表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ざまぁ婚約破棄系ヒロインが流行りと聞いたので

掲載日:2026/03/23

 その日、私は婚約者に呼び出された。


 王都の中心にある、やたらと格式ばった中庭。  わざわざこんな人目につく場所を指定してくるあたり、嫌な予感しかしない。


「……ああ、来たか」


 振り返った彼――アルベルトは、いつも通り尊大な態度で腕を組んでいた。  その隣には、見覚えのない令嬢が一人。


 あ、これ、確定だ。


 妙に冷静な自分がいた。


 最近、侍女たちの間で妙な話題が流行っていた。


 ――ざまぁ婚約破棄系のヒロイン。


 婚約者に理不尽に捨てられた令嬢が、後に見返して立場を逆転させる物語。  どうやらそれが流行りらしい。


 まさか自分がその“ヒロイン役”になるとは、思ってもいなかったけれど。


「エレノア・ルシェル。お前との婚約を破棄する」


 予想通りの言葉に、心は驚くほど静かだった。


「理由をお聞きしても?」


「理由だと? ……決まっているだろう。お前が“ふさわしくない”からだ」


 来た。


 あまりにもテンプレートな台詞に、思わず感心すらしてしまう。


「こちらのセリーヌ嬢を見ろ。美しく、聡明で、そして何より――俺を理解している」


 隣の令嬢は、控えめに微笑みながらこちらに一礼した。  完璧な淑女の所作。非の打ち所がない。


 なるほど、対比要員か。


「対してお前はどうだ。地味で、融通が利かず、面白みの欠片もない。貴族としての華が足りん」


 言葉は鋭いが、どこか借り物めいていた。


 誰かに吹き込まれた台詞を、そのままなぞっているような――そんな違和感。


「それに加えて、最近の素行の悪さだ」


「素行、ですか」


「ああ。夜会での態度、使用人への接し方、さらには俺への無礼な発言の数々。報告はすべて上がっている」


 なるほど。


 ここまで来ると、むしろ感心する。


(典型的な“でっちあげパターン”ね)


 侍女たちの話と寸分違わない流れだ。


 私はゆっくりと瞬きをした。


「……ちなみに、その報告をなさったのはどなたでしょうか」


 問いかけると、アルベルトはわずかに視線を逸らした。


「言う必要はない」


 ああ、やっぱり。


 ちらりと隣のセリーヌ嬢を見る。  彼女は変わらず微笑んでいるが、その指先がわずかに強張っているのが見えた。


 正直、どうでもいい。


 誰が何をしたのかなんて、今は些細なことだ。


 問題は――


(私が、どう振る舞うか)


 だ。


 ふと、あの話を思い出す。


 ざまぁ婚約破棄系のヒロイン。


 理不尽に捨てられた後、鮮やかに逆転する。


 そのためには、まず――


(“破棄される側”をきちんと演じないといけないのよね)


 少しだけ、口元が緩みそうになるのを抑える。


 ここは悲しむべき場面だ。  きっと。


「……そう、ですか」


 私は視線を落とした。


「では、私に弁明の機会はないのですね」


「必要ない。すでに結論は出ている」


 きっぱりとした声音。  まるで自分が正義であるかのような断定。


 少し前まで、この人はこんな話し方をする人ではなかった。


 もっと不器用で、けれど真っ直ぐで。  少なくとも――私のことを“見て”はくれていた。


 いつから変わったのだろう。


 いや、違う。


(変わったのは、きっと私の方)


 気づかないふりをしていただけだ。


「……分かりました」


 私は顔を上げる。


「婚約破棄、受け入れます」


 周囲がざわめいた。


 予想よりもあっさりしていたのだろう。  もっと取り乱すと思っていたのかもしれない。


 アルベルトも、わずかに目を見開いた。


「……ほう。随分と素直だな」


「はい。殿下のご判断ですもの」


 にこりと微笑む。


 作り笑いは得意ではないが、今はそれで十分だ。


「ただし、一つだけお願いがございます」


「なんだ」


「正式な手続きを踏んでいただけますか」


 その言葉に、アルベルトの眉がぴくりと動いた。


「……どういう意味だ」


「婚約は両家の合意によるもの。破棄もまた、正式な場での宣言と証人が必要です」


 ゆっくり、はっきりと告げる。


「このような場での一方的な宣言だけでは、後々問題になるかと」


 周囲の貴族たちが、小さく頷く気配がした。


 常識的な話だ。


 だからこそ、彼にとっては想定外だったのだろう。


「……ふん。言われずとも分かっている」


 強がるように鼻を鳴らす。


「後日、正式な場を設ける。それでいいな」


「はい」


 十分だ。


 むしろ好都合。


(“舞台”が整う)


 ざまぁには、観客が必要だ。


 そして、証人も。


「では、本日はこれで失礼いたします」


 軽くドレスの裾を持ち上げ、優雅に一礼する。


 背を向けた瞬間、視線が一斉に突き刺さるのを感じた。


 同情、好奇、嘲笑。


 いろんな感情が混ざり合っている。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


(これで、やっと始まる)


 歩き出す。


 一歩、一歩、音を立てないように。


 背筋を伸ばして、顔を上げて。


 屋敷へ戻ると、執事がすぐに出迎えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「ええ、ただいま」


 普段と変わらないやり取り。


 けれど、その目はすべてを察していた。


「……お茶を用意いたしましょうか」


「お願い」


 短く答えて、応接室へ向かう。


 一人になった瞬間、ふっと力が抜けた。


 ソファに腰を下ろし、深く息を吐く。


「……はぁ」


 遅れて、実感が押し寄せてきた。


 婚約破棄。


 長い間、当たり前のように隣にいた存在が、もういない。


 ――悲しいかと聞かれれば。


「……少しだけ、ね」


 正直な気持ちだった。


 完全に無感情というわけではない。


 けれど、取り乱すほどでもない。


 それよりも強い感情がある。


(納得いかない)


 理不尽に切り捨てられたこと。


 自分が悪者に仕立て上げられたこと。


 そして――


(あんな安っぽい台詞で終わらせようとしたこと)


 思わず、くすりと笑ってしまう。


「ざまぁ婚約破棄系、ね……」


 流行りだというなら、乗ってあげてもいい。


 どうせなら、最高に気持ちよく終わらせたい。


 そのためには。


(まずは情報収集)


 誰が、何を仕組んだのか。


 アルベルトはどこまで関わっているのか。


 そして、あのセリーヌ嬢の立ち位置。


「……やることは多そうね」


 ちょうどそのとき、執事がお茶を運んできた。


 静かにカップを置き、深く一礼する。


「何かお力になれることがございましたら、何なりとお申し付けください」


 その言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。


「ええ、あるわ」


 カップを手に取り、微笑む。


「少し――調べてほしいことがあるの」


 紅茶の香りが、ふわりと広がる。


 その温もりを指先に感じながら、私ははっきりと告げた。


「“ざまぁ”の準備を始めましょうか」



 正式な婚約破棄の場は、思っていたよりも早く用意された。


 王城の大広間。  各家の当主や有力貴族たちが集まり、まるで祝宴のような空気すら漂っている。


 ――ただし、主役は“断罪される令嬢”。


 なんとも趣味の悪い舞台だ。


(まあ、好都合だけど)


 私はゆっくりと会場へ足を踏み入れた。


 視線が集まる。  噂好きの貴族たちの期待と好奇心が、ひしひしと伝わってくる。


「エレノア・ルシェル、入場いたしました」


 名乗りを上げる声が響く。


 正面には、アルベルトとセリーヌ。  その背後には王族と、双方の家の関係者。


 すべてが整っている。


(完璧な“舞台”ね)


「よく来たな、エレノア」


 アルベルトが口を開く。  あの日と同じ、どこか作られた威圧感。


「本日をもって、貴様との婚約を正式に破棄する」


「承知しております」


 私は静かに頷いた。


 周囲がざわめく。  あまりにも落ち着き払った態度が、逆に違和感を与えているのだろう。


「……ずいぶんと余裕だな」


「ええ。覚悟はできておりますので」


 にこりと微笑む。


 アルベルトの眉がわずかに歪む。


 ――いい兆候だ。


「では、理由を改めて述べる」


 彼は一歩前に出て、高らかに宣言した。


「エレノア・ルシェルは、貴族としての品位を欠き、虚偽の報告を行い、さらには婚約者であるこの私に対して幾度となく無礼を働いた!」


 ざわめきが広がる。


「加えて、使用人への横暴な振る舞い、夜会での不適切な態度など、数え上げればきりがない!」


 堂々とした断罪。


 けれど、その内容はすべて――


(調べ済み)


 私は静かに息を吸った。


「以上の理由により、この婚約は無効とする!」


 決定的な一言。


 会場の視線が一斉に私へ向く。


 さあ、ここからが本番だ。


「……発言の許可をいただけますか」


 私はゆっくりと口を開いた。


 アルベルトは一瞬ためらい、そして鼻で笑う。


「いいだろう。最後の言い訳くらいは聞いてやる」


 その言葉に、何人かが苦笑した。


 傲慢だ、と。


 でも本人は気づいていない。


「ありがとうございます」


 一歩前へ出る。


 そして、まっすぐに彼を見据えた。


「まず、私の素行についてですが――事実無根です」


 静かな声。  しかし、はっきりと響く。


「証拠をお示しいたします」


 合図を送ると、控えていた執事が一歩前へ出た。


「こちらは、殿下が仰った“報告書”の原本と、その作成過程を記録したものにございます」


 ざわり、と空気が揺れる。


 アルベルトの表情がわずかに固まった。


「な……に?」


「さらに、証人もおります」


 扉が開く。


 現れたのは、数名の使用人と、夜会の主催者だった貴族。


「彼らに証言していただきましょう」


 次々と語られる事実。


 私が横暴だったという記録は改ざんされていたこと。  夜会での“問題行動”は、むしろセリーヌ側の失態を隠すために作られた虚偽だったこと。


 そして――


「その指示を出したのは、セリーヌ嬢であると証言いたします」


 決定的な一言。


 会場がどよめいた。


「ち、違いますわ!」


 初めて、セリーヌの声が震えた。


「わたくしはそんなこと――!」


「では、こちらをご覧ください」


 私はもう一つの資料を差し出す。


「あなたの侍女とのやり取りの記録です。すべて保管されておりました」


 顔色が一瞬で青ざめる。


 逃げ場はない。


「……どういうことだ、セリーヌ」


 アルベルトの声が低くなる。


「殿下、違うのです! わたくしはただ――」


「黙れ」


 ぴしゃりと遮られた。


 その視線は、もはや彼女を庇うものではない。


 完全に“切り捨てる側”の目だった。


(ああ、そう)


 内心で小さく息を吐く。


(結局、この人はそういう人なのね)


 都合が悪くなれば、簡単に手のひらを返す。


 それが分かっただけでも、十分な収穫だ。


「……エレノア」


 今度は、彼がこちらを見る。


「これはどういうことだ。なぜ今まで黙っていた」


「必要がなかったからです」


 淡々と答える。


「それに――」


 少しだけ、笑った。


「流行りと聞きましたので」


「……は?」


「ざまぁ婚約破棄系のヒロイン、というものが」


 ざわ、と空気が揺れる。


 何人かは意味を理解して、吹き出しそうになっている。


「理不尽に断罪された令嬢が、最後にすべてをひっくり返す」


 一歩、また一歩と歩み寄る。


「せっかくですもの。きちんと“お約束”を守らないと、つまらないでしょう?」


 アルベルトの顔が歪む。


「……ふざけるな」


「ふざけてなどおりませんわ」


 私は首をかしげた。


「むしろ、真面目にやっております」


 そして、はっきりと告げる。


「殿下。あなたの断罪は、虚偽に基づくものであり、不当です」


 静まり返る会場。


「よって、この婚約破棄――」


 わずかに間を置いて。


「こちらから、正式にお断りいたします」


 その瞬間、空気が弾けた。


 どよめき、ざわめき、そして――笑い。


 抑えきれない失笑が、あちこちから漏れる。


 “捨てる側”だったはずの男が、“捨てられる側”に回ったのだ。


 これ以上ない皮肉。


「……貴様……!」


 アルベルトが顔を真っ赤にする。


 けれど、もう遅い。


「加えて、虚偽の告発および名誉毀損については、正式に抗議させていただきます」


 父が一歩前に出た。


「我がルシェル家としても、今回の件は看過できません」


 周囲の貴族たちも頷く。


 流れは完全に決まった。


 アルベルトは言葉を失い、セリーヌは崩れ落ちる。


 その光景を、私は静かに見つめた。


(これで、終わり)


 長く続いた婚約も、あっけないほど簡単に幕を閉じた。


 会場を後にする。


 背後ではまだ騒ぎが続いているが、もう関係ない。


「お見事でございました、お嬢様」


 執事が小さく微笑む。


「ええ、まあね」


 肩の力が抜ける。


「でも、思っていたよりあっさりだったわ」


「十分に鮮やかでございましたが」


「そうかしら」


 少しだけ考えて、くすりと笑う。


「じゃあ、合格点ってところね」


 外の空気は、ひどく清々しかった。


 重たいものが、すべて消えたような感覚。


「これから、どうなさいますか」


 執事の問いに、私は少しだけ空を見上げた。


「そうね……」


 自由だ。


 ようやく、本当に。


「しばらくは、好きに生きるわ」


 そう言って歩き出す。


 もう振り返らない。


 だって――


「ざまぁは終わったもの」


 これからは、私の物語だ。


――プロローグはもう終わったようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ