ハチの巣
(一年目 七月二十六日)
暑い。
暑くなるだろうことはあらかじめ想像がついていたので、午前中にハチの巣除去を片付けてしまおうと思っていたのだが、それでも暑い。
玲奈たちは昨日のうちに、ハチの巣除去のクエストをこなすために、準備を整えていた。
玲奈とフルーの二人で、ワープを使って下見をして、村長に今日退治に来ることを伝えておいた。
それから、玲奈の神聖魔法では回復が追い付かないことになるかもしれないので、それぞれがポーションを所持できるように、ポーチを買った。
ハチの巣のサイズに合わせた大きな樽を含む、大小さまざまな樽を10個ほど用意した。
それと、結局のところ虫退治なので、厚手の服を買ったのだ。
今、玲奈は、分厚い長袖のインナーの上から皮鎧を身に着けている。首もカバーできるように、ネックウォーマーのようなものを巻きつけている。スドンとフルーは、長袖のインナーの上から金属鎧だ。
鎧の内側にハチが入り込んでは困るからだ。
全身の装備を身に着けて、グローブまではめて、露出しているのは顔だけだ。全員、汗をだらだらかいている。
「それじゃあ、ポーションもしも足りなくなってきたら、インベントリから出すの忘れないでね。残りの数を絶対に把握しといて。どうしようもなくなったら、大声あげて知らせてくれればいいから。
全体的に、本当にどうしようもない、死ぬかもしれないってなったらワープで逃げるから。
私も全員のHP把握してられるか分からないから。
でもギリム、怖くても、今日は攻撃しなきゃ話にならないんだからね」
ワープポイントのある街からハチの巣のある村まで、最低限の装備を付けて歩いて行き、村に着いてからアイテムや装備を整える。
大きな樽をアイテムボックスからいくつか出して並べた。
「スドン、いいか、何度でも挑発を使え。今日は攻撃に手が回らなくてもいいから、挑発を使い続けるんだぞ。ただし、自分の回復は自分でするしかないかもしれん。マスターも、今日は私たちばかりにかかりきりではいられないからな。
ギリム、今日はひたすらハチを攻撃するようにしろ。狙う必要などない、狙わなくとも当たるだろうからな。今日はおまえが、攻撃役だ。私も攻撃できるかは分からん。
マスター、私たちがなんとかするので、あまり近づき過ぎないでくれ」
「「……ううぅ」」
今日は珍しく、ギリムもスドンも憂鬱そうにうめいている。
玲奈も今になって、不安で仕方がない。
「ああ、やっぱり、でかいなあ、ハチの巣」
レベル12の玲奈にとっては、いくらこの世界のハチが大きいといえども、攻撃力の弱いモンスターであるハチに針で刺されたとしても大して痛くはない。一度の攻撃で減るHPは1以下だ。
アリに噛まれたとか、その程度にしか感じないはずだ。
しかし、しかし、ハチは数が多い。
この世界のハチの体は大きく、この世界のハチの巣は、もっと大きい。
「私がまず、ハチの巣をできるだけ樽に入れてしまう。そこでどれだけ素早く行動できるかで、その後どれだけの数のハチと戦わねばならないかが変わって来るだろう」
除去を依頼されたハチの巣は、長さが2メートル、幅が1メートルくらいの、太った巨体の男くらいの大きさがある。ただ太っている程度ではない、ものすごく、立派な体格の上に太っているくらいの大きさだ。
縦に長い楕円形で、村のはずれにある木の幹に、大男が木登りをしてしがみ付いているような形だ。人の顔くらいの高さで、くっ付いている。
近付くと、警戒したミツバチたちが、ブーンと羽音を鳴らした。
木の下まで運んだ何種類かの大きさの樽のうち、最も大きい樽を二つ、フルーは並べた。ハチの巣は大き過ぎて、最も大きい樽にも入りきりはしない。
「スドン、《《防御上昇》。《攻撃上昇》。
《瞑想》」
玲奈は三人から20メートルくらい離れたところでその様子を見ている。
ハチに襲われたら、落ち着いて付与魔法をかけることができない。
自分一人でやや安全なところに居る気まずさを感じながらも、ご主人様だし後衛だから当然だとも思う。ただし後衛でも、低レベルのギリムよりはずっと防御力は高い。
(ええー。どうやって、まずハチの巣を樽に入れる気? フルーが、普通にやるって言うからやらせちゃってるけど。
新入り二人、超逃げ腰なんだけど。スドンまであんなにびびってるの、珍しいよ。
気持ちは分かるけど)
玲奈は、ミツバチのブーンという羽音を聞くだけでも、暑さによる汗が冷や汗に変わる気がする。
フルーは木の幹に、短剣を3本突き刺した。
そのうち2本に足を乗せ、1本を左手で掴んで支えにして、右手で鉄の剣を構えた。
「ハァーー!」
ズップリ。
フルーは巨大なハチの巣のど真ん中を斬りつけて、ブワァッとハチの巣から黒い靄が噴出した。
当然のことながら、黒い靄はフルーに襲いかかった。
「ひゃああっ! フ、フルー! 《小治癒》」
玲奈は思わず叫んだ。
フルーに回復魔法をかけてから、ステータスをチェックして、HPの減少が微々たるものなのを確認して少しホッとする。
おそらくガンガン攻撃されているはずなのに、フルーのHPは1ずつ減るだけだ。
フルーは木の幹に沿って剣を突き入れて、ハチの巣と木を切り離し、ハチの巣を鎧ごしに抱きしめて、木から飛び降りた。
半分に切ったハチの巣を、樽の中に無理やり押し込んで、樽の蓋を閉める。
「スドン! 挑発だ!」
「え! ……《挑発》。《活性》」
嫌そうに、スドンは挑発を発動する。
フルーに群がっていた黒い靄の3割くらいがスドンに方向を変えた。
ギリムは勝手に、玲奈とは方向の違う少し離れたところへ逃げてしまっている。
スドンとフルーは、群がるハチの大群に、対抗する術がない。
フルーはハチをうっとうしそうに振り払いながらも、特に気にした様子もなく、樽を横に倒して、玲奈の居る方へ向けて押し出した。
玲奈は慌てて走り寄って、その樽を受け取った。
(バチバチ言ってる。居る。この中に、いっぱい居るよ)
「スドン、《小治癒》。
ゴメン! しばらく、魔法かけられないかも!」
玲奈はメンバーのHPをチェックしながらも、そう声をかけた。
一番最初にかけたフルーの付与魔法が切れるまで、まだ5分以上残っている。
玲奈はポーチから、初級MPポーションを3つ取り出して、いつでも飲めるように持っておいた。それから魔力を通すために、右手の皮のグローブを外した。
ミツバチたちはまだ、玲奈のところまでは攻撃を仕掛けて来ていない。残り半分のハチの巣に手を出そうとする、フルーを撃退するのに忙しいようだ。
中から飛び出そうとするハチを腕で押さえつけるように、玲奈は片腕を樽に巻き付けながら、樽の蓋をずらした。
バチバチと、皮鎧ごしにハチがぶつかって来るのを感じる。
何もつけていない、掌にも。
レベル12の玲奈からすれば、ミツバチに攻撃されるのは、アリに噛み付かれた程度の痛みしか感じない。
(アリって、大量のアリに噛まれるのって。
うわああーー。かゆい、かゆい、かゆい。痛いけど、それ以上に、気持ち悪い。
でも、それでも! フルーはもっと大変なんだから)
情けない話だが、玲奈の主観としてはこの戦いが、この世界に来て経験した中で、最も過酷で厳しい戦いだった。
玲奈は涙が出るのを堪えながら、掌から樽の中に魔力を注ぎ込んだ。
「……んん?」
たらたら、たらたらと、掌の真ん中に空いた穴から、何かがこぼれ出す。
「どれだけ入れたらいいか、全く分かんない」
なんとなくひたひたと、樽の中に魔力が溜まっていく感覚は分かる。魔力に溺れて、巣の中のハチたちは溺死し始めている。
(魔力の量とか言っても、ハチの巣のサイズとか、作るハチミツの量によって違うだろうし。この樽、大き過ぎる?)
ひたひたと、樽の中に魔力は溜まり、ミツバチたちは一層激しく玲奈の腕に体当たりをして外の世界に脱出しようと抗う。
玲奈はひたひたと、樽の中に魔力を注ぎ続けた。
「ギリム! 退がるな! ハチの注意がばらける!
皮鎧ごしならば、ハチの針は私たちの体まで、ほとんど届かない。攻撃をしろ!
ッハァ」
ズバン!
フルーは狙いも付けずに、スドンの盾の前で群れているハチに向けて、剣を振り下ろした。
バチバチバチッ。
玲奈の体に、一気に経験値が流れ込んでくる。
これまで手に入れた中で、一度にこんなに大量の経験値を入手したことはない。魔法学園の迷宮の5階で、中ボスの雷の精霊を倒した時よりも多い。
今の一振りで、フルーは10匹以上のハチを斬り捨てたのだ。
フルーは、木に刺した短剣を足掛かりに、木に引っ付いている残りのハチの巣を切って地面に落としている。
割れたハチの巣の大きな欠片を拾い集めて、大きな樽に詰めている。
スドンは棒立ちで、しかし言われた通りに挑発を唱え続けている。身体中にハチが群がっていて、それをじっと耐えている。
耐えているというか、耐える他にやりようがないようだ。しかし前衛の盾職というものは、結局耐え続けて仲間がなんとかしてくれるのを待つ役割だ。
一方ギリムは、ちょっと、パニックに陥っていた。
自分の周囲を飛んでいるハチを叩き落とそうと、気が狂ったように短剣を振り回していた。
「うおぉぉぉぉ!
ひっ、痛えっ」
ギリムは叫んで、慌ててポーチからポーションを取り出した。右手で短剣を振り回し、左手ではハチに攻撃されるたびにパカパカHPポーションを飲んでいる。
ハチはさほど攻撃力のあるモンスターではないので、フルーが言っていたように皮鎧ごしでもハチの攻撃を防ぐことができる。皮鎧に針を刺された感触があっても、玲奈の1すらHPは減っていない。HPの減少量が1以下なこともあるだろうし、鎧に防がれて彼女の体に全く攻撃が届いていないこともある。樽に魔力を注ぐために、片手の皮手袋を外したので、そこから攻撃を受けているが、玲奈の周囲をブンブン飛ぶハチから受ける攻撃量は大したことではない。
でもギリムは、自分のHPを玲奈のように表示で知ることもできないし、まだ体感で自分のHPを把握することもできていない。HPが減っていなくても、ハチに刺された感触があるたびに、HPが減っていると思っているのだろう。
ギリムの今の最大HP量は35だ。初級HPポーションの回復量は30くらいで、ギリムはHPが5まで減ってからポーションを使わなければ回復量が無駄になる。玲奈はポーション代よりも安全の方が重要だと思うので、HPが5になるまで使うな、なんてことは言わない。危険過ぎるし現実味がないと思うからだ。しかし今のギリムはちょっと酷い。
「ギリム! 今、あんたのHP量、30以上あったよ。そんなにHP減ってないから、ポーション使いすぎ!」
玲奈は、ハチミツの樽に魔力を注ぎながら叫んだ。この作業をしながらでは、玲奈は魔法を使うことはできない。
「でも、でも、玲奈様」
ギリムは泣きそうな声を出した。
「ギリムとスドンのHP量、私が定期的に読み上げるから、ギリムは20切ったら使いなさい。ギリム、33。スドン、42。
ギリム、スドンにポーションかけてあげて」
スドンの今の最大HP量は74、レベル4の時点でレベル12の玲奈とほとんど変わらないという恐ろしい話だ。よく攻撃を受ける盾役で、フルーよりは防御力が低いので、今のところ最もHP減少量が多い。
挑発スキルを使っているので、ギリムとは群がっているモンスターのケタが違う。
「マスター! ハチの巣を詰めた。次を送っていいか?」
フルーは大きな樽の蓋をぎゅっと押さえるように閉めていた。
「まだだめ!」
今は樽から手を離せない。一度魔力が途切れたら、もう継ぎ足すことはできない、その状態でハチミツは完成してしまうのだと、なんとなく玲奈は理解できる。もう魔力を、40くらい注いだだろうか。
初級MPポーションを2本飲み込む。ポーションは体にかけるだけでも効果はあるが、飲んだほうが回復量は大きいし回復速度もはやい。ポーションは単なる薬ではなく、魔力を込めてスキルで生産したある種のマジックアイテムだから、飲まなくても使用することができるのだ。
玲奈は、樽のギリギリいっぱいまで魔力が満ちるように、注入量を調節しながら魔力を注いでいた。
樽の中のハチの羽音が、段々弱くなっている。
「ギリム30、スドン71。
痛いっ!」
玲奈の周囲にも増え始めていたミツバチが、背後から鎧の隙間を縫って、玲奈の脇腹に鋭い針を突き刺した。
(やばい。防御上昇が切れた!)
「マスター!?」
焦ったフルーの叫び声が聞こえる。
玲奈は慌てて最後の魔力を樽に注ぎ入れた。ぴったりと、樽の蓋を閉じる。
「ごめん、大丈夫、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。
フルー、《《防御上昇》。
《瞑想》」
(やっばい。効果が切れちゃった。もう、私の分の防御上昇、かけてる余裕ないや)
玲奈の自分自身にかけた付与魔法の効果が切れれば、その後は魔法の再使用待機時間である1分ごとに、パーティーメンバーの付与魔法の効果が順番に切れる。
魔法の効果が途切れないように付与魔法をかけ続けるためには、もう手遅れの玲奈を飛ばして、残りのメンバーに順番に魔法をかけていくしかない。
(い、痛いっ)
玲奈は棍棒を構えて、周囲を飛び回るハチめがけて振るが、ハチを追い払う格好になるだけで、ハチたちはひるむことなくまた玲奈の周囲に集まってきて、彼女に攻撃してくる。
防御上昇の効果がないからといって、即座にHP量が危険になることはない。しかし、体感的に攻撃が痛いので、気が散るし怖い。
盾職で負担の大きいフルーやスドンの防御上昇が切れたら危険が大きいし、ギリムの防御上昇が切れたら彼は今以上のパニックに陥るだろう。玲奈が黙って我慢していたほうが、話が単純だ。
本当はパーティーメンバーとして自分のミスの情報は仲間に告げておいたほうがいいのかもしれないが、今はそんな余裕もない。
「マスター、すまない。樽を送っていいか?
中のハチが暴れて、樽が割れそうだ」
「え、ええ? う、うん。こっちに転がして」
(ちょ、全員分の付与魔法かけるまで、私だってハチミツ作れないんだけど。そんな切羽詰まった樽をこっちにもらっても)
「ギリム、《《防御上昇》。《攻撃上昇》。
ギリム25、スドン63」
玲奈は慌ててポーチから、HPポーションも何本か出して、近くの地面に転がしておく。
周囲のハチがうっとうしいので、棍棒を振って追い払うと、バチンと音がなって一匹のハチが吹っ飛んだ。
数が多いのですばしっこいハチでも狙う必要なく攻撃が当たるが、数が多いので一匹二匹を倒したところで特に意味はない。
ハチの巣が玲奈のところにあるのが分かるのか、彼女の周りのハチの数はどんどん増えて、しかも減らす手段がほとんどない。時折棍棒が、偶然ぶつかったハチを地面に叩き落とすだけだ。
これが攻撃魔法使いならば、範囲魔法で一撃なのだが。
(誰か、私の周りのハチ、倒しに来てくれないかな。
でもあいつらが来たら、向こうのハチがこっちまで来て、反対にハチが多くなるんだろうな)
玲奈はフルーの転がした樽に駆け寄って、それを受け取る。樽の中の仲間を助けようとしているのか、そこにもたくさんのハチが集まっている。樽の内側からも、外側からもハチが体当たりを仕掛けていて、今にも樽が壊れそうだというフルーの言い分がよく分かった。
「スドン、《《防御上昇》。《攻撃上昇》。
ギリム22、スドン58.ギリム、もうちょっとしたらポーション使っていいよ!」
玲奈は棍棒を振り回しながら、付与魔法の再使用待機時間を待った。
フルーは剣を構えなおしていた。残っているハチの巣は、バラバラの欠片の状態で、これらをすべて集めて樽に詰めるのは時間がかかる。モンスターを全て倒してからその作業をしたほうがいいと思ったのだろう、彼は剣を構えなおしてモンスターの殲滅に移った。
周り中に挑発スキルを使い、できる限りハチを自分の周辺に集めている。
「《挑発》。《活性》。
《挑発》。ハァァァ」
ビュッ、ビュン。ブゥン。
挑発スキルによって、スドンの盾の前に集まっているハチに向けて、フルーは剣を振り下ろした。ハチたちは密集して大きな塊となっており、その塊を斬れば一匹ずつに狙いをつけなくてもハチを斬ることはできた。
玲奈にも、ハチの経験値がどんどん送られてくる。
「《《防御上昇》。《瞑想》。
スドン、《小治癒》。ギリム、34」
玲奈はポーションを何本か飲むと、ガタガタと今にも壊れそうな樽に抱き着いて、わずかに蓋の隙間を開けた。
増えてきた、周囲を飛び交うハチの攻撃をHPポーションで耐えることにして、樽に魔力を注ぎ込む。
後衛の玲奈視点だと、戦闘の描写がどうも盛り上がりに欠ける……。
玲奈は魔法使いでも、攻撃魔法も使えないので。
玲奈はゲーマーとして、さほど優秀ではありません、普通です。
MMORPGのゲームとして、パーティーの戦闘でおかしいところがあれば、感想などでご指摘ください。
筆者はゲームは好きですが、率直に言って下手ですので、ゲームの戦術的な部分は嘘ばっかりです。
ハチの巣退治の戦闘編、もう一話続きます。