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Mr.ハラスメント

作者: 優雨
掲載日:2026/09/23

俺は、ハラスメントが嫌いだ。


いや、正確に言えば、ハラスメントという言葉が嫌いだった。

昔なら冗談で済んだことに、いちいち名前がつけられる。


例えば、部下に「根性が足りない」と言えばパワハラ。

女性社員に「見た目がいいから得だな」と言えばセクハラ。

家庭で妻に「女なんだから気を利かせろ」と言えばモラハラ。

酒を強引に勧めればアルハラ。


そのうち呼吸しただけで、ブレスハラスメントとでも呼ばれるんじゃないか。


「まったく、息苦しい世の中だ。お前らもそうは思わんか?」


そう愚痴をこぼす俺に、部下たちは曖昧に笑うだけ。


少し離れた席では、若い連中が楽しそうに談笑している。

俺が近づくと、不思議なくらい静かになる。


最近の若者は、上司との付き合い方すら知らんらしい。


妻は露骨にため息をつき、子供たちは目も合わせない。


会社の連中が、陰で俺を「Mr.ハラスメント」と呼んでいることも知っている。


上等だ。


そんなある日、社内通知が届いた。


《ハラスメント防止研修・受講対象者》


もうこの《対象者》という書き方が気に食わない。

まるで俺に問題があるみたいじゃないか。


いっそ人事部に抗議しようとしたが、欠席すれば社内評価に響くらしい。

仕方なく受講することにした。


会場には、他部署や別会社から集められた、百人を超える受講者がいた。

開始時刻となり、席に着く。

講師はやけに穏やかな声の男だった。


「ハラスメントは、相手がどう受け取るかが重要です」


でたよ、またそれか。

受け取る側が勝手に傷ついたら、何でも加害者にされる時代だ。

俺は腕を組み、適当に聞き流した。


「では、ここから体験型研修を行っていただきます」


机の上に、黒いゴーグルが置かれた。

話を聞くと、最新式のVR機器らしい。

装着すると、視界が暗くなった。


こりゃあちょうどいいや。

俺は目を閉じ、そのまま眠った。


*


肩を揺すられ、目を覚ます。


「本日はお疲れさまでございました。研修は以上となります」


講師の声だった。

俺はゴーグルを外し、欠伸をしながら会場を後にした。


……何も覚えていない。

それどころか、久々の快眠だった。


まぁ、参加したという実績は残したんだから気にする必要はない。


帰宅すると、妻が夕食を並べていた。


「今日は遅かったわね」


「お前に関係ないだろ。おい、ビールはどうした」


「はい、しっかりと冷やしておいたわよ」


「え?……あぁ」


少し拍子抜けした。

いつもなら、しかめっ面で口も利かないのに、今日は満面の笑顔。


なんかいいことでもあったか?


食卓では、息子がスマートフォンでゲームをしていた。


「食事中くらいスマホを置け。そんなだから頭も目も悪くなるんだ」


「ごめんなさい、気を付けるよ」


素直にスマホを伏せ、笑顔で食事を始める。

ふと息子の隣を見ると、娘の髪形がまた変わっていた。


「なんだぁその髪は。全然似合ってないぞ」


「やっぱりかぁ。教えてくれてありがとう、お父さん」


娘は嬉しそうに笑った。

妻も息子も娘も、嫌な顔ひとつしない。

それどころか、俺の言葉をありがたがっているように見えた。


翌朝、会社でも同じようなことが起きた。


挨拶の声が小さいと部下に怒鳴っても、深々と頭を下げる。


「部長に叱っていただけて、光栄です」


書類の不備を見つけ、担当者を全員の前で問い詰めても、周囲は笑顔で拍手した。


「さすが部長。勉強になります」


俺は確信した。


やっと世界が正しくなったのだ。


俺が変わったんじゃない。

周囲の人間が、ハラスメントなんてくだらないと、やっと分かったに違いない。


それから俺は、遠慮をやめた。


気に入らない部下は気分のままに怒鳴った。

女性社員には触り、絡み倒した。

部下にはガンガン酒を勧めて、昔の武勇伝を聞かせてまわった。

店員の小さなミスには、怒鳴り声をあげて叱り倒した。

家ではソファから動かず、妻を顎でこき使った。


それでも皆笑い、感謝される。


最高だった。


——最初の一週間は。


十日もすると、奇妙な物足りなさを感じ始めた。

会社でも、家庭でも、誰も俺を拒絶しなかった。


怒鳴れば感謝される。

侮辱しても笑顔を返される。

ハラスメントなんて誰も言ってこない。


それは俺が望んでいた世界のはずだった。


だがなんか違う。

手応えが全くないのだ。


やつら一体どうしたんだ。

そうじゃないだろう。


いや、待てよ。

もしかして……皆で俺を罠に嵌めようとしているのか?


「まさか……ハラスメントの証拠を集めて訴える気なのか?」


そう考えると、不思議といろいろ合点がいった。


「ふざけやがって! そうはいかんぞ!」


そっちがそう来るなら、こっちにも考えがある。

ハハ、悔しそうなやつらの顔が目に浮かぶな。


次の日、唐突に部下を褒めてみた。


「おい、昨日の資料、よくできていたじゃないか」


「は? 一体どうしたんですか、部長」


その瞬間、部下の笑顔が消えた。

俺の疑念が確信に変わった。


「上司としてたまには褒めてやらんとな。当たり前のことだろ?」


思い通りにはならんぞ、といった感じで答えた。


「体調、悪いんですか? 最近特に寒いので、部長も気を付けてくださいね」


「ん? おぉ……ありがとな」


困った顔を見たかったのだが、本気で心配された。

どういうことだ。


まさかこいつらは本当に――これを望んでいるのか?


狼狽えていると、周囲の社員が集まってきた。


「部長、遅刻しました。早くみんなの前で問い詰めてください」


「ねぇ、部長。今日の服どう? いつもみたいに触ってくださいよ」


俺は気味が悪くなり、早退の旨を伝えて逃げるように会社を出た。

最寄り駅前で部下と遭遇する。


「あ、部長! 今日も飲みに連れてってくださいよぉ。また昔の武勇伝聞き——」


全部聞く前に逃げた。

あいつも駄目だ。


「な、なんなんだよ一体!」


仕方なく家に帰ると、妻が玄関で待っていた。


「今日は早いのね。どうかしたの?」


「あぁ……、実はな——」


妻に話そうとすると、子供たちが玄関に走って来た。


「お父さん。ほら、廊下も走ったし、僕、今日も悪い子だろ?」


「私たち、お父さんを待ってたんだよ」


思わず身体が震えた。


「今日はどうしたの? あなたらしくないわね」


家族全員が笑っている。

勢いよく玄関を飛び出した。


とりあえず近くのレストランへ入る。


「いらっしゃいませ。あ、いつもご指摘ありがとうござ——」


俺は飛び出した。

冷や汗が止まらない。


あたりを見回すと、街中を歩く人々が俺を見ていた。

全員が笑っていた。


「うわあぁぁ……やめろ!やめろぉぉぉ!」


人目につかない場所まで駆けだした。

肺が痛い。


「違う……」


頭を抱え、その場にうずくまる。


笑ってほしいんじゃない。

言うことを聞いてほしかったんじゃない。


じゃあ俺はなんだ?

悔しがられたかったのか?

怯えられたかったのか?


「……いや、違うな」


ようやく気付いた。


「俺は……、ずっと怖かったんだ」


馬鹿にされてるんじゃないか。

笑われているんじゃないか。

そんなことばかり考えていた。


だから自分を大きく見せようとした。

相手を小さくすれば、自分が大きくなった気がした

。

「くだらないプライドで……」


とにかく威張り続けた。

虚勢を張り続けた。

その結果がこのザマだ。


……俺、中身空っぽじゃねぇか。


「すまん……みんな、すまなかった」


——研修終了条件を満たしました——


「……な、なんだ?」


「ご自身で気づかれたようで何よりです。これにて研修は終了ですね」


どこからか声が響いて、急に視界が暗転した。


*


目を開けると、俺は研修室の椅子に座っていた。


黒いゴーグルが、目元を覆っている。

講師がゆっくりと外してくれた。


周りを見ると、まだ何人か座っていた。


時計を見る。

現実では、まだ三時間しか経っていなかった。


「いかがでしたか。あなたの望んでいた世界は」


講師の声は、研修前と変わらず穏やかだった。

俺は文句も言い返せないほど憔悴していた。


「あなたが体験した仮想世界は、こちらですべてモニタリングしていました」


最悪の気分だった。

あの無様な様子を見られていたなんて。


「またお会いすることがないように祈っております。お疲れさまでございました」


ふらふらと外に出る。

冬の風がやけに体に染みた。


「……たまには、土産でも買っていくか」


帰り道、駅前のケーキ屋に寄った。

妻と子供たちのために手当たり次第に選ぶ。


「ただいま」


何年ぶりに言っただろうか。

妻が出迎えたので、ケーキの箱を見せる。


「おかえり。あら、どうしたの? お土産なんて珍しい」


「いや、たまには良いかなと思って。いつもすまんな」


妻はきょとんとして俺を見た。


「今日はどうしたの? あなたらしくないわね」


その言葉に思わず震えた。


まさか、ここはまだ——


「でも嬉しい。ありがとうね。ご飯の後で一緒に食べましょうよ」


「あ……、あぁ、そうしよう」


妻の笑顔に荒んだ心が洗われるようだった。


「あ、今日の皿洗いは俺がやるよ」


「ほんとに? どうしたの? 浮気でもしてんの?」


「ち、違うよ……」


散々な言われようだが仕方ない。


Mr.ハラスメントの称号が外れるのは、もう少し先の話になりそうだ。


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