新生活(2)
「へえ、ホオジロバチの蜂蜜? ハチのドロップアイテムって……」
言いながら怜奈は、出てきたギリムたちを振り返った。
驚いたことに、無口なスドンと怜奈の間では妙に会話が弾んでいたらしい。フルーとギリムの間では、指示めいたやり取りしかなかったというのに。
かまどには鍋が掛けられ、網の上には串に差した肉やパンがのっていて、香ばしいにおいをさせている。
「あ、フルー、白紙の本を出してくれる?
シチューは、もうしばらくほっとけばできるから、今のうちに明日からの予定について、説明しておこうよ」
フルーは戸惑いながらも、言われたとおりにインベントリを開く。
「それはいいが、マスター、白紙の本を何に使うんだ?」
「メモ代わりにしようと思って。
……メモって、分かる?
全部覚えてられるようなものじゃないし、一度説明するけど、書いておけばいつでも見られるでしょう?」
フルーは困った様子で顔をしかめた。
「ギリム、貴様、字は読めるか?」
「いや、読めねえ、です」
「僕も、読めない」
「え!」
怜奈は驚いて、パンを差している途中の串を、ぶんと振る。
「すまない、マスター。私の説明が足りなかったようだ。
農村と都会では、字が読める人間の割合も違う。
字が全く読めない人間は少なくないし、古代文字が読める人間はその中でもさらに限られている」
「え? カ、カナ文字も?
え、字って、必要ないかな? いや、必要、だよね。
どうしよう、辞書? 教える?」
(は?
俺たち、字が読めるって期待されてたのか?)
字が読めるような人間を、普通冒険者奴隷には売らない。
だがこの様子では、フルーは字が読めるようだし、亜人の奴隷の中には頭の良さそうなのもいくらか売られていた。
(やっぱり、この人、亜人買った方が良かったんじゃねえの。
俺には関係ないけど)
「マスター、魔法学園の授業に、読み書きと計算があったぞ」
怜奈は目を見開いた。
「え、スキルってこと?」
「スキルにすることもできるし、スキルにせずただ学ぶのでも構わない。
スキルを取った方が効率は良いが、武器スキルと同じだ。スキルを取らなければ何もできないというわけではない」
怜奈は間の抜けた声で、意味の分からない言葉を呟いて、感心した。
「へーえ、魔法学園って本当に、イタレリツクセリー!
ちょっとショック。説明するの面倒になっちゃった。
先に御飯を食べようか」
お碗に、野菜がたっぷり入った白いシチューが注がれる。そこから漂うかいだこともない良いにおいに、ギリムは唾をのんだ。
「牛乳が入ってるんだけど、食べられるって言ってたよね」
火であぶったパンが、一切れずつ配られる。ただし、まだパンは何切れも串に差してあぶられている。
玲奈以外の三人は、立ったままシチューを持っている。決して零したりしないように、注意深く。パンはシチューの中に突っ込まれた。
背の低い机が置いてあり、四人はそれを囲んでいるが、玲奈以外の誰もシチューのお椀を手放してそこに置こうとはしない。
(パンは、どれだけ取っていいんだ?
マスターやフルーの分か? でも、結構あるし、俺たちももっと食えるんじゃねえか?)
「うーん、作り過ぎちゃったかな?」
シチューの鍋を見ながら怜奈が呟いた。
「これ、置いておくと腐るかもしれないから、今日で食べきって欲しいのよね。
二人も出来たらお代わりしてね。まあ、これくらいなら、フルーが全部食べられるよね」
「ああ、マスター。食べきることはできる」
ギリムははっと鍋を見つめた。彼女が言ってることが、どこまで本気なのか考える。
本当にギリムもお代わりしていいのか、ただのきれいごとなのか、それとも新入りのギリムたちは、フルーの様子を見て適当に遠慮しながらお代わりすればいいのか。
隣のスドンが顔を上げた。
「怜奈さん、僕も、食べられる」
「あ、そう? やっぱり男の子だもんね」
ギリムは乗り遅れまいと、慌てて叫んだ。
「俺も! 俺も食えます!」
(いつの間に、レイナさんとか呼んでんだ、こいつ)
怜奈は驚いたようにギリムの顔を見てから、にこっと笑った。
「そっか。
それじゃあ、どうぞ。食べていいよ」
お許しが出たので、奴隷たち三人は勢いよく食べ始めた。
牛乳が入った贅沢なシチューは、一口食べればそれだけで肉の味がした。肉がたくさん入っているから、シチューに肉の味がにじみでている。塩味もしっかり付いていて、とんでもなく贅沢な味がする。
ギリムは、怜奈の料理スキルがいくらか知らない。ギリムの母は料理スキルが40あって、村では料理上手な方だった。
怜奈の料理スキルがいくつであれ、母を越えてはいないと思う。けれど、このシチューはレベルが違う。こんなに美味しい料理を、ギリムの母が作ったことはない。
何故このシチューがこんなに美味しいか。ギリムはふと考える。
それは多分、簡単な話だと思う。塩と肉と野菜がたっぷり入っているからだ。
(けど、どれだけ材料を使って良いってことになっても、お袋がこんなに旨い料理を作れるとは思わねえな)
ギリムの母の料理だって、とても美味しかった。彼女のこねた雑穀パンは、素朴で優しい味がしたのだ。
しかし母が、こんなにも濃厚な美味しさの料理を作れるようになるとは思えない。この街の、屋台の親父が作っていた、強烈に魅力的な香ばしいにおいを放つような料理だって、作れないだろう。
ギリムは、これまでこの世にこれほど美味しいものがあるとは知らなかった。母だって、同じだろう。
誰も、食べたこともない、想像もしたことがないような美味しい料理を作ることなどできないのだ。
(強さとかも、同じかもな)
ギリムは、シチューを必死で冷ましながら、思う。
フルーは、俺たちが見えないものを、玲奈が見ていると言っていた。
見たこともないような強い冒険者に、どうやってなればいいかは誰にも分からない。
しかし玲奈は、見たことがあるのかもしれない。ギリムたちが想像もできないような、強い冒険者を。
(そういやなんか、スドンが変なこと言ってたよな)
奴隷たちが勢いよくシチューを食べる隣で、玲奈はゆっくりとパンを噛み、シチューをすすっていた。
フルーの食べる速さが、突然緩まる。
彼はためらいながら、顔を上げた。
「マスター、その、女性にこのようなことを聞くのは失礼かもしれないが、尋ねたいことがあるんだ」
「ん? 何?」
フルーは息を吸ってから、勇気を出すように溜めて尋ねた。
「マスターの、年齢を、教えて欲しい」
玲奈は、ふふっと笑った。
「どうしたの急に、そんなこと。
あ、そっか、みんなは私のステータス見られないもんね。
フルーは、二人の年も知らないんだ。一応教えておくね。
スドンは20歳、ギリムは17歳。
フルーは、竜人だから年齢の考え方が違うんだけど、38歳。でも、ヒューマンで言うと19くらいなんだって。
私は、ええと、15歳?」
言いながら、玲奈は首を傾げた。
(え? 15?)
「じゅう、ご?」
ギリムとフルーは、ぎょっとした。
「15とは、年ごろではないか」
(妹より、年上じゃねえか)
ギリムは、子供のようなふくらみの胸を、思わずまじまじと見てしまう。
「え? なんでそんなにびっくりしてるの?
二人とも、私のこと何歳だと思ってたの?
私だって、ギリムが年下、じゃないや、見た目の割に年が若くてびっくりしたんだけど」
「私はこれまで、マスターにどれほどの無礼を働いていたのだろうか。
そのような妙齢の女性と、寝室を同じくして!」
フルーが立ち上がって、勢いよく叫んだ。
玲奈も、少し顔を赤くして叫び返す。
「仕方ないじゃない! 寝るところがそこしかなかったんだから。
ちょっと、本気で私のこと何歳くらいだと思ってたの?」
フルーはしゅんと席に座りなおした。
「見た目だけで言えば、10歳位かと。
しかし、非常に賢明でいらっしゃるので、実は12か13歳位でいらっしゃるのかと」
「その、俺は別に、見た目老けてないっス。スドンが年の割に、見た目が幼すぎるだけで」
ギリムの見た目が老けているだとか、変な濡れ衣をかけられてはたまらない。
マイペースにシチューを食べ続けていたスドンが、不満そうにつぶやく。
「失礼な」
「だよねー。まあ、確かにスドンは背はちょっと低いけど。
え、私のいったいどこがそんなに若く見えるの?
顔? 背? ……胸?」
ギリムは、故郷の13歳の妹の体を思い出しながら、少し考える。
(顔、は確かに子供の顔だけど、体もあいつの方がまだ大人だぜ。
胸もないし、背も低いけど、全体的に薄い)
15歳と言えば、貴族だったら結婚相手を探し始めてもいい年齢だ。
農村の結婚年齢は、都会と比べれば上がるが、それでもませた少女ならば赤ん坊を抱いていてもおかしくない。
しかし玲奈には、女性らしい柔らかな肉が足りない。
フルーが言葉を濁しながら言った。
「体格、だろうか」
「私、この先、ほとんど背も、その、胸もあんまり大きくならないと思うんだけど。
10歳とかに見えるの?」
「マスター、もしかして、ヒューマンでは……」
「いや、ヒューマンだけど。
でもそういえば、食堂のおばさんたちはもっとこう、もっと。
え、意外とおばさんたち、私が思ってるより若かったりするの? 妙に食べ物くれたり親切にしてもらえると思ってたら、子供だと思われてる?」
「玲奈さん」
スドンが突然声を上げた。
「シチュー、おかわり、したい」
すっとお碗を差し出した。
「二人に、明日まず受けてもらうのは、冒険の基本的な説明の授業と、読み書き計算の授業。
終わったら、フルーに迎えに行ってもらって、教授の研究室へ連れて行ってもらうね。生産スキルを一つずつ取ってもらいます。
スドンには、鍛冶スキル。ギリムには、装飾細工。
余裕があったら、その後修練場で武器スキルとかも取れたらいいな。武器スキル取ったら、暇な時間はいつでもスキル上げしてもらえるから」
これほど腹いっぱい食べたのは、農村での祝祭日以来くらいだ。
食事を終えたギリムは久々の満腹感で、すでにうとうとしかけていた。
(こんなに腹いっぱい食わしてもらっといて、ここで寝たら、流石に恩知らず過ぎる。
殴り殺されても、文句言えねえ)
しかし玲奈は、ギリムには読めない字を黒板に書きながら、なにやら説明している。
小難しい話をしていて、眠気を誘う。
「スドンは、体力が高いから、パーティーの盾になってもらいます。
攻撃力を上げることよりも、上手に私たちを守れる前衛になってね。
割と定番の物理職のスキルを取って、ちょっと神聖魔法も覚えてもらおうかな。聖騎士みたいな。
聖騎士になるには、どっかの国に所属する、みたいな条件があったからいいんだけど、そんな感じ。
まあでも、スドンはまずは、鍛冶スキルを集中して伸ばして。
すっごく名剣とかを作って欲しいわけじゃないから。低いスキルレベルで良いから、パーティーに役立つ装備品を作って」
なんとなく、聖騎士などというとんでもない単語が飛び出した気がするが、ギリムはぼんやりとそれを聞いていた。
スドンは玲奈の話を一体どこまで理解しているのか、素直に頷いている。
玲奈は、ギリムの方を向いた。
黒板のギリムという文字の下に、いくつか言葉を書いている。
彼には、自分の名前以外に何を書いてあるのかさっぱり分からない。
「ギリムのスキル構成については、実はまだ悩み中なんだよね。悩み中って言うか、ほぼ決まってるんだけど、これが正しいのかどうか。間違ってたら、かなり成長してからでも、スキル捨てさせちゃうかもしれない。
ギリムは、まずはひたすら私が指示したスキルアップに励んで。冒険では役に立たないかもしれないし、レベルアップは慌てなくていいから」
「はい、分かりました」
(役に立たなくてもいいって、良いことじゃねえか。盾はスドンがするわけだし。
もしかして、スキル上げがめちゃくちゃ苦しいのかよ)
「まずは、跳躍と踏舞をスキルレベル20まで頑張って上げて。
ギリムには、それを使ってモンスターの攻撃を回避するタイプの冒険者になってもらいます。
他にも、命中を上げたりしてもらうんだけど。
上手くいけばレベル30で盗賊っていうジョブに付いて、でも実際に盗賊ジョブがパーティー内で役に立つのはレベル50以降かな。
レベル50まで、気長に」
「ちょ、待っ!」
ギリムは声を上げて、玲奈の話を遮った。
彼女の話には、無茶なところはたくさんあった。
さらっとスキルレベル20とか、モンスターの攻撃を回避するとか。
でも、それ以上に。
「レ、レベル50って、何っすか。
レベル50って、何年後の話ですか。50年後ですか」
玲奈は、きょとんと目を見開いた。
「あはは、50年後って、流石にそんなにかからないよ」
(主人本人ならばともかく、たかが奴隷をレベル50って。
レベル50以降って、この魔法使い様は、じゃあどこを目指してるんだ)
玲奈は精神年齢18か19歳、肉体年齢はゲームのスタート年齢である15歳です。
日本人の体をそのまま持ち込んだ玲奈は、現地の洋風の人たちの中に混じると、非常に年下に見えます。
玲奈から見れば、スドンはちょっと童顔の二十歳に見えます。
反対に、17のギリムは見ようによってはおっさんにすら見えます。フルーは体がごついので、もっとおっさんにすら見えます。
別に、全然必要のない設定でした。