奴隷商
(一年目 七月七日)
その二人が入って来たとき、店の奥がざわめいたのを感じた。
ギリムも、その理由は分からなくとも、獣人たちが何に反応したのかはすぐに気付いた。
それは、若い冒険者だった。
その男は若く、身に付けている鎧も武器もかなり低レベルだったけれど、見ただけで風格があった。
ギリムは、すぐに彼がヒューマンではないことに気付いたけれど、彼を見下すことはできないと感じた。
その男は、ここで奴隷をしている亜人たちとは格が違う。
体格が良く、才能がありそうで、動作は洗練されている。育ちの良さがにじみ出ていた。
その男は、赤茶色の尖った小さな耳を持っていて、肌のところどころには同じ色の皮が張り付いている。まるで鱗か何かのように。
そこまで考えて、ギリムは気付いた。
(鱗? もしかして、竜人か。
確か、エカエリ諸島の支配種族らしいな)
それならば、獣人たちが騒ぐのも理解できる。ギリムだって、奴隷を買いに貴族がここにやって来たら、すごく驚くだろう。貴族がこんな奴隷商の店に直接足を運ぶことはまずないだろうが。
「うわあ、ケモミミばっかり。本当に、珍しい品揃えの店なんだ」
一人の女が気安く竜人に話し掛けて、店の奥がとたんに殺気立った。
若い冒険者だ。皮鎧を身に付けている。
ギリムは初め、彼女が竜人の奴隷なのかと思った。冒険者奴隷にするには若すぎるけれど、女なのだし戦力は二の次だろう。
女奴隷を恋人のように可愛がることはよくあることだ。
恋人扱いをするにしても幼すぎるように見えるが、冒険者をしている女奴隷は非常に高価で貴重なのだから、細かいところで文句を付けても仕方がない。
亜人たちの殺気に反応したのだろうか、竜人はこちらを振り向いて、威嚇するようにぐるりと睨み付けた。
「マスター、不用意に獣人に触ろうとするのではないぞ。噛み付かれるかもしれない」
(マスター?)
「奴隷、か?」
ギリムは呟いた。
隣に座って、同じものを興味なさそうに眺めていたスドンが、小声でギリムに教えた。
「女、杖持ってる」
小声で伝えられてよく観察すると、女の冒険者のほうが杖を装備し、竜人は奴隷用の首輪を身に付けていた。
彼女は、ローブを着ていないけれど、魔法使いなのだ。
魔法学園の生徒ならば、幼い冒険者も珍しくはない。優秀であったり、家が金持ちであれば、決められた年齢よりも早くに入学することができるらしい。
だがそれにしても、幼い女の冒険者は珍しい。名家であれば、娘のことを心配するだろうから、あまり早い年齢で学園に入学させたりしないだろう。
よっぽど魔法使いを出すことを誇りに思う名門なのか、あるいは魔法の才能のある娘の稼ぎを当てにする程度に貧しい家なのかもしれない。
魔法使いと関係のない家であっても、まれに魔法の才能を持つ子供が生まれることはある。
もしギリムに魔法の才能があれば、彼の両親は危険でも、十歳くらいから魔法使いとして働かせようとしたかもしれない。
女の態度からは、貴族らしい様子は感じ取れなかったので、そちらの方がありえるかもしれないとギリムは感じた。
「こちらが、敏捷のステータスが良い奴隷です。
ステータスは非常に良いですが、亜人なのでお安くご用意できますよ」
いつもは暴力的な店員が、客の前ではへらへら笑っている。しかしいくら笑って見せたところで、店員の人相が悪いのは変わらない。
「でも、ステータスが良いって言ったって、所詮は敏捷ですよね。冒険者として人気が高いのは、腕力・体力が高い奴隷でしょう」
「お客さんは、敏捷タイプをご希望なんじゃありませんでしたかい」
「だから、敏捷タイプの方が、安いならね」
女は、年の割にはしっかりした口調だった。魔法学園に通う、魔法使いならば当然かもしれないが。
彼女と店員は、わざとらしい会話をしながら、値段交渉の準備に入っている。
だが、値段交渉の準備をするということは、客が比較的買う気があるということだから、店員の方も接客に気合が入るようだ。
五人の亜人が、鎖を付けたまま客の前に並べられる。
ステータスを書いた紙を、店員が客に見せる。
「これは、HPが20もあるので、敏捷だけじゃなくて体力も高いですよ。
お値段としては、15万G程でいくらでしょうか。
このステータスでヒューマンなら、20万Gはくだりませんよ」
「お話になりませんね。15万G出せば、ヒューマンでもなかなかのステータスが買えますよね。しかも、敏捷特化ですし」
「しかしHPが20と言うのは、なかなか出ない数字ですよ」
店員と客が、勝手に亜人の値段を付け合っている。
女は奴隷たちを並べて見ながら、いまいちぴんと来ないのか、首を傾げている。
亜人は、いまにも女に噛み付きそうな険しい視線で彼女を見ていた。
「マスター」
竜人が女に声をかけた。
並べられた亜人たちが、はっと瞳を輝かせて竜人をみやる。
しかし、竜人は目の前の奴隷たちを冷ややかに一瞥して、主人に声をかけた。
「悪いが、少し考えが足りなかったようだ。
私は、ここで次の奴隷を買わない方がいいと思う」
「な! 何言ってやがる! な、何をおっしゃるのですかい、お客さん」
客の奴隷が余計な口を挟んだことで、店員は竜人を睨み付けた。
ギリムになんかは、あの立派そうな竜人に文句を言うことなど恐ろしくてできそうにないが、店員にとっては何度も取り扱ってきた商品の中の一種類でしかないのだろう。
しかし相手も、奴隷商の店員など相手にもしていない顔で、主人に助言を続けた。
「獣人を買いたいのなら、獣人をまとめて買って仕入れているような店では、良くなかったかもしれない」
「……どうしたの。質が悪いの?」
「いや、むしろ良いくらいだ。
だが、獣人がまとめて同じ檻に入れられている。同じ境遇の仲間と一緒に過ごしてきたせいで、どうもこいつらは自分の立場が理解できていないようだ。これでは、どれほどステータスが良くても、教育する時点でてこずるだろう。
特に敏捷タイプの育成は、マスター、かなり変則的なことを試すつもりじゃないか」
「ああ、そっか。もっと言うこと聞きそうなタイプが良いってことね?」
竜人は、店員と奴隷たちを威圧するようにもう一度睨み付けた。
「気が弱ければいいというのではないが、誰に従わなければならないか理解できないような愚か者では困る。
エカエリ諸島では、ヒューマンの魔法使いというものは、基本的に奴隷しか居ないのだよ。この連中を買った場合、マスターに反抗して、私に従おうとするかもしれない。
こいつらは、まだつまらないプライドを持ち続けているようだが、奴隷がヒューマン領に輸出されるのは、基本的に奴隷の方に落ち度があった場合なのだよ。一度、冒険者として失敗したから、ヒューマン領に売られて来ているんだ。
一度失敗しているくせに、未だに反省していない様子だということは、またいくらでも愚かな真似をするかもしれないと、私は思う」
ギリムのように何のとりえもない、貧しさから売られただけの奴隷は、輸送代がかかるために、わざわざ他の領土へ輸出したりしない。
それなりにステータスが良かったり、特殊なスキルを身に付けていたりして価値が高く、その上自領土では買い手が付かない種類の奴隷が、他領土へ輸出されるのだ。
例えば、魔法学園周辺では魔法使いの奴隷は売られない。
支配階級である魔法使いたちを、買って奴隷として使うのはかなり戸惑われる。買い手が、よほどレベルが高く、実力がある冒険者にであれば話は別だが。
だがそれ以上に、魔法使いは大体が名家出身だ。そのような人間が奴隷になったのでは、その家の人間が恥ずかしい。
だから、魔法使いの奴隷は、たとえ安く買い叩かれても、知り合いの居そうにない遠い地域で売られることになる。
女は、竜人の話を聞いて、奴隷たちをまじまじ見てから頷いた。
「……ふうん。なるほど、なるほど。
私も、奴隷の扱いが様になってる方でもないし、ヒューマンの方がいいと思うってこと?」
「ヒューマンにとって、魔法使いは支配階級だろう。その分扱いやすいのは確かだと思う。
また、自分の失敗のせいで奴隷として売られてきたわけではないから、愚かか利口かはまだ判断が付かないだろう。
あるいは獣人でも、もっと獣人奴隷の少ない店で、一人だけ仕入れられたのなら、もう少し今の状況が理解できたと思うのだがな」
「ちょっと、い、いい加減にしろよ、お客さん!」
商売を邪魔された店員が、はっとして竜人に食って掛かった。
「あ、まあ、待ってください。
じゃあ、この店の、敏捷の高いヒューマンの奴隷も、見ますから。
それを気に入ったら、買いますよ、ね」
女は竜人を庇うように、店員に話しかけた。
やはり、竜人は女の愛人なのかもしれない。
(って、敏捷の高いヒューマン、俺じゃねえか)
ギリムは檻の中で、慌てて立ち上がった。
本当はそんなことをする必要はどこにもなかったが、あの怖そうな竜人と魔法使い様の前で、座り込んだままでいる勇気は彼にはなかった。
実家の農村に居た頃に、魔法使いに近付く機会があったならば、ギリムは這いつくばって頭を下げただろう。
しかし、売られている奴隷が買いに来た客の前で這いつくばるのは明らかにおかしい。
ギリムはまだ、この店に来てから客に品定めをされることがなかったので、どう振る舞えばいいのか分からなかった。
わざわざこんなおかしな品ぞろえの店に来るのだから、客の目的は初めから亜人に決まっていたのだ。
ギリムが檻の中で立ち上がった気配を感じたのか、客たちがこちらを振り返った。
「ああ、あれが、一番最近仕入れたヒューマンでして。
ヒューマンにしては、敏捷がなかなか高いんですよ」
「その分他のステータスが低いんですよね、なるほど、分かります」
魔法使いは、店員にそう言って軽い牽制を浴びせてから、ギリムの前にやって来た。
「あ、でも、確かに。獣人とは全然態度が違うよね。
じゃあ、HPとMP自分で答えてくれる?」
「は、はい。HPは11、MPは1です」
ギリムが答えると、女はとたんに顔をしかめた。
「うーん。低いなあ。
あ、隣の人は」
檻の隅で座り込んでいたスドンは、のろのろと起き上って、とろとろと答えた。
「HP、30。MP、4」
彼女は、目を見開いた。
「たっか。
え、高い」
驚いて、後ろに居た店員を振り返る。
「あ、しかし、敏捷はかなり低いんで」
「いえ、確かに、敏捷って言いましたけど。この子、幾らくらい……」
「マスター。その子供、ヒューマンではないぞ。
獣人でもないが、……ハーフ、エルフ?」
指摘された隣で、店員が激しく竜人を睨みつけていた。
また難癖を付けられると思ったのか、スドンをヒューマンと誤魔化して、高く売り付けるつもりだったのかもしれない。
「エルフって、HP高い種族じゃないでしょ」
「だが、それに近いにおいが」
スドンが、ぽつりと言った。
「妖精」
「妖精。ハーフフェアリー? そんなの居るんだ?」
「取り替えっ子だから、ハーフじゃない。妖精」
女はちらりと竜人を見た。
「いや、ヒューマンのにおいもするから、ヒューマンとフェアリーのハーフだろう。
あるいは、唐突にヒューマンから生まれたというのならば、先祖返りなのかもしれないぞ」
「先祖返りでも、ハーフって呼ぶの? もっと、血が薄いんじゃないの?」
「先祖返りでも、半分でも、十分の一でも、混ざっていればハーフだろう。
親で混ざっているのと、祖父母で混ざっているのと、もっと上と。
いちいち区別していたら、名前が足りなくなるだろう」
「ふーん。いや、まあ、いいけど。
で、どうなんですか、この妖精?」
「はいっ! こいつ、ハーフフェアリーです。土属性の妖精の血を引いてまして、ステータスはかなりのものです。
こちらが、この二人のステータスでして」
土属性だから、妖精と言うわりに、とろくさくて図太そうなのだろう。
店員が、ギリムとスドンのステータスを書いた紙を、女の前に持ってくる。
女は小さく笑って、ギリムはその瞬間、自分自身が目の前の女魔法使いに買われることになるだろうと、はっきりと悟った。
「へえー、このヒューマン、確かに敏捷は悪くないですけど、それ以外のステータスはぼろぼろですね。
全然冒険者向けのステータスじゃないわ、器用さが高いとか」
彼女はその紙を見ながら、二人のステータスのあらを探して、また店員に軽い牽制をしかけていた。
「二人合わせて、えーっと、20万Gでどうですか?」
「はあ? 40万Gですよ」
「待ってください。それって、このフェアリーの奴隷、30万Gって計算してます?」
「ヒューマンが12で、フェアリーが30ですよ。負けて、負けて、40」
「ヒューマンじゃないのに、HP計算はおかしいでしょう。
大体、このヒューマンは、他のステータスが低いんですから、HP11に、マイナス評価で」
「でもお客さん、敏捷特化をお求めだったでしょう」
唐突に、女魔法使いと店員の間で、価格戦争が勃発した。
(つうか俺、10万Gで買われんのか)
ギリムは檻の中で立ち尽くしたまま、ぼんやりと考えていた。
(親父とお袋、俺をいくらで売ったんだろう。
近所の女が売られたときは、あの家30万くらいもらってたよな。
大体同じくらいかと勝手に思ってたけど、本当に男って、冒険者奴隷って、安いよな)
他者視点に対するご意見などありがとうございました。
しばらくはギリム視点で物語が進みますが、またそのうち怜奈視点に戻ってくる予定です。
金銭感覚について、農作物を作って食べるのがメインの農村と、貨幣経済が主流の都会とでは金銭感覚が違います。
農村では貨幣を入手する機会も使う機会もあまりなく、無一文でも食べていけます。農村での5万G、10万Gは結構な大金ですが、都会では一家でひと月はもたない金額です。
まあ、しかし、あまり気にしないで欲しいです……。