初めての迷宮(2)
(一年目 五月二十五日)
その日、玲奈は早朝から準備を整えて、朝食を食堂で食べてから早々と、迷宮の前に来ていた。
予定としては、一泊二日。今日は、日本で言う日曜日に当たり、食堂でのアルバイトは無い。明日は、休ませてもらえるように頼んである。
玲奈たちは、レベル上げもそっちのけで、毎日アルバイトとクエストにばかり日々を費やしていたから、お金に余裕はある。
初級のHP・MPポーションを、各99個づつ買って、アイテムボックスの枠を二つ埋めた。
ただ、玲奈の魔法であるアイテムボックスからは、フルーは物を取り出せないので、咄嗟に使えるように不思議なカバンに何個か入れてある。
何を入れても重くならないアイテムボックスには、テントも入れてある。
これで、アイテムボックスの枠は残り二つしかないが、このうち少なくとも一つはお目当てのドロップアイテム、白い石で埋めるつもりだ。
アイテムボックスに入る以外の物は、フルーの腕力で運ぶことになる。ドロップアイテムもそれを考えて、一・二階で拾いすぎないようにしなければならない。
ポーションを使い切ればアイテムボックスの枠が空くが、それは予算的にしたくない。というか、できる限り節約するつもりだ。
「フルー、忘れ物は無いかな?」
「何か困ったことがあったら、無理をしないで戻ってくればいいだろう」
「うん、そっか」
(ゲームの頃は、忘れ物とか考えたこともないもんね)
「じゃあ、行こうか」
迷宮とは、勝手にモンスターたちが湧いて生れ出る場所のことを言う。
中のモンスターを一匹残らず倒したとしても、しばらくすれば再びモンスターが増えて、元の状態に戻っているのだという。
フィールドのモンスターはそうではない。その辺のモンスターたちは、迷宮から外へ出て来たか、親に産まれて誕生したモンスターなのだ。
迷宮は、湧き出てきたモンスターたちが作った、彼ら自身の巣だ。放っておくと、段々大きくなる。
魔法学園の迷宮は、学園がきちんと管理しているから、モンスターが増えすぎてこれ以上大きくなることは無い。しかし、迷宮を小さくする手段は基本的に無いので、大体の迷宮は大きくなるばかりだ。
ただたまに、活動が止まってモンスターが湧き出なくなる迷宮がある。
偶然そこの迷宮のモンスターを、一匹残らず倒せば、その迷宮は枯れて崩壊する。
運の要素の大きい話だ。
二人は、魔法学園の迷宮の門をくぐった。
「ああ、ちょっとドキドキする。
フルー、《防御上昇》。《瞑想》。
とりあえず一階では、ポーション節約を心がけよう。
あんまり、付与魔法は使わないと思う。私も、杖で殴るよ。防御上昇は、常時かけるね。
《防御上昇》」
「了解。《活性》」
迷宮の内側は、ざらざらした石造りの薄暗い洞窟のようなものだった。ただ理由は分からないが、石壁全体がどことなく仄明るい。
巨大な迷宮の内側に、石の壁がたくさん立ちふさがって、迷路状になっている。大体5・6メートルほどの通路で成り立つ、石造りの迷路のようだが、通路の幅は一定ではない。
RPGのように直線で地図をかけるような単純な迷路ではなく、もっと自然発生的にできた道だ。
迷宮の入り口の近くは、人通りが多いためだろう、モンスターは見当たらなかった。
しばらく進むと、ざらざらとした石壁の隙間から、小ヘビが這い出てくるのが見えた。
「げっ。気持ち悪い。
ううん、行くよ! 《遅滞》」
「《挑発》」
フルーがスキルを発動しながら、小ヘビに駆け寄って、切りかかる。
先制攻撃で、剣先で二度突き刺すようにすると、小ヘビは簡単に倒された。
(私が手を出す暇、無かったわ)
「やっぱり、一階のモンスターはかなり弱いな」
フルーは、ヘビの頭を踏んで押さえ、立ったまま剣でその体を切り裂いて、小さな魔素の結晶を取り出した。
「じゃあ、武器に付与は要らない? フルー、《防御上昇》」
「ああ」
フルーは取り出した魔素を、インベントリに収めた。
フルーはもう、草原ネズミやバッタくらいならば、一撃位で倒せるようになっていた。
防御力も悪くないので、そのくらいのモンスターならば、玲奈がきちんと回復させ続けていれば、十匹くらいに囲まれても問題ない。一匹ずつ倒すことができるのだ。
「《瞑想》。小ヘビ、ネズミくらいの強さ?」
「いや、HPは分からないが、動きが鈍いからより弱い感じだな」
フルーはレベル6だが、普通のレベル6に比べるとかなりステータスが良い。
腕力も防御力もあるので、今のようにかなり敵のレベルが低い状況だと、きちんとHPを補い続けてやれば、戦略や玲奈の支援がなくとも、力押しで戦える。
二人は、自分たちで白い紙に線で分岐を書いただけの簡単な地図を書き、マッピングの練習をしながら迷宮を進む。
マッピングはスキルで習得していないが、魔法学園ではマッピングの方法についても授業で教えてくれた。フィールドでの星の見方も、野外でのテントの張り方も、アウトドア料理の作り方もだ。軽く習っただけなので、到底覚えきれているわけではないが。
「ふーん。じゃあ、数が多かったら、私も杖で殴るよ」
「《活性》。数が多かったらって、何匹くらいだ」
今は玲奈が地図を書きながら、フルーが周囲を警戒している。
「六匹以上?」
「やめてくれ、マスター。四・五匹だったら殴っていいから。
六匹以上だったら私の盾のすぐ後ろ側で大人しく守られていてくれ、危ないから」
ちなみに、玲奈が杖でネズミを殴って倒せるまで、かなり時間が掛かる。杖に炎を付与しても、十発くらい殴らなければ死なないし、ネズミは黙って十発も殴らせてはくれない。
殴って、噛み付かれて、避けられて。
一匹相手に戦うだけでも、それなりに消耗することになる。MPも消費するし、時間もかかる。
付与魔法は、相手のステータスが高ければ高いほど、その効果も高いものなのだ。
物理職にしても、かなりステータスの良い方であるフルーと比べるのが悪いかもしれない。
二人は、向かってくるヘビをばっさばっさと斬りながら、一階を一通り回ってみた。
とりあえず全ての別れ道を通ってみて、行った道を地図に書く。
(でも正直、図書館で地図書き写して、道ほとんど覚えちゃってるんだよね。あんまり、意義を感じないなあ。ヘビも、フルーには弱すぎるみたいだし)
「宝箱とか、全然出ないんだね」
(まあ、まだ一階だしね)
「ああ、私達ではな。
ハァッ」
フルーは、迷宮を這うヘビの頭に、剣を突き刺した。モンスターが四匹出てきたので、玲奈も隣でぽかぽかヘビの頭を叩いていた。
「私達では?」
「ああ、私は以前も、宝箱やアイテムを拾うのが苦手だった」
ボカッ。
杖が妙な音をたてて、ヘビにとどめの一撃を与える。
(やばっ。これ、殴る用の武器じゃないから、あんまり殴ってたら壊れるかも)
「《瞑想》。《小治癒》。
そういうの、得意とか苦手とかあるんだ?」
「私は戦闘以外のその辺りの情報には疎かったが。多分そういうスキルが、あるんだと思う。
得意不得意もある。竜人は大雑把だから、細かい作業は向かない。獣人には、そういうことが得意な奴がいたな。鼻が利くとか」
フルーは、ヘビの魔素の結晶をインベントリに突っ込んでいく。
まだ小さい結晶は、サイズの割には全然軽いので、いくら入れても力の強いフルーにはなんら重く感じないらしい。
「盗賊とか、そういう器用タイプの職業かな」
(ゲームの時は、リヒター以外に上位ジョブ取ってる仲間、まだ居なかったからな)
レベル30を越えないと、上位ジョブに就くことはできない。
「索敵スキルでも取ってみる?」
「索敵ではないだろう。索敵で宝が見付けやすくなるのなら、索敵スキルはもっと人気があるだろうし、学園の授業で知らせてくれると思うぞ」
「獣人だけが持ってるスキルなのかな。それだったら、私全然覚えてなくてもおかしくないし。
うーん。でも、盗賊ってきっとお宝発見系のスキル持ってるよね? ヒューマンでやってる人居たと思うんだよね」
「盗賊ってそれ、ジョブじゃないだろう」
「ん? 盗賊って、冒険者のジョブだよ」
「そんな職業、あったか?」
「ん、んー?」
(なんか、プレイヤーとしての私の記憶も怪しいから、いまいち確信が持てないな。でも、この世界の人たち、そんなに全てのスキルやジョブを把握してるわけでもないと思うし、かなり地域によって違うみたいだしな)
二人は歩いていると、二階への階段に出会った。
まだ一階は三分の一くらいしか回りきっていない。
「もう、面倒だし、二階行っちゃう?」
「良いんじゃないか。もう、二階のモンスターでも大丈夫だろう」
「じゃあ、階段上がった安全地点で、昼御飯にしようか」
「分かった。《活性》」
フルーは、剣をぶんと振った。
「いったい何するつもり。
フルー、《防御上昇》」
「昼食だろ?
料理の素材を、捕まえるんだよ」
フルーは言いながら、近くのヘビに向かって、走り出した。
(ああ、ヘビね)
玲奈は彼の素早い後姿を見ながら、考える。
(竜人の食生活って、一体どうなってるんだろう。
いや、私が食べさせてる料理が貧しすぎるせいかな。なんだかんだ言って、ネズミもあんまり料理してあげてないし。
私だけ、食堂で悪くないまかない料理食べてるからなあ)
フルーは速やかに、二十匹ばかりのヘビを調達して来て、二人は二階への階段を上がった。
玲奈は、串を差して焼いたヘビ肉をフルーに与えた。彼女も一匹かじる。
下手物料理にも随分慣れた。
「さっきの話なんだけど」
「ん?」
フルーは、持ってきたぼそぼそのパンを片手にかじりつつ、黙々と肉をかじっている。
普段は、奴隷であるせいか元々の性格なのか、玲奈が話しかけるとかなり生真面目にいちいち反応してくれる。
しかし、食事をしている時の彼は別だった。
玲奈の料理スキルはもう、レベル22になった。
レベル22といえば、なかなかのものだ。
なので、もう焼き料理しか作れないという訳ではない。
ないのだが、面倒なので食堂でのアルバイト以外では、肉か卵を焼くか、果物を切るかという料理しかしていない。
つまり、フルーはそれか、食堂で食べる無料の味気ない食事しか食べていない。
可哀想に、文明的な食生活からほど遠い。
「宝箱の話なんだけど」
フルーは、必死でヘビの串を二本食べきり、やっと顔をあげた。
「さっき言ってた、盗賊の話か」
「そう。
《道具箱》」
玲奈はアイテムボックスの空いた一枠に放り込んでいたリンゴの実を、短剣で剥いた。もちろん、モンスターの解体用とは別の短剣だ。アイテムボックスの空いた残りの一枠には、予備の短剣が十本くらい放り込まれている。
ドロップアイテムでアイテムボックスの枠が埋まれば、その分をインベントリに入れてフルーが持って帰る。帰りまでにはリンゴは減って、幾分軽くなるだろう。
「そろそろお金も貯まるじゃない。
次のパーティーメンバーについて、相談しようと思って」
別に、今すぐ買おうという話ではない。今の二人のレベルでは、新しく入った低レベルの人間を、きちんと守り育てることができるか、怪しい。
でも、二人ではパーティーとして戦力が小さすぎる。どうせ近々奴隷を買い足すつもりなのだから、魔法学園に居るうちに一通りスキルを覚えさせたほうがいい。
「私としては、バランスのいいパーティー構成を目指したいの。
少なくとも一人、近々奴隷を買うつもりなんだけど、この辺りじゃ物理職しか売ってないから、多分物理職を買うじゃない。
それをね、回避型の前衛に育てようかどうか悩んでるの」
玲奈は真っ二つにリンゴを切って、半分フルーに分けた。
玲奈は、パーティーの構成をずっと考えていた。
彼女が付与魔法使いを選んだ時から、頼りになるパーティーメンバーは、生存のために必須条件だ。
欲や希望を言えばキリは無いが、基本的な構成のパーティーにしようと思っている。
物理職三人、魔法職三人。魔法職は、玲奈が補助系の魔法使いなので、後は回復に特化した魔法使いと、攻撃魔法使いが欲しい。
ただ、ゲームならばともかく、死のリスクのあるこの世界で、魔法職三人は守りきれるか不安だ。
物理職は、フルーには攻撃力を重視してもらって、後は防御の固い盾になる物理職と、回避型の盗賊みたいな物理職が欲しい。
問題点はいくつもあるだろうが、根本的な問題が一つ。
「回避型の前衛って、どうやって育てたらいいか、フルー知ってる?」
「低レベルの冒険者なんか、こう育てようと思ってできるものじゃないと思うが。
……そもそも、回避って、スキルであるのか?」
玲奈はさくりとリンゴをかじった。
「そうなんだよね。回避スキル、学園の授業でも何も言ってなかったし、図書館のスキル表にも載ってなかった」
ただ、そのスキル表には魔法スキルはたくさん載っていたが、物理スキルはかなり少なかった。
「回避ってスキルがあることは、私は確信してるの。
モンスターの攻撃を避け続けていれば、そのうちスキル付くかな」
ゲームに回避スキル存在したことを、玲奈は確かに覚えている。ただ彼女は魔法系のスキルで手いっぱいで、回避スキルを取ろうと思ったことがなく、詳しい取得条件などは見ていない。
(ゲームにあったから、この世界に絶対あるかっていうと、悩むけど。
なんらかの制限がかかっていたとしても、多分あることはあると思うのよね)
フルーは、分けられたリンゴを三口で食べきった。
「だったら、誰でも回避スキルが付くだろ。
私も昔は、盾スキルも持ってなかったが、さすがに避けないで突っ立ったまま斬り合っていたわけじゃない。一応、避けたりしてたし、誰でもそうだろ。だが、回避スキルなんて話は聞いたことがない。
何か他に、条件があるんじゃないのか」
食べ終わった彼を待たせたまま、玲奈はリンゴをかじって考えていた。
「そうか。条件か。
前提スキルがあるんじゃないかな」
(そういえば、そういう取得条件のあるスキル、物理系スキルには多かった気がする。
じゃないと、体さばきスキルとか、何の役に立つのか分からなかったもん)
「前提スキル?」
「私の武器付与も、四元魔法と複合スキルでしょ。その仲間だよ」
「スキルによる条件があるのか。
その前提、何のスキルか分かるのか?」
「うーん。見当は付くけど、正確なところは分からないよ。
フルーは何か知ってることある?」
玲奈はゆっくりとリンゴを食べ終えて、動き出す準備を始めた。
フルーはインベントリを肩にかけ、いったん下ろしていた銅の膝装備と兜をかぶりなおす。
「スキルについては何も知らないが、マスターの言う回避型の前衛なら、諸島で猫属の一部の種族出身でたまに居たぞ。
回避型と聞いた訳じゃないが、多分あれだろう。変わった戦い方をする戦士だ。
種族独自のスキルでも持っているのかと思ってたが、スキル出現条件を、一族の秘技にしていたのかもな」
種族特有のスキルならば、竜人であるフルーも持っているらしい。というか、レベルが上がればいつか現れるといいなと願っているレベルだが。
珍しい魔法スキルだ。フルーは竜人以外にその魔法を使える者を知らないと言う。彼も、別にそんなに物知りな方ではないけれど。
竜人が種族として、魔法に適正があるせいらしい。
「前提スキルって、どこかで調べれば分かるかな?」
「おいおい。
もしそんなものがあるとしたら、そして回避スキルがそこまで役に立つなら、知ってる奴は絶対他人に漏らさないだろうな」
「いや、盾・重装備型と比べてそこまで良い訳じゃないと思う。良いところも悪いところもあるよ」
「それでも、自分たちだけが知っている情報というものは、重要なものだ」
「そっか……。うーん、どうしよう。
誰か、試しに育ててみるしかないかなあ」