ざまぁ婚約破棄系ヒロインが流行りと聞いたので
その日、私は婚約者に呼び出された。
王都の中心にある、やたらと格式ばった中庭。 わざわざこんな人目につく場所を指定してくるあたり、嫌な予感しかしない。
「……ああ、来たか」
振り返った彼――アルベルトは、いつも通り尊大な態度で腕を組んでいた。 その隣には、見覚えのない令嬢が一人。
あ、これ、確定だ。
妙に冷静な自分がいた。
最近、侍女たちの間で妙な話題が流行っていた。
――ざまぁ婚約破棄系のヒロイン。
婚約者に理不尽に捨てられた令嬢が、後に見返して立場を逆転させる物語。 どうやらそれが流行りらしい。
まさか自分がその“ヒロイン役”になるとは、思ってもいなかったけれど。
「エレノア・ルシェル。お前との婚約を破棄する」
予想通りの言葉に、心は驚くほど静かだった。
「理由をお聞きしても?」
「理由だと? ……決まっているだろう。お前が“ふさわしくない”からだ」
来た。
あまりにもテンプレートな台詞に、思わず感心すらしてしまう。
「こちらのセリーヌ嬢を見ろ。美しく、聡明で、そして何より――俺を理解している」
隣の令嬢は、控えめに微笑みながらこちらに一礼した。 完璧な淑女の所作。非の打ち所がない。
なるほど、対比要員か。
「対してお前はどうだ。地味で、融通が利かず、面白みの欠片もない。貴族としての華が足りん」
言葉は鋭いが、どこか借り物めいていた。
誰かに吹き込まれた台詞を、そのままなぞっているような――そんな違和感。
「それに加えて、最近の素行の悪さだ」
「素行、ですか」
「ああ。夜会での態度、使用人への接し方、さらには俺への無礼な発言の数々。報告はすべて上がっている」
なるほど。
ここまで来ると、むしろ感心する。
(典型的な“でっちあげパターン”ね)
侍女たちの話と寸分違わない流れだ。
私はゆっくりと瞬きをした。
「……ちなみに、その報告をなさったのはどなたでしょうか」
問いかけると、アルベルトはわずかに視線を逸らした。
「言う必要はない」
ああ、やっぱり。
ちらりと隣のセリーヌ嬢を見る。 彼女は変わらず微笑んでいるが、その指先がわずかに強張っているのが見えた。
正直、どうでもいい。
誰が何をしたのかなんて、今は些細なことだ。
問題は――
(私が、どう振る舞うか)
だ。
ふと、あの話を思い出す。
ざまぁ婚約破棄系のヒロイン。
理不尽に捨てられた後、鮮やかに逆転する。
そのためには、まず――
(“破棄される側”をきちんと演じないといけないのよね)
少しだけ、口元が緩みそうになるのを抑える。
ここは悲しむべき場面だ。 きっと。
「……そう、ですか」
私は視線を落とした。
「では、私に弁明の機会はないのですね」
「必要ない。すでに結論は出ている」
きっぱりとした声音。 まるで自分が正義であるかのような断定。
少し前まで、この人はこんな話し方をする人ではなかった。
もっと不器用で、けれど真っ直ぐで。 少なくとも――私のことを“見て”はくれていた。
いつから変わったのだろう。
いや、違う。
(変わったのは、きっと私の方)
気づかないふりをしていただけだ。
「……分かりました」
私は顔を上げる。
「婚約破棄、受け入れます」
周囲がざわめいた。
予想よりもあっさりしていたのだろう。 もっと取り乱すと思っていたのかもしれない。
アルベルトも、わずかに目を見開いた。
「……ほう。随分と素直だな」
「はい。殿下のご判断ですもの」
にこりと微笑む。
作り笑いは得意ではないが、今はそれで十分だ。
「ただし、一つだけお願いがございます」
「なんだ」
「正式な手続きを踏んでいただけますか」
その言葉に、アルベルトの眉がぴくりと動いた。
「……どういう意味だ」
「婚約は両家の合意によるもの。破棄もまた、正式な場での宣言と証人が必要です」
ゆっくり、はっきりと告げる。
「このような場での一方的な宣言だけでは、後々問題になるかと」
周囲の貴族たちが、小さく頷く気配がした。
常識的な話だ。
だからこそ、彼にとっては想定外だったのだろう。
「……ふん。言われずとも分かっている」
強がるように鼻を鳴らす。
「後日、正式な場を設ける。それでいいな」
「はい」
十分だ。
むしろ好都合。
(“舞台”が整う)
ざまぁには、観客が必要だ。
そして、証人も。
「では、本日はこれで失礼いたします」
軽くドレスの裾を持ち上げ、優雅に一礼する。
背を向けた瞬間、視線が一斉に突き刺さるのを感じた。
同情、好奇、嘲笑。
いろんな感情が混ざり合っている。
でも、不思議と嫌ではなかった。
(これで、やっと始まる)
歩き出す。
一歩、一歩、音を立てないように。
背筋を伸ばして、顔を上げて。
屋敷へ戻ると、執事がすぐに出迎えた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ええ、ただいま」
普段と変わらないやり取り。
けれど、その目はすべてを察していた。
「……お茶を用意いたしましょうか」
「お願い」
短く答えて、応接室へ向かう。
一人になった瞬間、ふっと力が抜けた。
ソファに腰を下ろし、深く息を吐く。
「……はぁ」
遅れて、実感が押し寄せてきた。
婚約破棄。
長い間、当たり前のように隣にいた存在が、もういない。
――悲しいかと聞かれれば。
「……少しだけ、ね」
正直な気持ちだった。
完全に無感情というわけではない。
けれど、取り乱すほどでもない。
それよりも強い感情がある。
(納得いかない)
理不尽に切り捨てられたこと。
自分が悪者に仕立て上げられたこと。
そして――
(あんな安っぽい台詞で終わらせようとしたこと)
思わず、くすりと笑ってしまう。
「ざまぁ婚約破棄系、ね……」
流行りだというなら、乗ってあげてもいい。
どうせなら、最高に気持ちよく終わらせたい。
そのためには。
(まずは情報収集)
誰が、何を仕組んだのか。
アルベルトはどこまで関わっているのか。
そして、あのセリーヌ嬢の立ち位置。
「……やることは多そうね」
ちょうどそのとき、執事がお茶を運んできた。
静かにカップを置き、深く一礼する。
「何かお力になれることがございましたら、何なりとお申し付けください」
その言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。
「ええ、あるわ」
カップを手に取り、微笑む。
「少し――調べてほしいことがあるの」
紅茶の香りが、ふわりと広がる。
その温もりを指先に感じながら、私ははっきりと告げた。
「“ざまぁ”の準備を始めましょうか」
正式な婚約破棄の場は、思っていたよりも早く用意された。
王城の大広間。 各家の当主や有力貴族たちが集まり、まるで祝宴のような空気すら漂っている。
――ただし、主役は“断罪される令嬢”。
なんとも趣味の悪い舞台だ。
(まあ、好都合だけど)
私はゆっくりと会場へ足を踏み入れた。
視線が集まる。 噂好きの貴族たちの期待と好奇心が、ひしひしと伝わってくる。
「エレノア・ルシェル、入場いたしました」
名乗りを上げる声が響く。
正面には、アルベルトとセリーヌ。 その背後には王族と、双方の家の関係者。
すべてが整っている。
(完璧な“舞台”ね)
「よく来たな、エレノア」
アルベルトが口を開く。 あの日と同じ、どこか作られた威圧感。
「本日をもって、貴様との婚約を正式に破棄する」
「承知しております」
私は静かに頷いた。
周囲がざわめく。 あまりにも落ち着き払った態度が、逆に違和感を与えているのだろう。
「……ずいぶんと余裕だな」
「ええ。覚悟はできておりますので」
にこりと微笑む。
アルベルトの眉がわずかに歪む。
――いい兆候だ。
「では、理由を改めて述べる」
彼は一歩前に出て、高らかに宣言した。
「エレノア・ルシェルは、貴族としての品位を欠き、虚偽の報告を行い、さらには婚約者であるこの私に対して幾度となく無礼を働いた!」
ざわめきが広がる。
「加えて、使用人への横暴な振る舞い、夜会での不適切な態度など、数え上げればきりがない!」
堂々とした断罪。
けれど、その内容はすべて――
(調べ済み)
私は静かに息を吸った。
「以上の理由により、この婚約は無効とする!」
決定的な一言。
会場の視線が一斉に私へ向く。
さあ、ここからが本番だ。
「……発言の許可をいただけますか」
私はゆっくりと口を開いた。
アルベルトは一瞬ためらい、そして鼻で笑う。
「いいだろう。最後の言い訳くらいは聞いてやる」
その言葉に、何人かが苦笑した。
傲慢だ、と。
でも本人は気づいていない。
「ありがとうございます」
一歩前へ出る。
そして、まっすぐに彼を見据えた。
「まず、私の素行についてですが――事実無根です」
静かな声。 しかし、はっきりと響く。
「証拠をお示しいたします」
合図を送ると、控えていた執事が一歩前へ出た。
「こちらは、殿下が仰った“報告書”の原本と、その作成過程を記録したものにございます」
ざわり、と空気が揺れる。
アルベルトの表情がわずかに固まった。
「な……に?」
「さらに、証人もおります」
扉が開く。
現れたのは、数名の使用人と、夜会の主催者だった貴族。
「彼らに証言していただきましょう」
次々と語られる事実。
私が横暴だったという記録は改ざんされていたこと。 夜会での“問題行動”は、むしろセリーヌ側の失態を隠すために作られた虚偽だったこと。
そして――
「その指示を出したのは、セリーヌ嬢であると証言いたします」
決定的な一言。
会場がどよめいた。
「ち、違いますわ!」
初めて、セリーヌの声が震えた。
「わたくしはそんなこと――!」
「では、こちらをご覧ください」
私はもう一つの資料を差し出す。
「あなたの侍女とのやり取りの記録です。すべて保管されておりました」
顔色が一瞬で青ざめる。
逃げ場はない。
「……どういうことだ、セリーヌ」
アルベルトの声が低くなる。
「殿下、違うのです! わたくしはただ――」
「黙れ」
ぴしゃりと遮られた。
その視線は、もはや彼女を庇うものではない。
完全に“切り捨てる側”の目だった。
(ああ、そう)
内心で小さく息を吐く。
(結局、この人はそういう人なのね)
都合が悪くなれば、簡単に手のひらを返す。
それが分かっただけでも、十分な収穫だ。
「……エレノア」
今度は、彼がこちらを見る。
「これはどういうことだ。なぜ今まで黙っていた」
「必要がなかったからです」
淡々と答える。
「それに――」
少しだけ、笑った。
「流行りと聞きましたので」
「……は?」
「ざまぁ婚約破棄系のヒロイン、というものが」
ざわ、と空気が揺れる。
何人かは意味を理解して、吹き出しそうになっている。
「理不尽に断罪された令嬢が、最後にすべてをひっくり返す」
一歩、また一歩と歩み寄る。
「せっかくですもの。きちんと“お約束”を守らないと、つまらないでしょう?」
アルベルトの顔が歪む。
「……ふざけるな」
「ふざけてなどおりませんわ」
私は首をかしげた。
「むしろ、真面目にやっております」
そして、はっきりと告げる。
「殿下。あなたの断罪は、虚偽に基づくものであり、不当です」
静まり返る会場。
「よって、この婚約破棄――」
わずかに間を置いて。
「こちらから、正式にお断りいたします」
その瞬間、空気が弾けた。
どよめき、ざわめき、そして――笑い。
抑えきれない失笑が、あちこちから漏れる。
“捨てる側”だったはずの男が、“捨てられる側”に回ったのだ。
これ以上ない皮肉。
「……貴様……!」
アルベルトが顔を真っ赤にする。
けれど、もう遅い。
「加えて、虚偽の告発および名誉毀損については、正式に抗議させていただきます」
父が一歩前に出た。
「我がルシェル家としても、今回の件は看過できません」
周囲の貴族たちも頷く。
流れは完全に決まった。
アルベルトは言葉を失い、セリーヌは崩れ落ちる。
その光景を、私は静かに見つめた。
(これで、終わり)
長く続いた婚約も、あっけないほど簡単に幕を閉じた。
会場を後にする。
背後ではまだ騒ぎが続いているが、もう関係ない。
「お見事でございました、お嬢様」
執事が小さく微笑む。
「ええ、まあね」
肩の力が抜ける。
「でも、思っていたよりあっさりだったわ」
「十分に鮮やかでございましたが」
「そうかしら」
少しだけ考えて、くすりと笑う。
「じゃあ、合格点ってところね」
外の空気は、ひどく清々しかった。
重たいものが、すべて消えたような感覚。
「これから、どうなさいますか」
執事の問いに、私は少しだけ空を見上げた。
「そうね……」
自由だ。
ようやく、本当に。
「しばらくは、好きに生きるわ」
そう言って歩き出す。
もう振り返らない。
だって――
「ざまぁは終わったもの」
これからは、私の物語だ。
――プロローグはもう終わったようだ。




