミツを使った調合のレシピを、どこかで教えてもらえないかな。例えば、スタミナポーションとか。
教授はスタミナポーションについては何も知らないみたいだったけど。滋養強壮って、スタミナとは流石に違うかな)
玲奈は料理長に、残りの2種類のハチミツも味見をしてもらう。
「ハチミツを使ったお酒は、醸造のスキルレベルが低くても、簡単に作れるみたいね。
あんまり男性に人気のあるお酒じゃないけど、安くてよく農村でも飲まれるお酒よ。お祭りの時に果実で割って、子どもが喜んで飲むの。
ん? こっちのハチミツは、味が全然違うのね。これはこれで、なかなか……」
この世界には、料理スキルとはまた別で、醸造スキルというものがある。酒の他に、味噌などの調味料も生産する。
醤油などもこのスキルで作れるのではないかと思うのだが、玲奈は魔法学園の市場で醤油を見たことはない。
味噌らしきものが売られていたことはあるのだが、味噌と言ってもどう見ても、日本の見慣れた味噌とは違っている。よく考えれば、味噌のような調味料は元の世界にも様々にあって、ともすれば世界中の色々な国にあって、それぞれの味や風味はかなり違っていた。
ともかく玲奈には、その味噌を使いこなす自信はなかったのだ。
(あ、そういえば、お酒と言えば)
「料理長、私最近、酒の里ヤポンの出身だっていう冒険者の方を見かけたんですけど、料理長はヤポンって、ご存知ですか?」
「ええ、知ってるわ。一応知っているけれど、随分マイナーな名前を出したのね。ハナガキさん、お酒なんて飲めた?
ここにも、1本くらい置いてあった気が」
言って、料理長は厨房の棚をごそごそと漁った。
「よっぽどお酒が好きか、酒場のオーナーか料理人でもないと、知らない名前なんだけど。流通量は少ないけど、熱心なファンは多いお酒よ」
どん、と料理長は小さな木の樽を台の上に出した。かすかな酒のにおいと、かぎなれた木の香り。
(……日本酒?
ん、日本酒って)
「これはコメ酒っていう、ここ周辺の地域では食べられていない穀物を材料にしたお酒なの。
結構強いお酒なんだけど、さらっとしてて、味も香りも上品なのよ」
「! お米! そ、そうだ、お米。
その、その里って、どこにありますか?」
(お米が、お米が食べられる)
玲奈は勢いこんで尋ねた。しかし料理長、首を横に振った。
「知らないわ。ヤポンがどこにあるかなんて。隠れ里だから。
お酒がきちんと流通してるなら、わざわざ誰も探さないわ」
「え、隠れ里って、どうしてですか」
(もしかして、忍者の里なのかな)
「まあ、お酒を作ってるから、酒税を払いたくないんでしょうね」
「はあ?」
「ヤポンは隠れ里だから、詳しい場所は知らないけど、この大陸の西の端にあるらしいわ。
魔法学園の支配を受けていない、未開拓地域の中にあるんでしょう。魔法学園が成立する前からあった、古い里なのかもしれないわ。
特に魔法学園からの庇護を受けているわけでもないんじゃ、税金だって払いたくないのも当然よ。お酒作りで景気は良いよう、里の場所がばれれば、そこを領地にしようと思う貴族も出ると思うわ」
この世界は、世界の中のあらゆる場所を、国家の指導者たちが把握できているわけではない。
世界は4つに分けられているが、この世界の世界地図は、4つのエリアを分ける境界線が地図の中心となっている。その中心から離れるほどに、人の勢力は弱く、モンスターと迷宮の勢力が強くなっていく。
4つのエリアはそれぞれいがみ合い続けているが、その争いでさえも人間の活動のうちの1つだといえるだろう。
ゲームの頃から、地図の中央から遠ければ遠いほど、強いモンスターが多く、村の少ない地域だった。グリンドワールドのゲームはサービスが始まってからまださほど時間がたっておらず、全ての地域が明らかになっていたわけではなかった。
こちらの世界に来てからも、まだ玲奈は全ての地域について知ることはできていない。人間世界の中心から遠い地域がどのようになっているのか、まだ人間たちは誰も知らないのだ。
外側の世界は、初めからそこに生息するモンスターの力が強かったという訳でもないようだ。
ただ、人間の手が足りなくて、開拓やモンスター退治がほとんど行われていないために、モンスターも迷宮もどんどん成長して強くなり、土地は荒廃していったようだ。
というか、初めからモンスターの強さは特に変わらず、人間世界の中心から、人々は開拓を進めて安全な地域を確保していったのだろう。
人々はまとまり、やがて支配組織である魔法学園や帝国が生まれたが、それらは外側の世界まできちんと支配下に入れられているわけではない。
また、危険の多い外側の世界とはいえ、どこもかしこも危険なわけでもなく。
支配組織のできる前から、自分たちなりのやり方で暮らしてきた集団もある。
そういった集団は、あるものは別の集団の支配下に入り、またあるものは対等な立場で同盟を組んだ。
その同盟の集合体が、魔法学園というエリアであり、魔法学園そのものは大同盟の盟主というような立場なのだ。
一方、同盟ではなく武力と戦争で地域を統合してきたのがお隣の帝国領であり、魔法学園よりも緩やかな同盟で部族同士が結ばれているのがエカエリ諸島である。エルフ達がどういったシステムで暮らしているのかは、玲奈は知らない。
だが、魔法学園と対等な同盟を結べない集団だって存在する。
それは単純に、集団の大きさや力の強さが問題なのだ。
同盟を結ばなくとも、簡単にねじ伏せられるとなれば、同盟を結ぶのではなく、税収を得るための支配地域に組み込もうとするだろう。
そういった集団のひとつが、酒の里ヤポンだという話だ。
「あの、料理長。私、コメを入手したいんですけど、どうすれば手に入れられますかね」
本当はヤポンにも行ってみたいと思っているが、行けないのならば仕方がない。
ヤポンには、味噌も醤油も鰹節も存在するかもしれないが、行けないのならば仕方がない。
だが、どうか、コメだけは、コメだけでも手に入れたい。
「え、コメ? いいえ、食べたことはないけど、多分流通してないんじゃないかしら。使い方が分からないし、穀物でしょう。
モンスターの多い地域の隠れ里が、わざわざ危険をおかして穀物を運んで売る意味はないでしょうから」
「は、はあ」
(流通して、ない)
ガーン。
と、料理長にも分かるほど、分かり易く玲奈はへこんだ。
「ん、まあ。どこかで話を聞いたら、教えてあげるわ」
料理長は苦笑して、玲奈に声をかけた。
「あ……。
そうしてくださると、嬉しいです」
玲奈はなんとか、頭を下げた。
小瓶に牛乳を入れて、少量の魔力を加えながらシェイクする。
バターは、料理スキルが10の時に作れるようになったが、これまで玲奈にはバターが必要となる場面が想定できていなかった。
こちらの世界に来てからは、ただでさえ重くてもたれる料理が多い。
玲奈の奴隷たちは玲奈の作る食事に文句を言うことはないけれど、肉の入っていない煮物にはガッカリする。
調味料に首をかしげながらも、キンピラやおひたしのような料理を作って出しても、当然のことかもしれないが彼らは首を傾げる。玲奈だって、首を傾げている。地味な和食もどきを作ってみたところで、思った通りの味になることはない。
たんぱく質の入っていない料理を出しても、仲間たちの反応はどうも鈍いのだ。その上冒険者である彼女たちにとって、野菜よりも肉の方が食材として明らかに安い。
しかし、男たちが喜ぶようなたっぷりの肉の入った料理を作ることに、玲奈はもう疲れた。
ご飯が食べたい。ぴかぴかのお米のご飯が食べたい。
出汁のきいた、ほっとする温かいうどんが食べたい。
焼いた魚や刺身が食べたい。
元々玲奈は、老人と一緒に暮らしていたのだ。そんなに本格的な和食ばかりを食べていたわけではないが、洋食よりは和食のほうが馴染みがある。
でも、まだ、魚も米も手に入るメドはたっていない。
侍たちの故郷、酒の里ヤポンの場所が分かっても、レベルがもっと上がらなければそこまで旅をすることもできないだろう。
(うーん、明日からは。
皇都の冒険者協会と、パルマの協会と、後はどっか大きい協会あったかな。見て回って、ハチミツ収集の依頼がないか探そう。
スドンは聖堂に残して、神聖魔法のスキル上げをさせといた方がいいかな。
明日のご飯は、皇都で買い食いでいいか。パルマに飲食店は、あんまりなかった気がするなあ)
大きめの器に卵を割り入れて、荒く混ぜる。泡立て器のつくりはちゃちだけれど、この世界には料理スキルがあるので、魔力を使えば長時間混ぜ続けなくても、簡単に角が立つくらい泡立てることもできる。
だが、今日はそこまで泡立てるつもりはない。
白身と黄身のむらがなくなるくらい丁寧に泡立てて、少しの牛乳とたっぷりのハチミツを加える。茶色いこくのあるハチミツだ。その液もむらがなくなるくらい混ぜる。
やや高級な、細かくひいた軽い小麦粉を少しずつそこに加えて、軽く混ぜる。炎の魔法で溶かしたバターも加えたら、熱に強い深皿に流し入れて蓋をし、家の外のかまどに突っ込んだ。
かなり大雑把な作り方だが、繊細なケーキを作るよりは、まずは単純なハチミツケーキに挑戦してみたのだ。
(ハチミツ、小分けにして売るんだったら、この茶色いハチミツも売れそうだよね。結構これ美味しいもんね)
ハチミツのみを使ったお菓子なんて、玲奈はこれまで作ったことがなかった。
砂糖は、現在の彼女のスキルで作ることも出来るけれど、魔法学園にはその材料が存在しない。もっと熱い地域のエカエリ諸島にはたくさん生えているらしい。
もしヤポンの里が見つかり、米をたくさん手に入れられるようならば、それを材料に水飴を作ることもできるかもしれない。
(ハチミツを小分けにするために、瓶かなにか用意しないと。
魔法学園の売店で買おうかな。大量に要るようだったら、安い瓶を探さないといけないけど、皇都に瓶を売ってるような店あったかな。
ポーション用の小瓶は、魔力から作った特殊な瓶だから、ちょっとしか入らないし高いしね)
スキルを持っていなくても、ある程度のことをすることは出来る。
料理に便利な、簡単に卵を泡立てたり、バターを作ったりすることは出来ないが、スキルレベルが低くてもどんな料理を作ることも出来る。
始めて玲奈がこの世界で作った卵焼きが非常に不味かったのは、実は卵というアイテムのレベルが高かったからだ。
生産スキルを持っていないと、上手く扱えない食材が存在する。
高レベルモンスターの肉なんかがそうであり、魔力を多く含んだ植物もそうだ。
最も高いレベルのスキルが必要な食材としてある意味有名なのが、竜の肉であったりする。
卵というアイテムには、単なる皮や肉よりも多くの魔力が込められているし、玲奈は単なる卵を買ったと思っていたが、何らかの魔力を持つモンスターの卵だった可能性もある。
この世界では、日本ほど、卵を使った料理というものは一般的な料理でも、簡単な料理でもなかったらしい。
かまどでケーキを焼いている間に、魔法の本でも読んで勉強しようかと考えていた。
今玲奈は、スケルター教授に借りて、魔法の理論書を一から読んで勉強していた。彼女は魔法について、理論の部分を全く知らない訳で。魔法学園に通う多くの生徒が当然知っているかもしれない部分を知らないのだ。
ゲームの中で覚えた魔法を、こちらの世界で覚えることは出来そうだと思う。
だが、それ以上のこと。新しい魔法を編み出すだとか、もっと生活に便利なように魔法を役立たせたいと思ったのならば、魔法の理論も勉強しなくてはならないだろう。
どうせ、スドンやギリムも字の勉強をするのだし、フルーにだっていろんな本を読んで情報を手に入れて欲しいので、彼女も一緒にこれから勉強し直すのは悪くないと思っている。
長屋の外に椅子を出して、かまどの様子を見ながらのんびり本を読んでいると、ガチャガチャと男たちが帰ってきた。
今日彼らは、朝から三人で魔法学園の迷宮に潜っていた。
ギリムとスドンは、神経質に玲奈が付与魔法をかけなくても、そう簡単には死なないレベルになってきていたので、今日はフルーが引率となって、迷宮の低い階層でレベル上げだった。
ガッチャガッチャと歩いてきたフルーは、炎から目を話すことができずに真っ先に尋ねた。
「マスター、何か、作っているのか」
甘いにおいが漂ってきている。
(このメンバーだったら、案外ケーキ小さかったかもしれない)
金属鎧を身に着けた、大きな体のフルーを見ながら玲奈は考える。
「今ね、ハチミツが完成したから、はちみつケーキを焼いてるの」
「ケーキ? ケーキって、甘くてふわふわの……」
「……ケーキ」
甘いものには、日頃は肉肉と言っている彼らも目の色を変える。
「そ。甘いケーキよ。
水浴びして、防具の手入れをしたら、おやつにするから。
とっとと洗ってらっしゃい」
Lv13 見習い魔法使い
レイナ・ハナガキ ヒューマン
HP/MP 82/123
スキル 杖Lv21 瞑想Lv19 魔術運用Lv13 付与魔法Lv17 神聖魔法Lv12 四元魔法Lv19 特殊魔法Lv31 暗黒魔法Lv15 料理Lv44
Lv13 見習い戦士
フルーバドラシュ ドラゴニュート
HP/MP 195/39
スキル 剣Lv26 盾Lv20 重装備Lv13 活性Lv21 戦闘技術Lv14 挑発Lv18 調合Lv31
Lv8 見習い戦士
ギリム ヒューマン
HP/MP 67/16
スキル 短剣Lv9 投擲Lv3 命中Lv5 活性Lv8 踏舞Lv11 跳躍Lv8 観察Lv8 索敵Lv10 装飾細工Lv2
Lv8 見習い戦士
スドン ハーフフェアリー(アース)
HP/MP 144/37
スキル ハンマーLv10 盾Lv9 重装備Lv5 活性Lv8 戦闘技術Lv4 挑発Lv7 魔術運用Lv2 神聖魔法Lv8 鍛治Lv11
更新が停滞していて、申し訳ありません。
四月になりましたら、さらに更新が停滞しそうな様子です。
三月中にもう一話上げたら、それで皇都編は終了となります。その後は、しばらく間が空きます。
夏ごろにまた再開できればと考え、グリンドワールドはしばらくお休みにさせていただきます。
まだ終わらせるつもりはありませんが、応援して下さった方は、ありがとうございました。