研究室
(一年目 五月二十七日)
迷宮から帰った翌日、玲奈は朝からいつものように食堂のアルバイトに出かけ、終わってからスケルター教授の研究室に顔を出した。
フルーがそこで調合をしているはずだから、ハムと卵とトマトを丸いパンにサンドして、昼食として差し入れに持って行くことにした。
これくらいの材料ならば、合計で100Gもかからない。これまで手間を惜しんで、アルバイト時間外に料理をしていなかっただけだ。
玲奈は近頃、フルーの食生活に対して反省を感じていた。
別にフルーは不満を感じている風もないし、奴隷だから、そういう扱いで問題は無いのだと思う。
しかし玲奈はフルーに対して、完全に奴隷として扱いきれているわけではない。普段の口調も冒険中の行動も、パーティーの仲間として遇している。
それなのに、食事であれだけ差が付いているのは、奴隷としてもパーティーメンバーとしても中途半端だ。
玲奈はフルーを完全に奴隷として扱うつもりもないし、奴隷から解放するつもりもない。
エゴかもしれないが、玲奈は彼を、決して彼女を裏切らない、完璧に信頼できる仲間として、育てたいのだ。
だからこれからもそう扱い続けるけれども。
食事事情としては、反省している。
研究室に入ると、フルーは汗だくになりながら作業をしていた。
すり鉢の中で、MPポーションの材料となる白い石をすりつぶしている。
大量のMPを注ぎ込みながら、金属の鉢の中の白い石を、重そうな金属の棒でゴリゴリすりつぶしている。
彼の腕の筋肉は盛り上がり、汗は鉢の中にもしたたり落ちそうだったが、特に繊細な注意が必要な作業でもないらしく、彼はその汗を気にした様子もない。
「フルー、今いい?」
ぱっと、彼は顔を上げた。
「マスター。ああ別に、潰しているだけだから」
「あ、そう。差し入れ持ってきたけど、昼ご飯に食べる?
なんか調合って、もっと知的で繊細な作業だと思ってたけど、意外と力技なんだね」
フルーは玲奈が持っている皿を見て、パッと顔を明るくした。
「ああ、いや、まだ下準備の段階だから」
いそいそと近付いてきて、皿にかけられた布を取り除く。
パンサンドを見てフルーは、切ないくらいにキラキラ輝く笑顔で笑った。
「ありがとう、マスター。すごく、すごく、美味しそうだ」
その笑顔があまりに美しいので、玲奈の心の中で罪悪感が激しく暴れ回る。
(ああ……。そんなに嬉しいんだ、こんなもので。
ああ。ゴメン、フルー。次からもっとちゃんと作ってあげるから)
「やあ、ハナガキ君。美味しそうだね、一つくれないかい?」
スケルター教授が、呑気な笑顔で玲奈に話しかけてきて、ひょいとパンサンドを一つ奪った。
三つあったパンサンドのうち一つが減ったので、フルーは情けない顔をしていたが、玲奈もフルーも教授に文句を言うつもりはない。パンサンド位仕方がない。
「いやあ、いいねえ、力の強い弟子は。魔法職の子は誰もかれも、腕力が無くって困るよ。
確かにこれは下準備の段階だけど、MPポーションを作るうち、一番時間が掛かるのがこの作業だからね。しかも上級のポーションになればなるほど、白い石の必要な量は増えるんだよ。
HPポーションは、薬草をすりつぶすだけだから、腕力も何も大して関係ないんだけど。
彼、今、普通の人の五倍の量を、いっぺんに潰してるからね」
「フルーは力も強いですし、MPにも余裕ありますからね。ポーション、どれくらいで完成しそう?」
「これで、瓶50本分のポーションになる。この分は、明日には完成できるだろう。大量に一度に作っているから、調合スキルの上昇はあまり大きくないが」
「へえ。教授、1本幾らで買ってくださるんでしたっけ」
「1000本までなら、1本300Gで買うよ」
MPポーションは、ゲームの頃は一律600Gだった。NPCに対する売値は、買値の十分の一だから、60Gだ。
この世界での学園などによる買取り価格も同じ60Gだ。しかし、ゲームの頃にPC同士で売買できたように、現実には様々な人と交渉次第で値段は変わる。
スケルター教授は、普通に買うよりは安くポーションを入手することができ、玲奈達は普通に売るよりも高く買ってもらえる。
「ということは、これで15000Gか。ゴーレム狩りの期間も含めれば三日で15000Gは、日給5000Gか」
フルーは、世知辛い計算をする玲奈をとがめるように言った。
「だがマスター、ゴーレム狩りを通して、スキルはかなり上がる。教授は定期的にポーションを買ってくれるし、こんなに安定した収入はそう簡単には得られないぞ」
確かに、対時間で儲けの大きいクエストでは、同時にスキル上げはできない。ゴーレム狩りでは、スキルだけでなくレベルも上がり、さらにはレアアイテムの入手すら期待できる。
「そうよね。1000本で30万Gは大きいし、1000個白い石を拾う間に、レベルも結構上がるだろうしね」
また、1000本を越えて作った初級ポーションは、そのまま次の低級ポーションの材料にできる。
HPポーションとMPポーションを交互に作り、他の材料もそろえながら、今後はしばらくゴーレム狩りだろう。
ちなみに、HPポーションを作る材料の薬草は、教授が栽培しているものを分けてもらっているため、買ってもらえない。作ったポーションの半分を教授が、半分を玲奈達がもらえるという、現物支給クエストだ。
玲奈が神聖魔法を使って回復するから、HPポーションはあまり使わないのだが、ためておいて低級ポーション用の材料にしようと思っている。
「次に迷宮に入る時は、フルーの剣も十本くらい持って行かないとね」
「私は、剣の十本くらい軽く買える、今の経済力に少し感動するよ」
「あはは。ポーション1000本納品したら、新しい奴隷を買いに行こうよ」
「マスター、無駄遣いをしてはいけないぞ」
フルーは、白い石をつぶす作業がひと段落したらしく、すり鉢を置いて手を洗い、玲奈の持ってきた昼食に手を伸ばした。
「あ、そういえば、魔素の宝玉の鑑定してもらって来たんだ」
「何だったんだ?」
玲奈はここに来る途中、学園内の道具屋、つまり売店に行って、魔素の宝玉の種類を尋ねていた。
学園内の売店よりも、外の市場に行った方が装備品などが多少安かったりする。だが多少の差なので、今後のゴーレム狩りで消耗する武器を補充をどこで行うかは悩みどころだ。
「ううん、それが。敏捷の宝玉だった」
「そうか。それは、大した値段にならないだろうな」
魔法学園周囲では勿論、魔法の威力を上げる知力の宝玉の需要が高い。お金持ちが多い魔法使い達は、金に糸目を付けずに宝玉を求める。次に、防御力を上げる体力の宝玉だ。
「ちょっと、売らないわよ。回避タイプの冒険者を育てるって言ったじゃない。今度買う、新しい奴隷に使わせるよ」
「本気か? まだ、どう育つかも分からない奴隷に」
この世界の常識としては、奴隷に宝玉を使わせることはあり得ないことらしい。
多くのパーティーを眺めていても、主人と奴隷の装備品のレベルが全然違っている。
自分の装備から良くしたくなる気持ちは分かるけれど、肉の壁である物理職の防御力は、そのまま魔法使いの防御力になる。パーティー全体が平均的な装備を着けた方が、全体としての力は上がるだろうに。
「ええ。君たちもう宝玉拾ったんだ。ラッキーだね」
教授が口をはさんだ。
「知ってる? 学園の生徒が破産する理由に、結構多いんだよ」
玲奈は首を傾げた。
「どういうことですか」
教授は軽い口調で答えた。
「だって、この学園に通うようなお金に余裕のある生徒で破産するなんて、よっぽど高いものを買うしかないじゃないか」
フルーは、少し心当たりがありそうな顔をしている。
「つまり冒険者の陥りやすい失敗というものは、決まっているんだ。
身の丈に合わない装備や名剣を買って破産するか、あるいは身の丈に合わない上位の狩り場で失敗し続けて、装備の修理や怪我の治療でじり貧になるか、くらいだから」
「まあ後は、人間関係の失敗かな。仲間に裏切られたとか、偉い人に嫌われたとか、冒険者ギルドの信頼を失って仕事が回ってこなくなったとか。
あ、農耕スキルの教授が、ブドウを作ったらしくて、おすそ分けにもらったんだ。食べるかい?」
不意に教授がそう言いだして、立ち上がった。
「あ、ありがとうございます。いただきます。
……教授、フルーの分も頂いて良いですか?」
「いいよ、いいよ。どうせハナガキ君や僕じゃ食べきれないから」
教授は棚からブドウを取り出して、魔法で水をかけて洗って出した。
「ハナガキ君って、奴隷を大切にしてるけど、それって良いことだよ」
「? はあ」
(四元魔法のスキルが30になったら、氷を覚えるのよね。それを果物にかけたら、シャーベットになるのかな)
「はい、マスターには、感謝しています」
フルーはブドウを目の前にして、食べて良しの合図が出るのを、そわそわしながら待っている。教授はフルーに頷いて見せた。
フルーは素早く手を伸ばす。
「奴隷は主人を裏切ることは出来ないけど、手を抜くことは出来るからね」
玲奈は教授を見つめて、頷いた。
確かに、奴隷の首輪は奴隷のことをそこまで細かく縛ることができるわけではない。やる気の有る無しなんて、もちろん指示できない。
やる気のある奴隷なんて、なんとなくぴんと来ない。
だがフルーは、真面目でやる気もある。
首に首輪は付けているけれど、フルーは堂々としすぎていて、あまり奴隷らしく見えない。
主人である玲奈と、ほぼ同じレベルの装備を身に付けているからそう見えるのかもしれない。
「彼は、何をするにしても、手を抜く必要が無いんだ。
フルー君が頑張った分、彼がお金を稼いだ分、それは彼自身のレベルや装備や、パーティー全体の戦力強化として返って来るからね」
「それは、当然のことじゃないんでしょうか」
(まあでも、お金を稼いでも、全部主人の装備強化に使われて、奴隷の装備を強化してもらえなかったら、手を抜きたくもなるってことかな)
「それは違うよ、マスター」
フルーが、ブドウの皮で紫色に手を汚しながら、口を挟んだ。
「私は、自分で冒険者として三年間生きてきたが、どれほど努力しても、何も良くならなかったんだ。頑張った分、何も返ってこないということだ。
そうすると、自分が生きていくための仕事だというのに、手を抜くようになる。
笑えるんだが、頑張った分の結果に何も返ってこないのに、手を抜いた分の結果はきちんと返って来るんだ。良い仕事が回って来なくなって、余計どうしようもなくなるというパターンだ」
(なんかよく分かんないけど、悲惨だったんだ)
玲奈は首を傾げながら、ブドウに手を伸ばした。
「今は違うんだ?」
フルーは少し思いを巡らせる。
「違う。
私が、作っただけポーションが買ってもらえる。
教授の研究室の掃除を、手を抜かずに手伝ったから、こうしてブドウが食べられている。ですよね、教授」
「あ、そうなんですか」
(フルーじゃなくて、私がフルーのブドウのおすそわけをもらってるわけだ)
「まあね。でも、主人を差し置いて奴隷に物を与えるっていうのは、ちょっとね。
別に絶対やっちゃいけないことでもないけど、そこそこ親しくないと、何かやましいところがあるって思われちゃうかも。引き抜きかけてるとか」
(そういう常識なのかもしれないけど、奴隷の扱いってやっぱり、いまいちよく分からないなあ)
玲奈は、ブドウの皮をぺっと吐き出した。
なんだか、とりとめのない話になってしまいました。
もう少し続きます。
特に何か事件が解決したわけでもないのですが、次の一話でこの章を終わります。
次の章からは、また新しい奴隷が出てきます。