序
ギリムは、農家の三男だった。
兄の他には、弟と姉と妹が一人ずつ居る。
上の兄は馬鹿で力持ちで、下の兄は意地悪で乱暴者だった。
三男のギリムは、兄二人に負けてろくにものを食べられず、ひょろりと痩せて力が弱かった。
しかし、二人の意地悪から逃れるために、足は早かった。また、兄よりは利口で器用だという自信があったが、そんなことは農業をする上でなんの役にもたたないことだ。
両親はギリムを、目付きが恨みがましいと言ったし、力が弱くて情けないと言った。
だから、父親が足の骨を折り、しばらく仕事ができなくなった時。そして、それに姉の結婚が重なって金が要り用になった時、ギリムはもう分かっていた。
いつかこういう日が来ることは、もうずっと前から分かっていたのだ。
もっと幼い頃は、商人になりたいと思っていた。どうせ家を継ぐことはできないのだから、ギリムが一人前の仕事に付くにはそれくらいしかなかった。
それに彼は、目端が利くし、足が早いので、商人の奉公働きには自信があった。
しかし結局、両親は商人に口を利いてくれなかった。そんなことで、一家の労働力を減らしたくなかったのだ。ギリムの将来なんて、どうでもよかった。
そして17になったギリムは、いまさら商人に奉公に入るには年が行き過ぎている。
この年で、字も読めないし計算もできないのに。
ギリムは今日、奴隷商に売られる。
冒険者になるのだ。
冒険者になれば、すごい成功への道が開いているかもしれない。
奉公人から一人前の商人になるまでに30年はかかるが、冒険者ならば10年で伝説級の冒険者にだってなれる。奴隷出身の冒険者だって、もしかしたら国から勲章をもらって貴族や領主様になれるかもしれない。
そんなことは、ただの夢だ。うちの畑を耕していたら、金塊が出て億万長者になれるかもしれないというような、馬鹿らしい夢物語だ。
冒険者に売られた奴隷は、皆死ぬのだ。
容易く、モンスターの盾にされて、一年以内に十人中九人が死んでいく。
幸運にも残りの一人に入れたところで、主人にこき使われながら必死で戦い、大怪我でもすれば、捨てられて野垂れ死にするだけだ。
いいや、ギリムのように体格にも腕力にも恵まれない子供は、その十人のうちの一人にだってなれるはずがなかった。
ガタガタ走る馬車に詰められて、ギリムは魔法学園エリュシオールに連れて来られた。
ギリムは幸いというか、斡旋人によって、そこまで汚くもない奴隷商人の店に振り分けられた。
店で過ごす時間と、店から出て奴隷として過ごす時間、これからどちらが長くなるか分からないのだ。なかなか売れずに売れ残ったり、買われてもすぐに死んでしまうかもしれないのだから。
彼を買った店が小さくて、奴隷の維持に金をかけないなら最悪だ。
そこは幸い、そこまででもなかった。
しかし、少し特殊な品ぞろえの店らしかった。それなりに仕入れている奴隷の数は多いが、その半分くらいは変わったタイプの奴隷を置いている。
ギリムは、店に同じ時期に振り分けられた奴隷の一人と、同じ檻に入れられた。
そいつは無口で、スドンといった。
「おまえ、泣いてんじゃねえぞ?」
「別に……泣いてない」
初めにスドンを見た時、ギリムは彼を子供だと思った。
「おまえ、なんでこんなとこに居るんだ? 捨てられたのか?」
ギリムも家族に捨てられたも同然だったが、そういう意味ではなかった。
スドンは、幼い子供に見えたのだ。
スドンは、ギリムの胸までしか背丈がなく、このような小さな子供を冒険者奴隷にしたところで、役に立つとも買われるとも思えなかった。
スドンは濡れていない、醒めた茶色い瞳で、ギリムを見返した。
「僕、子供じゃない」
「はあ?」
「二十」
ギリムは顔をしかめた。どう見ても、十五を越えているようには見えない。もっと言えば、十才くらいに見えた。
「おまえ、人間じゃねえのか」
スドンは、平静な顔で答えた。
「人間、じゃない。僕達、奴隷だ」
ギリムは、かっと頭に血が上った。
「ふざけっ。一緒にしてんじゃねえぞ、化け物が!」
叫ぶと、隣の檻から怒鳴り声が聞こえた。
「すかしてんじゃねえぞ、ヒューマン風情が。この、弱小種族め!」
ギリムはびくりと震えた。
思い返してみれば、隣の檻に入っているのは、鋭い牙を持った獣人だった。
冒険者になった場合、ギリムなんかよりも、隣の檻の汚らわしい獣人の方が、よほど生き残れそうだ。
ギリムは、目の前の幼い子供に見えるスドンを、きっと睨み付けた。
けれど、彼がかっとなったのは、図星だったからだ。
ヒューマンであろうと、ヒューマン以外の汚らわしい化け物種族であろうと、奴隷になってしまったのでは差などない。
奴隷は、人間ではないのだ。
奴隷になってから、よほど上手く出世すれば、高レベルの冒険者や大貴族の寵愛深い側近にでもなれば話は別だが、ギリムがそれらになれるとは思えなかった。
彼は黙って、その場に座った。
小声で尋ねる。
「おまえ、何なんだよ」
スドンは、少し口をつぐんでから、小声で返した。
「取り替えっ子」
「はあ?」
「僕の両親、ヒューマン。でも、僕、違う。
取り替えられた、取り替えっ子。
妖精の子供」
「はあ、妖精?」
(そんなもん、居るのかよ)
冷たい固い檻の端で一晩を過ごせば、翌日は朝から新入りの奴隷のステータス測定が行われた。
この奴隷商で最近買い取られた奴隷は、十人ほど居るようだ。ただ、ギリムとスドンの他には、全員が明らかに亜人と分かる姿をしていた。ギリムは、普通のヒューマンである自分がどうしてこの店に売られたのか分からない。
思ったよりもまともな朝食を食べさせてもらって、それから各自に一粒づつ小さな飴玉が配られた。
ギリムはぎょっとする。飴玉なんて、村に居た頃も滅多に食べられたものではなかった。
「ほら、それを食ってみろ」
世話役の男によって、飴玉が口に突っ込まれる。取って置くことは許されなかった。
口の中いっぱいに広がる甘さに、ギリムは呆然とした。
その男は言う。
「今から五種類のステータスを測る。
それぞれのステータスで、良かった上位三人ずつに、この飴をやろう。
上手くいけば、五つの飴がもらえるぜ」
男はじゃらりと、飴の入った袋を掲げて見せた。
どうやらその飴は、奴隷たちが真剣に測定を受けるようにするための、エサだったらしい。
だけど奴隷たちの目の色は、俄然変わった。
まずは、妙な金属の板を体にこすり付けられた。村でも、村長が持っていて、たまに金を取って貸し出していた板だ。それで、HPとMPを測ることができる。
その二つが重要であることは、ギリムも知っている。特に、MPが高ければ、貧しい農民の子供でも良い家に仕えることができたり、場合によっては養子に招かれることもあるのだ。
しかし、それゆえにギリムは自分のHPとMPを知っている。
ギリムはHPは11で、MPなんか1だ。
スドンは非常にステータスがよく、HPが30でMPが4だった。ギリムとは比べ物にならない。MPはともかく、HPが異常に多い。人間ではないせいだろうか。
スドンはHPで飴を手に入れていた。
(でも知らねえけど、妖精ってそんなに頑丈そうなイメージじゃねえけど)
それから、重りのついた紐を引っ張って、腕力を測る。
敏捷の測定で、低い位置に張られた紐をぴょんぴょん跳んで往復し、その回数を測る。
ギリムは腕力は全くで、自信のあった素早さも、獣の亜人には敵わず、惜しくも飴を手に入れられなかった。
スドンは、腕力はそこそこあったが、それも飴を手に入れられるほどではなく、素早さは驚くほど無かった。
とろい。
全くジャンプできていない。
どうもスドンの得意とするステータスが、妖精のイメージとかけはなれている。
ギリムは人のことなど考えている余裕はないのだが、自分のことなどとうに諦めていて、どうでもよくなっていた。
彼のステータスはどう考えても冒険者向きでなく、周りの亜人たちにてんで敵わないのだった。
最後のステータス、器用さの測定に入る前に、店に突然新たな奴隷が連れて来られた。
檻に入っている奴隷たちはその様子を面白そうに見ていて、新入りの奴隷たちは訳がわからず口をつぐんでいた。
その新しい奴隷は、細かな細工の手錠を付けられ、体を縄でぐるぐる巻きに縛られていた。
男は、ローブを着ている。
「魔法使い様が、どうして……」
ギリムは思わず呟いていた。
しかし、魔法使いの奴隷が現れたことに驚いているのはギリムとスドンだけで、他の亜人の奴隷たちは魔法使いを蔑みの目で見ていた。
それは、ギリムたちヒューマンが亜人を見る目付きに似ていた。
ギリムの呟きに、その魔法使いを押さえ込んでいた奴隷商の奉公人が顔を上げて、にやりと笑いかけた。
「こいつは、エカエリ諸島に輸出するんだぜ。
この魔法学園の近くで、魔法使いを奴隷として使うのは、なかなか根性が要るからな」
魔法使いは、その男の下で、がたがたと暴れた。
「どうして僕が、奴隷なんかにならなければいけないんだ! 僕がその気になれば、一千万Gの借金くらい、すぐに!」
「ばかが。
おまえは、実家の連中に売られちまったんだ。
馬鹿みたいに金を使い込みやがるおまえを、いつまでも庇ってられねえんだってよ。」
(一千万Gって、いくらだ?)
ギリムは一瞬考えた。
一千万とは、一万の千倍だ。と言っても、具体的に想像できる数字ではない。
「僕は、僕は、レベル25だ。もうすぐ、レベル30になって、上級ジョブに着けるんだ! そうしたら」
「おいおい、調べは付いてるんだぜ。おまえそう言って、ここ3年でレベルが2しか上がってないだろうが。レベル30になるのはいつだ? 10年後か、20年後か?
ご立派じゃねえか、レベル25。大人しく冒険者として金儲けしてりゃあいいのに、魔素の宝玉なんかに手を出すから」
その魔法使いは、借金のカタに奴隷として売られたのだった。
そしてこれからエカエリ諸島に売られ、亜人を主人として仕えることになるのだ。
(まさか、魔法使い様でさえ、こんな目に合うのかよ。
冒険者として成功するっていうのは、そんなに難しいことなのか?)
ギリムは、呆然とした。
これからの彼の冒険者としての道行きに、暗い予感しか抱くことができない。
「魔素の宝玉って、何だ? 魔素の結晶と違うのか?」
ギリムはこそりと隣のスドンに話しかけた。
二人は決して親しくは無いけれど、新入りの奴隷の中でこの近く出身なのは二人だけで、他は常識の全く違う地域出身の亜人ばかりだ。
話は通じないし、少し怖いので、ギリムには怖くて話しかけられない。
しかし、スドンは素っ気ない。
「知らない」
奴隷商の奉公人が、こそこそ話している二人に気付き、面白そうな顔をした。
「魔素の宝玉っていうのはな、とんでもないアイテムなんだぜ。それを食っただけで、特定のステータスを上昇させることができる。魔法使いたちが、大金を出して欲しがるんだが。
いくらステータスが上がったところで、借金をして奴隷に落とされたんじゃ意味ないだろうに。そういう奴隷は、ステータスが良い分、良い値段で売れるんだぜ?
まあ、おまえらみたいな貧乏な身売り奴隷には、一生関係ないアイテムだけどよ。自分のところの御主人が魔素の宝玉の買い過ぎで破産しないように、ようく祈っとく必要はあるかもな」
奴隷商はからかうようにそう言って、ガハハと笑った。
「食っただけでステータスが上がるアイテムなんか、反則じゃねえか」
「だから、すごく高い、だろ」
ギリムは、隣のスドンを軽く睨んだ。
「確かに、俺たちには関係ねえアイテムだな。
主人が奴隷になったって、別にその奴隷は別のところに売られるだけで、何も変わんねえだろ。よっぽど良い扱いを受けてたんなら話は別だけどよ」
反対に、主人の奴隷に対する扱いがあまりに酷いようならば、主人が奴隷になってくれて、別の主人の下に売られた方がありがたいかもしれない。
奉公人がひょいと顔を上げると、別の奉公人が魔法使いを捕える専用の道具を持って来たところだった。
魔法使いが魔法を使えないようにするための、特別な拘束具を使うらしい。
レベルも25もあるのでは、元々低かったレベルを零に戻されたギリムたちとは、扱いも違ってくる。
レベル25の魔法使いだから、そのままで奴隷として売るのだろう。
きらきらと細工が輝く拘束具で捕えられた魔法使いが連れて行かれると、器用さのステータス測定が再開された。
五つの意味の分からない形に穴の開いた金属製の箱が、そこに用意された。奴隷には、わずかに歪んだ棒状の物が手渡される。
出来るだけ素早く、五つの穴に順番に棒を差していく。短い時間に片手ずつで、それを何周繰り返せるのか、その回数を数える測定方法だ。
ギリムは器用さに自信が無いわけではない。
ヒューマンの種族としての特性は、多分素早さや体力よりは器用さだろうと思うからだ。獣人たちは、素早さの時ほど手ごわいライバルにはならないだろう。
(でもなあ、いくら手先が器用でも、冒険者になる役には立たねえだろうな)
仕方ない、飴玉を手に入れるかと、ギリムは肩を回した。
新章が始まりました。
といっても、内容はこれまでとはあまり変わらないと思いますが、ギリム視点です。
玲奈たちの新しい仲間となる、ギリムが登場しました。
皆さん、どうなんでしょうか。
玲奈視点のままの方が良いんでしょうか。特に変わらないんでしょうか。
しばらくは、ギリム視点です。
果たしてギリムは、無事に強い冒険者へと成長することができるのか。
彼の育成にはいろいろな困難が待ち構えていて、そう簡単には強くなりませんが、のんびり育ってもらおうと思います。
玲奈たちの冒険や日々の生活や心情には色々と突っ込みどころがあるかもしれませんが、お手柔らかに。
感想頂けたら、嬉しいです。